第17話


 リサーチのための出張が終われば、世間的には夏休みが話題になる頃である。

 世間では夏休みだの、盆休みだのと騒々しいが、長野が初めて迎えた夏は、人員が足りない店舗への応援要員だった。

 夏は、どうしてもアルバイトやパート社員の休暇が優先されて、社員は休暇を取り辛くなる。わかっていることなので、夏期アルバイトスタッフを雇ったりするのだが、それでも店が回らない事態が起きることがある。

 基本、それは店長と人事が統括する話だが、現実的に誰かが体調を崩せば店のシフトが成立しなくなる時にはどうするのか。それを考えると、盆暮れ正月は人事や総務の人間が駆り出されることになる。各課で当番の人間がスタンバイし、やりくりしているらしい。入社して初めて知った事実だ。

 営業統括本部としてはその枠組みに入っていないが、それでも例年、二人から三人を助っ人として出している。決め方は簡単だった。前年、助っ人担当になった人間を除いて社員全員でじゃんけんするのだ。勿論、井上もそのメンバーに入っている。呼び出される順番は営業統括本部の人間が真っ先に呼ばれ、次に呼ばれるのがくじ引きで決まった他課の社員だと言う。他県の、営業所として動いている広域営業本部でも同じように助っ人当番があるので他県店舗に行くことはないらしいが、長野が驚いた事実の一つだ。

 しかも、役職がある人間が店舗に赴いても、当日は平社員扱いだという。基本はじゃんけんに勝ったツートップが担当するのだが、今年は「やりたい」と名乗り出た倉本と、あっさりじゃんけんに勝った長野が担当になったのである。

 世間的に盆休みの間の一日を長野は割り当てられた。今までとは違った意味で、接客に追われた充実した一日だったといっても良かったが、翌日の本社出勤では筋肉痛が治っていない惨状だった。

 世間ではまだ一日二日、土日の関係で盆休みの会社もあるだろう、という八月の半ばの事である。トップリードは基本的に盆休みはない会社なので交代で取得することもあって、通常通りの対応だ。対外的な業務は相手会社が盆休みなのでストップすることもあるが、今は開店予定の店を抱えているのでその対応策や次の企画のための「内勤仕事」は山ほどある。

「失礼します」

 来客対応のかしこまった声で入って来たのは野田だった。うしろには来客とみられる男も一緒だ。

「お疲れ様です」

 野田の視線が室内を一周して、まずいな、という視線に変わった。

「岩根課長か井上本部長は在室ですか?」

「あ、井上は京都出張です。今日夜戻りで直行帰宅です。岩根は夏期休暇で明々後日出勤です」

「連絡はつくかな?二人ともこちらからの連絡には出ない。早急に連絡を取りたいんだが、定時連絡が入るようになってるか?」

 野田の視線が泳ぐ。井上と岩根が関わる何か、が起きたらしい。二人のプライベートの携帯番号は人事として把握しているはずであり、連絡を取りたいがそれが出来ない状態で所属部署に連絡が付かないかと相談するのはよほどのことである、と楓は判断した。しかも営業本部管轄ではなく、人事部ときた。

「井上の訪問先、山の中なんで電波状況が不安定なんです。緊急を要するなら取引先に直接連絡することも可能です。定時連絡は次は午後4時です。岩根は、休暇中ですし、予め電波の届きにくい山に登るとのことで、携帯電話に連絡しても連絡が取れるかどうかはお約束しかねます」

 楓はそう答えた。野田がふむ、とちらりとミーティングルームに目をやった。

「本部を預かっているのは小林か。じゃぁ、良いか。話せるか?」

「はい、構いません」

 楓はミーティングルームに二人を促し、先に野田は勝手知ったるとばかりにうしろの男とその部屋に入った。白鳥がお茶の準備を始めたので彼に任せて、業務用のノートを手にミーティングルームに入った。

「営業統括本部室長の小林楓です」

「こちらは小坂良介さん。実は、今しがた岩根さんの紹介だと言って、中途採用してほしいと飛び込んでこられた。岩根さんとの間にどういう話があったのか知りたいんだが、とにかく岩根さんに会いたいというから連れてきたんだが、彼が直接スカウトしてたらしいなら、何か聞いてないか?」

「コサカさん?」

 聞き覚えのある名前である。岩根の仕事関係で関わった小坂良介という男について、メモをした覚えがあるからだ。正確に思い出そうとして業務用のノートをさかのぼる。

「ええっと、違ったらごめんなさい、西東什器さいとうじゅうきの営業さんで以前、ウチ担当だった小坂さん、ですか。えっと、32歳、奥様は看護師さんでお子様がいらっしゃいましたよね?」

「おいおい」

 野田が苦笑いした。彼は本当に飛び込み出来たので生年月日も家族構成も明らかにしなかった。ただ名乗って、岩根の名前を出しただけである。だが、楓が大まかな話を知っていそうで安心した。小坂の個人情報がダダモレなのは問題だが、逆に話が早いのは確かだ。

