第13話【最後の別れ】


 二人で、手を繋いだまま、砂浜をゆっくりと歩いた。思い出の桟橋に向かって。

 僕の右手には、君の左手。守れなかった大切な人の、左手。


「……ほんとに、いいの?」


 君が静かな声で聞く。


 しかたないよ。断って許されるようなものでもないだろうし。……それより、君の意見も聞かずに決めちゃって、ごめん。


「ううん。私も、同じ考えだよ」


 桟橋が近付いてきた。あの爆撃の雨の中、この橋が原型を留めているのが、奇跡のように思える。

 いや、この橋が残っていたからこそ、僕たちも残されたのかも……しれない。


「久しぶり……なのかな。ここに来るの……」


 君が桟橋の板に足をかけながら呟いた。


 ……ついこの前な気もするけど、もしかしたら何十年、何百年も前なのかもしれないね。


「うん……」


 二人で手を繋いで、ゆっくりと桟橋を歩いた。

 君は僕の恋人だった。誰よりも何よりも、大切な存在だった。

 それでも世界は、人類は、終末に向かって突き進んでいた。

 誰も望んでいないのに、皆疲れ果てているのに、幾重にも連なりいつの間にか世界を飲み込んでいた憎しみの連鎖を、断ち切れなくなっていた。


 桟橋の終端は、さすがにボロボロに破壊され、かつては海への転落を防止する手すりの一部だった棒が数本、立っているだけだった。


「ここ、恋人の聖地なんだって。夕日を見ながら二人で鍵をかけると、永遠に結ばれるんだってさ!」


 かつて生前の君が、近くの出店で買った南京錠を僕に見せながら、そう楽しそうに話していた。


「そういうのってよくあるけど、ほんとにそんな効力があったら逆に怖いよな」


 僕がからかうと、君は頬を膨らませる。


「もーう、分かってないなー。大事なのは物じゃなくて、気持ちだよ。ずっと一緒にいたいっていうさ。それを確かめ合う儀式みたいなもんなの!」

「ははっ、分かったよ、やろう。ずっと一緒にいたいって気持ちは、間違いないし」


 僕たちは、本気で信じている訳でもないそのありがちな伝説に乗って、笑いながら二人の名前をサインペンで鍵に書いた。手を繋いで桟橋を歩き、繋いでいない方のお互いの手で、この手すりに施錠した。燃えるような色の海と、沈みゆく太陽を眺めながら。


 あの時と同じような大きな夕日が、空と海を紅く染めている。それは僕が最期に見た地獄のような赤とは違う、美しく澄んだ緋色だった。

 残された手すりには、錆びついてすっかり赤茶色になった南京錠が、静かに繋がれている。風雨に晒されて名前は消えてしまっているけど、紛れも無く、僕たちが掛けた鍵だと、確信できた。


「お疲れ様……。もう、いいんだよ……」


 君が右手で優しく鍵に触れると、それは役目を終えたようにサラサラと崩れ、海風に乗って遠くの空に流れて行った。


「これで……本当にお別れなのかな」


 君が寂しそうな声で言った。たまらなく胸が苦しくなる。繋いだ右手を少し強く握って、僕は答える。


 ……大事なのは物じゃなくて、気持ちなんだろ? 鍵なんてなくても、ずっと一緒にいたいって気持ちは、疑いようもなく、ここにあるから。だから、信じよう。


「うん……信じてる」


 君も僕の手を強く握り返して、答えた。


 太陽が燃えながらゆっくりと沈み、緑の閃光を放って海に消えて行った。

 上空から、先程の天使が舞い降りて、両手を僕たちに差し出して言った。


『時間です』


 僕たちは、手を繋いだまま一度向き合って頷くと、繋いでいない方のそれぞれの手で、天使の輝く掌に触れ、目を閉じた。


 僕の右手には、君の左手。この温もりを、絶対に忘れない。

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