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「僕が嘘を嫌いになった理由を教えてあげる。僕が小さい頃の話だ」

 ミズキの家でシャワーを浴びたハルは、ミズキの部屋で座布団に座りながら話し始めた。

「僕は今は両親はいないけど、昔はいたんだ。優しい父さんと母さんだった。父さんは賢くてとても尊敬できる人だった。母さんは明るくて人に良く好かれるような人柄だったけど、少し嘘つきだったんだ。

 昔、僕は両親が好きだった。両親もお互いに仲が良く、周りの人たちからは理想の夫婦だって言われていた。父さんはたまに出張に行くことがあって、ある日、お土産を僕に買ってきてくれたことがあった。それがこれ」

 ハルは頭につけているブローチを取り外してミズキに見せた。

「父が帰ってきていて僕は嬉しかった。次の日は久しぶりの休みだったから、家族でどこかに遊びに行こうということになった。

 夜中、僕が起きてトイレに行こうとしてるとき、二人の会話が聞こえてきた。二人の声は楽し気で、僕も会話に混ざりたかった。でも子供が夜中起きているのはいけないと思って、ちょっと会話を聞いたらすぐ寝ようと思った。

二人の会話は本当に楽しそうだった。けれど母は嘘つきだったから、よくない事をしてしまったんだ。

 母が冗談のつもりで父さんに吐いた一つの嘘。それを聞いた途端父さんは大きなショックを受けたように黙り込んで、電気を消して自分の部屋に戻った」

 ハルの顔が歪んだ。よほど思い出したくない記憶なのだろう。

「翌朝、僕が父さんの部屋に入ると、父さんは首を吊って死んでいた。父さんの死体の前で泣き崩れる母を見て僕は思った。この女の吐いた嘘で僕が好きだった父さんは死んだって」

 僕が嫌いなのは嘘だけって言ったけれど本当は嘘と母が嫌いなんだ、ハルは言った。

「それ以降、母からは明るさが消えて、何かにおびえるように過ごすようになった。僕はそんな母を見て軽蔑していた」

「お母さんは、なぜ死んだの」

「自殺だ。母は嫌いだったけど、母の死体を見た僕はなぜか涙が止まらなかった。変な人間だろ僕」

「ううん」

 ミズキの返答にハルは少し驚いたようだった。

「お母さんはいつ、その、自殺をしたの」

「この前君と三日月を見た日だ」

 ミズキが違和感を抱いたあの泣いた跡は、その時の涙の跡だったのだ。ハルは母親の自殺死体をみた後でミズキと会っていたのである。

「さっきハルが言っていた、僕が殺したってどういうこと……」

 ハルが少し躊躇いを見せてから言った。

「母は精神が衰弱していた。幻覚や幻聴を見ているように見えた。部屋の中でいつも『ごめんなさい、ごめんなさい、私はそんな、殺すつもりは……』ってぶつぶつと言っていた。

 僕はそんな母に言ってしまった。

『うるさい! お前が殺したんだ! お前のせいで、父さんは自殺したんだ!』

 そうしたら、糸が切れたように母は裸足のまま部屋を出て行った。僕はその後自室に戻って音楽を聞いていた。むかむかする気持ちをなんとか静めようと、落ち着いたクラシック曲を聴いていた。しばらくしてから家中が静かで物音ひとつしないことに気が付いた。家中を歩いていると中庭から井戸へ続く道に足跡があった。井戸の中を覗いてみると母の死体があった。僕はそのまま何時間も放心していて、気が付いた時には、見なかったことにしようと蓋を被せていた」

 ハルの家で見た蓋の付いた井戸には、母親の死体が……。

「僕の言葉が母の背中を押したことは間違いないんだ。だから僕は罪を背負っている。僕は今でもとても逃げ出してしまいたい」

「ハル……」

 それでもミズキはハルが愛おしかった。

ハルを抱きしめる。細い体、細い腕、いい匂いがした。

「ハルはきっと逃げないよ。私の知っているハルは強い人だから。ハルが大変なときは私が助けてあげるから」

「なにそれ」

 耳元でハルの少し笑った声がした。

 ミズキは時計を見た。すでに日が昇る時間を過ぎている。カーテンの外からは朝日の白い光が漏れ出ている。

「そろそろ学校へ行く準備をしないと」

「制服、家に置いたままだ。しかも血がついてる」

 血……? ミズキは何のことかわからなかった。

「カナメタツミを殺した時の返り血」

「ああ……。そういうこと……びっくりした。じゃあ、ハルは学校休んで、その間私が制服買ってこようか……。届くまで何日かかるかわからないけれど、それまでは少しくらいサボっても大丈夫でしょ」

