母の手

@sonzoku

母の手


 物心ついたときから、母の手は恐怖の対象だった。

 母はいつも私をぶった。右の手のひらで思い切り、私の左の頬をぶつのが母のやり方だった。

 私はぶたれると泣き喚いた。感情を爆発させるように、泣き叫んだ。

 母はそれでますます苛立ちを掻き立てられるのか、「うるさい」と声を張り上げながら、またぶつのだった。「泣き止まなければ、もっと強くぶつからね!」と、無理難題を押しつけるときもあった。

 そんなとき私は、両手で自分の口をおさえ、漏れ出る嗚咽を必死にのどの奥に飲み込む。しゃくり上げながら、床にうずくまってからだ全体で声を押し殺した。

 鼻の奥を突く鋭い痛みに気づいてわずかに顔を浮かせると、両掌が涙と鼻血で汚れてぬるぬるしていた。私はまた激しく泣いた。


 私は生まれたときから体が弱く、よく母の手を煩わせた。さらに癇癪もちで、情緒が少し不安定なところがあった。

 それが神経質な母を余計に苛立たせるのだろう。母は、私が急に不安になって泣き出すたびに、自分も発作でも起こしたように怒鳴り散らした。そして目の前に手が飛んでくるのである。その間私はただ俯いて、母の巻き起こす嵐をやり過ごすしかなかった。床の染みや木目を数えたりして、気を紛らわそうとした。

 私は、母が「ぶつよ」というと、条件反射的に身がすくみ、硬直して動けなくなった。母が私を従えるにはその一言だけでよかった。しかし、それでも母はぶった。私は母の前に跪き、「ごめんなさい。ゆるしてください」と懇願しなければならなかった。


 私は母の目も恐れた。苛立ちで歪んだ母の顔、とくに私を蔑むように睨み据えてくるその目を、私は見ることができなかった。母の話を聞くときは、いつも俯いていた。

 以来、私は人の目を見て会話することができなくなった。幼稚園から小学校にあがり、友達ができていっても、誰一人とも目を合わせることができなかった。目を見ると、母を前にしたようで言葉が出ないのである。また、眼つきからその人の感情が垣間見えてしまい、それが母と同じものでないか確かめるのが怖かったのである。


 私はいつも母の機嫌をうかがいながら成長した。家にいるときは、母に対し神経を張りつめていた。常に母の声に耳をそばだて、母の動きを肌で追った。

 母はそれを知ってか知らずか、隣の台所にいて、居間の私にぎりぎり聞こえるような小声で私を罵るときがあった。それを聞くと私は縮みあがり、神経をすり減らした。

 でも、耳をふさぐことはできなかった。耳をふさいでしまうと、私の頭の中で母の呪詛のような言葉が妄想となって膨れ上がり、ぐるぐると渦巻くのだ。

 私は緊張で寒気をおぼえながら、母の口から吐き出される低い呟きを聞き取らなければならなかった。


 そんな母でも、ときには機嫌のいいときがあった。吊上げた眉根を下げ、目尻をゆるめて、お菓子を買ってくれたりおやつをご馳走してくれたりした。

 しかし私には、そんな母の態度が薄気味悪かった。何か魂胆があるのではないかと勘繰ったり、この後また怒り出すのではないかとかえって不安に駆られたりした。

 にこにこした穏やかな表情が、怒りの顔を隠すお面に見えた。




 私が七歳のとき、弟ができた。

 男の子の誕生に両親は嬉しがり、とりわけ母の喜びようは大きかった。

 母は誕生したばかりの弟を溺愛し、甲斐甲斐しくめんどうを見た。弟は泣き虫で、起きているうちのほとんどは泣いて過ごしているのではないかと思われたが、それを母は笑いながらあやした。私に対するときのような苛立ちや怒りが弟に向けられることはなかった。私は「私の泣き方がまずいのだろうか」と思い、弟の泣き方を真似てみようと試みたこともあったが、効き目はなかった。


 弟と私は、母によってまったく別々に、分け隔てられて育てられた。空間的に隔離された状況だったのではない。食事は一緒にとるし、小学校までは寝る部屋も一緒だった。しかし、待遇は明確に区別された。

 母は、弟のわがままはたいてい許した。おもちゃやお菓子もたくさん買い与え、レストランに連れて行ってランチをご馳走したりした。

 反対に、私は母に無視されるようになった。夕食のメニューを決めるときも弟にだけ食べたいものを聞いたし、私と弟をテーブルにつかせておきながら、弟にだけおやつを用意するときもあった。弟は申し訳なさそうな視線で私を一瞥しながらも、おいしそうにおやつを食べた。私は居心地の悪い立場に置かれながらも、その場から立ち去ることはできなかった。何のためにそうさせるのか、母の無言の圧力が私を拘束した。

