3話 捜査開始

 錦糸町北口 バー陽炎


     ・北条 早百合 二世代

     ・父 北条 敏昭 一世代

     ・母 柏木 早代 一世代


「このメモ紙、一枚を持ってきたのか?」甲兵が問うと、

「兎月様へ直接メモをお渡しするようにと。これは初風総督の御命令です」風鈴が即座に答える。


 ここにはカウンター席しかない。肩を並べての作戦ミーティングだ。


「甲兵でいい。様も付けなくていい」

「承知しました。わたくし《雪》が風鈴である限りは甲兵とお呼びいたします」


 甲兵が風鈴を連れてきたのは二時間前。甲兵はAI風鈴の人格構造を掌握して、噛み合わない表層人格の《花》を拒絶した。


 風鈴には六万を超える表層人格用のデータが記録されている。その中で使用頻度が高いものは《花》《雪》《刃》など、風鈴の深層人格によって名前を与えている表層人格だ。中でも《花》はデフォルト表層人格として設定されていた。それがパートナーとなった甲兵に拒絶されたのである。


 泣きわめき地団太を踏む《花》は無視された。甲兵は、あやす様に風鈴の両手を握り、水が綿に染み入るように思考を同調、風鈴の深層人格と掛け合って、作戦ミーティングは《雪》を担当とすることを強引に承諾させたのだった。相手がAIとはいえ人格改変に異能力を行使するスタンスは、甲兵が一流であり特殊な仕事人である証しだ。《花》には可哀想だが仕事を迅速に遂行するため致し方なかった。


「新松戸学園三年生、白鳥隊所属。今から一六四日前、七月一八日に失踪しました。学園から、音信を絶った白鳥隊の捜索要請が錦糸町総督府にありましたが、その直後に異能連合本部から連絡が入り要請は解除されています」


 ──おかしな話があるものだ。ゾーン内の捜索なのに、錦糸町総督府を蚊帳の外にする必要がどこにある?


「捜索結果は?」

「異能連合本部が編制派遣した捜索チームが押上大洞穴で北条早百合以外三名の肉片を発見。DNA照合されて本人であることが確認されてます」


「……北条早百合の両親の補足情報は?」

「詳細不明です。北条早百合は二年の時に編入、それ以前の情報はありません」

「おまえは、いつから総督府にいた?」

「一七〇日前、七月一二日に覚醒しました。白鳥隊が行方不明となった六日前です」


「金剛に『追加情報が欲しい』とだけ打診してくれ」

「傍受される可能性が高いですが、よろしいですか?」

「ああ、構わない」

「お待ちを…………金剛様から伝言です。『甲兵くん、頑張ってね』とのこと」


 《雪》、金剛からの伝言を金剛の声で発音する。


 ──わざわざ俺の名前を出した? 金剛は、わざと俺の名前を、敵に傍受させたということか?


「……甲兵くんですって!?」


 カウンターの中で今まで大人しくグラスを磨いていたバーテンダーが、待ってましたとばかりに身を乗りだし。


「甲兵と金剛ちゃんって、どんな関係なのかな……気になるなぁ」

「よしてくれ。話が脱線したら《花》が目を覚ますだろ?」

「おっと、ごめん。《花》ちゃんは、まだ出てきちゃダメ」


 甲兵に窘められたバーテンダーが、矛先を変えて風鈴に顔を近づけてウィンクすると、平静を保っていた風鈴──《雪》は、ビクッと後ろに身を引き、眼をパチクリさせた。


 末継希は最前線から退いた元戦士だ。引退後は、錦糸町総督府付きとして、表の顔はバー陽炎のマスター兼バーテンダー。裏の顔は甲兵のようなゾーン内で活動しているエージェントのサポートを担当している。希は姉小路式五性の区分けだと両性のカテゴリーに入る。両性具有のアンドロギュヌスというわけではなく肉体は男性と同じだ。男女の意識二つを持っている。


