第7話【すれ違う温もり】


 二人で、錆び付いた鉄道のレールの上を歩いた。

 楽しく行こう。昨日の夜にそう約束した僕たちは、まるで遠足に来た子供のように陽気に歩いた。朧げな記憶から引っ張り出した適当なメロディーで、鼻歌なんて歌いながら。

 人間の心なんて曖昧で不確定なものだから、少し心がけるだけで本当に楽しくなってくるものだ。僕の前で、君が楽しそうに歩いている。ただそれだけで、世界はどこまでも優しく輝いた。

 僕の数歩前を、よくわからないフレーズを口ずさみながら歩いていた君が、突然驚いたような声をあげた。


「ああっ! 見て見て!」


 僕の方を向いて楽しそうに指差す先を見ると、僕は鮮やかな感動に目を見開いた。

 青い空と白い雲を写す地面に張った水鏡。遠くで静かに優しく佇む緑の木々。その隙間の遥か先に僅かに見える、空よりも少しだけ濃い青。それは波立っているのか微かな白を漂わせている。


 海……だ……。


「うん! 海だね! 海だ海だ!」


 君が嬉しそうにはしゃいだ。僕も、胸の鼓動の高鳴りに自分が興奮している事に気付く。


「ねえねえ!」


 輝くような笑顔で君が、僕の方を向いて言った。


 え……? なに?


「行きたい! 行こう!」


 ええっ、海に? でもあっちまでレールはないよ。


「いいじゃん。降りて行こうよ!」


 でも靴が濡れるとさ――


 僕が言い終わる前に、君は小さくジャンプしてレールから飛び降りた。バシャッという音をたてて足元から広がった水しぶきは、その全てが空と雲と太陽を含んでキラキラと輝き、天使の光の輪のようにも、自由を掴む翼のようにも見えた。

 君は僕の前に立ち、満面の笑顔で告げる。


「そんな事気にしないよ。私たちは、何からも自由なんだから。ホラっ」


 そう言って君は、僕に右手を差し出した。

 途端に感動は霧散し、胸がズキズキと痛みだす。


 その手は淡雪の様に綺麗なのに。春の日差しの様に優しいのに。

 でも僕は、その手を掴めない。きっと、すり抜けてしまう。

 君が目の前にいる今、もう適当な嘘で誤魔化せもしない。

 君は手を出したまま、少し首を傾げて不思議そうな目で僕を見上げている。

 動かなくては。震える手をゆっくりと近付ける。

 それを見て君は優しく微笑む。胸が痛い。


 君はその手を動かし、僕の手を掴もうとした……けど、その手は何の感触も温もりも残さないまま、


 僕の手を通り過ぎた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る