第14話


 研修中の長野からは定期的に報告が入っている。店舗側に提示した研修内容と、野田と井上と楓だけが知っている本来の目的が違うブラインド研修なのでお互いに慎重になるのは当然として、楓は二日に一度は電話やメールで研修指導者として的確なアドバイスをし、レポート視点をどこに置くのか、を指導する。

 研修期間最終日の午後は、藤代が長野と一緒にあいさつにやってきた。藤代が人事部に研修終了の報告に行き、長野は期間中の報告書と共に改善点を含めた提案書を営業統括本部に持ってきた。最も、この後野田との面談があるので藤代はそれに参加するからなのだが。

「お、報告書か。預かる」

 提出されたばかり、まだ楓が長野から受け取ってもいない報告書と提案書を井上がさっと取り上げた。行儀が悪い、とは思うが、井上がそれだけ長野に目をかけている証拠だ。

「お疲れ様。来週からは本部ここに出勤しろ」

「本部に、ですか?」

「不満か?」

「いえ、私、放り出されると思っていたので」

「放り出すような人材なら小林は当の昔に放り出していたさ」

 井上はどうしてそんなことを聞くのか、と言いたげに長野に視線をやった。

「こいつは切るときは拍子抜けするくらいあっさりと切るぞ?お前に目をかけているからつきっきりでレポート指導するわ、オフなのに出勤してくるわ、特別扱いだぞ?」

 その楓は、いつもと違ってチノパンにポロシャツ、パーカー姿と言う完全オフの格好でデスクに座っている。

「今日、オフだったんですか」

「藤代店長には挨拶しておかないとね。いろいろ無理を聞いてもらったし」

 長野のためではない、と言い切ったが。

「竹井店にイケメン男と連れ立って現れたって騒然としていたぞ?しかも、男と二人仲良さそうに買い物していたって」

 井上がうひひひ、と笑いながら藤堂に目をやった。

「何を考えているんですか、ホント。あいつもロクな報告しない」

 藤堂が井上を全否定するような勢いでそう言った。

「背の高い日焼けした細身だけどマッチョな黄色いTシャツの男、でしょ?」

「何だ、動じないな」

「一番上の兄貴だって知っているくせに」

「結婚が近いんですかって探りが入ってきていたぞ。マッチョな男と」

「じゃぁ今度は男二人で両手に花で、竹井店に殴り込みするか。誰も知らないオトコにしよう、そうしよう」

 楓がそう口にすると、井上がふきだした。

「一体どんな関係かと疑われるな」

「店舗には刺激があって良いかも。深山店開店に並ぶ話題だ」

 店長仲間の間では、楓は近寄り難い人物で、およそ恋もしていないだろうといわれているし、彼女と付き合う男は大変だろうと噂されている。だから意表をつけると楓はそう言った。

「それで、来週の進行はどうなっている?無事に陳列什器ちんれつじゅうき搬入できるのか?」

 井上が陳列什器の搬入予定を確認する。搬入と同時に組み立てをし、電気系統の配線も行うので失敗は許されないのだ。

「岩根課長が最終確認していますよ。今のところ問題なしです。組み立てセッティングのほうも人数確保できたみたいだし一安心です」

「良かったな」

 藤堂からの報告に井上が頷いた。


 月曜日、長野はいつものように出勤して、ロッカールーム経由でフロアに入ると、違和感に気が付く。

 楓が、今日は朝から「戦闘モード」だ。井上と出張に行くとは聞いてはいたが。

 そして、珍しいことにランエボが本社前の駐車場に停められていたな、と思い出した。

 もう一つ言うと井上が珍しくピリピリしていた。こんなにも苛立っている井上は初めてである。いつもは悠然と何事も構えている男だが、それを崩すほどの事があったらしい。

「発注ミスなのか?」

「それはないです。何度も確認しました」

 岩根がそう応える。

「販売店で停まってるってどういうことよっ」

 思わず声を荒げたのは楓である。楓は楓でどこかに電話をかけている。

「…じゃぁ現物はあるのね?パレット状態でそこにあるのね?フォークもそこにあるのね?じゃぁ30分以内に今後のことをまた連絡します。折り返し連絡しますからそのままでお待ちください」