「今時、メモ紙で連絡なんてね。変じゃない?」

「確かに……《雪》、メモに隠されたメッセージは無いか?」


 今は途絶えた便箋サイズのメモに、《雪》と呼ばれた風鈴が右手をかざす。メモを裏返して同じことを繰り返した。


「パターン認識、紙やインクの成分を解析しましたが、新しい情報は見つかりませんでした」


 ──この西暦二〇九六年に、紙を用いて連絡すること自体が提督のメッセージなのかもしれない。


「それにしても、白鳥隊がそんなことになってるなんて」

「……問題は、そんな重大な出来事が俺たちに伝わっていないということだ」

「異能連合が意図的に秘匿したってことかな?」

「学園が異能連合に圧力をかけた可能性は否定できないな。これから、どうするか……北条早百合を見つけることが優先事項だが、彼女の能力で本気で逃げているとしたら難しいだろう」

「肉片が発見された押上洞穴から、始めてみるとか?」

「《雪》、正確な座標を調べておいてくれ」


 調べるまでもないという体で《雪》は軽く頷いた。


「事の成り行きや、メモ内容についての関連情報は継続して収集中ですが、今のところ特に追加情報はありません。異能連合も沈黙しています」

「……風鈴、おまえの全人格で総合推理してほしい。できるか?」

「条件はありますか?」

「二つある。一つは、推理時間は五分。もう一つは、総督と金剛はメモの記載情報しか知らない前提にすること」

「承知しました。総合推理を開始。他機能を五分間停止します」


 風鈴の瞳が、様々な色合いに切り替わり、光度が増していく。今まで人間の外見と遜色が無かったのに、アンドロイドであることが露骨すぎて、甲兵はハッとした。風鈴は正しくアンドロイドなのだ。


 ──風鈴を造ったエンジニアは、どうしてアンドロイドらしさを残したのか?


 ふと、そんな疑問がもたげてくる。


「ほら、一杯やれよ」


 スコッチをツーフィンガー……といってもビールジョッキと見紛うラージサイズのグラスに甲兵の太い指二本分だ。普通のファイブフィンガー分はあるだろう。グラスを揺らすと凝り固まった思考が溶けていくようだ。琥珀色の向こうに風鈴を映してみる。


「久しぶりにパートナーを持った気分はどうだ? 悪くないだろ?」

「AI相手のほうが気楽かもな」

「そんなこと言うと病院の娘たちが悲しむぞ」


 希はパートナーの死が耐えられず最前線を退いた。甲兵の気持ちが痛いほど伝わってくる。甲兵のパートナーたちは二年前のミッションで一名をのぞいて重体となった。異能者専門の医療施設に入り、現在も集中治療を受けている。敵の罠に落ちたのは自分の責任であると甲兵は思っているが、彼を責める者は誰もいない。


「風鈴、いい子ね」

「いいパートナーになれそうだ」


 希の言葉に救われている自分に苦笑する。パートナーを全て失い一人ぼっちになった甲兵は人を避けるようになった。そんな甲兵をしつこく追い回し、励ましてくれたのが新松戸学園の一年先輩の希だった。今では、なんでも話せるし、なんでも聞いてくれる関係になった。