「あはは、そういうことにしようかな。でも、その前に僕は警察に行って本当のことを言わないと」

 つまり、母が自殺したことと、カナメタツミに懇願されて殺したことだろう。

「でも、そうしたらハルはタツミくんを殺したことで殺人罪になるんじゃないの……」

「仕方ないことだよ。僕は人殺しだ。そうなる結末なんだ。僕は寝るから、起きたら警察署へ行って本当のことを話す。それで逮捕されたとしても……君は待っててくれる?」

ハルはじっとミズキを見つめている。

「……うん。待ってるから、戻ってくるって信じてる。それに約束したから」

「約束?」

「今度は私の家で映画って……ハルの家で言った」

 そうだった、と言ってハルは照れたように笑った。


 ミズキは一人で学校へ行き、つまらない授業を聞き流した。放課後に保健室のドアを開けるとサユキ先生が椅子に腰かけて本を読んでいた。

 ベッドには寝ている女生徒がいた。

「こんにちは先生。彼女はどうしたのですか」

「うん。Lensでバーチャルリアリティのゲームをやりすぎてちょっと錯乱を起こしていたみたい。今のVRって再現度すごいでしょ。慢性的な寝不足がひどいと精神に異常をきたしやすい状態になるから、ミズキも気を付けるのよ」

「精神に錯乱……」

 ミズキはタツミのことを思い出した。あまりに現実に近すぎる虚構は精神に良くないのだろう。それからハルのことを思い出した。逮捕されたら自由に会って話をするのは難しくなるのだろうと思った。

「どうしたの。泣きそうな顔をしてるわよ」

 ミズキは自分の知っていることを離すことに決めた。

「先生、実は」

「ちょっと待って、それは深刻な話かしら」

 ミズキの浮かない顔を配慮してか、話そうとするのを止めてそう訊ねた。

「そう、かもしれません」

「わかったわ」

 そう言ってサユキ先生は寝ている生徒に

「ほら、もう三時間も寝ているんだからいい加減家へ帰りなさい。もう落ち着いたでしょう。家の方がよく眠れるわよ。今日はLensを使うのは控えなさい」

 寝ていた生徒はうぅんと唸り声をあげてベッドから起き上がり、目をこすりながら保健室から出て行った。

 病人にする対応としては少し乱暴ではないかと思ったが黙っていた。

「さあ、掛けて。話を聞かせて。おそらくハルの話でしょう」

「な、なんでわかるのですか」

「それは後から話すから、話して」

 わかりました、と言ってミズキは膝に置いた手に力を込めて話し始めた。

 ミズキはタツミが精神に異常をきたしていたこと、ハルがタツミを殺したこと、ハルの母親が自殺したことなどを話した。先生が真剣に聞いてくれているのを見てミズキは少しほっとした。

「良かった。ハルを殺さなかったのね、ミズキ」

「はい」

 先生はミズキから聞いたことをメモした紙を見て言った。

「実はね、つい最近二度、ハルが私に相談を持ち掛けてくることがあったの」

 初耳だった。一度目はおそらくLensとFilmについての話を聞いた時だ。あの時ハルの顔には泣いた跡があった。

 そう言うと先生はそうよ、と答えた。だとすると後一度はいったいいつだろう。

「昨日よ。あなたが保健室で夢の話をした後。白いワンピースを着たハルが来たわ。彼女はとても泣きそうな、悲しい顔をしていた」

「そ、それで何を話したんですか?」

「一度目の時は母親を自殺に追い込んだこと。二度目の時はタツミを殺したこと。あなたから聞いたことと変わらないわ。だから、タツミがミヤケキョウコを殺したことは昨日からわかっていたの」

 整理しなおすと簡単な話だった。ミズキはつい今までミヤケキョウコと言う、最初の殺人の被害者のことなど忘れていたのだが。

「それでね、その話の中にあなたの名前がよく出てきた。僕は罪深い人間だ。ミズキと合わせる顔がない。せっかくの友達なのに。ってね」

「友達……」

 合わせる顔がないのはどっちなのだ、と思った。ミズキにとってもハルはとても大好きな友達で親友であったのに、今思い返すととんでもないことをしたものだ。なにしろ、殺しかけた。

「ハルはあなたのことを気にかけていたわ。ミズキは中学生の頃はずいぶんと暗い性格でしたって、懐かしむような言い方だった。で、最近はそうでもなくなってきたって。最初は泣いていたのに、終わるころには随分と落ち着いていた」

