第13話



 長野は正式に営業統括本部に仮配属されることになり、そのための研修と言うことで三ツ谷店への限定研修もほぼ決まった。仮配属というのは入社直後の社員はほぼ一年間、仮配属扱いということである。本人の希望と適性が合致すれば複数の人事考査を経て一年以内に正式配属になる。正式配属にならない場合は他部署に「仮配属」されて希望職種に適性があるかどうかが見極められる。


 流通業界は、特にトップリードのようなホームセンター事業を行う会社は途中退社や途中入社が多い。様々な職種を経験した人間もいれば、全く未経験の人間もいる。彼らをどう生かすかということが売り上げに直結する、と豪語する人事部長の考えで採用も配属も慎重だと言って良い。その分、誰でもわかるように可視化して評価するということも導入しているのだ。

 さすがに、研修はすぐというわけにはいかず、準備のための日数が置かれたが思っていた以上に直近だったことは確かだ。その間に楓について、営業統括本部の仕事を覚えつつ、ブラインド研修のポイントをレクチャーされた。


 長野は、例の社内便の仕事や週末の各店舗へのスケジュール配布の仕事から大まかな流れはほぼ掌握していた。これは楓の見込み通りである。本部から店舗に流される指示や情報がどんなものなのかが把握できれば、今の仕事の内容が把握できるからだ。

 営業統括本部の仕事は、店舗の立ち上げに必要な土地を探し出し、その土地にターゲットとする客がいるのかいないのか、そういった見極めから最終的に店舗を開店させ、月々の売り上げをたたき出す手伝いをするのだ。もちろん、店に出て自分で商品補充をすることもあり、設計図から議論を戦わせることもある。一方で、バイヤーが見つけ出してきた商品を客に対して、いかに売り込むかと言うこともやっている。

 まず覚えなければならないのは、営業統括本部の心臓部ともいえる新規出店作業の流れだった。店舗を出店するための土地選定から開店までの不動産的なハードな部分と、どの商品を仕入れてどんな人材をそろえるかと言ったソフトの部分中心になる。それらの大きな流れの中で、進行途中を含めて楓に持ち込まれる報告の数は驚くほど多い。二人の課長からの相談も少なくないし、進捗に行き詰まっている社員からの相談も多い。多いのだが、楓は時々その情報が集約されたデータやノートを見ながら相談に乗っている。またそれが的確で、逆に相手からアイデアを引き出してゆくのだ。統括本部の仕事を把握していないと出来る発言ではない。

 全体的な流れを見たり、細かい部分を判断したりと長野にとっては仕事の流れが分かりにくい部分もあるが、岩根や藤堂の仕事を手伝うと、それが具体的な形になって学ぶところが大きい。

 そして、驚いたことに岩根と藤堂と楓と青山の4人はお互いの仕事をある程度把握していて、何かトラブルがあったときには即座に相互フォローできるだけの情報共有をしていること、常に全体を見て仕事をしていることだった。

 特に楓は、課員の相談に乗った記録をつけることを怠らない。楓の個人の記録として残しておきながら、後々、店舗設立時や運営時に過去にもこういう事例があった、こういう解決をした、ということを記録として残しているのだ。勿論、個人名は残らないが、こういう細かな積み重ねが青山のバリアフリー発言による店舗の設置に大いに役立った。

「ホント、色々なことが役に立つのよ」

 楓はそう言って笑った。



「この商品、売れますかねぇ」

 そして今、バイヤー担当が悩んでいるのは、とある工具である。

 藤堂が離席しているのでお昼休みの留守番係の彼がそうぼやいた。

 つい先ほどまで、工具メーカーの営業がオススメ工具として売り込んできた「新規店舗にそろえる工具リスト」を眺めながらお昼ご飯を食べていた。

 気になっているその工具は、どちらかと言うと玄人好みの工具で、DIY初心者は余り手が出ないものだ。

 新規出店である深山店の売り場計画でこの工具を取り扱うか、が彼の中で悩みの種になっている。

「高屋店の方が売れるに一票」

「いや、DIYブームだし、いけると思うんですけど」

 別のバイヤーとも話をしていた。それを見た楓は、彼らの会話にひょいっと入ってしまう。

「この工具、長野はどう思う?」

「え?私ですか?」

「売れるか、売れないか、その根拠は何か」

 楓はそういった。長野にしてみれば全く持って興味ないアイテムであるし、売れる売れないの根拠と言われても話ができない。

「私、こういった工具のことなんかわからないし」

「じゃぁ、次のために勉強しようね」

 長野には良いチャンスだと、楓は言う。

「小林さんはどう思います?店頭売りした方が良いと思いますか?」

「私は店頭売りしないに一票。そういった類の店頭売りは高屋店の方が売れる」

「ぇえ?」

「新規店舗は完全にファミリー向けにコンセプトを置いている。工具売り場のターゲットは20代から40代、DIY初心者から中級者を対象とする、というのが売り場のコンセプト。だとすると、この工具は中級者から上級者用だからちょっとだけしかマッチしていない。でもまぁ、素人でも使うことがある工具だから需要がミスマッチとは言えない、微妙な商品だ。他店では売れている商品だしね」

