第12話



 翌日。

 楓はいつものように出社してきて、ロッカールームで制服に着替える。

 営業統括に顔を出すと、既に井上が出社していた。

「おはようさん、昨日はお疲れさんでした」

「本部長こそ、お疲れ様でした」

「あのあと、例の営業所長から直々に電話があったよ」

「知りません、何かあったんですか?」

 楓はすっとぼけた。


 ばっちり「お嬢様OL」がバリバリのヤンキーな車に乗って営業所の所長を訪問しただの、そちらのミスで当社が損をした、今回の損害についてはきっちりそちらで処理してほしいとか、二度とこういうことはしないでほしい、もしもまたお互いの信頼を損ねるような事が起きたなら、今度はためらいなく取引中止の措置を取らせていただくと、「どるんどるん」と硬派にねじり込んだのである。

 普段はお嬢様ともお姉さまとも取れるほどの物腰柔らかな、しかしてきぱきOLさんで価格交渉もそれなりに厳しいが無茶を言うような人物ではない、と言うことで通っている楓の、実はヤンキーな一面と言うことは一切見せていない。最も、営業の人間が楓の会社に来るのだからやんちゃな部分など知りはしないだろうし、現場に居合わせることも少なくなっているので「素顔」を知る人も少なくなっている。

 取引先としては硬派にねじりこまれて全うな抗議をびしりと突きつけられれば反論の余地はない。加えて、優しいやさしい上司の井上はそれで許すと言っているが、私は個人的には腹の虫がおさまらない。次があった場合は速攻取引停止措置を上司に進言しますと楓は別口でねじり込んでおいたというのは、些細なことである。


 取引中止ならまだ改善の余地はあるが、取引停止は業界内でもスキャンダルだ。


 営業統括室長の権限は多岐にわたる。だからと言って楓が独断で決断できる部分と井上の許可が必要な部分と、更に社長や役員が判断する部分との線引きはかなりしっかりしている。そして井上は常に藤堂と岩根と楓の課長職3人と意思をそろえることを重視している。だから苦情を入れておきます、の報告でもどの程度の「苦情」なのかは手に取るようにわかる。

 取引停止にしたって良いほどのミスなのだ。ただ、井上は決定的なミスをしない限りは、一度は警告でとどめておく。ただし、二度目は無いと伝言することも忘れない。だからこそ、上司の判断は取引中止だといい、楓の判断は取引停止だとあえて先方に伝えたのだ。朝一番に先方の所長からお詫びの電話があったあたり、楓の事だからそこまでやっている、と井上はニヤリと笑って食えん奴だ、とごちた。

「で、長野はどうだ?」

「昨日、野田に吼えられましたからね。ここで頭を下げて出社するならモノになると思いますよ。すねて辞表を書くならそれまでです」

「お前にしては高評価だな」

「彼女の目の付け所は私のようなオバサンとは違って若い感性がありますからね」

 その言葉に、井上が顔をあげた。自分が彼女に対して何か引っかかる「野生のカン」と楓の「目」がリンクした瞬間だった。

「そうですね。ホームセンター事業部としては若い女性客を取り込みたいですからね。ダッサーイ店作りはァ、マイナスだと思いますよォ?」

 長野のしゃべり方を真似しながら青山が同調した。青山も、長野からのレポートを読む限り、そして日頃の仕事を見る限り、育てるだけの戦力になると確信していた。

「いやぁ、それはぁ、やめてくださぁい」

 青山の視線を受けて、楓の後ろでそう言い放ったのは野田だった。長野を伴って。当の長野は野田にまでモノマネされて真っ赤になっている。青山と野田はそもそも同期で、仲良しなのだ。恐らく、青山は野田と長野の姿を見たからそうふざけたのであろうが。