 自分が明るいなんて嘘だと思ったけど、確かに中学の頃を思い出してみるとそのころよりはマシになったのかもしれない。

「ハルと仲良くなったのは中学一年生のころなんです」

 ミズキはハルと初めて話したときのことを思い出した。そのころのハルは病気がちで、学校に来るのは一週間に一、二回程度だった。

「ハルが久しぶりに学校に来た日、美術の授業があったんです。その日の課題は『自分の夢を描く』っていうもので、多くの人がサッカー選手だとかパティシエだとか、将来の夢のことを描いていたんです」

 ミズキもそうだった。下手な絵を描いて喜んでいる中にミズキもいたのである。ただ、多少ひねくれていたミズキは他の生徒が描くようなロマン過ぎるものではなく、地味な、それでいて本当に自分の将来の夢なのか自分でもわからないような絵を描いていた。

 唐突に話し出したにもかかわらず、先生は黙って聞いてくれている。

「だけどハルは、よくわからない絵を描いていました。その中には人が居なくて、夜の空に自転車が浮いていたり、黒い猫がダンスをしていたりと、変わった絵でした。変わっていたけれど、とても上手い絵でした。近くにいて気になった私はハルに聞いたんです。

『これは何の絵なの』

『僕の夢だよ。病院にいると、面白いものは夢くらいしかないんだ。これはその時に見たやつ』

 教室の隅の方にいた私たちのところには先生は来ず、だからその絵を訂正されることも注意されることもありませんでした。その絵はそのまま貼りだされ、多くの絵の中で一枚だけ異彩を放っていました。そして私はその絵の虜になっていました。こんな綺麗な絵を描くにはどんな生活をすればいいのだろうと思いました。

 ハルは入退院を繰り返していて、すぐに学校に来なくなりました。だけど気になってしょうがなかったから、私は病室を訪ねてみることにしました。病室のハルは弱弱しかったけど、ちゃんと話はできる状態でした。

『ハルちゃんはどうしてあんなに絵が上手いの』

 そう訊ねるとハルは

『僕は綺麗な世界しか見たことがないから』

 と答えました。

 なんとなく納得してしまって、それから何回も話すために病室を訪れました。この人は私なんかとは違う、誠実でちゃんとした人なんだ、話すうちにそう思うようになって来ました。それから一年くらい経つとハルの病気は寛解し、皆と同じように学校に来れるようになりました。それから今のような関係が続いています」

 ミズキはハルとの出会いを一から思い出すように語った。思えば、ミズキはハルの内面、心に惚れたのかもしれない。

 話を終えると先生はなるほどね、と言った。

 ミズキは柄にもなく長話をしてしまい、すこし恥ずかしくなった。自分の過去を話すのは初めてだった。

「綺麗な世界しか見たことがない、か」

「はい」

 ミズキは自分の過去の事を話したことで、夢の意味を少しわかったような気がした。宝石の木の夢のことだ。

「あの、ハルは殺人罪でその、何十年も刑務所に入れられるのでしょうか」

 ミズキは唐突に話を変えた。恥ずかしくなったからである。

「まあ、そうなるだろうけど、酌量の余地もあるかもしれないわね」

「え?」

「タツミくんはLensとFilmを着けていたんでしょう? ならそれがあれば殺害当時のデータなどが残っているかもしれないから、それを考えるなら多少の余地はあるでしょう」

「そ、そうなんですか」

「だからあまり嫌な心配は持たないようにしなさい。悪い予感は悪い現実を引き寄せるものよ」

 沈黙のあと、はいと言ってミズキは立ち上がった。

「ありがとうございました。先生」

「はい、さようなら。また明日会いましょう」

 ドアを閉める音が響いた。

 廊下には誰一人としていない。

 家に帰ってハルが居ないことを確認するのが少し怖かった。ハルがいないということは、今まで起こっていたことはすべて現実であるということだ。ハルが自分の罪を認めることは必要なことである。しかし、それはもしかしたらしばらくの別れなのかもしれない。

 ポケットからブローチを取り出した。朝、ハルが自分に渡したものだ。ハルはそれをどうしたものかと考えたが、まとまらず、再びポケットに突っ込んだ。

外は雨が降っていて、窓にぽつぽつと当たる雨音がした。

傘を持ってきていなかった。駅まで走ればそんなに濡れずに済むのだろう。

 ミズキは少し考えて、貸し出し用に置かれている傘を手に取って玄関を出た。

校門から出たところには紫陽花が咲いていて色鮮やかだ。

 ハルがヴァイオリンを演奏していた時のことを思い出していた。

 あの、泣き叫ぶような音色のメロディを口ずさんだ。

 梅雨の雨は寒くて少し嫌いだけど、今日は歩いて帰ることにした。

 これが全部夢ならよかったのに、そう思った。

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