第8話
高屋店の裏口から出勤してきた牧村と長野、他数名の社員が各々散っていく。社員はロッカールームで着替えを済ませてから朝の清掃のために店内と店外に出ていくのだ。牧村と長野はイベントの打ち合わせをしながら時計を見上げていた。
「遅いですねぇ、そろそろアルバイトの子たちも来ちゃいますよぉ?」
開店は10時だが、イベントの日はその設営準備があるから9時には全員出勤を命じてある。尚且つ、前日に練習できなかったので綿菓子担当のアルバイト2名は8時半出勤を命じた。店長と他の社員数名が早番として8時に来て、設営することになっている。
長野は井上に命じられ、8時に出勤しろと言われて7時半過ぎに到着した。ほぼ同時に店長の牧村が出勤してきたからまだ時間に余裕はあるが。
「8時出勤だから間に合うよ。こばっちゃんは大丈夫」
ハラハラしている長野とは違って、牧村は悠然と構えている。
「それ、同期だからですか?」
長野がそう尋ねた。
「違うでしょ。小林さん、以前にも同じようなことがあったし」
副店長の竹内がPCで売価変更のチェックをしながらそう言った。
「タイムセールの炊飯器か」
「そう、ホント、あれこそ間に合わないかと思ったから」
「間に合うよ。昨日の夜、井上部長から電話があった。8時過ぎに受け取って現地を出たそうだ。寝坊しなきゃこっちに来るだろ。第一、こばっちゃんはリスクを嫌うからな」
「ホント、あんなにどるんどるん言わせてるくせに慎重なんですよね」
「車は趣味だから関係ないよ」
そう言った牧村の仕事用の携帯電話が鳴った。メールの着信である。
「お、来たな」
「誰からです?」
「藤堂課長だ。8時15分には到着するだろうって」
竹内が相変わらずで、と小さく呟く。
「え?どうして藤堂課長が到着時刻を知らせてくるんですか?」
「それは俺の個人的ルート。ただ、誤解のないように言っておくが、業務上、井上部長と三人の課長は常にお互いの予定やら仕事の進捗状況をフィックスしている。必要なら各店長を巻き込んであれこれ足並みをそろえているからな。今回は個人的にその情報を俺にくれたってわけ」
「ウチの店長、がさつに見えてあれこれルートがあるんスよ」
竹内がにやりと笑った。
「当然、本人からは受け取ったという夜の8時と夜中に無事帰宅したとのメールを受け取っている。これは俺が同期だからってことでのメール。あいつにはつきあっている恋人がいるし、俺にもカミさんがいるから、それ以上の個人メールは来ないよ」
「小林さん、つきあっている人がいるんですか?」
「いるよ」
「うわぁ、知らなかった」
「俺もびっくりしたよ。仕事の顔をしていなかったあいつを初めて見た」
牧村がふふっと笑って手元の進行表を確認した。
「よし、チェック終わり。店舗の値札確認に行ってきます」
「おう、よろしく」
店が動き出していた。
そして、時間通りに楓が到着し、すぐに設営がされ、イベント開始は多少ごたごたしたものの、無事に滞りなく開店した。
「思ったよりお客様多いね」
「それを狙っただろうが」
「当たり前です」
「助かったよ、ありがとうな」
「いえいえ」
開店後1時間、ようやく落ち着いた店の様子に、店長業務をするために事務室に戻って来た牧村は電話番をしている楓に声をかけた。楓は店のモニターで客の流れをつかんでいた。
「運送業者から電話があったんだけどさ、失敗したなぁって」
楓がちょっとむっとしてそう話し始めた。
「荷物、あったのか?」
「それが、札幌の空港センターにあったんだって。今こっちに戻るように飛行機の中だって」
「は?北海道?」
「お土産に札幌ラーメン、って言い忘れたんだけど」
「そりゃ、そこはジンギスカンだろう」
「あ、やっぱり?」
牧村が笑った。
「とにかく助かったよ、ありがとう」
「いえいえ、マッキーほどじゃないし」
「マッキー言うなって」
