第15話
トラックを返却した後、自分の車を午後4時前に本社前の駐車場に停める。社内に戻ると本部室の空気がどよよん、としていた。
「たっだいま帰りました」
わざと能天気にそう言って楓は席に着く。目の前、出張から帰って来た井上は不機嫌オーラ満開だった。
「なに不機嫌の花満開にさせているんですか、本部長」
まるっきりストレートに楓がそういった。
「原因は何ですか?」
「今回の派生費用については折半したいと向こうから申し入れがあった。今岩根が向こうで話している。全く…」
「白鳥。岩根課長が指示した報告書、出来てる?」
「まだ進行中ですけど、15時ベースのものはもうすぐ」
白鳥はせっせとコピーしている。
「長野、報告書が出来上がったら持って来てくれない?」
「はい」
楓は荷物を机の下に置いた。
「さて、本部長。いいですか?本部長はアメなんですからニコニコしていてくれなきゃ困ります。キレて爆弾落とすのは最終手段にしてください。それまでのムチ役は岩根と私が担います。よろしいですね」
「俺もたまにはムチになりたいんだが」
井上が不満を言った。
「その時にはお呼びします。こんだけポカやって折半したいなんて寝言、誰が言わしますか。圧力かけるために部長を呼び戻したんですからね、役を演じてください」
「…お前、承知の上で俺を呼び戻したのか」
「トラックのめどがすんなり立ったから今日中にリカバリーできたんですよ。あと1時間遅かったら今日中におうちに帰れなくなる予定でした。そして大変申し訳ないんですが、この後浜内さんの所にご挨拶に行っていただきたい」
「は?」
「いえ、そう言う条件でトラックを貸すと言われたので、こちらは了承しました。あくまでこちらの作業のリカバリーのためにご尽力くださったんですから、問題ないと思いますが。丁重におもてなしをお願いします。柳川通の『銀山』に午後6時に予約を入れてあります。向こうの営業所長も同席させますよ。それが浜内さんからの条件ですから」
「お前、俺より悪辣じゃないか」
これには藤堂がくすりと笑い、青山が笑いをかみ殺した。浜内と楓は楓が子供のころからの旧知の仲だ。井上との付き合いも長い。なのに、「公式にお礼の挨拶」を井上からすると言うことは、しかもポカをやった西東什器の営業所長同席となると誰が悪いのかは一目瞭然となる。そもそもの話はこちらと西東什器だけの2社の話のはずだったのだが、と顔を上げた。
過去、井上が本当にキレて爆弾を落とし、会社が跡形もなく吹っ飛んだ、という武勇伝は一つや二つではない。井上は本部長職ではあるが、社外的な人脈が広いので噂を聞き付けた取引先が「井上を怒らせるほどのことをしでかしたということは会社的には危ない」と判断し、手を引くことが多い。まさに「仏の井上、鬼の井上」と言われる所以である。
わりあいはっきり物事を口にする井上だが、決断に至るまでは熟慮を重ねてから決断する。それ故、業界内では「仏」ともいわれるほど取引をそう厳しくはしないのだ。お互いに中小企業、持ちつ持たせるといった具合を考慮するからである。
だからこそ、「切る」となったときは影響や反響が大きいのだ。
それを踏まえて浜内が井上を利用するように同席しろと言い、営業所長を呼びつけたということは「穏便コース」と「ぶっ潰しコース」の両方に転がっても話が早いということだ。
「ああ、行ってやる」
「ありがとうございます」
頷く井上を確認してから、楓は応接室にいる人数分のお茶を持って応接室に入った。
お茶を持って入った楓の後で、報告書が出来たと長野が応接室に入っていった。その報告書を配り終えてから、長野がそっと応接室から出てきて、ほうっと長い息を吐いた。
「どうだった?」
「……マイナス30度くらい冷えてて怖かったです。岩根課長が、怖かった」
藤堂の問いに、長野はそう答え、藤堂が頷いた。
「あいつは静かに静かに怒るからな」