 ちょっとだけ印象が変わった長野の様子に、楓はほっとした。そして、長野の爪が短く切りそろえられていて、艶出し程度のネイルになっているのにも気が付いた。

「で、研修を終えた長野が出社してきましたがどうしますか?このまま人事預かりにしますか?それとも、研修終了とみなして配属しますか?」

 野田が真顔でそう尋ねた。

「もちろん、ウチでもらう。室長の下でビシビシとだなぁ・・・」

 で、良いか?とちらりと楓に視線をやると、当の楓は引き出しの中からファイルを取り出していた。

「そう、ビシビシと仕事をして欲しいので、まずは三ツ谷店で研修させたいんですが、ダメですか? これが研修計画書です」

「は?」

 野田が唖然としていた。研修計画書は井上に向かって提出されたものだが楓は真顔である。

 井上は、人事配属会議の時から長野にこだわった。どの部署も長野の扱いに匙を投げたが、井上は強引に研修を組んだ。そして、その意図を汲んだ楓は更に先の成長を願って最初から長野配属のためのキャリアデザインを用意していたことになる。

「今想定しているのは期間限定1ヶ月。自宅のすぐ傍なので通勤に支障はないでしょうし、入社直後の店舗研修2週間では営業統括内で動くには研修期間として短いと思いますが。ざっとでよいので副店長業務あたりまでは確実に把握して欲しいので」

「お前何を考えている?」

 野田がワケワカラン、とたずねた。人事的に店舗研修は終わっているし、長野にこれ以上の店舗研修は意味が無いと思っているからだ。副店長業務まで把握させるというのは、権限のない店長のようなもので、営業統括本部に在籍するなら最低限の知識を身につけるための研修である。

 井上は研修計画書を受け取って、その中身に目を通す。野田も同じように目を通し、楓の描いたキャリアデザイン計画に目を見張る。

「今の藤代店長に代わってから2年、そろそろ営業改革の成果が出て来てもおかしくないんですが、残念ながら成果として評価できるのはごくわずかです。長野には研修中、藤代店長の下で地域に根ざした企画であるとか、全店舗に広げられるような、何か集客に関する企画が出来たらなぁ、と宿題を課したブラインド研修です」

 当の長野が思わぬ評価に驚いている。

「長野にそれが出来ると?」

「各店訪問のレポートを見る限り、私がポイントとしている部分はきちんと見抜けています。改善の余地がある部分についてはそこも指摘していますしね。そういった意味で長野は新人ながら優秀だと思います。あとはアイデアを引き出せるかどうかですが。ただ、アイデアを引き出せなくても、営業改革については私以外の目が入ることによってまた違った見方が出来るメリットがあります。そこにポイントがあるんじゃないですか? ということで、長野の研修も兼ねて三ツ谷に行かせたいんですが。長野自身は一人で外研修に出して大丈夫ですよ」

「そうなのか?」

「何なら別室で打ち合わせますか?」

 井上がその物言いに視線をやった。

「青山、ここを頼めるか?」

「はい、大丈夫ですよ」

「長野は青山の仕事を手伝ってくれ。少なくとも午前中はここにいろ」

「はい」

 井上は野田と楓に、商談用の応接室ブースに入れ、と促す。

 楓はノートパソコンを手にその部屋に入った。



 ブラインドで目隠しが出来るとはいえ、楓の両隣に井上と野田が座ってパソコンを覗き込む形で3人はしばらく話をしていた。防音設備がある応接室なので何を話しているかは知らないが、3人は真剣だった。

「長野、小林さんは本気だぞ。本気で三ツ谷店に行かせるつもりだなぁ」

 青山はのんきにそう言った。

「私に足りない部分はあるなら、研修でそれをやるまでです」

「甘い甘い。お前、ブラインド研修の意味がわかってないだろう」

「…何ですか?それ」

「足りないから研修なんてカモフラージュに決まってるじゃん。第一、本部長と野田課長が揃っているところで研修を言い出す方がおかしいから」

 江崎はそういった。

「そうねぇ」

「あの…」

「本気でレポート書けよ。小林はお前を育てるつもりだぞ。でなきゃ、二人の名前で研修に出ろとは言わない。ただの研修なら人事か営業の名前で行かせりゃよいだけだ。そんなの、すぐにできる。でもブラインド研修はそれとは違う。他部署が噛まないと通らない研修だ。わかるか?」

「わからないです」

「俺達が介入できるのは店の運営全般に関わることだ。人事や経理に関わることはできない。ところが、野田と本部長がいるときに研修を申し出たってことは、店の運営部分以外に三ツ谷の改善の余地があるかもしれないということだ。それが小林さんの考えだよ」