 はぁぁ、と深呼吸するとガリガリと頭をかいた。それから手帳を取り出し、とある会社に電話した。

「おはようございます。大変申し訳ないのですが、緊急の要件で浜内営業部長に取次ぎを頼みたいんですが可能でしょうか?私、トップリードの小林楓と申します」

 意外とすんなり、相手が出たらしい。

「おはようございます、申し訳ないです、楓です」

『おう、楓ちゃん、どうした?』 

 いやに声の大きい営業部長だった。

「急なことで申し訳ないんですが、とある営業所から開店予定の店舗まで商品を輸送して頂きたいんですけど、というお願いです。商品陳列棚でモノが大きいんですが、もうパレット包装になっていて積み込んで降ろすだけという状態です。積み込み用のフォークもあるし、運んだ先にも積み下ろし用のフォークがあるので純粋に輸送用の大型トラック3台とドライバーを3人、今日、今からお願いしたいんですが」

 楓は交渉を始めた。

『今日、今からか』

「ええ。難しいことは重々承知ですが」

『ちょっと待ってな。車は大型か?」

「はい。積載物のデータはすぐにメールします」

『そもそも可能かどうか確認する。折り返し連絡するから、っと、携帯で良いか?』

「お願いします」

 電話を切った後は、今日の仕事一覧を手帳で確認する。

「藤堂課長、今日白鳥を借りて良いですか?」

「お願い事と報酬によるな」

「本日の本部詰めで司令塔をお願いしたいです。本部長は今から会社訪問出張ですし、課長二人も今日は会議と外回りです。課内の司令塔兼連絡係がいないとまわりません。私は状況によりますが最悪の場合、トラックドライバーで深山に向かいますので」

「そういうことか。白鳥」

「え?俺で大丈夫なんですか?」

「大丈夫、できる。基本2時間置きにメールを入れてくれ。過程と進捗状況の報告を。小林、リカバリー出来るか?」

「パレット状態で販売所に届いているので、運送会社使って店舗に運びます。現在一軒問い合わせ中。運送会社ならあと2、3軒心当たりがあるので、今日中には運び込めます。でも移動ロスと作業ロスを最小限に抑えたいので、今当たっているのは一番近い運送会社で台数を持っている業者です。トラックとドライバーのセットで考えていますが、ドライバーがいないことも考えて、最悪の場合は私がドライバーで出ます。ロスミスを最小限にしたいので、往復するんじゃなくて一発で運びたいんです。最悪往復も可能ですがそうするとタイムロスが出るので」

「倉本は…いや、あいつは現場指揮に集中してもらおう。岩根」

「倉本のフォローに入ります。什器会社からの連絡は俺が引き受けます」

「白鳥が本部回してくれるなら、俺は他の課員を引き受ける。深山専属で二人がいてくれたら、俺は通常で回すから」

 本部内の体制を固めるために藤堂が他の課員に指示を出した。

「今日搬入できなかったら予定がドミノ倒しですからね。井上本部長、申し訳ないですが今日の出張はお一人でお願いします」

「ああ、わかった。白鳥」

「はいっ」

「今日の本部よろしくな。今日は小林のフォローはないぞ。そうそう、長野、折角のチャンスだからお前も今日の搬入を手伝って来い。随時連絡係として白鳥に連絡を入れて、記録係として写真に撮れ。小林、岩根、藤堂、白鳥は定期的に報告を上げろ。ただし、こっち5人で共有できるように。その都度指示をする」

 にやり、と笑って井上は机の上を点検すると出て行った。

「いってらっしゃいませ」

 楓が当たり前のように井上を見送った。



 楓の携帯が着信を告げる。浜内営業部長からで、車の貸し出しはできるが、ドライバーの手配は二人しか出来ないと言われた。楓はそれで十分だといい、ドライバー付きの車を先行して販売店の営業所に向かわせ、そこで荷物の積み込みをするように依頼した。残り一台は自分が行くといい、そのあとで積荷のある販売店営業所に連絡を入れる。