「で、長野の事なんだけど」
「はい」
「使えないと思ったら遠慮なく切り上げて、その旨報告してくれて良いから」
それまでの同期の馴れ合いとは全く違う楓がそこにいた。いつもはふざけていても、さらりと怖いことを言う、というのが竹内の「牧村評」だが、いつもながらその上を行く小林女史は本当にさらりとあっけなく怖いことを口にする。
「お?」
「人事から預かって私が再教育しているんだけどさぁ、現場の迷惑になるようならとっとと上がらせちゃった方が良いかなと」
口調は軽くてさらりとしているが、言っている事はとてつもなく怖いことを言っている。
「そうなのか」
「そうなのよ。だから、そう言うこと。竹内君にも知らせて良いから」
「え?竹内にも?」
「副店長には人事権ないけど、いずれ人事権を握るようになる。いまのうちに誰が有能で、どこのポジションに置けば良いのか、観察するのも大事だと思うのよね?」
いきなり話を振られて驚いたが、牧村が「あ、竹内は小林に目を付けられている」と直感する。
「で、お前の彼女の評価はどうなのさ?」
「まだ見極め中だよん」
楓はそう言って笑った。だが長く「見極め中」とはしないはずだ。話によると、預かりになってからそろそろ1ヶ月を過ぎたところだ。小林のことだ、評価は出ていると牧村は思っていた。
営業本部の忙しさは相変らずだが、それでも週に二日の休みは必ずもらえるので長野は一息つける、と思う。最も、土曜日曜日の休みが取れるのは月に一度くらいで、普段は他の人のシフトの関係でばらばらなことが多い。
長野は基本楓と一緒の日に休むことが多いが、考慮されたのは仕事を覚えるための最初の2週間くらいで、以降は別の日の休みになっている。それが長野の気のゆるみだったのか、1ヶ月を過ぎても朝からてきぱきと仕事、というスイッチが入っていない。
朝と夕方はルーチンワークのように売り上げに関わる仕事と伝達に関わる仕事がある。長野が出来る仕事はそれだけと言う部分もあるが、社内便の時間や会議の時間もあって時間に追われる仕事もある。細部の内容は長野には良くわからないものも多い。ただ、店の全体の動きは良くわかるようになった。店舗を動かすための仕組み、と言って良い。特に心惹かれるのは商品の「何が売れて」「何が売り上げに関わっているのか」の部分だった。
だから、店舗によって微妙に違う、年齢層に応じた商品構成や地域に準じた商品構成には驚いているし、まだまだ改良の余地があると思っている。実際、レポートの部分はそちらに感情移入しやすいので出来るだけ満遍なくレポートが書けるように苦心していた。
当然、担当する部署によって担当者がいるわけだが、長野にとって、青山はいつも数字とにらめっこしていて、資料に埋もれている人、と言う印象しかない。「わけわからない仕事をしている人」の一人である。そのくせ、的確に分析レポートを提出してきたり、ばっさり「この商品は仕入れない」などと決断したりもする。店にでることはほとんどないのに、どうしてその決断が出来るのか不思議なのだが、バイヤーたちも「これ、だめですかねぇ?」なんて商品の仕入れ存続のアドバイスをもらいに来ていたりもする、不思議な男だ。
その青山は元々は店長経験者で、今は隔週で病院に行く。ガンで闘病中とのことで、時々出勤してきても仕事にならずに医務室で寝ているときもあるし、急に休むこともある。抗がん剤の副作用がかなりきついらしい。
それでも、出勤してきてこの「わけのわからない書類仕事」をしている。長野が理解できていないだけで、実際は今までの営業実績から各店舗ごとの分析をし、これからどう戦略を練るのか、店舗ごと、商品ごとの動向をくまなく把握しているといって良い。いわば、「営業本部の頭脳」をデータ補完しているのだ。当然のように青山は本部にいるので動くのは各店長たちだ。司令塔は井上だが。
