第18話



「…西東什器はそんなに居心地悪かったの?」

「私は、そんなに要領がよくないですから」

「そうかなぁ。岩根はああみえて凄く人の好き嫌いがあるのよ。嫌いな人間はとことん嫌って寄せ付けないの。仕事上、普通に接触しているけど、ね。その彼が見込んだんだから要領が良くないということはないと思うけど。プライベートの携帯番号、聞いたんでしょう?」

「…はい。何度も相談に乗ってもらっています」

「じゃぁ間違いない」

 野田がくすくす笑った。

「携帯電話、ですか」

「岩根はプライベートの番号を教えないことで有名だぞ。ましてや他社の社員に教えるなんて滅多にない。仕事用の携帯電話で充分だからな。ちなみに俺は奴と同期入社だが、携帯番号は教えてもらっていない。人事の職権で私物の番号を把握してるが、連絡は仕事用の携帯電話だけだ」

「え?え?そうなんですか?」

「二人は仲が良いから職権乱用と取られるような行動は慎みたい、とね。休暇中はどうだか知らないけど。真面目過ぎてわけわかんないでしょ? そんな真面目な岩根さんがイチオシで口説いた人なんだから、貴方は大丈夫」

 楓はくすくす笑いながら野田と岩根の生真面目さをごちた。

「人事にいるから調べようと思えば職権で全社員の私物の番号にアクセスできるんだ。要らん誤解は避けたい」

「野田課長、受け入れ準備を頼んで良いですか?正式には井上の承認が必要でしょうけど、別に私の承認でも問題ないですよね?手続き上問題があるなら整えますが」

「ちょっと待ってください。採用決定ということですか?」

「今から話す仕事内容に、貴方が納得して入社することを承認してくれたら内定を出すわよ?私自身が人事採用権持っているから問題ない」

「え?え?え?」

「私は岩根よりも上級職だし、私の上司の井上もその話を了承しているから、がその理由。マッチングに問題なければあとは手続きの問題かな。仕事内容が貴方の条件とマッチするかはこれから説明しますけど」

 スピーディすぎると小坂は呟いた。

 ドアがノックされて、倉本が設計図を持ってきた。

「ちょっと座って。彼は小坂さん。ただいまスカウト中」

 倉本が何かに気が付いたように顔を上げた。

 楓は構わず、設計図を広げる。

「ちょっと見てくれるかな?本当は現地で見るほうが楽かもしれないけど、小坂さん、設計図読めるんだよね?」

「多少は読めますけど…」

 設計図を見ると小坂は不思議な空間に目を奪われる。

「ん?この2階のスペースって、何かの倉庫ですか?でも中途半端ですよね?ここは間仕切りできるスペースって…」

「倉本は震災経験者です。だからこそ、というわけではないですけど、店舗部分はバリアフリーに、二階部分は災害があったとき、周辺地域の人が避難してきた場合に備えて備蓄倉庫やパーテーションで区切ることができる部屋だとか、そういう便利な使い方ができるスペースがあったらよいという考えで作っています」

「あ」

 言われてみれば、スロープが設置されてあったり、什器は低めのものだったりと特徴的だった。だから滑りにくい床材に変更したのか、と納得がゆく。小坂が倉本の顔を見れば、倉本が嬉しそうにそう言うことだ、と頷いた。

「だから意図的に什器はコロ付きで低めのもので統一したんだ。フロアが広かったんだ。手間をかけてわざわざコロを固定する器具も取り付けて…。柱が極力排除されていたものの、強度が高くて驚いたんです」

「私たちには、そういった建築の知識はないんです。建築の知識がないから、設計士との意思疎通が図れ無くなることもしばしばで、今回のこの店の立ち上げは大変でした。この柱を抜いたらダメ、とか言われても、私たちにとっては邪魔な柱で、設計士にとっては屋根を支える柱でお互いの利害が衝突しちゃって話が進まないんです」

「あ、わかります。そう言うこと、ありますよね」

「で、今後店舗展開していくにあたって、そういう基礎知識がある社員がいた方が設計事務所や現場の職人さんたちとの意思疎通がものすごく楽になるし、その地域地域に合わせた店を作っていけるんじゃないかという発想で、倉本をチーフとした店舗の建設や増改築のチーム、ハードな部分を専門的に扱うミニチームを立ち上げようという計画があるんです。専門的に図面が引ける社員ではなくて、専門知識を生かして、私達と一緒に設計事務所や現場の職人さんと皆で店を造れるようにならないかと。店舗開発チームのなかの営繕専門のミニチームみたいな感じで立ち上げようと」

