第15話 蚤の市

「イルヤ姉は何か欲しいもの無いの?」


 喧騒を一歩離れて穏やかな目で見守るイルヤ姉が何処か寂しそうに見えて声を掛ける。


「いーや、あたしはこの熱気でお腹一杯さ、いい土産話が出来たよ」


 イルヤ姉はそう言って、様々な古本を並べている出店の前で足を止める。


「あれ、イルヤ姉、字を読めたっけ」


 ジョバ村の様な田舎村だと、読み書きできるのは村長ぐらいなものだ、あんな田舎村では読み書きできる必要も、その習得に掛ける時間も無い。

 俺は様々な運があり神父様に弟子入りできたので、その例外的な位置にある。


「はは、ミントには内緒だけどね、あんたの残した勉強道具を使って、密かに練習中さ」


 イルヤ姉は顔を赤らめながらそう言った。

 全く知らなかった、イルヤ姉はそんなタイプには全く思えなかったのだ。

 何かと頼りのない親父に代わり、家の仕事をバリバリと取り仕切っていた彼女だ。とてもじゃないが、読み書きの勉強に当てられる時間なんて殆ど無かっただろう。


「凄いじゃないかイルヤ姉! 全然恥ずかしがることなんてないよ!」

「ははは、そうおだてるなって、まだまだ基本の読み書きがようやく出来るようになった程度さ」


 それは仕方がない、俺の場合は村中の協力が合って初めて勉強時間が取れていたのだ、睡眠時間を削っての独学では、そうそう上手くはいかないだろう。


「まぁ、所詮は唯の気まぐれさ、別に読み書きを覚えたからってあの村で何が出来るってもんじゃない」

「そんなことは無いよイルヤ姉」

「そうだな、学問と言うのは学ぶ場所が重要なのではない」


 突然背後から、低く太い声が掛けられる。

 その聞きなれない声に俺たちは背後を振り返った。


「ハリス教授?」

「如何にも、ハリス・リンドバーグだ」


 それは、先ほど学園で見たハリス教授だった、禿頭の大男、深く理知的な目と、眉間に刻まれた深いしわが特徴的な人物だ。


「あっ、どうも。自分はアデムです」

「自己紹介の必要はない、君の事はよく知っている」


 教授はそう言ってじっと俺を見下ろす。その目で見つめられると、自分の奥底まで見抜かれているんじゃないかと心が騒めいて来るほどだ。

 教授はふと、俺からイルヤ姉へと視線を向ける。


「あっ、そうだ、こっちはイルヤ姉、俺の姉で王都観光に来ているんです」

「そうですか、王都へようこそ」


 ハリス教授は、表情を変えないままそう言って歓迎の意を示す。


「あはは、こりゃどうも。なにぶんと田舎者なんで、色々と物珍しいものばかりです」


 だが、イルヤ姉は全く物おじせずに右手を差し出す。


「教授もお買い物ですか?」

「うむ、私も古書が目当てだ。ここでは掘り出し物が手に入る。まぁこの店には私の求める物は無いようだが」


 ハリス教授はそう言って、さっきまでイルヤ姉が見ていた出店の方へと視線を動かす。

 そこには様々な書物が陳列されていた、だが目立つ場所に置かれているのは児童書が主、読み書きの練習中であるイルヤ姉には合っているが、教授の目当てではないようだ。


「教授のお目当ては、植物学の本ですか?」

「その様な物だ」


 チェルシーの話によると、ハリス教授は様々な分野で実績を残してきた天才だと言う。きっと俺なんかには思いもつかない難しい本を探しているんだろう。


「それでは」と、教授はそれだけを言い残し、人込みの中に消えていった。極々短い時間だったが、独特のプレッシャーの持ち主だったおかげで、妙に気疲れしてしまった。


「ふぅ、なーんか妙な迫力のある人だったな」

「そうねぇ、村にはいないタイプの人物よね」


 イルヤ姉は飄々とそう答える。亀の甲より年の劫。田舎じゃ親父連中相手にやり合ってる彼女にすれば、多少は迫力のある人物の相手なんか屁でもないと言った所だろうか。


