第三十二話(二)「永遠に守ってみせる」


  モエドさんを先頭に、ぼくとヘザは魔王城の正門をくぐった。

 ようやくご到着か。ハイアート殿とヘザ殿は、その装いでよいのか」

 ええ。私たちはやはり、この服こそ正装かと思いますので」

  銀色でピカピカの鎧を、黒く分厚い毛織のマントで包んだグークがにこやかな表情で訊ねた。ヘザはいつもの 魔術師の外衣」の裾を、ついとからげて答える。

 ……ナホイと、ブンゴンはいないのか?」

 二人には出席を辞退されたよ。ナホイはしがない傭兵でしかないし、ブンゴンは何をどうしたって盗賊あがりの日陰者だからと──俺は気にしなくてよいと説得したのだが、どうしても首を縦に振ってくれなかった」

 まぁ、前の祝勝パレードの時も、ずっと居心地悪そうにしていたしな……仕方ない、彼らはその後の祝賀パーティーの方で主役になってもらおうか」

  寂しげな顔をしたグークに、ぼくが苦笑してそう言うと、彼にほんの少しだけ笑みが戻った。

 殿下、もう太陽が高いっスよ。早く出ないと、日が沈むまでに間に合わないっス」

 そうだな。皆、馬車に乗ってくれ。出発しよう」

  幌を全開にした豪華な装飾の馬車へと、グークを中心に全員で乗り込む。前後を騎馬に乗った近衛騎士たちの隊列に挟まれたその馬車は、街道を王都に向けておもむろに進み出した。

  城を出た当初から街道の端には民衆の姿があり、口々に 魔王様万歳!  グーク=ギヌ族王陛下万歳!」と手を振りながら声をかけてくる。その数は王都に近づくほどに増していった。

 王になるのはこれからだというのに。気の早いことだ」

  手を振り返しつつ、グークはつぶやいた。みんな気がはやるほど待ち望んでいたんだよ、と耳打ちすると、彼はくすぐったそうに、しかし屈託なく微笑んだ。

  馬車は王都の門を抜けて、中央広場へと向かう。道の両脇に並ぶ人の密度は限界までぎゅうぎゅうに詰まり、気圧されるほどの歓声が轟いていた。

  広場の入口に差しかかり、馬車が停止する。近衛騎士たちが馬を降り、左右に並んで広場中央への通り道を作った。

  その道の真ん中を、グークが威風堂々と歩み往く。三歩下がった後ろを、ぼくとヘザと、モエドさんがややギクシャクした足取りでついていった。

  広場の中心には、二人の人物が待っていた。

  一人は例の会議室で頻繁に顔を突き合わせていた魔界の政務大臣で、上品な布地の上に鎮座した、飾り気のない銀の王冠を両手のひらの上にうやうやしく掲げている。

  もう一人はまれにしか見ないが、この王都にある神殿の大神官だ。

  グークは大神官の手前まで進み寄ると、ひざまずいて頭を垂れ、ぼくたちも数歩離れた場所でならうようにひざまずいた。

 ──グーク・エ=ラ=ギッタよ。神の御意志の下に、汝にギヌの名を冠し、魔族の王となることを命ずる」

 謹んで戴く」

  形式ばったやり取りの後、大神官は王冠を手にした。あとはグークの頭上にそれを戴かせれば、彼は晴れて魔王となる。

  だが、大神官は動かない。

  というか、何だかこちらを見ているような気がする。

 救世主ハイアート殿、こちらへ」

  気のせいじゃなかった。手招きまでされて、ぼくは戸惑いながら大神官の下へ歩み寄った。大神官はぼくの眼前に王冠を差し向けて、言った。

 ハイアート殿。あなた様に、王へ冠を授けていただきたい」

   なぜですか、ぼくは──」

 魔界がかように救われ、再び王を戴けることが神の御心であるならば、あなた様はそれを成すために遣わされた神の御意志そのものであらせられよう。しかるに、あなた様こそ王に冠を賜るに最もふさわしい」