「ちょっと、長野ちゃん」

 江崎がクイクイ、と長野の袖を引っ張った。

「はい?」

「これ、ジャンバーと制服のスラックス。それから、お昼用のおにぎり。二人で食べなさい。きっと弁当なんて余ってないだろうから」

「えええ?」

「搬入は過酷だからね」

 青山がそういった。

「早くしないとカミナリだよ?着替えておいで」

 青山が耳打ちしてくれた。

 楓がさくさくと手配をしている間に、長野はロッカールームで着替えてジャンバーにスラックス、通勤用のスニーカーで現れた。

「江崎ママに感謝だわ」

「どういたしまして」

「行ってきます。長野、行くよ」

 状況がわからないまま、長野は楓と一緒にランエボに乗った。


 楓が道中説明してくれたことは、今日は深山店で使う陳列棚や陳列什器の搬入日だという。設置と組み立ての関係で人は既に手配しており、日程的にも変更がきかないのは知っていたが。同時に、配線関係を設置することもあり、電気配線業者も呼んでいるので今日の搬入は絶対なのである。

 それなのに、朝の段階になって什器の到着がないという。一部、工場直送のものは届いているがそうでないものは什器手配業者の営業所に朝一番で配送されたと言う。

 楓がやることは、大型トラック3台分の営業所に配送された什器を深山店に届けることである。

「私、トラックなんて運転できませんよ、ましてフォークリフトなんて」

「心配ない。長野がすることはパレットのパッケージの確認と伝票のチェックを営業所の人とやって欲しい。ダブルチェック」

「はい」

 それならできる、と長野は思う。免許が必要と言われても、所持しているのは普通免許だ。話に出てくる大型トラックは乗ったこともない。

「向こうに到着したら、倉本君の指示もあると思うけど、彼のサポートに入って。店舗の仕切りよりも、スタッフの仕切り。業者とアルバイトさんたちの弁当と飲み物の数の確認とか、休憩場所への誘導とか片付けとか。倉本君は岩根さんの部下で向こうに常駐しているから、タイムスケジュール一切を握っているの。あとで紹介するよ。それと並行して定期的に白鳥に状況報告のメールを入れて。写真もあったら尚よいけど、人の顔は映らないように配慮して。それが次の記録にもなるし、こっちの交渉材料にもなるから。できるだけ詳しく報告すること。」

「で、今どこに向かっているんですか?」

「ウチの会社から一番近い運送会社。会社の出入り業者だし、私の知り合いが営業部長をやっているの。ここでトラックを借りて什器販売の営業所に乗りつけるから」

「免許、持っているんですよね?」

「勿論」

 楓はそう言ってハンドルを切った。



 半分呆れながら長野は楓のことを見ていた。

 朝、会社であったときには「お姉さまOL」の顔でフェミニンなボウタイがついたフリルブラウスで仕事をしていたはずなのに、今は社用ジャンバーを着て、ジッパーを胸元まで上げてフォークリフトで荷物を降ろしている。しかも使い込まれたヘルメットをかぶって、である。


 什器の営業所でトラックを一発でターミナル位置に停車させて、まず営業所長と事務員の度肝を抜いた。驚く二人にバシバシ次の段取りを確認していた。

 先行していた二台のトラックの運転手のうち、フォークリフトに乗って積み込みをしていた一人は知り合いだったのか、お互いに手を振ってからは何かのハンドサインを交わし、お互いに笑って次の作業に入っていた。そこで長野はチェック作業をしている運転手に付くように言われ作業をしていたのでわからないが、営業所長に苦情をねじ込んだ後はこうやって爽やかに積み込み作業に従事していた。

 現場に立つ営業所の従業員には物腰柔らかに接しているが、手慣れた様子はどうみたって、「運送会社のねーちゃん」である。


 そして目の前では、開店予定の店舗に到着して、「運送会社のねーちゃん」のように搬入作業に集中している。

「わっかんない、ホント、小林さんてわっかんない」

「大丈夫、俺もわからないから」

 倉本がそう言いながら手元のバインダーを見ながら確認する。

「わかっているのは、今日の仕事がちゃんとできるようにフォローしてくれているってことだけ。俺はそれだけでもありがたいよ。もう、今朝はどうなるかと思って足が震えていたもん。ありがとう、長野さん。これ、フォローに入ってほしい仕事のタイムスケジュール。わからないことがあったら俺に聞いて」

