第4話


「え?」

「僕後ろね」

 嬉々として野田は後ろに座る。

「長野さんも差し支えなければ後ろに乗れば?楽しいよ」

「ええええええ?」

 楓の顔と名前と車が一致しないと言いたいばかりに長野は楓を振り返った。研修中、仕事ができる女性として密かに囁かれていた女性は、私服もフェミニンな、年相応に大人びた「女性らしい」人だった。

 しかし、車は明らかに「イカツイ」というか、「走り屋」っぽいスタンスである。しかもそれは母親が乗っていた車だと言った。どう見てもタイヤもホイールも走り屋仕様にドレスアップされていて、お世辞にも女性の車とは言い難い。車に全く興味がない長野ですら「走り屋」とわかるほどのホイールというのだが、一方でオシャレなのは確かである。シンプルだが男性的にブラッシュアップされていてスタイリッシュさが出ている。車のラインが甘いから、全体的に引き締まった印象は受けるがだからといって「隣には並びたくはない」と思ってしまった。

 ピカピカに磨かれたメッシュホイールに、安定感のある太いタイヤ。粋がって暴走するような暴走族の車とは違うが、「走り屋だからね」というアピールを忘れない、あくまで「ノーマル」な主張。

「運転は保証する。ホント、コイツの運転も車も最高なんだよな」

「ありがとうございます。兄貴が喜びます」

 長野はおそるおそる後部座席に座った。車内は普通の車と同じで清掃が行き届いていて、ごくごく軽いマリンノートの芳香剤の香りがした。

「さてっと」

 野田は当たり前のように仕事を始めた。楓は車の周りを一周してから乗り込み、サングラスをかけて携帯電話にハンズフリーマイクを接続してからエンジンをかけた。

 どるん、と低く唸ったエンジン音に楓は一人にやりと笑って車を発進させた。

 その横顔は、仕事中と違って楽しそうだ。

「そう言えば、最近はずっとこれだよね」

「そうなんですよ。母親がいろいろな車に乗りたがるようになって、兄貴や私の車が犠牲になっていますよ。ま、本当に運転させたくない車は鍵を渡していないですけど」

 車は思った以上に静かで、そして楓の運転はとても落ち着いている。会社を出てすぐに国道に向かう側道に入り、信号待ち渋滞に入る。無理やり割り込むこともなければ、急発進や急停車もなく、その運転はスムースだ。地方とはいえ、大動脈である国道はかなり込んでいて渋滞している。マナーが悪い車もいるが、楓は落ち着いて相手にしていないし、目もくれない。車の見た目と、安定感のある運転がまたギャップを呼ぶ。

「BGM、何かセレクトしますか?」

 国道に入って、外の音がうるさくなり始めた頃になって楓はそう声をかけた。

「仕事をしているから静かな曲が良い」

「ではっと」

 音量を絞って流れてきたのはカフェでよく聞くボサノヴァである。

「本当に、君の車はハイヤー並みだね。見かけはバリバリの硬派なのに」

「バリバリのロックもありますよ。ウーハーを積んでいないので重低音は楽しめませんが。運転にご要望とあらばサーキット並みに運転しますが、ここ、一般道ですからね。サーキットに行くまで待ってください」

 これには野田がくすくす笑った。

「そう言って本当にやっちゃうからね、君は」

「趣味ですからね」

「え?サーキットで走るんですか?」

「県内初の女性トップレーサーだった。今は引退してレースには出ていないけど、君の事だ、ライセンスは保持しているんだろう?」

「裏方仕事するのに必要なのでライセンスは保持していますが、趣味の域ですよ、あくまで」

「趣味って…」

「実家が車屋さんだからね」

 楓はくすくす笑いながらそう言った。

「今は店舗をマネジメントする方が楽しいわ」

 信じられない、と長野は目を見張った。



 道中、問題なく中原店に到着し、三人は店長にあいさつした後、野田は採用されたアルバイトの人間と人事面接を始めた。今日は人事面接のほかに、採用希望者との面接もあるらしい。時間を置いて三人と面接すると言っていた。

 楓は手順通りに店の外観を巡回し、続いて店内巡回、バックヤードを巡回する。長野はその後ろをくっついて歩きながらきょろきょろしている。

 週末にむけて商品が搬入されているが、検品するのが精いっぱいで商品が搬入口の外側に山積みになっていた。それを捌いて、屋内のバックヤードに入れているのはアルバイトの従業員で一人黙々と仕事をしていた。

