第11話


 明らかに戸惑った長野の顔がそこにあった。縁故採用とはいえ、少なくとも柴崎には迷惑はかけたくないと思っていたのだが、自分の行動はやはり浅はかだったのだと野田の説教で思い知らされたばかりなのに。それとも、野田は小林にこのことを話したのか、一体どっちなのか、と。

「ああ、野田さんがしゃべったわけじゃないからね、念のため。仕事で何度かご一緒したことがあるのよ、貴方のお父様と」

「知っていたんですか?」

「父親の会社には入りたくない、でも商売をやることは楽しそう、なんて夢見る夢子ちゃんなんだ、社会人としてはまだまだおバカな娘です、と言っていた。親としては頭でっかちで不安になる、と。まぁ、どこの親御さんも同じだから私は気にしちゃいないし、私は大学時代は荒れて、未だに各方面頭が上がらないことをしちゃったし」

「え?荒れてたって…」

「信二がいなくなった後、私の生活荒れたのよ。レーサーになる才能もない、メカニックの才能もない、だからフロントでマネジメントする、将来は信二と結婚する、そんな夢を描いていたんだけど、ね。目標を失った私は大学に価値を見出せなくなって、野田さんと井上本部長に引っ張られてこの会社に入ったんだもの。面白い会社だぞ、お前の手でマネジメントしてみないかって。大学の2年くらいになるかな。すっぱりレース辞めてここの店舗でアルバイトしながら大学卒業して、やっぱりこの仕事面白いと思って入社したの」

「無理やり、だったんですか?嫌じゃなかったですか?」

「最初は無理やり。引きこもり生活していたから、嫌に決まっているじゃん。なのに、毎日野田さんが迎えに来てバイト見習いだ、ってって朝の8時半から店舗周辺の掃除やらされて。バイト見習いだから給料は野田さんのポケットマネーから。1週間頑張るとコーヒー一杯おごってもらえるの」

「え?」

「半年そういう生活して、やっとバイト採用してもらえて大学にも戻って。将来のこと考えたら、他に会社は一杯あったのに、でも野田さんは考える余地与える間もなく勝手にガンガンシフト入れて他の会社見学なんてさせてくれなかったし。学生のうちに囲い込むのは違法だと言っても、どこ吹く風で。じゃぁ後どこに就職するのって話になったら、親父の会社か兄貴の会社か、兄貴の嫁さんの実家の会社とか、それこそいろいろ迷惑かけたのにまた就職させてくださいなんて言えないでしょ、絶対に嫌だと断って、野田さんと井上には内緒で入社試験を受けたの。義理立てして1年たったら辞めるつもりで入社したの。やっと野田さんの呪縛から逃れた、ってほっとしていたら今度は井上がしごきまくってくれたし。ま、今も続いているけど」

「後悔していますか?」

「してない。信二の代わりにマネジメントするってことに面白さを見出してるから。そういう意味で野田さんの目に狂いはないのよ」

「私は、父の会社に行くのは抵抗があって。だからと言って、お見合いして結婚させられるのも嫌だし。だからおじさまの紹介でこの会社に来たんです。でも、こう、もっと華やかな世界だと思っていたのに全然違っていて。平気で肉体労働はあるし、先輩たちはバンバン怒鳴るし」

「タイムリミットがあるからね。それは仕方ないよ。だから現場からは配置転換になるように手を抜いて仕事していたわけだ。適当な事務職で良いや、って思ったら基本の事務作業の研修が終わったら営業統括に『預け』られて戸惑ったと」

