第30話 ナガミチの覚悟 上

 目の前には、髪を少し右あたりから6、4分けにして、毛先をすいて耳の上の高さで整え、裾を短めに刈り上げている、ツーブロックヘアーで仕上げた頭の160センチほどしかない男が、腕組みをして冷ややかな視線を向けている。


 アサトが手にしている木刀の先は、その男を指していた。


 模擬訓練とは言え、この状況は…なんであろう。

 その男が、そこにただ立っているだけで、なぜか体が動かない…。

 木刀の間合いに入っているが、その男の存在になぜか体が動かなかった。

 恐怖とは言えない…、でも、怖い…訳でもない…、じゃぁ…、なぜ?動けない…のか。


 ふっと、男が腕組みを外したと思った瞬間、いつの間にか懐に入っていた、と言うか、腕組みを外してこちらに向かって踏み出し、そして、身を屈めながら懐に入ってくるのは見えていた、男のサラサラな髪がふわりと浮き、ツーブロック特徴のサイドが短くなっているのも分かった。


 なんだろう…、何なんだ…


 男は懐に入るとしゃがみ込んだ、と思った瞬間。

 浮いた…そして…視線がゆっくりと傾き始めると、地面に倒された衝撃が走る。

 慌てて仰向けになると、男が腕組みをして冷ややかな視線で見降ろしていた。

 「…こいつ、殺していいか?」


 この人の目は、本気だ。


 「勘弁してくれ」…と足元の方、の…向こうから声がしてきた。

 その声に男の気配が去る、それを感じながらゆっくり立ち上がると、2メートルほど離れた場所に、腕組みをして冷ややかな視線を送って男は立っていた。


 わかっては……いるけど…。


 そう思いながら、再び、120センチある木刀の先を男に向ける。


 これで…何回目だろう…。

 昼過ぎから、同じ状況を何度も、何度も繰り返している。

 わかっては……いるけど…

 懐に飛び込まれ、そして、足を払われて転ぶ…。

 その一連の動作はわかっているけど、うまく動けない、かわせない…。

 なぜ…と思った瞬間、また懐に男が入って来た、そして、

 「」と言って、身を屈め、「」と言って、足払いをする。


 その足は見事に左足の下腿かたいを払うと、そのまま少し出している右足の下腿かたいをも払い、目の前の風景が横になり始める。


 そして…宙を舞う…。


 草の小さな弾力と土の固さを左肩で感じた時には、地面に倒れた衝撃がわかり、とっさに起き上がろうとして、体を起こそうと仰向けになった時に、ゾクッとした殺気を感じた。

 上を見ると、また、冷ややかな視線で見つめながらまたがれていた。

 「


 この人…怖い…。


 「アル…もうそれくらいにしてやれ…」と聞きなれた声が近づいてきた。

 男は、冷ややかな目をゆっくりと閉じると、その場から離れて足元の先に進んでいく。

 横になりながらその後ろ姿をみていると、大きく白い手が差し伸べられてきた、その手をがっちりと掴み立ち上がる。

 声の主はインシュアだった、そして、今去って行ったのは、アルベルト、通称アルであった。


 彼に初めて会った討伐戦の夕暮れの時のアルは、髪がだいぶ長かったが、今はさっぱりとした髪形である、いや、髪形はどうでもいい。

 あの時にあった彼に異様なオーラを感じていた、物の言い方も少しきつかった、いや、きついのではなく、どことなくクールに、第三者的な目線で物事を見ている…と言うか、見透かしているような感じであった。

 真にクール…冷静なのか、それとも…人とは違う、何かを持っているのか…いずれにしろ只者ではない雰囲気がしていた。


 そういえば…。もう3日も狩りには出ていない。

 初めて狩りに行った次の日から、牧場で修行をしていた。

 それも、その日の朝に突然ナガミチが、「もう一つステップアップをする」と言い、いつも基礎トレーニングをしている、この牧場へと来たのだ。


 その日のナガミチは、前日の辛いような状況が嘘のように、非常に元気が良く、たまに冗談をも言うくらいに元気があり溢れていた。

 朝の6時の鐘が鳴る前から、精力的に指導に入った。

 その指導は初めてと思えるほど、じっくりと時間をかけて丁寧に身振り手振り、そして、一緒に動きながら指導した。


 刀を頭上に振り上げる構え方。『上段の構え』。

 刀の剣先を水平より少し下げた構え方。『下段の構え』。

 刀を立てて右手側に寄せ、左足を前に出して構える構え方。『八双の構え』。

 右足を引き、体を右斜めに向け、刀を右脇に取り、剣先を後ろに下げた構え方。『脇構』。

 この構えらと中段の構え…〖〗をしっかりと教えると、座った状態で鞘から刀剣を抜き放ち、さらに納刀に至るまでをも含めた技術、を教える。

 まずは〖〗を体に叩きこむ。


 戦闘において、この五行の構えは言わば基本。中段の構えを本基本と考え、あらゆる場所、あらゆる状況で、構えの選択肢を増やす目的のようであったが、もっと、何か深い意味がありそうだった。


 居合は、言わば精神統一の目的であるようであった。

 覚えておいて損はないとの事だったが、基本的に戦闘より訓練の延長で良いようであった。


 次に剣技を教わる。

 つばを親指で押す事により「はばき」を外し、鞘より刀を抜くための動作、「」は前に教えてもらったが、この鯉口を切るにも、相手に悟られぬようにつばを押す「」と、人指し指をつばに置いたまま親指でつばを押す「」、そして相手に向って、いわゆる「斬るぞっ」と伝えるために押す「」、三通りの「鯉口を切る」があるとの事で方法も追加で教わった。


 斬りの剣技。

 肩にかけた袈裟衣のように斜めに振り下ろす剣技、『袈裟斬けさぎり』または。『袈裟懸けさがけ』。

 『袈裟切えさきり』または、『裟懸けさがけ』とは反対に、下から斜めに斬り上げる「逆袈裟懸ぎゃくけさがけ」。


 斬り合いにおいて双方の刃が切り結び、そしてそのまま互いのつばつばで押し合った状態、力がぶつかり合った様、「つば競り合い』または、『つば迫り合い」の方法と対処方。


 そして、捨て身の剣技『突き』。

 敵の急所を狙い、直線的に刃を繰り出すのが、『突き』である。だが、この突きを放った後、電光石火でんこうせっか早業はやわざで『』ことが出来るならば、と言えるが、突いた剣を引く瞬間が無防備となり、敵の剣を受ける危険がある。言わば捨て身の剣技。


 これも教えた。


 一通りの指導が終わると、鞘から抜くところから構え、そして、斬る、鞘に仕舞う。の一連の行動を何通りも行う。

 教えられた鞘抜きの剣技から構え、攻撃の剣技、鞘へ仕舞うの動作は、組み合わせ次第では無限にあるように感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る