「つまり、設計のアドバイザー的な、ですか?」

「仕事の中心はそうなります。営業統括本部がこういう店を作りたい、という考えを具現化するということですかね。新規出店がない時には既存店舗の改修やメンテナンスに積極的に関わってもらって、お客様を迎える店造りをサポートするチームです。そういったあなたの持つ知識で、皆で一つの店を作るんです」

 小坂が目を輝かせた。

「やりたいです。面白そう」

 そう言ってはっと小坂が口をつぐんだ。こんなの小学生の答えじゃないかと。

「仕事の中心は店の建築や補修などのハードな部分の話が多いと思いますが、将来的には空間デザインのコーディネーターというか、ちょっと総合的な専門職の位置にある組織に育てていきたいと思っています。少なくとも、井上は5年10年先の見通しであなたをスカウトすることを決めました。私は10年20年先の店づくりに欠かせない人材と部署の確保のために貴方をスカウトすることに決めました。その結果、岩根の推薦を受けたんです。今のやりたい、面白そうという気持ちを大事にしてくださいね。以上です」

 当の楓はにこにこっとして仮内定を決定した。

「井上の決済含めて仮内定の書類を直ちに上げます。野田課長、そのあとの正式内定までお願いしてよろしいですか?」

「引き受けた。その方向で人事でも書類を上げるよ」

「お願いします」

「良かった。…休み明けに出勤したら私の机がなかったんです。荷物も放り出されていて」

 小坂が安堵してポロリとそうこぼした。

「何それ、弁護士案件だぞ」

「思わず飛び出してしまって、ここに」

「ひどいなぁ」

 野田が頭を振った。

「出勤したら、私の机がなかったって…それだけ?他には?」

「お恥ずかしい話ですが、社宅にいるんですが、明日中に出て行けって…目の前真っ暗です。これからどうしようかと思ったとき、岩根さんのことが真っ先に頭に浮かんでここにきてしまいました」

「そりゃ正解だな」

「え?じゃぁ内定決定ですか、野田課長」

 倉本がそう尋ねた。

「内定決定。最終判断は小坂さんにあるけど、わが社としては是非来てほしい」

 野田がそういうと、倉本がニンマリした。

「うわぁ、俺助かる」

「倉本はチームの主任、しっかりしてよ」

「俺主任ですか?」

「経験年数は倉本が上だから最初は倉本立てて主任任せる。でも、半年後の評価で立場が逆転しているかもしれない。もしかして、ミニチームが無くなっているかもしれないし」

「なくなっているって…え?えええ?そう言う構想なら俺許可できないよ?」

 野田が焦る。

「横山を課長補佐に昇格させて、岩根の権限を移譲したいんです。今まで横山が手掛けてきた仕事を倉本、平木、宇城のスリートップで争うことに。並行して今井を二課に移動、商品開発の仕事を覚えてもらいます。2年一課でやって来たんで、そろそろ二課の仕事を覚えてもらいたいと。今井と長野に小池の仕事を引き継いで、小池は白鳥の仕事を覚えてもらって、白鳥は藤堂の補佐として二課の課長補佐に。藤堂はそろそろ青山の下で経営戦略の仕事を任せてみたいと思っています」

 倉本がばっと顔を上げた。野田が青ざめる。

「広域営業が軌道に乗ったので、統一して営業本部に組み込みたいんです。熱田さんと九条さんがうらやましいですからね。その布石として、ミニチームなんです。準備が足りなくてすぐに動けない場合はひとまず倉本の下で仕事を覚えてもらいながら店舗改修の担当をお願いしようかとも思っていますよ?」

「大幅改変はあと5年だ。まだ早い。それに、熱田さんや九条さんが今の状態を良しとするのかも疑問だ」

 野田がギリギリと歯を食いしばる勢いで楓に迫った。

「野田さんは甘い。会社のトップが10年後を見据えるなら営業は15年先を見据えて人材を育てないと間に合うわけないじゃないですか。わかっています?私が預かっているのは営業統括ですよ?わざと万年人事課長の座にこだわっている貴方が予想できなかったなんて甘いこと言わないで下さいよ。そこまでのほほんとするほど鈍ったなんて言わせないんだから」