「それ、私が指摘するんですか?」

「場合によってはね。俺達が気がつかないままの部分に長野が気が付くかもしれないし、もしかしたら改善の余地はないといえるくらいパーフェクトなのかもしれない。それはわからないけどね。案外、長野のスキルを上げるためにブラインド研修を提案したのかもしれないし」

 江崎と鈴木が頷いていた。

「何か企画を立ち上げる、という課題以外に、ですか」

「まぁ、その課題を中心にやってりゃ良いよ。そもそも、それが三ツ谷の課題でもある。無理に企画を立ち上げる必要はないが、企画を立ち上げたり、店舗の改善点を見つけてそこをナントカするのは営業本部の仕事だ。いいか?店舗の人間は毎日売り上げの数字で尻を叩かれて人手不足だナンだと言われながら店を回しているんだ。俺たちの仕事はそれをいかに効率よく、店舗の人間の負担を軽くしながら尚且つ集客力を高めて売り上げにつなげるか、ということに尽きる。ある意味、店舗の仕事よりもキツイ仕事だし、店のメンバーにしてみたら、この忙しいのに邪魔しに来る、と言う嫌われ者的感覚がある奴もいる。頑張れよ」

「うわぁ、責任重大」

「でも、出来ない奴に任せるほど小林さんは甘くない。バイヤーの白鳥さんや八雲さんは小林さんの下で半年頑張ってトレンドの感覚の方が優れているってことでバイヤーに突っ込まれたクチ」

 江崎さんはそう言ってうふふ、と笑った。二人はそれぞれ2年から4年の店舗勤務のあとに配属されたが、見出されて今は押しも押されぬトップバイヤーだ。

「そういう青山さんだって、本部長の片腕じゃないですか。データ分析なんてなかなか出来ませんよ」

「おいおい、俺は本部長の片腕じゃなくて、小林さんの片腕。ガンの治療しながらだから、仕事はどうしても選んじゃうし、時間も短くなる。拾ってくれて感謝してるよ」

「小林さんは本部長の片腕だと思っていますよ。青山さんがいないとパニックになってますよ。解析が進まないーって」

 小林の口真似した鈴木に、江崎が笑った。

「いやいや、そんな」

「野田さんとケンカしていたのも知っていますし。野田さんはもっと楽な仕事の方が良いんじゃないかって言い合っていましたよ?小林さんは本人が言い出さない限り配置転換しないって言い張ってましたけど。仕事の量は調節しますけど、本部から外に出すのはお断りですって。仕事量や時間は少なくても、青山さんが指摘してくるポイントはきちんとアナライズされた我が社の重要ポイントです。その価値を見出せない野田さんの目は老眼進みすぎだって。老眼のくだりで私思いっきり笑って、二人に怒られましたもん。そこ、笑うところじゃないって」

「そんな事は…」

「愛されているんですよ、青山さん」

 鈴木がそう言って仕事にかかった。



 3人が話していたのは10分ほどで、それから野田が退席し、入れ替わりに長野が呼ばれた。

「と、いうことで野田課長の了解が取れたので営業統括本部の研修として4週間、三ツ谷店に研修に行ってくれ。詳しい日時はこの後決めるが、それまでは本部に出勤でいい。予定としては来週か、遅くても来週週末からだ」

「わかりました」

「俺としては、だな。入ってきたばかりの新人にこんなことはさせたくはないんだが…」

「入ったばかりの新人だから出来るんですよ、本部長」

「でもなぁ」

「営業統括の人間である以上、ブラインドチェックはいずれ身につけなきゃいけないことです。長野にその能力がないとは思いません。それに、チェック部分は私から指示しますから特に広範囲になることはないと思いますよ」

「あの、そんなに大変なんですか?」

「ポイントは二つ。人の流れと物の流れの停滞場所をピックアップするだけ」

「それが一番大変なんだろうが」

「基礎的なことは教えておきますし、研修中、長野と常に連絡が取れるようにプライベートの連絡先も教えておきます。不慣れな長野が潰れないように配慮はします」

「そうしてくれ」

「そんなに大変なんですか?」

「ちょっとだけね」

 楓は明るくそういった。

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