第二十六話 ヘザ

第二十六話(一)「夜のお務めをお命じください」


 ヤバいっスよ。超ヤバヤバっス」

  会議室に集められた大洞穴探索隊を前にして、モエドさんが開口一番、いつになく真剣な表情で言った。

 予想はつくが──モエド魔術官、何が超ヤバヤバなのか説明をしてくれるか」

  グークが、眉根を揉みながら言った。モエドさんは懐から紙片を取り出して広げ、着けてもいない眼鏡をくいと持ち上げるようなしぐさをした。

 先日、古代遺跡からお持ち帰りいただいた文書の解読ができたっス。その中でも騎士の遺骸が持っていたものについて、読み上げさせてもらうっス」

  ぼくはごくりとつばを呑み込む音を立てて、モエドさんの言葉を待つ。辺りに緊張が高まっていた。

 ……本日は遠路よりお集まりいただき誠に感謝申し上げます。新郎のドオヌ君におかれましては幼き日よりの旧来の親友でございまして……」

 ちょ、ちょっと待ってモエドさん。本当にそんなことが書いてあったの?」

  ぼくが押しとどめて訊くと、モエドさんははっとして頬を赤くした。

 あっ。これはイトコに頼まれてた結婚式の演説原稿だったっス。本当はこっちっス」

  反対側の懐から別の紙片を取り出して一読し、モエドさんはひとつうなずいてから、再び読み上げ始めた。

 ……十四週の五、大洞穴中央広場付近に膨大な魔物の存在を感知し、魔王以下近衛騎士四名及び近衛魔術師兵六名の小隊にて出征せり。

  十五週の一、中央広場にて、クモを模した姿の強大な魔物に遭遇し、魔王以下奮戦するも小隊は壊滅し、魔王は身罷られた。

  十五週の三、我、本国への伝令のため第二宿場まで到るも受傷によりもはや動くことかなわず、これを遺す。──近衛騎士エズ・オ=ラ=デゲン」

  会議室がしんと静まり返り、重い空気に満たされた。

 ……魔物一体の討伐としては、かなりの手勢で攻め入ったのだな。それでもかなわぬほどの魔物とは……」

  グークが悩ましげにうつむく。

 しかし、中央広場ってえのは……大洞穴のど真ん中、八方へと通路が伸びているあの場所のことを指してるんでしょうねえ。もしそこに今も巣食っているようであれば、あまりに危険ですねえ」

 大洞穴の利用を目論むのであれば、魔物の徹底した排除が必須だ。どんなに手強いものでも、倒さねばならない……」

  再び、室内が沈黙に包まれる。

 ──次の探索は、この中央部を目指すべきと思う。数百年前の魔物が今もそこにあるか分からぬが、未だあるとするならば──これまでの戦いとは格が違う、命を賭したものになるだろう」

  グークは一旦言葉を切り、ゆっくりとその場の面々を見回してから、再び口を開いた。

 ここで勝利せねば、どの道、魔界に未来はない。俺もこの戦いに己の命運を賭けよう。皆も覚悟して臨んでほしい」

  全員がうなずきを返す。しかし、隣にいたヘザだけは思いつめたような顔をうつむき加減にして、彫像のように、じっと固まっていた。

 どうした、ヘザ。何かあったのか」

 ……あ、いえ、何でもありません」

  はっと顔を上げて首を横に振るが、その表情はかげりをたたえたままだ。

 ──確かに、その魔物はかつてない脅威だと思う。不安になるのも分かる……でも大昔にいた魔物が今も残っているなんて、そうそうあり得ないよ。可能性として見れば、心配するほどじゃない」

 そう……だと良いのですが」

  ヘザは何にでも思慮深く、慎重で、色々なことに気が回る性格だが、決して心配性ではない。

  何か悩みがあるのだろうか。

  そういえば、以前に何でも話を聞くと言って、途中で パッチン」してしまってから、続きを聞くことができずにいた。そこでぼくに話せなかった不満が、彼女の中で問題になっているのかもしれない。

 そうだ、ヘザ──」

 あの、ハイアート様!  こ、このあと、お時間を頂戴して──お部屋にお伺いしても、よ、よろしいですか?」

  彼女の言葉に少々面食らったが、ぼくが言おうとしたことと一致したことで、ぼくの想像は確信に変わった。

 ああ──いいとも。ぼくもそう思っていた」

  笑みを浮かべて言うと、ヘザの顔に赤みが差した。

 あ、ありがとうございます。こんな時にとは、思ったのですが──」

 いや、今度の探索は最も危険なものになるし、こんな時だからこそ、心残りをすべて解消しておかないとね」

 はい……よろしくお願いします」

  ほんの少しだけ、ヘザに笑顔が戻る。

  彼女の反対側に並ぶモエドさんが、なぜかこちらにねっとりとした視線を投げかけて、ニヤニヤと笑っていた。

  