「……あんた今なんか失礼なこと考えてなかった?」

「いえいえ、滅相も無いですよ?」


 イルヤ姉はぽこんと俺の頭を叩く、流石は姉弟、思っていることが直ぐに伝わっちまう。


「お兄ちゃん見てみて!」


 そうこうしている内に、ミントが山の様な戦利品を抱えて、俺たちの元へ帰って来た。


「おお、凄いなミント」


 俺はわっしゃわっしゃとミントの頭をなでた後、誇らしげに胸を張るチェルシーに礼を言う。


「ふっふー、この私が本気を出せばこんなものよ」


 そう言って、チェルシーはチェルシーで沢山の本を両手に抱えて現れた、勉強家の彼女のお目当ては、ハリス教授と同じく古書だったようだ。


「はわわわ、酷い目にあいました」


 対照的なのはアプリコットだ、押しに弱い彼女は何かと断り切れずにあちこちで声を掛けられては、カトレアさんに助けられると言う事を繰り返していたようだ。


「皆さん楽しまれたようで良かったですわ」


 そして不完全燃焼なのがシャルメル、彼女はついうっかりと、懐具合を衆目に晒してしまい、ジム先輩の厳重な監視下に置かれていたそうな。


「ねぇねぇ、お姉ちゃんは何か買ったの?」


 ミントが好奇心いっぱいにイルヤ姉に語り掛けてくる。


「いーや、あたしは、この人ゴミだけでお腹一杯さね」


 イルヤ姉は、そう言って苦笑いしながら肩をすくめる。この広場に集まった人数だけで優にジョバ村の数十、数百倍の人数だ。

 チェルシーの手引きがあったとはいえ、それに物怖じしないミントの方がある意味では異常な事だ。


「そうなんだ……」


 ミントは何処か居心地悪そうにそう言い淀む、自分ばかり楽しんでしまって申し訳ないとでも思ってしまったんだろう。


「気にするこた無いさね、あたしはあんたが楽しんでくれりゃ、それが何よりだよ」


 イルヤ姉はそう言ってミントの頭を優しく撫でる。それはおざなりな物言いだったけれど、暖かな温もりに満ちた言葉だった。

 ミントは少し逡巡した後に、うんと小さな声で返事をした。


「もし、そこのお嬢ちゃん。何か御探し物かい?」


 そんな空気の俺達に話しかける声があった。なんだとそちらを振り向くと、ニコニコと笑う出店の店主の姿があった。


「え? わたしの事ですか?」


 ミントがそう言ったのに、店主は糸の様に細い目を、さらに細めてニコニコと笑いながら頷いた。


「ええそうですよ、可愛らしいお嬢ちゃん。失礼ながら立ち話を盗み聞きさせて頂きました。

 それでどうでしょう、麗しい姉妹の絆を深めるのに、こちらのご本は如何でしょう、今ならお安くしておきますよ」


 まぁ店の真ん前で立ち話をしていたのは俺たちだ、聞かれて困る様な事でもなし、失礼云々は置いといてもいいが。


「そいつは、恥ずかしい事聞かれちまったね。けども残念、本なんてあたしのガラじゃないね」


 そこは、イルヤ姉、胡散臭い呼び込みなどぴしゃっと断るも。傍でしょんぼりとしているミントが、ポツリと寂しそうにつぶやいた。


「わたし、字が読めません」


「ミントちゃん」と傍に居たチェルシーが、ミントはなだめようとするが、我が意を得たりとばかりに、店主が口を挟んできた。


「いやいや、そこは大丈夫。そちらの綺麗なお姉さんは読み書きができるとのこと、ならばこちらの本は如何かな、これは王国民ならだれでも知ってる童話の絵本、これを使って読み書きの練習をすれば一石二鳥ですよ」


 店主のその言葉に、ミントはぎょっとした表情をイルヤ姉に向ける。イルヤ姉は店主を睨みつけるも、どこ吹く風のニコニコ笑顔だったのだった。

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