第7話

 長野が配属されて1か月。毎日新しいことを覚え、いろいろな店に巡回することが仕事になっている。同行する社員はその時々で違うし、店をどう見るかということは、それぞれの社員の視点で教えられるので、視点が違っているので戸惑うことも多い。だが、楓がレポートを見る限りこちらの意図はつかめている様子だった。

 週明け月曜日、長野が出勤してきた時にはほぼ営業統括本部のメンバーは揃っていて、楓はパートのおばちゃんたちと笑っていた。どうやら週末はどこかに出かけていたのか、お土産をもらったらしい。

「小林、高屋店で使う綿菓子機の準備はどうなっている?」

「レンタル業者の小出さんに手配して、前日に高屋店到着です。事前に試運転して、担当アルバイト君に練習させるそうです。だから水曜日午前に店舗着、木曜日からのイベントに間に合います」

「おう。小出さんトコっていうことは、他の業者でレンタルできなかったのか」

「そうです。メンテナンスとかお祭とかで。コストに問題はないし、小出さんのところでトラブル報告はないので、今のところマイナス要因はないです。県外というのが心配なだけで」

「そうなんだよな。小出さん実家に帰っちゃうし。もうちょっと近ければなぁ」

 藤堂課長がチェックリスト片手に確認に来ていた。20代で課長職にある楓は珍しいが、30代で本社の課長職にある藤堂も珍しい。

 各店店長や本社の課長職は30代もいるが、それでも数えるほどだ。それだけ優秀であるということだが。

 藤堂は店舗運営や商品開発を中心に手掛けている。要するに、企画イベントや、商品の売り上げを予測してどれだけ仕入れるのか、が仕事になる。今回は単発企画で高屋店限定で行われるイベントの確認だった。祭日の木曜日にイベントを行うので、子供用イベントとしてポップコーンと綿菓子を用意することにしている。ポップコーンは提携業者が行うので店側の準備は綿菓子機だけだ。

「レンタルなんですか?そういえば、他県に発注していましたよね?」

「長年のお付き合いがあるところでね。隣県だから店舗は遠いんだけど、今はほら、宅配業者を使うから距離はあんまり関係ないのよ。今回はそもそも事前に運び込む予定だからこっちで探したんだけど、県内業者に予約ができなくて結局小出さんに頼むことになっちゃって。コストも変わらないから、ゴーサイン出したの。問題は配送トラブルなだけで」

「でも、高屋は山間部にあるから店舗としては小さいけど、小さいお子さんたちが結構いるから綿菓子イベントはすごく喜ぶのよ」

 江崎がそう説明してくれた。

 高屋店は近年ベットタウンとして発展している街がフィールドになる。昔からある高屋店は店構えは他の店舗よりは小さいが、逆にもともと職人が多かった街なので職人需要のDIY道具などを揃えた、ちょっと異色の店作りをしている。そこを入り口にして、ベットタウンとして若い人たちが流入してからは店舗を拡張して若い人向けにも展開を進めている。今回は職人需要からファミリー向けに認知してほしいがための企画である。

「お、長野」

「あ。はいっ」

 出勤したばかりの長野が顔を上げる。

「やっと仕上がったか、この報告書」

 井上がニヤニヤしながら長野の報告書ファイルをひらひらさせた。あちこちの店舗を連れられて巡回しつつ、その報告書をこうしてファイルにしてあるのだ。勿論、一度しかいかなかった店もあれば何度か通った店もある。青山に連れられて行った事もあったし、井上と一緒だったこともあったが。

「これ踏まえて、来月までに店舗リサーチ書いてみろ。共通項でも良いし、店舗ごとでも良い。ミニレポートでよいから今思ったことをレポートしろ」

「あの、おっしゃる意味がわかりませんが」

「それを指導するのが小林だ。長野の予定はどうなっている?」

「良い機会なので高屋店のイベントを体験させようかと思っています。既に準備段階から手伝わせているので、一応の流れはわかっていると思いますが。あとは当日店に入って、店舗補助の経験を積ませる予定です」