 し、しかし……」

 ハイアート」

  ぼくを呼ぶ声に振り返る。ひざまずいた姿勢のまま、グークはやわらかく微笑んでいた。

 俺からも頼む。俺は──おまえからそれを授けてほしい」

  ぼくは口元をぎゅっと結んで、ただ黙ってうなずいた。そして大神官から王冠を受け取ると、そっと、グークの頭の上にかざした。

 ──ハイアート、俺は神にも、おまえにも誓おう。おまえがいなくなっても……この国の、この世界の平和と安寧を、おまえがくれたかけがえのないものを、永遠に守ってみせる──」

  冠を頭上に据えて、顔をもたげた若き魔王の両の瞳は──希望と、信念と、静かに流れゆく涙で輝いていた。

  ぼくの視界もうるんでにじみ、幾筋もの熱い雫が頬を伝っていく。

  言葉にならない思いが、千の言葉よりも心を通じ合わせていくのを、確かに感じた。

  時間も空間も、決して隔てることのない──

  

  その後、魔王城で行われた祝賀パーティーではナホイとブンゴンも加わって、王家の宴会らしからぬ非常にくだけた乱痴気騒ぎになり、皆が過ぎ行く時を惜しんだ。

 ハイアート様。あれ、どう思います?」

  ふとヘザが指差す方を見やると、玉座に深くもたれたグークがぐったりとしていた。そして何と、彼の膝の上にモエドさんがちょこんと座り、肩に頭を預けて静かな寝息を立てている。

 んー、どう思うかといえば……本当に『モエド=メヌ』になっちゃうかもしれないな、って感じ?」

 そうですね。しかし殿下──じゃなかった、陛下があの子に振り回されて余計な気苦労を負わなければいいのですが……」

  ぼくとヘザはお互いの顔を見合わせて、ふふっと笑みを浮かべた。

  

  明くる日、ぼくはグーク族王陛下を航空舟に乗せて、商業都市ローシロムブを目指した。

  先に召集されていた各国の王侯や委任された特使が議会場に集う中、バヌバ魔族王国は連盟に属するすべての国の承認を得て、晴れてローシロムブ連盟への加入に調印した。

 グーク=ギヌ殿、お初にお目にかかりますな。ようこそ連盟へ」

  連盟の議長でもあるゲイバム王が、半ば強引にグークの手を取り握手を交わす。グークの方が、ゲイバム王のフランクな人当たりに面食らっているようだった。

 ……そういえば、ハイアート卿は一緒ではないのですかな。グーク殿とは今や水魚の交わりと聞き及びましたが──」

 陛下。ぼくならここにいますが」

  グークのすぐ後ろから声をかけると、あからさまにゲイバム王に二度見された。

  まあ、ゲイバム王とは最初の パッチン」で若返ってから一度も会っていなかったのだから、当然の反応だ。

 な、何と。貴殿が本当にハイアート卿なのか?」

 ええ、保証します。彼が救世の英雄、シラカー・ハイアートに間違いありません」

  グークが口添えしたが、未だ半信半疑の様子だ。ゲイバム王は何かを探すように、目をキョロキョロとさせた。

 一体、どうしてこんな姿になられたのか。へ、ヘザ!  ヘザはおらぬのか?」

 はい陛下。ここにおります」

  にっこり微笑んで、ぼくの隣にいたヘザが答える。

  ゲイバム王は白目を剥いて卒倒した。

  

  その後の会食の場で、ゲイバム王には一連の事情を説明した。ゲイバム王は うっかり息子に王位を譲るところじゃった」とそこそこ洒落にならないジョークを言いながら笑っていた。

  翌朝には文字通り飛んで帰り、その日は即位の祝いに詰めかけた諸侯らの応対に丸一日を費やした。

  そして今、ここ最近の多忙のためか、ぼくはいつの間にか眠ってしまったらしい。というのも、例によって真っ白な空間のただ中で横たわっている夢を見ているからだ。

  この夢と分かって見る夢は毎回女の子絡みで恥ずかしいものばかりなので、今回も意識していない自分の心の内の欲望を見せつけられてしまうのかもしれないと思うと、自己嫌悪で胸が苦しくなる。