 お昼時は店舗スタッフは交代で昼食をとる。その間、店は開店しているから優先されるのはレジやサービスカウンターで、バックヤードの仕事は手薄になる。ここに二人しかいないのも頷ける。

「宮さん」

 検品作業中のアルバイトで、楓が知っている人物に声をかける。今バックヤードで仕事をしているのはこの女性と、荷物を捌いている男性アルバイトだった。

「はい、何でしょうか?」

「あと何便来るの?」

「多分2便くらいですか」

「そうか。うん、長野、手伝って」

 検品スペースにある共有の軍手をぽいっと長野に渡すと、楓は何も言わずに男性アルバイトのところに行く。

「ごめんね、店の勝手がわからないから指示くれる?商品は部門ごとに分けているの?それとも箱積み優先?中に入れるのに、順番てある?」

「え?あの、はい、部門で分けてて、家庭用品が一番右です。箱積みが手前、バラが奥です。この後来るのはハコ物ばっかりなので、バラ物はどんどん奥に」

「こっちの箱モノは…DIYか。機械類はどこ?」

「左の奥です」

「長野、家庭用品のバラ物を右奥のバックヤードに入れてくれる?」

「家庭用品って何ですか?」

「石鹸、シャンプー、紙製品、家庭で使う日用雑貨の類。わからなかったら聞く」

「はーい」

 長野に日用雑貨のバラ物(袋に入っているもの)を任せると、ケース単位で届いているDIYの箱モノを台車に乗せ、所定の棚に種類ごと、商品ごとに分類して整理する。

「あ、いいなぁ、箱モノが運びやすそう」

「持てるなら代わっても良いわよ」

 楓が台車に乗せたのは店に直接出すセメント袋が入った箱だ。それを見たとたん、長野が顔をひきつらせた。セメントは重いのだ。

 だが、楓は慣れた様子でテキパキ箱を片付け、今度は家庭用品のティッシュケースの箱モノに手をつける。

「うぉっ。小林?いつきたの?」

「ちょっと前」

 笑顔で迎えてくれたのは中年の男だ。昼休憩が終わったので戻ってきたらしい。

「塚ちゃん、ご苦労さん、お昼に行って良いよ」

「はいっす。あ、でも今日は午後から雨なんで、このトイレットペーパー早く片付けたいんでもう少しだけ、いいですか?折角本社の人が来てスペース空けてくれたから…」

 そう答えたのは、先ほどまで一人黙々と搬入口の整理をしていたアルバイトの男だ。

「15分だけだ。それ以上はダメだぞ」

「あー。ごめんね。長野、終わった?」

「えええ?まだですぅ」

 と、袋物を持て余しているのは長野である。中年の男は片眉をあげた。

「小林?」

「ええええ?初日なんですぅ。許してくださぁい、ありかわせんぱぁい」

 楓がわざと長野の口真似をしながら、がっつりティッシュペーパーが入ったダンボールを移動させた。これがなかなか、意外と重いのだ。口は完全ぶりっ子モードだが、身体はガッツリ肉体労働系の動きである。

「は?」

「現場を全く知らないお嬢ちゃんですからね、これで仕事が出来ればOKだけど、出来なけりゃ、クビです。脱皮してくれれば万々歳」

 そう答えながらまた一つ、積み上げる。とにかくこのティッシュペーパーの箱をバックヤードの奥に収納して、トイレットペーパーの箱を屋根のある中に入れることの方が先だ。空模様はかなり怪しい。

 口調はのんびりだが、手は早い。アルバイトの「塚ちゃん」と呼ばれた男もベテラン社員の有川も仕事が速いが、楓はそのペースについていけるくらいだ。肉体的にスピードは劣るが、手順的にはそん色なくたちまちバックヤードにスペースを作る。