「手が震えちゃって…。先輩も怖かった」
「エフェクト効果抜群ですね」
白鳥がさらりとそういった。
それからしばらくして、来客していた西東什器販売の営業所長と営業担当者は顔面蒼白で応接室を出て、会社を後にしていた。
井上は、文字通りデスクに座ってニコニコしていただけである。出番もない。ただ、時折ちらりちらりと様子をうかがうと、逆に営業所長がどんどん顔面蒼白になっていくのを不思議そうに長野は見ていた。
見送った二人が戻ってきて井上にありがとうございました、と頭を下げた。
「で?」
「爆弾の効果抜群です。全額、あちらもちで」
「よし、よくやった」
「え?すごい」
「だから小林さんは室長なんだよ。いざと言う時は男顔負けにばしっと決める」
白鳥がそうぼやいた。
「そうかぁ?今のなんて可愛いもんだぞ?な、藤堂」
青山がそう言って藤堂をからかう。
「え?どうしてですか?確かに、向こうが悪いんですけど…」
「什器の代金まで融通利かせてないからね。今日の実質損害分だけ。慰謝分もなし。今日のお集まりへの出席。自分の食事代の負担。それがうちの最初からの条件」
青山的には、迷惑料として什器の値引きをして然るべきと言いたいらしい。
「あいつが手配したのは車3台とドライバー二人。仕事内容からすると、積み込みから荷降ろしまでフォークリフトのオペレーターを手配して配送するのが向こうの仕事だ。だが、お前見たか?」
「積み込みは手配したドライバーの田中さんがやって、あ、でも向こうのオペレーターも手伝っていましたけど、田中さん大活躍で。荷降ろしは先輩と他のオペレーターの人がちゃっちゃと。店にいたあのオペレターターはウチが手配したんですよね、倉本さんがそう言っていたんですが」
「荷物到着までのロスタイムは2時間以内に済んだ。作業自体は午後3時には通常の予定時間プラス1時間のタイムオーバー、つまり想定内に追いついた。小林が即断即決でリカバリーを決めなかったら車3台とドライバー3人の手配、それから本来終了するべき時間に終わらなかったことであの現場に雇っていたアルバイトの残業分やら最悪もう1日人を手配しなきゃならなくなるとこだった。今日と明日、時間的に余裕をもって計画しているとはいえ、半日でも予定が狂えばもう1日分の予定外が生まれる。人件費も増える。じゃぁ、その費用は誰が払う?ウチか?向こうか?そう言うこと考えないで実質損害分だけで済まそうというんだから良心的だぞ」
藤堂がそう言った。
「今日の損害分だけで慰謝料も提示していない。しかも実費だけでこちらは手を打つと言っているんだ。普通の営業なら次の発注はないと思うだろうな。それでも次の発注があると思うなら、そんな簡単な計算ができない営業ということで会社を疑った方が良い」
にこやかに笑いながら藤堂は手元の書類を振り分けた。
「じゃぁ、今の話と言うのは…」
「記録に基づいて作業進捗がこちらの想定通りに終わったということと、実質損害が出た分は全額そちらでお願いしますという縁切りだ。イロつけてよこされても気分が悪い。向こうは按分話にして関係維持を望んではいるだろうが、な。浜内さんに入ってもらうのは他企業の証言つけてもらっての手打ち式だ」
そんなの当たり前だろう、と井上が長野を見やった。
「レポートは、交渉材料を確実に手に入れるためでもあるがな、時にはこういう使い方をするもんだ。次回の付き合いはあるかないか、営業もこれで考えるだろう。まぁ、俺もそこまで甘くはないがな。岩根」
「はい」
「分かっているとは思うが、あの業者は使うな。この間も小林が注意に行っているのに、この大事な時にポカやるなんて信じられん」
「了承しています。ただ、今発注している分で、納期1週間前なのでキャンセル料が発生する発注に関してはこのまま納入する許可をください。それ以外の発注に関しては別業者に切り替えていますので東西什器さんとは残り分だけのお付き合いになります」