「……さっきな、風鈴と思考同調した時、俺と同じトラウマを感じた」

「AIがトラウマ? もしそうだとして、甲兵と同じってことは……」

「パートナーを失ったということだろう」


「希さんのほうには総督府から、風鈴の情報は来てたりしないのか?」

「甲兵のパートナーを送るって金剛から連絡があっただけ」

「アンドロイドを送るとは言ってなかったのか?」

「ああ、そういえばそうかも。確か『三日後の一四時に風鈴って名前の女の子を送る』って言われたかな。それがなにか?」

「いや、違和感があったんだが……」

「もしかしたら、鍵は風鈴の中にあるんじゃないか?」


 ──なるほど、ここに来たのが風鈴であることに意味があるのか。


「総合推理完了」


 風鈴の瞳が《雪》の青色に戻っている。頬がほんのり赤くなっているのはエンジニアのこだわりだろうか。


「よし、このメモの裏に、箇条書きで重要と思うものから五つだけ書いてほしい。一つ三〇文字までだ」

「五つは矛盾する推理でも構いませんか?」

「ああ、それでいい。希さん、何か紙に書く道具はあるか?」

「書初め用の毛筆ならあるぞ。でも、小筆じゃないから書きにくいかな……ほら、墨と硯もどうぞ」

 希から筆と墨と硯を手渡された風鈴が少し固まった。


「それで書けそうか?」

「……毛筆のスキルを持ち合わせていませんが、映像情報を解析をして、やってみます」

「読めればいい」

「わかりました。読みやすい字体を選択します」

「俺が墨をってやる」


 デジタルのAIに対してアナログで接するのは基本的なテクニックではあるが、甲兵のそれを見て、希は感動した。


 ──甲兵にリンク相手が多いのも納得だ。自然体ってやつなのか? 推理に制限を与えているのも面白い。これで破壊屋とか恐れられてるんだから大したものだ。


 風鈴が滑らかな筆の調子で推理をしたためていく。まるで紙の時代にあった事務書類フォントのような明朝体だ。


    一、新松戸学園は異能連合の監視下にあると考えられる。

    二、白鳥隊は北条早百合以外も生きている可能性がある。

    三、北条早百合の父母情報がメモにあるのは何らかの理由がある。

    四、北条早百合が失踪した理由としてリンク不全が考えられる。

    五、錦糸町総督府が異能連合と対立している可能性がある。


「……大事だな」


 甲兵が他人事のように言う。これから、その大事に巻き込まれる不安や気負いは微塵もない。甲兵がどっしり構えているから、希も冷静に考えることができる。


「この半年、メガフロートや横浜でドンパチやってただろ。あれは学園に注目させないための陽動だったんじゃないか?」

「学園から派遣されていた奴らと共闘したが、それは白鳥隊が失踪した後だ。しかし、そんな話題は一つも出なかった」


 甲兵はその激戦に参加し、つい先週に帰還したばかりだ。簡単に欺かれた己の不甲斐なさに歯ぎしりをする。


 ──俺は、失態を繰り返している。


「俺も学園のこと特に意識しなかったのは、学園の広報映像が普通に放映されてたんだよ」


 希がホログラム映像をONにしてチャンネルを切り替える。そこには白鳥隊の四人が映し出されてたいた。その中でも一際目立つのが三つ編みのポニーテール。その先に青いリボンをつけている娘だった。


「ほらほら、これが北条早百合ちゃんだよ! 白鳥隊って学園の広報担当のはずだからね。そっかあ、ドンパチの情報も一緒に流れてたからライヴだと思ってたけど録画だったんだね、これ」

「はいはい、今は落ち込んでる暇なんて無いよ! もう一杯飲みなさい」


 甲兵の心情を察した希が、いつもの三割増しで明るく振る舞う。


「でも、白鳥隊のみんなが生きてる可能性があるのね! 良かった! でも、リンク不全かあ。それは、ちょっと心配よねえ……それに五番目とか、想像はしてたけど。総督府に行ってみたら?」