「じゃぁ、木曜日出勤か?」

「ええ。あそこは私の同期が店長なんで、この際長野を任せてみようかと思いまして」

「え?小林さん来ないんですか?」

「私、井上本部長と岬店出張なのよ」

「あ、そうだったな。岬店の改装の話だ。忘れていたな」

「藤堂課長がむすっとしていますよ?」

 楓がくすくす笑った。井上と藤堂と三人で業者と会う約束をしているのだ。

「頼みますよ、本部長」

「月曜日の朝はこんなもんです」

 とはいっても、数分で仕事モードになるのだが。



 異変が起きたのは水曜日の午後のことだった。

「小林さん、今朝確認して欲しいって言われた綿菓子の機械の事なんですが、店長から電話が」

 江崎が顔面蒼白で電話片手で報告してきた。

「到着したって?」

「今朝の段階で、運送会社からは荷物集中で店舗到着が午後2時くらいになるって言われたそうです。で、高屋店の牧村店長から外線が5番に」

 時計をちらりと見ると午後3時を過ぎている。

「お疲れ様です、本部小林です」

 落ち着いた、いつもの声の楓。

『高屋の牧村です。至急本部の指示を仰ぎたくて』

「はい、どうしたの?」

『結論から言うと、綿菓子機が到着していない。運送会社で今追跡調査してもらっているが、荷受はしているが、こちらの営業所に荷物は届いていない、荷物自身が所在不明だといわれた』

「向こうの荷受はされているのね?」

『ああ、小出さん側の営業所から順番に調べてもらっている。で、荷物を発見しだいこっちに届けてくれるとは約束してくれたんだが…』

「わかった、本部長と相談してみる。とりあえず、担当のバイト君が練習できないのが困るよね?明日、時間より早く30分くらい?出勤できるかどうか確認してくれないかな」

『了解』

「進展があり次第、随時連絡する。心配しないでね」

『ああ、任せた』

 一度電話を切って顔をあげた。

「何だ、届いてないのか?」

 井上が顔を上げた。

「荷受は確認できました。その後、行方不明になってて」

 後ろの書類ボックスからファイルを取り出した。

「長野」

「はい」

「ここ、県内3ヶ所のレンタル業者に連絡して綿菓子機の空きがないか調べてくれる?空きがなくて今の業者にしたんだけど、キャンセルがあるかもしれないから。空きがあったら仮押さえして」

「はい」

 横から青山が手を出して長野と二人で電話をかけ始める。江崎も横から手を出して、一軒を担当した。

 一方で楓はそもそものレンタルを依頼した小出商店に連絡をする。小出は小出で運送会社に確認をしているといったが、楓の問題はそこではなかった。

 「機械の空きはあるのか」である。

 県内の業者が持っていたらそれはそれで話が早い。だが、事前の交渉でレンタル業者からはメンテナンスに出していたり、他の行事に出していたりで予約が取れないといわれていたのだ。小出はもともと県内の業者ではあったのだが、親の介護をきっかけに隣県の山間部に住まいを移し、宅配レンタルを売り物に稼いでいる。古くからの付き合いで融通も利きやすい。

 小出は機械自体はあると返事を返した。最も、運送手段がないので届けることは出来ないとも言った。運送会社は、今から特急便を使っても、距離があるから高屋店に到着するのは明日の午後になるという返事だったという。

 青山がすっとメモを差し出してきた。3件とも確保できないと。

「小出さん、申し訳ない、今日の夜9時とか、10時にそちらにお邪魔してよろしいですか?」

『ええ?小林さん?いや、それは大丈夫ですけど、まさか』

 井上がやり取りを目にしてくすりと笑った。

「向こうが大丈夫なら行って来い」

「ありがとうございます。小出さん、上司の許可が出たのでそちらに取りに伺います。ええっと、8時から10時の間にうかがえたらと思いますので、よろしくお願いします」

『わかりました、お待ちしております。お気をつけていらして下さい』

「では後ほど」

 そこで電話を切った。

「綿菓子機、確保できました」

「え、先輩すうごい、で、運送会社はいつ届けてくれるんですか?」

「高速2時間半、ここから30分と、高速降りてから小出さんとこまで1時間か、くらい?片道5時間あればナントカなるでしょ。と、いうわけで本部長、明日は藤堂課長とお二人でお願いします」