さらりと、怖いことを言ったと長野は思う。キャンセル料が発生する分は仕方なくそのままにしてあるが、変更可能な部分は上司裁可を受ける前に切り替えているとは。しかも、当たり前だとさらりと答えている。
「別業者に変えた分は、日程的に支障が出るか?」
「いえ。そちらは日程的に問題ありません。今後の業者選定も今まで通りの方法でどこか選定することになりそうです。まぁ、東西什器さんには任せませんが。残念です。前の担当営業君はとてもよくできた子だったんですけどねぇ」
岩根のその言い分に、井上が眉を上げた。こういったことに異議を唱えることは少ない人物だ。だが、常々岩根がヘッドハンティングしたいと言っていた東西什器の営業マンの話を思い出す。ただし、1か月前ほどに急に配置転換になったとかで営業職ではなくなった、と別の営業マンから聞いていた。
「あ、そっちの話はどうなったんだ?まだ若いんだろう?」
「32歳、奥さんは看護師さんで4歳になる息子がいますよ。良い人材なんですがねぇ、連絡が取れなくなったんで心配しています」
「ん?」
井上が顔を上げた。以前、飲み会の席での話に出た男と同じだ。
「それ、お前がヘッドハントしているという男か。建築設計士の?床材の?」
「彼、真面目な人なんで担当外れて連絡付きにくくなっているのか、それとも別の要因なのか、ちょっと引っかかっています」
「入れちゃえ入れちゃえ。倉本の下に付けて店舗準備チーム立ち上げるから」
楓が冗談ぽくそう言った。本音であるが、スタッフに妥協はしたくないのも事実である。岩根推薦の男が技量に足るだけの男かどうか、楓は知らない。だが、珍しく人に厳しい岩根が一緒に仕事をしたいというのだ、見込みはあると楓は思っていた。
決定打になったのは「床材変更」を指摘したことだったが。
「そうなんですよねぇ」
5時過ぎ、無事に倉本から本日の作業終了という報告が入る。基本的に什器搬入、そのうちの半分を組み立てられれば今日の作業はほぼ終了である。明日は別の個別什器を搬入し、組み立てを完了することが作業手順となる。
井上が電話を替わって倉本を労うと、一つのヤマは越えた。
「よし、明日は予定通り現場に直行します」
「おう、お疲れさん」
「今日の会議の報告書は既にメールしてますので、目を通しておいてください」
「了解です。っと、そろそろ年末の企画動かしてくださいね」
楓は藤堂にそう言ってPCを立ち上げた。
「あー、そうだな。店舗の意見も入れたいんで何か考えないとな」
「長野」
「はい」
「今日のノートを提出してくれる?週末までで良いから」
「え?ノート?…時系列の報告ではなくて、ですか?」
「そう。長野の個人的見解を聞きたい。何が楽しかったのか、何が苦痛だったのか、箇条書きで良いからさ。書き方教えるから」
帰り支度をしている社員もいる中、楓は机の中から一冊のノートを取り出すと、とある部分をコピーした。
「お先に失礼します」
「お疲れ」
次々に皆帰っていく。
「ノートって何ですか?」
「平たく言うと、アイデアノート。漫才でいうとネタ帳。企画の卵のメモ。これ見て」
コピーされた1枚には、長野が驚くような言葉が満載されていた。
真ん中には、家族で楽しめる、という標語が掲げられており、それに関連するようなイベント、商品、店づくりに関する商品の陳列方法など、びっしり書かれてある。
「私がチェックするのは書き方だけ。中身までは問わない」
「これって…これが店づくりのコンセプトになるということですか?」
「正解。開店準備中の店に行った、でテーマを決めて、それから店に行って気が付いたこと、楽しかったこと、嫌だなと思ったこと、単純にノートに書き入れて。何ページになっても良いし、制限はない。気が付いたことでも良い。とにかく、今日何か心を動かされたことをここに書いておく。レポートや報告書でうんざりするかもしれないけど、これをやっておくと2年目3年目がすごく楽になるからがんばれ」