「おっし、スペースできた」

「有川さん、エクステリアの商品中に入れますね。代わりにミッチーをバックヤードに…誰ですか?」

 店舗から戻って来たスタッフの男が指示をもらいにやって来る。

「本社の俺の後輩の小林。ミッチーが来てくれたら助かる。塚ちゃん、お昼休憩行って」

「そうそう、お疲れさん」

 今度はトイレットペーパーの箱に着手している楓と有川の二人。「塚ちゃん」が昼休憩に行き、代わりにミッチーと呼ばれた新入社員がやってくる。

「うわぁ、道本君久しぶりぃー」

 態度が変わったのは長野である。

「お、長野?とと、小林さんですよね、営業統括本部の。お久しぶりです、その節はお世話になりました」

 道本はぺこりと頭を下げた。

「お疲れ。有川さんに絞られているんだって?毎日」

「はい、その通りです。自分なんてまだまだで」

 そう言いながら周囲を見渡し、トイレットペーパーの箱に手をかけた。

「そうなの?店長は有望な新人が入ったって褒めていたわよ」

 そう言いながら三人で作業に取り掛かる。道本は「塚ちゃん」ほどのスピードはないが、てきぱき動いている。

「有川さんの評価は辛いから気にすることないわよ」

「何だって?俺をオニ呼ばわりするのか?」

「私の評価じゃなくて井上本部長の評価ですからね」

 雑談しながらも、仕事はしている。

「小林せんぱぁい」

「終わった?」

「重くてもてないでぇす」

「バラなんだから分割しちゃえば良いでしょ?プラコンに入れるわけだし」

 生活用品の在庫は最低限の数しか持たない、がホームセンターの鉄則である。在庫として保有するのは売れ筋商品が中心で、箱買いしてゆく客のために数種類しか保持しないのが基本だ。それも、「売れ筋の」という条件が付く。バックヤードは一時的保管であって、ストックヤードではないのだ。

「あ、そっかぁ」

「…小林…」

「すみませんね、まだ初日なんで加減がわからないんですわ」

「じゃぁ、現場が怒って叩き出すって言ったら?」

「その前にワタシが叩き出します」

 有川に即答した。

「長野は営業統括本部預かりです。まずは見て仕事を覚えて指図されて仕事を覚えての話です。現場にしゃしゃり出てご迷惑をおかけするようであればそれは私の監督不行き届き、当然叩き出します。ご理解ご協力下さい」

 楓はそう言って有川に頭を下げた。

「心得てるなら良い」

「え?彼女は認められて営業統括に行ったんじゃないんですか?」

「道本は優秀だから教えておく。ウチの営業統括本部に新人が配属されることはまずない。過去、例外が何件かあったのは認めるけれど、それは本人に他の新人とは違う特技があったりとか、飛びぬけて営業統括に行きたいと言う熱意があったからだよ。だから、例外で配属されても仕事が出来ないと1ヶ月で店舗に再配属された人もいたし、それをばねにしてまた統括に返り咲いた人もいた。新人が仕事をするのは不向きな、厳しい職場だって事。ベテランでも難しいがな」

 仕事をしながら有川がそう教えた。

「じゃぁ…長野は…」

「本部長預かりでワタシが教育係やってるの。意味、わかるね?」

 道本の頭に、入社時研修の長野の姿が浮かぶ。店舗研修でも事務研修でもぱっとしない人物だった。それよりも社会人としての自覚がなかった。だから印象に残っている人物で、皆で店舗配属は無理だろうねと話していた。実際、配属希望の面談では本部の総務や人事部署を希望したと聞いている。なのに、花形部署というか、人気部署の営業統括に配属されることに疑問が浮かぶ。

「補足しておくとだな、小林の研修は定評があるんだ。本人が激務だからよほどのことじゃない限り研修として引き取らないが、手元において育てられた人物は2種類に分類される。心を入れ替えてきちんと勤め上げるか、会社を辞めるかのどっちかだ。会社としては、最後のチャンスを見極めようとしているだけだ」

 有川は補足するようにそう説明した。実際、有川としては道本をじっくり鍛えれば営業統括も夢ではないだろうと思っているが。

「モノはいいようですよね」

 だが、ある意味納得している。どうしてこんな人物が入社してきたのかと言う疑問でしかないほどの女性だったからだ。何か理由があるのか、何か特筆すべきことがあるのか。まぁ、どっちかというと「最後通牒」なのか、と思うが。

「よっし、終わった」

 箱がなくなったことで搬入口が少しだけ広くなる。次に取り掛かったのは搬入され、検品された商品を店舗に出すことである。店舗に出せば、別のアルバイトたちが商品陳列を担当してくれているのだ。検品済み商品を部門ごとに分けて台車に乗せる。

「うわっ、はやっ」

 業務用の台車3台にてきぱきと詰め込んで、道本が店舗に出してゆく。

「いやぁぁん、ネイルが割れちゃったし、はげちゃったぁ」

 雑談もなく、掛け声と指示の声が交わされる中静寂を破ったのは、そんな間の抜けた長野葉子の声だった。

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