「そうだな。高屋で立ち上げを見届けてくれ。藤堂に引継ぎは?」

「情報は共有しているのでほぼないですね」

 横から割り入ったのは藤堂だった。

「無茶はするなよ」

「最悪は高屋の駐車場でお泊りですよ。不審者ですねぇ」

 藤堂にそう答えた。

「車、大丈夫か?俺のに乗っていくか?」

 藤堂が差し出したのは、自分の車の鍵だった。

「今日は代車だったろ?」

「大丈夫、兄貴のとっておきをふんだくってきたから」

「まさか」

「愛しの86をふんだくったので大丈夫ですよ」

「えっ?ハチロク?」

「じゃんけんに勝ったので今日はハチロクです」

「いいなぁ」

 青山が心底うらやましそうにそういった。

「そうだ、俺の車もそろそろ点検だったな。連絡しなきゃ、だな」

「またお願いします」

 井上にそう答えて頭を下げた。

「こっちが問題ないならすぐに出ろ」

「ありがとうございます。牧村に連絡したらすぐに出ます」

「いい、牧村には俺から連絡する。運送会社との事もあるからな」

 井上がそう言って楓を遮った。

「では、お願いします」

「あのぉ、私も行っちゃだめですか?」

「断る。本気で飛ばすから隣できゃぁきゃぁ言われたらかなわない」

「はい?」

「こっちに戻ってくるのは夜中だよ?事故渋にハマったら家に帰っている暇はないから車中泊で高屋店に出勤になる」

「私だって運転できますし」

「有難く断ります。気を悪くしないでね、今日の車はレース仕様に足元固めているから、乗り心地は最悪だと思うよ。つまり、酔って逆に足手まといになるって話」

「大丈夫です。私酔いませんから」

「長野、お前は小林が抜けた分、終業業務をしろ。その方が楽だぞ」

「え?えええ?」

 井上がにやりと笑った。

「確かにそうだな。本気で運転しそうで怖い」

「本気で運転しますよ」

 藤堂のこぼした一言に、楓がふわりと笑ってそう答えた。

 藤堂がくすくす笑いながら楓から引継ぎファイルを受け取った。

「ポップコーンの業者への確認は?」

「朝の段階で牧村が確認を取っています、予定に変更はなし、会場の確認も済んでいます。機械設置は今日の夕方、機械そのものは昨日の段階で届いていて、今日試運転して問題なし」

「了解」

 楓はすぐに抱えている仕事を片付ける。

「小林」

 井上が手を差し出した。代わりに、業務用のノートを井上に差し出す。井上は一瞥して問題がないことを確認すると頷いてそれを返した。

「明日は2時間ほど、設営から開店直後まで手助けをしたら上がって良いぞ」

「ありがとうございます。では行ってきます」

 楓は一礼して本部を出て行った。

「片道4時間とはいってたけど、多分短縮するよ」

 自信たっぷりにそう言った青山に、井上がそうだな、と同意する。

「え?」

「8時とか9時まで向こうは待っていてくれるんだよ?だったら、出来るだけ早く到着して向こうの負担を軽くしようと思うのが普通じゃないのか?」

 ヨイショと、井上が立ち上がる。

「ちょっとコーヒー飲んでくる」

「小林さんの最近のお気に入りは新発売のカフェラテですよ」

 青山がくすくす笑いながら井上にそう教えた。本社通用口横のベンダーにはそのカフェラテが入っており、駐車場から車を出すなら通用口の横を必ず通るからだ。井上が足を向けたのも通用口のほうだったからだ。

「俺も小林も優秀な部下を持って幸せだな」

 井上は上機嫌で通用口に向かった。

 やがて、暫くしてどるん、という重低音のエンジン音のほかにファン、と特徴あるフェラーリフォーンクラクションの音が本部まで届いた。コーヒーの差し入れを手に見送った井上への、お礼のフォーンクラクションだった。



 渋滞がなければ、本社から高速の入り口まで30分。高速を2時間半、高速を降りてから1時間あまりの道程を、渋滞で時間をロスする場合は裏道を駆使して予定通りおよそ4時間で走りきり、小出商店で無事に商品を受け取った。

 商品を受け取った段階で会社に連絡する。残っていたのは別件で仕事をしていた青山で、8時になるかならないかという時間に連絡があったことに驚いていた。同じく、残業していた藤堂も井上も驚いていたのは言うまでもない。

 帰りは、サービスエリアに寄って晩御飯を食べ、適度に休憩をとりながら夜中1時前に自宅に戻ってきた。

 いつもの調子でドアを開けると、リビングに小さな明かりがついていた。

「?」

 家族用のアパートで、LDKのほかに部屋は二部屋ある。一部屋は使っていないが、もう一部屋は楓の寝室になっている。

 リビングには「来ている」ことを示すように、明日の着替えが掛けられていた。なのに車がなかったな、と思ったが、よく考えれば来客者用のスペースに見慣れた社用車がとまっていたことに気が付いた。

「あー、明日は8時に高屋店だから5時起き?」

 足音を忍ばせて寝室に入ると、恋人が寝起きの顔できょろきょろしていた。

「おう、お帰り」

「ただいま。シャワー浴びてくる。寝てて良いよ」

「ああ、うん」

 ごそごそと起き出した藤堂がまずは当たり前のように楓に抱き着いた。着替えとパジャマを取りに来た楓が固まる。

「トイレ行ってこよう」

 そのまま、藤堂はトイレに行き、楓はバスルームに入った。

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