 そう感謝して、倉本は次の確認作業に入る。長野は張り切って割り当てられた仕事を始めた。


 搬入のチームワークは驚くほどで、重量物を搬入しているというのに、無駄な動きが無い。操作するオペレーター同士が声を掛け合っていると言うこともあるが、作業に手馴れたと言って良いほどの人たちだった。

 長野の仕事は多岐に渡って雑用である。白鳥に報告レポートを送信しながら、搬入に一段落付けば今度は作業員用の昼食の受け入れである。業者から届けられた弁当と飲み物の数を確認し、指定された数ごとにテーブルに積み上げる。それが済めば食べ終わった弁当を廃棄するためのゴミ箱の設置、などなどやることは山ほどあった。

「もう良いよ、昼休憩しておいで」

 長野にそう声をかけてくれたのは陳列什器の指揮を取っている男で、本社の営繕を担当する人物だった。順番に昼食を取っていたのだが、彼は昼休憩を終えたところだった。長野はお昼も食べていないし、水分も取っていない。グッタリしながら休憩室に行くと、倉本がもくもくと食事をしていた。楓は誰かと電話をしている。

「お疲れ」

「お疲れ様です」

「初めてなら大変でしょ?」

「発見の連続です」

 その言葉に、倉本が笑う。

 電話を切った楓が、ため息をつきながら自動販売機でカフェオレを買った。

「助かったよ、こばっちゃん」

「ほんとねぇ、どこのバカなんでしょうね」

 くい、と飲んだが熱すぎたらしい。楓があちちち、と口を離した。

「長野もお疲れさん。意外と乾燥してるから、水分取らないと倒れるよ」

「はい」

「どう?楽しい?」

「凄くびっくりしました。陳列棚も種類が沢山あって。でもやたらに入れているわけじゃないですよね?使いやすいもの、陳列しやすいもの、あと手が届くくらいの高さって重要です。思ったよりも通路が広い幅でスペースがもったいないって思ったんですけど、ここってバリアフリーなんですよね。トイレも広くて沢山あって驚きました。子供みたいな感想ですけど」

「そりゃ、倉本渾身の企画だからね」

「倉本さんが?」

「ヒントを出したのは青山さんなんだけど、その青山さんの一言をきっかけにバリアフリーの店って楽しいかも?っていうことで生まれた店。子供みたいな感覚って大事よ。皆が幸せになれる店を目指すのは悪いことじゃないわ」

「え?えええ?」

「例えば、駐車場。災害時、車で避難してくる人を対象に駐車場は広くしてあるの。後は自分で勉強しなさい」

「はいっ」

「彼女が例の子?」

「そう。でもまぁ、なんだかんだでついていけてるからちゃんとした本部員になるのも遅くはないわね」

「先輩?」

「昼からは倉本の補佐に入ってくれる?私は梱包の後片付けの仕事にまわるから」

「本部に戻らないのか?」

「3時くらいまではここの仕事するけど。折角のチャンスだしね」

「そういうこと。了解、この子借りるね。で、今回の不始末はどうなったの?」

「にっこり笑ってアチラさんもちでしょ?本部長が不機嫌に白鳥君に連絡してきて、彼が震え上がっていた。もう少し度胸つけて欲しいなぁ。本部長が怒ったのは白鳥君に対してじゃないんだからさ」

「怒った本部長に平然と話しかけられるの、こばっちゃんだけだよ。あの岩根課長だって遠慮するのに」

 くすりと笑った楓が、またカフェオレを口にした。

「あー。それがあったか。帰ったら岩根さんの方が怖いよ。静かに静かに怒るんだよね。しかも的確に怒るから、反論できない。野田課長と並んでコワイんだ」

「わかる」

「きっと営業所長と担当を締め上げるんだろうなぁ。どうして一番大事なときに担当を変えたのか、とか、現場にも来させないでどういうつもりだ、だとか」

「ひー、考えただけで怖い。昼ごはん食べよう、そうしよう」

 倉本は笑ってはいたが怖い事態になりそうだとごちていた。

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