3. 恋の季節



黒猫は愛の行為は知っていても、恋の仕方を知らなかった。


本能を優先するあまり、彼は恋愛などという

回り道を歩いたことが、なかったのだ。


しかも相手は、女性という天から与えられた素質を備え

猫の気まぐれさが相まった、強敵だ。

それはそれは、黒猫の心を苦しめることになった。


第一に黒猫は、相手に気にしてもらえるよう努めた。

それには、彼女の視界に入るのが一番いい。


だが最初から、それは困難を極めた。

邪魔になったものは、彼の野良猫としてのプライド。


何で俺がこんな花屋なんかに――

黒猫はその飾られた軒先に近づきながら、ぶつぶつと呟いた。

猫は花が好きだと言われるが、そいつは上品なやつらの話だ。


彼の内面にあるのは、不満というよりも、恥ずかしさ。

仲間たち、特に餌場争いにしのぎを削る

ライバルたちに見られたら、目もあてられない。


黒猫の文句が唱え終わる頃、彼は店の角にたどり着いた。

少しずつ近づいて、香り高いライラックの鉢植えの

隣に座る。


いちど視線を通りに流してから

さりげなく店の中の様子をのぞき見た。


いた。

ロシアンブルーの彼女だ。


予想通り、シャムロックはいつもの椅子に収まっていた。

うっすらと刺す陽の光を全身に浴び、身体を温めている。


エメラルドグリーンの瞳に、縦長に伸びた一筋の瞳孔。

ほっそりとした顔立ちだが、口元が柔らかいカーブを

描いていて、微笑んでいるような印象を受けた。


座面から垂れ下がった柔らかそうな尻尾に

わずかだが縞模様ゴーストタビーが見てとれた。


黒猫はまたしても時間を忘れてしまった。


何もしなくても、彼の真っ黒な姿は目立っていた。

色鮮やかな花屋の店頭では特に。

愛くるしい彼女に見とれていたせいで

彼はまったく気にもしていなかったが。


ましてや店の中から店長が見ており

くすりと笑われていたなんて、想像もつかなかっただろう。


「猫が朝から惚けてるよ。ボサボサの黒い服を来て!」

「見て、あのだらしない顔。ヒゲが落ちそうだわ!」


黒猫はチューリップたちの冷やかす声で、我に返った。


「うるさいな、お前たち!」


そう言いつつ、彼は毛づくろいを忘れていたことを後悔した。

あわてて舌の届く所を全て舐めきると

彼はなるべく優美に、そしてたくましく見えるように

歩き出した。


もうすぐ、カウンターチェアの前に差しかかる。

俺は散歩してて、通りかかっただけ。

決して会いに来たわけじゃない。

何度も心の中で繰り返すけれど、その度に鼓動が高まった。


ステージに立つ役者のように、黒猫は颯爽さっそうと歩いた。

大丈夫、俺的には上手くできイケてる!


そして出番は終わった。


一瞬だった。

時間が短すぎて、シャムロックの方を振り向く間がない。

それで、彼女は自分を見たのだろうか?

それすら確認できなかった。


不自然に止まるわけにはいかず

黒猫は店舗の反対側の角まで駆け抜けた。


暗がりに潜み、白い胸毛の生える胸を肉球で押さえた。

どんな強面の前でも感じた事がないくらい

心臓がドキドキする。

倒れるかもと、心配になった。


黒猫はふぅと息を吐き出した。

最初はこんな物だろうと、自分を落ち着かせる。


そんな簡単にあの人を落とせるなんて思っていない。

まずは地道なアピールだ。慎重にいかなければ。


彼はそんな自分のやり方を、信じて疑わなかった。

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