「営業統括は同期だって憧れる部署なんですよ。私なんかがいて良い部署じゃないもの。そう思っていました」

「でも仕事は思ったより楽しそうだった、違う?」

「どうしてわかるんですか?」

「いいじゃん、せっかく営業統括に来たんだから最大限利用しようよ。このまま営業統括に居ついちゃえば?」

「そんなことできるわけないでしょ。私、さっき野田課長にさんざん…」

「しっぽ巻いて逃げるのも良し。このまま図々しく居座るのも良し。長野の気持ち次第だよ」

 そこへ、料理を持った男が現れる。

「定食お待ちっ」

 レディース日替わり定食の酢豚定食には小さな杏仁豆腐までついてる。

「サンキュー、信一兄」

 人懐こい笑顔で接客する若い男である。

「珍しいな、ランエボで会社行くなんて」

「休日なのに呼び出されたから腹いせにランエボで出勤したの。テンションアップは必要でしょ?」

「おう、お前らしいな」

 くすくす笑う調理服の白衣の男は、信二と少しだけ似た顔立ちだった。

「長野、熱いうちに食べる。マジでここの中華は美味いから」

「いいのか?一人で美味しいもの食べると、総一郎さんが怒るぞ」

「いいのいいの。後輩をダシにして兄さんの定食食べに来たんだ。いただきます」

「ごゆっくり」

 いつものように一礼して彼はブースから出て行き、長野は食事を始めた。

「あ、おいしい」

「でしょ?ここは親父さんと女将さんと信一兄さんが仕切っている食堂なんだ。信二の家族」

「そうだったんだ」

「私たちのたまり場でもあるけどね。兄さんの奥さんも店に出ることもあるんだけど、今の時間は子供たちと一緒にいるから。インパクトある人だから面白いよ」

「インパクトあるって、え?変な人なんですか?」

「管理栄養士でスポーツトレーナーやっている人だから、男っぽくてさばさばしてて、筋肉好きというか、ボディビルをバリバリやっちゃう人」

 言われてみれば、街中の中華料理店という定食とは少し違って、ボリュームはあるが野菜が多めだ。勿論、メニューにはガツンとした定食もあるが。

「レシピ教えてもらって同じように作るんだけど、同じ味にならないの。でもどんな場所でも信一兄が鍋振るとちゃんとここの味になるのよ。プロだよねって思う」

 楓はそう言いながらパクパク食べていた。最初は遠慮していた長野だが、いつの間にかパクパク食べている。間に話す話題が会社の事ではなく、自分の家の事ではなく、ただ単純に女の子としてのどの店の何がおいしいとか、今度どこそこにこんな店ができたとかそういう話題に終始していることもあって実に楽しいのだ。

 食事が終わって、コーヒーを飲んでも話は尽きなかった。

「最近の流行って、何でも自分でやることですよね。こういうキットがある、ああいうキットがあるって。ネイルはネイリストのセンスだけど、ちょっと修正というときにどうにもならなくて困るときがあるから、キットがあると便利」

「そうそう。そういうの、企画に出そうよ」

「私が?」

「そう。店にあったらよい物って何なのか、って思いついたの書きだしたら?」

 楓はニヤリとした。

「他の部署は知らない。営業統括は各店舗をマネジメントする義務を負うのよ。社員もパートも関係なく、マネジメント企画があるのならどんどん発言しないと」

「え?」

「井上はそういうの、全然こだわらないし、私も一課長も二課長もこだわらないの。だから、パートの二人だって雑談から企画立ち上げて報奨金貰ったことあるわよ。あの綿あめとポップコーンの無料配布の企画ってあの二人よ。大当たりしたからまたほかの店でやるのか、あの店特有の企画として継続するのかって話になっているし」

「すごい」

「チャンスは転がっているのよ。あとは長野次第。さ、帰ろうか。家まで送るよ」

 そして長野の自宅がある峰南町に送ってゆく。



 高級住宅地には似合わないと言い切れるほどの車で、長野の自宅前にきちんと車をつけてエンジンを切った。時刻は午後8時を回っている。近隣に迷惑にならないようにという心遣いだ。この車のエンジン音は意外と大きい。

「ありがとうございました」

「おっと、誤解させちゃったかな。お父様出てきちゃったわ」

 エンジン音に心配したのか、父親が玄関先に現れ、車に近づいていた。長野が先に下りるが、楓も降りる。

「こんばんは。はじめまして。お嬢様の同僚の小林と申します」

 楓は父親に向かって一礼する。

「葉子の父です。会社の方、ですよね?」

「はい」

 苦笑しながら楓は名刺を差し出した。

「営業統括本部営業統括室室長、ですか?葉子は人事部ではなかったんですか?」

「今お嬢様は人事部から出向と言う形で営業統括の業務研修を受けています。新入社員にはとても厳しい職場ですが、私の上司も、人事の上司も、葉子さんには期待しております。最終的な配属に関する結論はまだ出せておりませんが、私個人としては見込みのある人物と評価しております」

「失礼だが、葉子にそのような重責が務まるとは…」

「失礼ですが、いくらスプリングの社長の頼みといえども縁故入社の際には慎重に判断いたします。その上で採用となって人事経由で営業統括に研修というのは数年に一度と言うごくまれなケースです。相応の人物として評価されたとお考えになってよろしいかと思いますが。身内贔屓をためらうのはわかりますが、もう少しお嬢様を評価して差し上げても構わないと、思います」