 楓が年下というのにひんやりした雰囲気で静かに言い放った。

「熱田さんと九条さんは貴方の予定通り、5年は広域営業にとどまってもらうつもりです。本人達とも約束ですからね。その間に、井上と私とで営業統括と本部改変に着手するんです。5年後、広域営業本部をちゃんとした支社に立ち上げるために、ですよ?私は青山の才能を県内営業だけで終わらせるつもりはない。ゆっくりでも着実にかなえたいと思っているのは熱田さんと九条さんも同じです」

「…俺、ここで聞いて良い話じゃないですよね?」

 倉本が恐々とそういった。

「週末のミーティングで周知することだったから別に構わないわよ。引継と移行期間設けて11月から新体制の予定だったから。本人たちには周知してある。ただ、ミニチームの話は適任者が来るまで倉本一人というのは無理があるから4月入社の子が来るまで保留の話だったのよ」

 いつもの笑顔で倉本にそう言った。

「その先のイロイロは昨日今日の構想でもないし、本部長とも打合せ済みの案件よ。だから地獄耳の人事課長が気が付いていないわけでもないから大丈夫。ただ、野田さんは倉本君にこの話をしたのが意外だったのよね」

「俺の予想じゃ、半年早い」

「新店舗企画が思った以上の評価だったからね。周りを固めれば半年早くてもやっていけると踏んだの。井上の判断だよ」

「確かに、評価は高かったが…」

「深山の事で倉本に負担がかかったことから来春始動で動いていたのは確かです。でも、ねぇ、そうそう待っていられないから」

 既に井上も同意している話らしい。

「負担が大きいようなら別の方法も考えています。ただ、小坂さんが入ってくれるなら、動かすのは今でしょう?」

 意味深に、楓がそう言った。

「そうだな、井上部長からもそろそろそんな話が出るんじゃないかとは思ってはいたが」

「総務のバックアップが必要なのに、野田さんの心情を考えると言いづらいし、井上もぐるぐるしているわけだ。まぁ、そんな野田さんだから人事を任せられるわけで」

「え?え?え?じゃぁ、大幅な配置転換ということですか?総務部門含めて、ですか?」

「正式には本社再編よ。まずは営業統括本部全体の人事が動くわよ。そのための小坂さん引き抜きなわけだし、そのための倉本君主任抜擢なわけだし」

 はぁ、と野田がため息をついた。

「時々、君の年齢が怖くなるよ」

「私は永遠のハタチですってば」

 ケラケラ笑って答える楓に、倉本が思わずぶっと噴いた。小坂は楓の「お茶目」な面に目を丸くする。

「わかった。とにかく、今は小坂君のことだな」

「そう。野田さん、弁護士立てちゃった方が良くない?結構悪辣なやり方だわ」

「それ含めてこれから話すよ。ただ、俺が紹介すると入社前提の話にならないかと心配してる」

「そこ、忖度されると困るわね」

 楓が笑った。

「問題は明日出て行け、の住まいのほうですよね。不動産屋に声かけますか?」

 倉本がそういった。

「そうだね、うちの不動産部隊に声かけようか。条件に合うような家があるか聞いてみよう。皆面白がって教えてくれるよ」

「いや、あの、今日のことはまだ家内にも何も言ってないので」

「相談はしているんでしょう?」

「それはしています。いざとなったら私が稼ぐって言ってくれました」

「カッコイイ。奥さん大事にしなきゃね。社宅にいるのに明日出て行けというのは法律的にも問題あるよね?」

「大有りだ。だけど、奥さんやお子さんに危害が加えられる可能性を考えたら真面目に今すぐ出て行ったほうが良いな」

「まぁ、岩根さんが今動けないからね、私達で動きますか」

「そうだな。弁護士を紹介するから、今後は向こうの会社との連絡は弁護士を通したほうが良いな」

「倉本、不動産部隊に声かけてくれない?適当な物件ピックアップして、紹介してよ」

「でも引越し本体はどうするんです?今日明日で荷物動かせませんよ?」

「仮住まいで良いなら、家財道具をトランクルームに預けて、家具付きマンションに引っ越す方法もあるけど、セキュリティがなぁ…。とりあえず、一回家財道具をトランクルームに預けようか。そうすると、避難場所と、引越し業者が必要か」

「お前そんなに簡単に…」

「任せなさい」

 楓はそう請け負った。

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