 当の小坂が意を決したように顔を上げた。そして、ばっと立ち上がると一礼した。

「あの時は本当に申し訳ありませんでした。今更こんなことを言える立場ではないのはわかっていますが、どうしても岩根さんに会いたくてここまで来ました」

「ちょっと、小林、事情が分からん」

「小坂さん、とにかく座ってください。私も井上も、岩根からの報告は受けています。彼からの推薦で、貴方が転職する気があるなら引っ張ってこいと言ったのも事実です。でも、あのトラブル以降、岩根が接触しようにも会社の携帯もあなたの個人携帯にも連絡が付かなくなった、貴方の身に何かあったのか、もしくは転職する気が無くなったのか、判断不明との途中経過報告を受けています。その様子では、あちらの会社で何かありましたか?何かまずいことにでもなったんですか?」

 楓はそう言いながら、小坂を座らせた。

「…お恥ずかしいことですが…あのミスの責任を取らされて配置転換になりました。配送センターの伝票整理係です。営業ではなくなったので、会社支給の携帯電話は取り上げられて内勤用の携帯電話に変えられましたし、個人の携帯は事情があって壊れたので直接岩根さんと連絡が取れなくて。その上、そちらの会社から今後の契約を見直すとの連絡が入ってからは、毎日辞表を書けとの圧迫で」

 野田が会社の対応にむっとしていた。

「良いじゃん、書いちゃえば。貴方が担当を外されたのはあのミスの1か月くらい前だと聞いているけど。貴方が直接関係しているわけじゃないでしょうに」

 楓はあっさりそう言った。白鳥が丁度そこにお茶をもって入ってくる。完全に虚を突かれて固まっているのは野田と小坂の方だった。

「ありがとう。倉本呼んでくれる?深山店の設計図持って来てって」

「あ、はい」

 白鳥はお茶を出すとそそくさと事務所に戻る。

「今の彼も中途採用。新卒で就職した会社を半年でやめて、ウチの課長推薦で会社に入ったんですよ。オタク気質でそれを認められないという会社より、オタク気質の知識や、アイデアも感性も生かせる商品バイヤーの仕事の方が彼は向いているんじゃないかと思ってスカウトしたの。オタク気質って、田舎じゃぁ許容できる人は少ないかもしれないけど、その才能も情熱も、新商品のバイヤーの仕事に傾けてくれないかなと。彼は最初は自分の分野だけだったのに、今はそれ以外の分野にも手を出していて、楽しんで仕事をやっていますよ?」

 小坂の方に向き直る。

「岩根は貴方のことを評価していた。ただ什器を販売するのなら誰にでもできることだけど、その建物や内装や商品に見合った什器を選ぶのはセンスだと。それから、仕事が細かいから安心して任せられるとね。現に、貴方が発注した什器に関してはミスなく店舗に届いていたし、そうそう、そういう貴方の気質は建築関係の細かい計算だとかデザイン力に裏付けされているとも言っていたわ」

「そんなこと、岩根さんが?」

「あとは、現場業者から報告が来ていた。床材選定のアイデアを出してくれたのは、全然別の業者の営業さんだ、てね。什器のためにはこの床材は妥当だと思いますけど、雨の日に出入りするお客さんの事を思えば、滑りやすいのでこの床材は不向きですって。あの後、実験してから床材決定したんですよ。貴方のアドバイスのおかげです。ありがとうございます」

 逆に楓は頭を下げた。

「あ、『床材の君』は君だったのか」

 野田がそう言った。

 身に覚えがあるようで小坂はますます申し訳ないと頭を下げた。

「あれは本当に余計な一言でした。床材が直前に変更になったと聞いています。内装業者の方にとっても、トップリードさんにとっても差し出がましい意見だと上司にも叱られました」

「どうして? 滑りやすい床でお客様がケガをするより、床材選定の時に事前に分かったから私たちはとても助かりましたよ?まだ変更効く段階でしたし、ウチの業者も知らなかったことを知ることが出来て良かったと」

「『床材の君』か。そうか、小坂さんだったんだね。俺は納得」

「何で人事がその話を知ってるかなぁ、地獄耳」

 楓のボヤキに野田が意味深に笑っている。

「岩根があなたの事を心配していました。業務の改善案をだしても否定されたらしい、今回の件でまずいことになっているんじゃないかと。ねぇ、私物の携帯電話って、実は壊されたんじゃないの?」

 小坂の体がビクリと揺れた。明らかな動揺がそこにあった。野田も楓も、これで小坂が相当脅されているのだと知る。

「ウチの仕事は、はっきり言って、外から見るのと中から見るのとでは大違いで仕事は楽じゃない。ここを仕切っている井上は理解はあるけれど成果が無けりゃ切って捨ててしまう非情さも持っている。岩根から聞いただろうけど、最初の3か月は給料もそれなりにしかもらえない。でも、仕事は頑張りがいがあると思う。大変な仕事だけどね。直接お客様から話を聞ける立場じゃないから満足度はないかもしれないけれど、それでも自信持って『いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます』って言える店を造りたいのよ、ここにいる連中は。だからみんなしてそう言う店を協力して作ってるの」

「わかります。仕事は厳しくて当たり前です。でも、でも、ですよ?ミスした責任を全て自分に背負わせるのかという思いもあります。改善した方が良いという案を出しても、理由もなく却下されるというのは納得いきません。取引先さんとの駆け引きも必要でしょうが、時には理不尽な思いをすることもあると思いますが、譲れないところは譲れない、そういう部分を理解してほしいというか、共感してほしいというか、そういう仕事仲間や上司に囲まれて仕事をしたいんです。そういう会社であってほしかった。岩根さんたちが笑って仕事をしているのが、凄くうらやましいと…」

 小坂の背中が小さくなっていた。

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