  出発を翌朝に控え、探索隊一同は早くに解散し各々の自室へと戻っていた。

  ぼくも早く休みたかったが、ヘザが訪ねてくる予定になっている。そのまま横に倒れたい気持ちを我慢して、ベッドの縁に腰をかけて待っていた。

  やがてノックの音がして、ぼくはほっとした。あと五分遅かったら睡魔に負けてしまっていたかもしれない。

 いいよ、入って」

 ……失礼します」

  蝶番がキイと音を立てて扉が開き──ぼくはぎょっとした。

  部屋に入ってきたヘザは、生成りの薄衣を着けただけの格好をしていた。

  要するに、下着姿だ。

 な、ちょ、え、何で……」

  驚きおののくぼくに何の反応も示さず、ヘザは戸を後ろ手に閉め、ご丁寧に把手近くのかんぬきまできっちりと掛けてから、無表情でずいと踏み込んできた。

  何でこんなことになっているのか理解がまったく追いつかないが、彼女にあられもない格好をさせておくわけにいかないと、ベッドの上でくしゃくしゃになっていた掛け布をひっつかむ。

 へ、ヘザ。これを──」

 ハイアート様。はばかりながら申し上げます」

  妙に力強く、凛と言い放ったので、ぼくは掛け布を広げたままのポーズでびくりと固まってしまった。

  ヘザは胸の前で両手を交差させてひざまずき、そして、こう言った。

 私に、夜のお務めをお命じください」

  

  …………………………。

  

 ……はい?  今……何を、おっしゃられました、か……?」

 ──ご、ご命令をくださいと申し上げたのです!  私に、ど、同衾するよう──」

  ヘザは、顔中はもちろん、下着の裾からのぞく素足の先まで真っ赤っかに染められていた。

  同衾、というのは、同じ寝具で一緒に寝ることだが……彼女はきっと、そのままの意味で言ったのでは、ないの、だろう……。

  固唾を飲み込んだのどが、ゴクリと鳴った。

  口の中が、ひどくカラカラだ。

  手にした掛け布をギュッと握りしめたまま、身動きもできず、頭を垂れた彼女から目を逸らすこともできない。

  だから、ヘザの全身がぶるぶると打ち震えているのも、はっきりと見て取れた。

  それが、怖れからなのか、昂りからなのかは分からない。ただ、無理をしているということだけは、痛いぐらいに伝わってくる。

  どうして、無理やりに自分をぼくに抱かせようとするのかが理解できない。何を思ったら、そんな行動に結びつくのか──

  だから、まず知るべきだ。彼女の真意を。

  ぼくは二回、ゆっくりと深呼吸をしてから、静かな口調で話しかけた。

 ……ヘザ、君は前にも、似たようなことを言ってきたことがあったね。その時、ぼくが君に何と言って聞かせたか、憶えてるかい」

 当然、憶えております。ハイアート様は、君に女性としての魅力がないのではなく、むしろ逆にありすぎて困る……」

  ヘザか照れくさそうに咳払いをしたので、ぼくはフフッと失笑を漏らした。

 ……しかし、大事なのはお互いの心の交わりであって、愛もなくそのような関係を結ぶものではない、と……」

  そこまで言って、ヘザは上目づかいにぼくを見てきたので、ぼくはうなずいた。

 ……そして、一生をかけて共にありたいと思えて……またそう思ってもらえるような男性と結ばれてこその大切な行為であると、おっしゃられました。決して、片時も忘れておりません」

 だったら──」

  言いかけて、ぼくは息をつまらせた。

  胸が押しつぶされそうな気分に襲われ、心臓だけが激しく脈動している。

  ぼくが説教したことに反したのではなく、それを誠実に踏まえての言動なのだとすれば──

  ああ、ぼくは……とんでもない唐変木だ。

  彼女はただ、上下関係に度を越したこだわりがあって、目上に忠実であることに固執している者だとばかり考えていた。

  だからぼくも、彼女の献身をはき違えないようにと、常に自身を戒めていた。

  でも、たぶん違う。違っていた。

  ヘザにとって、ぼくにつき従うことは、決して彼女の望みではなく──障害だった。

  ぼくに命令してほしいというのは、彼女からすれば、分をわきまえるという最低限の矜持を守りながら行える、最大限の自己主張なのだ。

  確かに、つい先刻にぼくは 心残りをすべて解消しておかないと」と言った。こんな 心残り」だとは予想すらできなかったが、ひとつ前提が固まってしまえば、流れが見えてくる。

  いつ頃から、とまでは分からないが──いつの頃からか、ヘザは、一生をかけて共にあるべき者を心に決めた。

  そして、きっと、ずっと待っていたのだ。

  立場上、懸想などはばかられるような相手から、一生をかけて共にありたいと言ってもらえることを。

  ぼくが諭したとおりに、愚直に。

  思えば何と残酷なことをしてきたのか。

  グークの言うとおり、ヘザがあまりにも哀れだ。叱られるどころじゃすまないことを無意識に強いていた。

  岡目八目というが、グークには全部見えていたのだろう。彼女の想いはもちろん、おそらくは、ぼくの心のうちも──

  だがもう、ぼくたちの関係には、未来がない。

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