その青山が、今日は抗がん剤治療の影響で真っ青な顔をして仕事をしていた。
「青タン、今日はしんどそうだな。少し横になったら?」
「あー、でも1時間くらいで終わるから。そうしたら帰る」
「江崎さんか鈴木さんに振り分けできないのか?」
「目いっぱい振り分けているからむり」
同期で店舗開発の岩根課長が苦虫を噛み潰したような顔をした。彼は文字通り店を造る方のトップである。井上は社長のお供で出張、その井上の穴を埋めるために小林が朝一番にトラブルのあった取引先の営業店に顔を出してから休日出勤する予定で、一方の岩根と藤堂はこれからそれぞれの担当の相手先に訪問予定と来社予定が入っている。課長クラスの人間がいなくても充分本部は回っていくが、何より、青山の状態が悪すぎる。
「いや、それ限界だろう。もうやめろ。無理するな」
「でも」
「楓にやらせりゃ良い。それくらいフォローできる」
割って入った藤堂がそういった。
「でもそもそも女史は今日は休みで…」
「あいつはそういうの、気にしないよ。俺もフォローするし」
「そうそう、最強チームが付いているんですからね、大丈夫ですよ」
江崎が笑いながらそういった。
「いやーん、これちがーう。まちがっちゃったー」
その雰囲気を壊すように身悶えしながら長野が午前の「仕分け」をしている。
「ちょっとまだやっているの?早くしないと集配が来ちゃうから」
鈴木が焦って口にする。各店舗ごとの仕分けに時間がかかっている。そして、長野の手にはまだ封筒がある。時間は10時40分、総務人事課に持ち込むぎりぎりの最終集配締め切りは5分後だ。
「えー、だってわからないからぁ。藤堂かちょうー、これどうやるんですかぁ?」
「ああ、代わりにやっておくから君、これコピーとってくれ。全部で7部。揃えて綴じておいてくれ」
「えええ、一緒にやりたいですぅ」
そういう問題じゃない、と江崎と鈴木が立ち上がり、鈴木が既に仕分けされたもののチェックをし、江崎は長野の手から取り上げた残りを仕分けする。
その江崎の手から半分ほどを岩根が取り上げ仕分けをはじめ、藤堂は長野を下がらせた。
「毎日ギリギリなのか?」
「そうですね。出来るだけそうならないように声かけしたりしていますが」
「小林は何も言わないのか?」
「指導はしていますよ。他の仕事をいろいろやらせてみたり、手伝わせてみたり。でも、配布物の仕分けは一番の基本だから特に朝の仕分けは長野にやらせろと」
藤堂の問いに青山はそう答えた。
「あいつらしくないな」
ふと、口をついたのはそんな言葉だった。
「いやぁん、藤堂課長その言い方。小林先輩が彼女サンみたーい」
その一言に、空気が固まった。
「あれ?私変なこと言いました?」
「恋人ですが、何か?」
「え?」
「楓は俺の恋人だ、離れてくれ」
「うっそーっ」
「長野、声がでかい」
青山がたしなめる。
「信じらんなーい」
そのやり取りをしている間に、江崎と鈴木が仕分けとチェックを完了させ、集配のために人事課に持っていく。
「ええええええ?課長って彼女さんいないって思ってたのにぃ」
「何騒いでいるの?」
出勤してきたのは当の楓だ。完全な私服で、しかもフェミニンなブラウスに濃紺のロングスカート、ジャケットのポケットからはおしゃれなカラフルチーフがのぞいている。
だが、足元はきっちり3センチヒールで完全なビジネスモードだった。
「青山さん、大丈夫?顔色悪いよ?江崎さんと鈴木さんは?おつかい?」
誰か説明してくれと言わんばかりにさっと周囲を見渡す。
「青タンには帰れって言ったところ。二人は長野が仕分けの仕事ができてなくてそのフォローをしたところだ」
「わかりました。長野がご迷惑をおかけしました、ありがとうございました」
岩根と藤堂に頭を下げた。
「お前のほうは?配送トラブルとかいっていたが」