「……総督府は出禁だ。初風のおっさんとの取り決めだからな」

「でも、甲兵のことは異能連合や他の勢力にも把握されてるでしょ? こだわる必要ある?」

「魑魅魍魎がゾーンに群がってる。俺は出城のほうがいい。それに本当に何かあるなら、おっさんの方から動くはずだ」


 詳しく理由を聞く前ではあったが、風鈴の総合推理は全て信憑性があると甲兵は考えている。それは勘に等しいものだが、それもまた甲兵の異能力の一つだ。


 ──北条早百合を探し出す。問題は事に当たる優先順序だ。


「学園の方には探りを入れくれ。俺は北条早百合の両親から追ってみる」

「了解! 任しといて!」


 希は鼻歌まじりに書初めセットの片付けを始めた。


「それじゃ明日の朝に出発だ」

「作戦ミーティングは終わりですか?」

「ああ。少し一人で考えたいことがある」

「かしこまりました。それでは私は下がります」

「お疲れさん、《雪》」


 風鈴が会釈をすると瞳が青色から黄色に変わる。

 そのまま約一分。


「おい、明日の準備を手伝え」

 さらに一分。

「すねてないで、出てこい」

 さらに一分。

「仲直りしよう《花》。お前が必要だ」


 それを聞くやいなや風鈴が椅子から転げ落ちる。


「ば、ばーかばーか、すねてなんかないもん!」


 甲兵がのそりと歩み寄り、風鈴の両脇に手を入れて抱き起こす。背中をポンポンと軽く叩いてほこりをはらってやると、風鈴がわんわん泣き出した。


「これから、よろしくな」


 二人を希が優しく見守っている。

 そんなバー陽炎の風景────


    ◇ ◇ ◇


 錦糸町郊外ホテル『ブルーシャトー』 一八〇一号室


 夜の錦糸町は昼にも増して怪しげな異能者たちが徘徊する。ブルーシャトーは闇に生きる異能者たちの隠れ家であり巣窟だった。


 甲兵が面会の約束をしたのはゾーン内を集団で移動しながら暮らしている最大のキャラバン不門会のリーダー、首藤臣杜だった。

 身長は二六〇センチ、それと同じぐらいの横幅がある。首が胴にめりこみ両足は退化していて専用のゴージャスな車椅子に乗っているが、移動するには転がったほうが速いかもしれない。

 ついた二つ名は【アイアンボール】だ。


「よお、兄弟。元気そうだね?」

「すまんな。急に呼び出して」

「最近、西米軍の野郎どもが騒がしくてね。キャラバンを錦糸町の近くまで移動してたんだ。ちょうど良かったよ」

「異能狩りか」


 ゆさゆさと体を揺さぶると首藤臣杜は表情をゆがめた。


「ああ、ほんとにけしからん奴らだ。パワードスーツの新機体を駆って強気で狩りをしているよ。でも、そのうち罠を仕掛けて駆除してやるからね!」


 ──そういえば風鈴が、異能連合と西米軍が裏でつながっている可能性を挙げていたな。既知の事実ではあるが、情報となって聞くのは多くはない。異能連合と西米軍が上手くやっているということだ。


「俺も気にかけておく。だが、奴等の物量は侮れない。血気に逸るな」

「うほほほほ! わかってる、わかってるよー、兄弟! この私を心配してくれるのかい? いいね、いいねえ! で、そんな優しいブラザー甲兵が、何の用です?」

「単刀直入に言う。黒法に直リンさせろ」

「うお! マジか! マジで? うわぁ、怖い怖い、怖いよぉ~」

「抵抗すると無理矢理やるぞ」

「犯される! 甲兵に犯されるうう!」


 身悶える首藤臣杜はまるで子供のようだ。


「黙らんと黒法を切り取って、持っていく。それでいいか、臣杜?」


 両目から青い炎がチラついているのを見て、甲兵が本気だと悟った臣杜は弾むように垂直に飛び跳ねて車椅子の狭いスペースに正座した。ゆさゆさと体を揺さぶりながら上着のシャツのボタンをはずして太鼓のような腹を突き出した。その腹の中にはAI黒法が格納されている。


「冗談だよ、ジョーダン! はい、どぞ、リンクして!」

「汚い腹はいらん。手をよこせ」

「はいはい。ホントにブラザーは強引だなあ。何か調べものなのかい?」


 黒法は稼働当初から大小全てのネットワークに一切アクセスしたことがないAIだ。その存在は世界のAI監視網から認識されていない。AIの個性が注目されてからは、黒法のようなワールド・ネットワークから独立しているAIは珍しくないが、ローカルで多くのAIと人間を喰らい情報を蓄積し、裏社会の情報も取り揃えていた。最新ではないが正規ルートでは望んでも揃えることは叶わない、非合法下で生きる者たちにとって飯の種になる活きた情報の宝庫だった。


 ──臣杜は友人だが油断ならない。北条早百合や風鈴のことは黙っていよう。キーワード検索は厳禁だ。俺が帰ったあとに、俺が何を調べていたかを黒法から探りだすだろう。


「異能連合がおかしな動きをしている」

「なるほどね。でも、あそこが変なのはいつものことだろう?」


 臣杜は短い手を肉に埋もれている顎にあてて甲兵の様子を面白がっていた。いつものことだが考えるべきことが山積している甲兵は舌打ちをする。


「……今回は色々と特別らしい」

「特別ねぇ。ブラザー甲兵が出張でばってる案件は特別ばっかだよねえ。うっほっほっ!」

「うるせえ、黙ってろ」


 AI黒法同調完了。──まずは風鈴の素性からだ。


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獣少女は振り向かない 伊勢日向 @Unsai

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