  気がつくと、ぼくの左右の傍らに人影があり、それらを見た瞬間に心の中で叫び声を上げた。

  ハム子と、朝倉先輩が、ぼくを見下ろしていた。

  しかも冬なのに、二人とも水着姿だった。

 ハヤ君。私たち、いいことを思いついたのだ』

  右側から、白いビキニを着たハム子が言った。

 そう、私たちは気づいた。別に、速人君をどちらかだけのものと決める必要はないのではないか、とな』

  左側の朝倉先輩は、なぜか紺のスクール水着だ。

  二人とも、なまめかしい視線をぼくに注いでくる。

『でね、私たち二人で、ハヤ君を共有したらいいんじゃないかなー、って』

『うむ。私と小牧君は同じ殿方を愛してしまったが、いがみ合う前に変に仲良くなってしまったからな。この際、全員で交際すればいいのではないかという結論になったのだ』

  いやいやいや。待て待て待て。

  ぼくは何て都合のいい夢を見ているんだ。これがぼくの願望なのだとしたら、自分のダメさ加減に辟易してしまう。

 だから、ね?  デートも三人で行ったらいいしー、ハヤ君も私と副会長さんの両方と、気を遣わずにハヤ君の好きなようにつき合ってくれればいいのだ』

 もちろん、あんなコトやこんなコトも、みんなで一緒に……な、だから速人君……』

  二人が、ぼくの身体の上に覆いかぶさるようにずいと身を乗り出してきて、顔を並べて目の前に迫ってくる。その二つの唇が、シンクロするように開いた。


 『ふたりとも愛してくれる?』』


 できるかああぁぁ!」

  バッと顔を上げて、ぼくは叫んだ。

  一瞬の後に、ぼくは魔王城の会議室のテーブルの上に突っ伏した姿勢で寝ていたことを悟った。夢だと分かっていたのに、心臓の鼓動がうるさいぐらいに胸を叩いている。

 お、起きたっスね。どうしたんスか、変な夢でも見たんスか?」

  おそるおそる振り見ると、モエドさんが不思議そうな顔をしていた。ぼくはふーっと深く息をつくと、椅子を引いて身体を彼女の方に向けた。

 あ、うん、変な夢だった。詳しいコトは言いづらいが、時々見るんだ。夢の中で夢だと分かっているのだが、なぜか自由に動けなくて──」

 ああ。それ、『予知』かもしれないっスね」

  モエドさんはポンと手を叩いて、サラっととんでもないことを言った。

 ……え、ええ?  予知って、どういうこと……」

 魔力制御力の高い魔術師にはよくあることなんスけど、眠っている間に無意識に魔力を過剰に取り込んでしまい、それが精神に作用して──未来に起ころうとしている事柄を夢に見ることがあると言われてるんスよ」

 ……」

 予知の見え方は現実的だったりかなり抽象的だったりと人によってマチマチみたいっスが、共通してる特徴に、予知を見ている時はそれを夢だと認識してるってのがあるっス」

 …………」

 あ、もちろんそうでない場合もあるっスよ。かく言うあたしも実はたまに予知を見るんスけど──この前見たのは、殿下……いや今は陛下っスね、手にキスをされつつ『余の世継ぎを産んでほしい』って言われて──さすがにそれはたぶん、予知じゃなくてただの夢だと思うんスけど……」

 ……………………」

  背中にどっと汗が噴き出すのを感じる。

  いや、いや違う。きっと予知なんかじゃない。

  あんなことが、未来に本当に起こることであってたまるか。

 ……あ、アハハ。こう言うとまるであたしが陛下と結婚願望があるみたいで、恥ずかしいっスね。それで、ハイアート様は何の夢を見たっスか?  差し支えがなければ今後の魔術研究の一環として教えてほしいっスけど」

 …………………………………………無理。どっちにしても、無理」

 ──ははぁ、ハイアート様。さては相当エッチな夢を見たっスね?  恥ずかしがらなくていいっスよ、救世主だって人間だもの。スケベな願望のひとつふたつあって当然──」

 はい、そこまでー」

  出し抜けに、モエドさんは脳天にチョップを受けて、反射的に口をつぐんだ。いつの間にか彼女の背後にヘザが立っていた。

 研究熱心なのは良いが、ハイアート様を困らせてはいけないぞ。──それはさておき、夕の支度ができていますので、冷めないうちにお越しください」

  モエドさんを引っぱり出しながら、ヘザは会議室を後にする。ひとり残されたぼくは、再び怒ったヘザが来てモエドさんと同様に会議室を引きずり出されるまで、その場で愕然とした顔のまま呆けていた。

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