「あー、昨日、あれから現場確認に行って、瑕疵責任はウチじゃないことは確認した。で、今朝は朝一番で向こうの運送会社に挨拶してきた。事後処理完了、本部長には報告済み」
「それで…その格好か」
「ちゃーんとランエボでどるんどるん恫喝してきました」
その言葉に青山が吹いた。ここぞ、という時は楓はきっちりフェミニンなお嬢様OLとして格好を決めながら、乗っている車は信じられないくらいに硬派にチューンナップしたランサーエボリューションに乗る。マフラーを変えた車は遠慮なくどるんどるん吼えるので社員から「恫喝する車」と言われている。普段はファミリーカーであることを考えると、とてつもないギャップである。
そしてもう一つ、仲間内でそんな格好でランエボに乗るときは楓の「戦闘モード」にスイッチが入っている時だと噂されている。
「戻りました」
戻ってきた江崎、鈴木コンビが楓の登場に驚く。
「昨日、店舗の誤配送の件は現物を見てきて、今朝は担当運送会社にクレーム入れたから終了。本部長にも報告済みで、この一件は解決。問題の荷物は運送会社の営業さんが今朝回収したそうよ。店長から連絡があったわ」
「了解です」
「で、長野が時間までに出来なかったの?そんなに多かった?」
「いえ、定期モノですから通常の量と変わりません」
「長野、店長と副店長の名前と、各店舗の名前、全部覚えた?」
「いえ、沢山あるからわからないです」
「そう。了解。段ボール箱でも紙袋でも良いから荷物まとめて」
「はい?」
「長野は自分の荷物まとめて。で、次に江崎さん」
「はい」
「タクシー1台手配してくれる?本社前に。青山さんそれで帰りなよ。車は停めとけばいいし、明日の朝は迎えに行くから」
「いや、それは・・・」
「運転できるような顔していないから。皆そう思っている」
岩根がそういった。楓の言葉に皆が頷いている。今日の青山は調子が悪そうだ。
「仕事は私が引き継ぐよ。心配要らない」
「今日、休みだったのに」
「まぁねぇ、急に引っ張り出される日もあるわよ」
「悪い。今作業しているのは去年の今頃の高屋店のシーズンを分析中だ。年間分析はこれから。」
「了解。みどり店と小川店の分析は?」
「終わって校正中だ。小川店は校正が終わって完成している」
「うわ、師匠仕事早い」
楓が思わずそういった。経営分析のあれこれは青山に叩き込まれたので「師匠」と呼んでいる。最も、青山はこういったことを人に教えるのが上手な人物で「師匠」と呼ぶ門下生はまだまだいるが。
「小林ほどじゃないし」
「出来るところまで先に進めてます」
「頼むよ」
真っ青な顔ながら、青山はにやりと笑った。
「青山さんが早退するので本部長出勤までは、本部は私が預かります。岩根課長も藤堂課長も今日は出たり入ったり、ですよね?」
「ああ、俺はこれから外で打合せだ。ランチミーティングのあとは、2時には戻ってこられるな」
「島崎興産と泉建築設計の顔合わせですよね?藤堂課長は深山店のことで人事と総務スタッフと打合せ」
「ああ、相変らず優秀で困る」
「ありがとうございます」
「では行って来る、おあとよろしく」
岩根はそう言って自分の席に戻るとさっと出て行った。
パートの二人は仕事に戻り、楓は青山のPCから引継ぎデータをもらう。藤堂はコピーをとり始め、仕事にかかった。
「タクシー、あと10分ほどで来るそうです」
「了解です。師匠、行ける?」
「ああ、大丈夫だ」
青山は笑いながら、しかし手早く支度をする。
さりげなく藤堂が近寄ってきて早退する青山をサポートしていた。
「長野」
「はい」
「早くしなさい」
「意味わからないんですけどー」
「だから席を変えます、と言っている」
同時に、楓は「はぁぁ」と深呼吸する。
「よっし」
気合を入れて頭を切り替えた。
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