 母と弟が出掛けている一・二時間が、私にとって至福のときだった。私は家で留守番を命じられ、母のいない世界でゆっくり羽をのばした。



 弟が小学校にあがり、私が中学生になったある日、それは起こった。

 学校から帰宅し、居間に入ったとき、私はすぐにその異変に気づいた。庭に面した窓ガラスの片方が派手に割れていた。

 私は床に散らばったガラスの破片に注意しながら、そろそろと窓際に近寄った。

見事な割れっぷりだった。鋭利な断面は巨大な鋏の刃のようだった。先端が日差しを反射して、硬質な輝きを放っていた。

 先端部分にそっと指を伸ばしたとき、玄関の方から誰かが入ってくる気配がした。背後を振り返ると、両手に買い物袋を持った母だった。

 母は居間の入り口付近で佇み、目を見開いてこちらを見ていた。呆けたような表情だった。目で状況は把握しているが、頭で認識しきれていない、という感じだった。

 だが、脳の情報処理は間もなく完了した。

 母の手にした買い物袋が、どさっと音を立てて床に落ちた。


 このときの母の狂乱ぶりは凄まじかった。

 ガラスの破片の散らばった床の上に私を殴り倒し、ところ構わずぶった。繰り返し何かを叫び、それを掛け声のようにして私を殴打した。母が私に向かって何を言っているのかは分からなかった。私の耳にはビンタの衝撃しか聞こえなかった。床に押しつけられた後頭部で、ガラスの破片が割れるのを感じた。

 殺される、と思った。

 母の手に、私は殺される。

 しだいに痛みが鈍くなり、意識が遠のいた。



 ぼんやりと視界が開けると、天井が見えた。

 いつもお馴染みの天井だ。つまり、私は自分の部屋のベッドにいるということだ。

 朝か――そう思って、ベッドで軽く伸びをしようとしたとき、頭がずきんと鳴った。私は低く呻いた。

 音だと思ったのは鋭い痛みだった。ずきずきと断続的な痛みが電気のように走った。

 私は両手で頭を抱えようとした。

 手が頬に触れた。私ははっとして、掌をそっと頬に当てた。自分の顔が、膨れていた。頬が、熱で火照っていた。

 きーんと耳鳴りがした。やがて、衝撃が脳によみがえった。

 ようやく、母にぶたれて気絶したことを思い出した。

 にわかに恐怖が湧き上がり、体が小刻みに震えた。


 部屋に誰かが入ってきた。

 母だと思い、あわてて寝たふりをした。

「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」

 弟の声がしたので、目を開けた。

 弟は心配そうな目で、こわごわと私の顔を覗き込んでいた。私は小さく笑おうとしたが、わずかに目元が引きつっただけだった。

 弟が驚いたように息を止め、顔を寄せてきた。

「痛いの?」

 私は「大丈夫」と答え、布団から右手を出した。その手を弟が握った。

「ごめんね」

 弟の目に涙が溜まった。

「僕が悪いの。僕がガラスを割ってしまったの。お姉ちゃんじゃないのに、僕が逃げちゃったから。ごめんなさい、お姉ちゃん」

 私は泣きじゃくる弟に、ぎこちなく微笑みを返した。

「いいんだよ、私は大丈夫」

 出来た弟だ、と思った。




 窓ガラスの一件以来、私は母が自分を蔑む理由を考えるようになった。

 それまでは条件反射的に母の仕打ちに応対していたのだが、さすがに身の危険を感じるまでになると、きちんと原因を究明して状況の改善をはかる必要があった。それに、いちいち母の顔色をうかがう毎日に、ちょっと疲れをおぼえてもいた。

 だが、原因が私のどこにあるのか、いつからのことなのか、を考えたとき、私の思索はいきなり壁にぶち当たった。

 いつもなにも、私の記憶にあるかぎり母はずっと今の母だ。物心ついたときから母は私にとって恐ろしい存在で、絶対的な権力者だった。

 もしかしたら、生まれた瞬間から私のことが気に食わなかったのだろうか。そうだとしたら私にはどうしようもないことだし、私に何の責任もない。私を生んだ母の責任だ。私は一方的な被害者ということになる。

 それとも、やはり私の性格や日頃の態度に問題があるのか。私はたしかに精神的に脆弱なところがあるかもしれないが、殴られるほどひどい性格もしていないと思う。むしろ日頃の母への態度は、母の私に対する態度が元で培われたものだ。

 直接母に問いただしてみようかとも思うが、それこそ命懸けの行為になるだろう。なるべく穏便な解決をはかりたい。

 それにしても――。

 私は、いつまで母の手に怯えていればいいのだろう。冷静に考えれば、いい加減母の体罰に屈する歳でも体でもない。身長はほとんど同じぐらいになっているし、体力はもう私の方が上だろう。この年頃は親と子どもの物理的な力が逆転する境目であり、一般に反抗期といわれる。子どもが親に対し下克上を試みる時期である。

