第9話【約束の虹】
二人で、足元の水を蹴飛ばして笑いながら、ゆっくりと歩いた。
僕の右手には、君の左手が握られていて、それは優しく柔らかく暖かい。
僕を縛り続けていた不安と畏れが解消し、晴々とした心持だった。この自由で優しくて綺麗な世界に、君と手を繋いでいられる事が、まるで自分が楽園にいるかのように思わせた。
世界に何が起きたのか、自分がどのような存在なのか、それは相変わらず分からないけれど、そんな事は些細な問題で、考える価値もないと思える程、ここは美しく満ち足りている。
「海ってなんかテンション上がるよねぇ。私、泳ぐの好きでも得意でもないのに、車とか電車に乗ってて海が見えてくると興奮した覚えがあるよ」
君が、水を含んで重くなった靴をパシャパシャと踏み鳴らしながら言った。
うん、分かるよ。海だーって叫びたくなるよね。
「そうそう。ふふっ、砂浜に着いたら叫んじゃおう。どうせ誰もいないだろうし」
どうせ誰もいない――。その言葉にふと寂寥を感じて、ちらりと君の表情を伺ったけど、爽やかに笑っていた。
「貸切みたいなものだよね。いっそ私たちのプライベートビーチにしちゃおうか。ふふっ、なんかセレブ気分だね」
もう世界中の全ての地表が僕たちのプライベートビーチみたいなものじゃないかな。
「あははっ、それもうビーチじゃないってー」
君が笑いながら足元の水を蹴り上げた。それはクリスタルのように煌めきながら辺りに散らばり、無数の波紋になって僕たちの足元を彩った。
「わあ、綺麗!」
空中に残った細かな水しぶきが、太陽の光を反射して、一瞬だけど七色に輝いたのが見えた。
それを見て、ふと、こんな言葉を思い出す。
虹は神様の約束のしるし
人類の愚かさを見かねた神様が、善良な生命だけを箱舟に乗せ、大いなる洪水で箱舟以外の全てを洗い流した。浄化の雨が止んだ後、もう二度と洪水を起こさない約束の証として、神様は空に虹を掛けた。
まさかとは思いながら、それとなく空を見上げてみたけれど、そこには虹なんてない鮮やかな青空が広がるだけだった。
そんな僕を見て君が聞く。
「どうしたの? 空なんて見上げて」
ん、いや。何でもないよ。綺麗な空だなーって思ってさ。
「あはは、なにそれ、今さらー?」
気に入ったのか、君は楽しそうに笑いながら何度も水を蹴り上げた。その度に、小さな虹の欠片が君の足元を飾った。
このちっぽけですぐ消えてしまう虹に、そんな大それた意味はないだろう。あるとしたら、僕が心の中で勝手に約束した事くらいだろうか。
繋いだこの手を、離さない、と。
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