「えっ?」

「お嬢様の嗜好性から、全く違う会社にはいって視野を磨くのも良いかもしれないとおっしゃったではないですか。私は覚えておりますよ?」

 この言葉に父親が黙った。

「では、失礼いたします」

 楓は一礼して車に乗ると、あっさりとエンジンをかけて帰路についていた。

「お父さん?」

「いや、まさかな」

 そう思いながら名刺を見る。老眼が進んで手元が怪しいし、暗がりで一文字名前としか判別付かないのだが。

「小林…なんと言った?」

「小林カエデさん。木へんに風とかくの」

「小林・・・そうか、彼女は・・・」

「お父さん知り合い?」

 父親はふう、と深呼吸した。

「小林モータースのお嬢さんか」

「小林モータース? え?外車売ってる小林モータース?」 

「お前は興味ないから知らないだろうが、元々の創業は電車の整備か製作を請け負う会社だったかな?それから車の事業に進出して、戦後は電車部門は椿グループに譲渡して、以降はドライビングスクールと自動車整備と販売との車関係の会社として一本立ちした。今の社長は会社経営というよりも整備士として有名でね、経営は奥さんの方が切り盛りしている。県内の外国ブランドの自動車販売事業が目についてわかりやすいが、自動車好きのマニアの間では社長の整備とその長男の整備の腕は日本有数の優秀さだそうだ。親子二代でラリーレースのバックスタッフになったと話題になったこともあったな。今でも長男は有名なチームに帯同していたはずだ」

「え?」

「三人息子さんがいて、長男はモータースを継ぐんじゃないのかな。お母さん譲りのバリキャリの女性と結婚して業績は順調だし、確か次男は椿グループの経営陣に名前を連ねている。三男は若いのにカメリアサーキットの経営をしているよ。一人娘が、そうそう、楓さんだ」

「そんなにすごい人なんだ」

「ああ。かなり人気の女性だったね」

「人気の女性って…」

 二人は家の中に入る。

「珍しく、商工会議所の新年の名刺交換会に出席していたんだよ。次男が折を見て椿グループのホテル部門の専務に就くことになるというお披露目だったんだが、普段は絶対にそろわないと言われている兄弟がバッチリそろって次男をよろしくと挨拶をしていた。お前は知らないかもしれないが、小林モータースは家族経営だが、経営に優秀な人材でなければ跡取りとしては認めない。だから今の社長は女社長だし、直系の息子は名目では常務となっているが、メカニック以外のことは良くわからないと自分でも豪語する人だよ。実際は、会社を任せたって十分にやっていけるだけの実力はあるとだれもが思っているがね。そんな二人の間に生まれた子供4人。幼少からそれこそ、英才教育を受けていると言っても良い。実際、優秀だしな。特に経営者として優秀だと噂されているのは次男と末っ子の楓さんだ。会社経営者としては喉から手が出るほど欲しい人材だろうな」

「え?」

「おまけに、モータースの強みは地方都市といえども強力なネットワークがあることだ」

「あー、でも先輩は同じ営業統括の課長と恋人だって言っていた…あ?そういえば藤堂さんて、椿グループの一族も藤堂さんだっけ」

「藤堂総一郎、だろう?」

「ん、そうそう。藤堂課長は総一郎って言ってた。4人兄妹で、誠一郎に総一郎に信一郎、すぐ上のお姉さんは愛理、で聖書の中に出てくる言葉で完結しちゃったって笑わせていたっけ」

「椿グループの社長の弟一族だよ。お父上は藤堂哲郎さん、実質、観光ホテル事業を仕切っている人だね」

「はぁぁぁ、すごい人なんだね」

 椿グループは地方都市において、と限定されるが地元では有数の企業集合体である。そもそもは私鉄路線を皮切りに、今は電鉄、バス、貨物配送と言った運輸部門、ホテルや観光業で名前を売り、不動産や住宅建築も手がけ、食料品を中心とした中規模の食品販売事業を展開して堅実な商売をしている。名誉会長は80過ぎた好々爺だが、若い時はカミソリとあだ名されていたくらいで、今その切れ味は三人の息子とその嫁に引き継がれている。次男は若くしてガンで死んでしまって息子は二人になったが、その嫁は一族に残ることを選び、会社を切り盛りしている。それぞれ結束も固くて、チームワークも凄い、というのが総評だ。

「でも何もやらなかったらただの人だよ。何かをやったから実績が残ったわけだろう?」

 父はそう言って笑った。

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