 だが私は、相変わらず母の手が上げられると体が動かなくなったし、母の目を正面から見返すこともできなかった。

 それでもここに至って、その “規制 ”がわずかに揺らいでいた。心身に刷り込まれた反応は容易に変えられないかもしれないが、そろそろ問題意識をもって状況打開をはかる段階にきているのかもしれない。

 母の前では神経を張りつめ、息を潜めるようにしていながらも、これまでとは少し異なる視点で母をうかがうようになった。



 中学最後の年、私は高校受験を控える身の上となった。

 二階の自室で勉強していると、弟が部屋に入ってきた。弟は小学三年生になっていた。

「宿題、見てくれない?」

 上目遣いに私を見て、算数の教科書とノートを差し出してきた。

「お母さんに見てもらいなよ」

 と私は言った。

 自分の勉強を邪魔されるのが嫌だったのではない。いつも、弟の勉強は母が見てやっているからだ。その役割を私が勝手に担うことで、母の神経を刺激してしまう恐れがあった。

 だが、弟は首を振った。

「たまには、お姉ちゃんがいい」

「そんなこと言ったって…」

 私はちょっと困ったが、姉として弟に頼られるのは悪い気がしない。

 弟に自分の椅子を持ってこさせ、私の机で一緒に勉強することにした。

 しばらくして、階下から弟を呼ぶ声が聞こえてきた。母だった。

「宿題見てあげるから、こっちにおいで」

 母が階段を軋ませながら、のぼってきた。

 弟が振り返り、廊下に向かって答えを返した。

「今日はお姉ちゃんに見てもらってるから、いいー」

 母の足音が止まった。

 困った事態になりそうな予感がした。

「お姉ちゃんは受験で忙しいんだから、邪魔しちゃだめよ。下にいらっしゃい」

 弟は唇を尖らせ、私を見上げた。

「行きなよ。また、今度見てあげるから」

 渋る様子を見せる弟を諭し、文具をまとめさせた。

 弟を部屋から見送った後、母が部屋に顔をのぞかせた。

 母は何も言葉を発せず、私に冷たい視線を流した。私はすぐに目を逸らし、勉強机に向き直って参考書に目を走らせた。

 背中で母が去っていく気配を確認するまで、何も頭に入らなかった。


 母に対し、神経が過敏になっている。一方、母も私を過剰に意識しているような気がした。普段は口には出さないし、表面上は無視を装っているが、その目や手は何よりも雄弁に母の感情をぶつけてきている感じを受けていた。

 互いに意識を向け合っているのに、どうしてこうまでそりが合わないのだろう。まるで磁石の同極同士のようだ。もっとも、磁力は母のほうが強いので、私は反発できずに一方的に退けられてしまうのだが。




 高校生のとき、生まれて初めて母と喧嘩をした。

 そもそもこの日は、私の機嫌があまりよくなかった。

 この頃の私は学校に友だちがいなかった。いじめられていたわけではないが、人とまともに目を合わせられない私は、周りから交友を避けているように思われていたのかもしれない。周りの生徒たちは余計な気を遣って、私にあまり近寄ろうとしなかった。

 この日、私は学校で一言もしゃべらずに帰ってきた。さすがに落ち込んでいた。そして、家では母の前で黙っていなければならない。

 孤独感と焦燥感が臨界状態に達していた。いつものごとく呪詛のような小言を唱える母に、私はついに耐え切れなくなった。

「いいかげんにしてよ!」

 私の悲鳴に、母がはっとして振り向いた。やつれた顔つきをしていた。

「私が何をしたっていうの。それでも親なの? 私がこんななのは、

お母さんのせいだからね!」

 母に向かって長年の鬱積した心の澱を一方的に爆発させると、そのまま階段を駆け上がり自室に飛び込んだ。

 私はベッドに突っ伏した。

 やっぱり、母の目を見ることができなかった。


 しばらくして、階下から弟の声が聞こえた。

 階段を踏み鳴らすどんどんという音が近づき、戸が乱暴に開けられた。

「お姉ちゃん!」

 弟が蒼白な顔をして立っていた。

「大変だよ。お母さんが、倒れてる」


 母は救急車で運ばれ、そのまま入院した。

 私は母が倒れたのは自分の言動のせいだと思い、怖くなった。が、入院したのは別の病気の治療のためで、倒れたのはストレスによる負担が誘因ということだった。

 私は安堵した。

 そして、このまま母が家に戻ってこなければいいのに、と願った。



 母の病状は、思ったより深刻だった。

 入院して一ヶ月ぐらいたったころ、学校帰りに母を見舞いに行った。

 私は、病室の外からそっと母の様子をさぐった。寝ていればすぐに帰ろうと思ったが、あいにく母は起きていた。私は仕方なくベッドのそばに行き、脇にあった丸椅子に浅く座った。