「ですよね?なのに外した理由があるって事ですか?」

「この地域に賃貸住宅が多いこと。勿論、一般住宅があるから需要はゼロとはいえないけど、賃貸物件を加工してリフォームするのはリスキーだよね。発想はないし、じゃぁDIYするだけのスペースがあるかと言えばそれはないよね? この電動工具、どこから電源取るのよ?もし、買いたいお客様がいたら、同じシリーズ商品が別に取り扱っているから取り寄せ可能と注記すれば、客注(客からの注文品)に対応できるし、希望数が多ければ見直して定番化するのもありだと思う。でも最初から定番化するのは危険。単価が高いし、発注ロット数が5というのは在庫で抱えるには危険すぎる」

 なるほど、と皆が納得する。

「逆に、高屋店の方が売れるとした根拠は何ですか?」

 長野がそう尋ねた。

「高屋店の周りを歩いたことある?」

「いえ、ありませんけど」

「チャンスがあったら行って見ると良いわ。あの近辺には昔ながらの大工の棟梁やら工務店が多いの。仕事の行き帰りや昼休みに職人オジサンが現れることが多いのよね。引退した職人さんとか、常連さんだし」

「そうなんだ。え?ええ?じゃぁ、今でも周辺の様子を把握しているってことですか?」

「店の訪問はただ単に訪問するだけじゃない。時間を変えてみたり、周辺の情報を仕入れたりするのもまた一つの仕事。平日と休日は違うしね。だからどうでも良い情報かもしれないけど、ちょっとした情報をメモしておくのは必須だよ。俺は食べ歩きが趣味だから、周辺の店情報を集めながら趣味と実益兼ねているけど」

 そう言ったのは白鳥だった。彼はバイヤー職である。

「そうね。その情報から新しく保育園が出来ることがわかって、学用品コーナーに保育園対応の商品を仕入れたり」

「保育園対応、ってなんですか」

「ほらさ、小学校とか中学校で雑巾もってこいって言われたことない?」

「あります」

「学校によっては、吊り下げられるようにループを付けていけなきゃいけないとか、ネームタグがないといけないとか、指定があるんだよ」

「巾着とか、お弁当箱入れとか。そうかぁ」

「流行のキャラクターとかは新しい学年度に向けて展開するとして、実は定番のキャラなしの柄モノが一番売れたりするんだよね。もうすでに買っちゃったものは仕方ないですけど、次に買うときはキャラクターはやめてくださいって、お達しが出るから」

「そうかぁ。って、そういう情報を集めるんですか」

「集めますよ。一番有力なのはそこで働いているパートさんやアルバイトさんのママさん情報かな。子供にまつわる行事の情報とか、学校ごとの情報とか、意外と多く持っているし、頼めば学校行事がいつあるかとか教えてくれる。ほら、運動会は春開催と秋開催の2パターンあるだろ?」

 そうかぁ、と言いながら熱心に長野はメモを取っている。

「で、長野、課長にガツンとやられたから態度変えたわけ?」

 バイヤーがくすくす笑いながらそう言った。

「まぁ、長野にもいろいろ悩むことがあったわけだ。どういう態度を取って良いかわからなかったのよ。まぁ、お子ちゃまと言えばお子ちゃまだったわけだ。許してあげてよ」

「何、お前コネ入社だからここに配属されたと思ったわけ?」

「いや、その・・・」

「ウチは縁故採用があるのは認めるが、配属部署に関してはコネは効かないよ。課長だって否定しただろうよ」

「同期から相当チャチャ入れが入ったみたいよ。許してあげなさいよ」

 楓が笑いながらそう言った。

「大丈夫、ついていけなかったらバンバン放り出すから」

「そう言って小林さんが放り出さなかったってことは見込みがあるということ?」

「どうでしょうねぇ」

 楓が笑いながらそう答えた。

「まずは1か月だな。そこで切る」

 楓はそう言った。

「お前判断早いな。俺は3か月だぞ」

 デスクワークをしながら井上がそう答えた。

「研修で成果が無かったら切ります。八雲君」

「はいっ」

「導入商品になるのかならないか、っていう見極めリストの作り方、彼女に教えてあげてくれないかな。フォーマット含めて」

「わかりました」

「見極めリストって何ですか?」

「個人的に勝手に作っているリスト、と言った方が早い。バイヤーが次はこれが売れるんじゃないかってリサーチしている商品のリスト。バイヤーの何人かは作っているし、作っていないけど、情報メモみたいなの作っている人もいるし」