「うわぁ、先輩のは参考になります」
「それ、毎回記録しておくと次の時のネタになるんだよ。俺も未だに助けられている」
青山がそう言った。
「人によって呼び方はそれぞれだし、書き方もそれぞれだけど、営業本部にいる人間とか、店長とか副店長はやっている方法かな。時系列にする奴もいるし、わざわざ店舗だとか店舗運営とかいろいろ分けて書くやつもいるし、企画ごとにする奴もいるし、テーマも決めずに雑記帳みたいにする奴もいる。俺は日付を入れて雑記帳派、かな。ノートに書くのが好きだが、手帳に書き留めておくこともある」
藤堂がそう言った。
「俺は手帳派。白鳥君もだね?」
青山がそう言って白鳥に水を向ける。
「そうです。予定表と連動していることが多いので、結構助かります」
「店舗に行くことも複数だから、店舗ごとにまとめている人もいるわよ。そういう書き方は自由。でも、今回は練習だから、テーマは開店準備中の店、ってことで、書いてきて」
「…先輩、この点、て何ですか?」
「あー、それね、文字通り、点なのよ。客の動きがない、点で終了という意味」
「はぁ」
「気負わなくて良いから。書き方の練習だし、深く考えないで書いてていいから。そう言う積み重ねからアイデアが出てくることがあるから」
「わかりました」
「今日はもう帰って良いわよ」
「あ、でも」
「私はもう少しだけやっていく。今日できなかったから、明日の業務に支障が出るから」
「そうかぁ」
「あ、本部長」
「何だ?」
「木曜日のリサーチ出張に長野を同行させて良いですか?」
「……外に出すのは早くないか?」
「他企業との顔合わせもありませんし、純粋にリサーチなんで大丈夫かと思うんですが」
「まぁ、いずれはやることだからな。良いだろう、長野にとっては良い刺激になる」
「リサーチ?ですか」
「そう。朝から晩まで。木曜日の朝は7時に迎えに行く。移動しながらリサーチして、帰りは金曜日の夜10時かな、11時かな。ハードな出張だけど」
「長いですよね?」
「長いです。精神的にもきついです。肉体的にもきついです。ずっと外回りです」
「泊まり、ですか」
「長野が一年で戦力になるとは思えんが」
井上が異を唱えた。
「基礎知識は叩き込んでおかないと、他の店長だって納得できないでしょう。営業本部にいるのは少なくとも店舗で2,3年は経験を積んでいる人たちばかりです。それをすっとばして長野が本部に入ったなんて、皆良い顔しませんよ。それで最低限の基礎知識がないなんて言ったら、誰も長野の言うことなんて聞かなくなる。最低一年、同じように話ができる知識をつけてやらないと、これから困るのは長野ですよ。まぁ、本人や本部長が内勤で良いとか、総務で良いと仰るならキャリアデザインの方法を変えますが」
「いや、向こうに返す気はない。野田は返せとうるさいが」
井上は至極真面目にそう答えた。内勤だけ担当させるつもりで引っ張ったわけではないのだ。
「長野はどう?営業本部の仕事がしたい?営業本部の中の仕事限定で良い?それとも全般に課長や他の人達と一緒にバリバリやりたい?総務の仕事が良い?」
「私は、店を作る仕事がしたいです。内勤でも外勤でも関係なく」
「辛いわよ。スパルタでやるよ」
「構いません。がんばります」
「だ、そうです」
ふっと井上が笑った。
「問題は野田をどう買収するか、だ」
「気にする必要はないと思いますけど。ま、文句があるなら言ってくるでしょう」
藤堂がそう言って笑った。
「裏でワイン一本あげとく?」
「あー、この間見つけた奴?」
それ、良いなと藤堂が呟いた。
「とりあえず、俺は浜内のとこに行かなきゃ、だな」
井上はそう言って準備を始めた。
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