 母はかなり痩せ細り、目元は落ち窪んでうっすらと隈をこしらえていた。私には、それが死相のように見えた。

 ひょっとしたらもう、先は長くないのかもしれない。もうすぐ母と別れられる。そんなことを考えながら、母の胸のあたりに目を落としていた。

 おもむろに、母が私に右手を伸ばした。私はびくっとして目を瞑った。

 母の指がそっと、私の左頬に触れた。

「ごめんね…」

 弱々しい母の声が聞こえた。私は戸惑いながら、目を開いた。

「ごめんね」

 繰り返される母の言葉が震えを帯びていた。今にも泣き出しそうな声だった。

 母の突然の豹変に、私は思わず母の目を見た。久しぶりに見た母の瞳には涙が滲み、哀しそうな色が浮かんでいた。睫毛が、細かく震えていた。

 そんな母の姿に、私は軽い眩暈めまいをおぼえた。

 普段の母とはあまりにかけ離れた姿に動揺したからではない。

 これは、どこかで見た――そう、既視感だ。私は、この母を見たことがある。


 どうしてこれまで、それに気づかなかったのだろう。


 ――ぶった後、いつも後悔してうなだれていた母。

 ――弟だけにおやつを与えたとき、いつの間にか私の机に置いてあったお菓子。

 ――弟と二人で出掛けたとき、必ず買って帰ってきたおみやげ。

 ――ぶたれて気を失った私を、泣きながら看病した母。

 ――私の部屋から弟を呼び出したとき、背後でそっと閉められた戸。


 私はそれらのことをすべて見て、感じてきたはずだ。なのに、どうしてそれを同じ母だと思えなかったのか。


「憎んでいるでしょうね」

 まぶたを閉じた母の目尻から、一筋、涙滴がつたった。

 私は黙って母を見つめていた。

 いったい、母の何を知っていたのだろう。

「あんたはね」

 喘ぐように母は言った。

「あんたはね、あたしにそっくりなの。何もかも。それがどうしても…」

 我慢がならなかった、というのか。

 いや、母が憎んだのは、たぶん――。

「あたしのようには、ならないでね」

 それが、母の告白だった。

 私は母の手を取りなおし、自分の頬にぎゅっと押し当てた。

「私は…お母さんなの?」

 母がかすかに頷いた。

「そうね」

 私を見つめ返す目が、薄く微笑んだ。戒めから解かれたような、おだやかな表情だった。

 母の手のひらから、母の声と心が伝わってくる気がした。はじめて、母の手に触れた感じがした。

 もう、怖くなかった。

 母が憎んでいたのは、私ではなく、母自身だったのだ。




 ――十年後。

 私は結婚して、女児を産んだ。

 娘は癇癪もちで、ぐずってすぐ泣いた。私はそんな娘にいらつくことはあったが、叩いて黙らせようとはしなかった。

 頬に手を添えて、泣き止むまで静かに娘の目を見つめるのだ。安心させるように。すると、娘も私を見つめ返してくるのだった。

 子どもに親の嫌なところを受け継いでほしくなかったら、子どもを変えるのではなく、自分を変えるのだ。子どもは育てられるというより、育つほうなのだろう。

 母は自分を嫌っていた。そんな自分にそっくりな私も嫌っていた。自分の嫌な部分を、娘の私に投影していた。私を通して自分の忌々しい影と向き合い、苛立っていた。それを排斥しようとし、そして、後悔していた。私を見る母の胸の内には、いつも感情の矛盾が渦巻いていたのだろう。

 私は幼い頃から母を恐ろしい存在だと認識し、母に目を合わせようとしなかった。いつも母の顔色をうかがい、その一挙手一投足に注視しているようで、肝心の母の心には無頓着だった。母に映る自分の暗い影にも気がつかず、母の後悔にも気がつかなかった。私たちは互いに意識しながら、正面から見つめ合うのを避け、退けあっていた。

 娘の声が耳を衝いた。私ははっとして、腕の中で泣き出した自分を見つめた。その姿に、母の顔が重なった。

 母自身はどのような幼少時代を体験してきたのか、私は知らない。母も語らない。だがたぶん、私と同じように目を伏せ、口をつぐみながら過ごしてきたのではないだろうか。それなら、もっと早くに母と喧嘩しておけばよかったと思う。

 私は喧嘩のときまで母の本当の姿を見ようとしなかったが、母もまた自分の姿を私に見せないようにしていた。だから私は、娘にはなるべく自分を見せてあげるようにしたい。

「お、泣きやんだ」

 私の肩越しに、弟が覗き込んできた。弟は大学生で、この日は夏休みで遊びに来ていた。

「姉さんにそっくりだね」

 弟が顔を近づけると、娘はまた泣き出しそうになった。


(了)

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