「八雲君の見極めリストのフォーマットが一番充実しているの。長野はそれを参考にして自分でリスト作れるようになると良いね」

「私が作るんですか?」

「長野は営業本部に来たんだから、一通りできないといけないよ」

 八雲はそう言いながらリストの作り方を長野に説明し始めた。



 そして、三ツ谷店への研修初日は楓と一緒に朝一番に出勤した。

「おはようございます」

 10時開店だが、店長もしくは副店長は交代で9時30分には出勤するのが常で、今日は副店長の岩井がその当番だった。

「すみません、店長の藤代は店長会議で」

「ええ、承知しています。店長には井上から挨拶があると思います。この度は受け入れてくださってありがとうございます」

「こちらこそ。期間限定でも人手不足なんで助かります」

「研修規則にのっとって、店内業務と店長補佐の業務内容の研修をお願いします。出来れば店長業務もレクチャーしていただけるとありがたいですが、実際に動けるのは副店長業務あたりまででしょうから多くは望みません」

「1か月ですからね」

「内容と、1か月のサイクルが分かれば良しとしています。彼女にはファミリー層の集客を目的とした商品の提案や売り上げに寄与すると言うポイントの店舗改革を課題として出しています。こちらのスタッフと交流したりすることも幅広い意見を聞くという材料になるでしょうし、実際にお客様と接触することでいろいろと気が付くところがあると思いますので、お手数をおかけしますが、ご指導よろしくお願いいたします」

 楓はいつもの研修受け入れをお願いするように岩井に頭を下げた。

「で、小林さん、彼女がモノになると踏んでの研修ですか?今俺たちの間で一番の話題ですけど」

「そうなの?」

「だって殆ど店舗業務経験なしでの本部抜擢ですよ?しかも小林さんが指導するというので注目の的ですよ、彼女」

「ああ、彼女はまだ見習い扱いですよ?この1ヶ月の研修で成果がなかったら人事に返す約束です。そうしたら店舗配属か、本部の総務あたりで業務に就くことになるでしょうねぇ」

「マジで見習いなんですか?」

「そうですよ。何度も言うようですが、本部抜擢のチャンスは平等です。本人の適性を見て判断します。研修依頼書にもあるように、今回は彼女に店舗開発の適性があるかどうかの見極めです。最終的に判断するのは井上ですが、その前に営業本部の役職者が適性があるかどうか判断するので私の意見は尊重されませんよ」

「え?ええ?」

 長野が振り返った。

「そうか、長野さんは小林さんの推薦枠なんだ」

「そういうことです」

「本人わかってないみたいですけど?」

「小林先輩が権限握っているんじゃないんですか?」

「人事から適性で振り分けられて配属される人と、役職もちが推薦して配属されてくる人の評価は最初の半年は違うんだよ。長野さんを推薦したのは小林さん、だから推薦者は最終的な報告義務を負うけれど、適性評価には意見が付けられるだけで決定権がないんだ。長野さんがこのまま本部に残ると言う判断が出来るのは研修の報告書と君のレポートを見て、営業本部の課長だとか主任だとか、役職もちのメンバーが決定することなんだ。だから、青山さんとか岩根課長とか、藤堂課長とか」

「そんなの、ありですか?」

「ありです。だから俺は八雲さんの推薦で副店長になれたんだよ」

「え?えええ?」

「あなた、人事の講習サボったでしょう?」

 楓がくすくす笑った。テキストを読んでおいてね、という新人研修部分なので仕方ないが。

「基本、店舗関係の部署は営業本部が統括しているんだけど、勿論人事課の方が強いけど、意見をつけて人事課に物申すことは出来るの。同じく、経理や総務でも同じことが出来るわね。私たちはヘッドハンティングって言っているけど」

「じゃぁ、どこかの店長が小林先輩を副店長に欲しいと言ったら…」

「その必要性と有効性が認められたら井上は行って来い、って命令するでしょうね。私が納得するだけの材料があったら私も店舗にいくわよ?」

「下克上…」

「あるある。でもね、基本的にヘッドハントの要請があったら、異動のあるなしに関わらず、最低3年はヘッドハントの名簿には名前が掲載されないんだ。落ち着いて仕事をして欲しいからね」

「それが除外されるのが入社一年目の社員だけ。適性見極めと本人希望もあるんだけど、大体一年目はぐるぐるするよね。店舗だったり本部だったり。それは言われたでしょ?だから入社一年は仮配属になりますって」

「確かに、最初の一年目はあちこちに行きますって」

「むしろしないほうが大器晩成型」

「そうそう。じゃ、私はこれで失礼しますね」

 楓は一礼して店舗を後にした。

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