第二十五話(三)「こそばゆくないか?」


 ──白河君!  こっちに来るんだ」

  まさか、こんな所に、どうして──

  いや、考えているヒマはない。ぼくはよろけながら立ち上がり、アーチェリーの矢が放たれた方を見やった。

  十メートルほど離れた先に、帽子を目深にかぶり、すでに二の矢をつがえて構えている者がいる。

  朝倉先輩。

  思わず呼びそうになった名前を飲み込み、よたよたと歩き出した。

  背後から獣の吠え声がして、肩越しに振り返る。

  魔力のない矢では、当然魔物にダメージはない。

  すぐに立ち直って、再び襲いかかろうと──したところを、アルミのやじりがまったく同じように奴の目玉へとぶち当たった。

  痛みがなかったとしても、目に何度もモノをぶつけられるのはかなりイヤな気分だろう。首を振って、再度動き出そうとしたヒョウ魔物は三発目の矢をまたもや目に食らった。

  その間に、ぼくは朝倉先輩の側までたどり着いて、ごろりと背中から転がった。うめき声と共に、ゆっくりと息を吐き出す。

 大丈夫か、白河君」

 ええ、命に別条はないです……が、ぼくは白河とかいう名前ではありません」

 ははぁ、そう来たか。では、君を何と呼べばいいのだろうね。『ウィザード』君か?」

  片時も魔物から目線とアローヘッドを逸らすことなく、先輩はニヤリと口の端を持ち上げた。

 どうぞ、お好きなように。どう呼ばれたってぼくはぼくですから」

 だがなぁ、ウィザード君……こんな呼ばれ方されたら、こそばゆくないか?」

  何でそう的確に痛いところを突けるのだ。

 ……意地が悪いな、あなたは」

 よく言われる、よっ!  と」

  四発目の弓矢が魔物の目を打った。信じられないほど正確なシュートだ。

 グルル……!」

  眼球への執拗な集中砲火に、しびれを切らしたか。

  ヒョウ魔物はイラついたようにのどを鳴らすと、ぷいときびすを返して走り去ってしまった。

 まずい、アレを逃がしてはならない──追いかけないと」

  多少動くようになってきた身体をもたげ、鞘に剣を収めながらふらふらと歩き出す。追いかける、といっても生身ではヒョウ魔物の足の速さに追いつけるはずがない。

  そこら中に停まっている自動車は、上手く操縦できる自信がない──しかし、アレなら何とかできそうだ。

  ぼくは歩道に乗り上げて横倒しになっている、スクータータイプの原動機付自転車を引き起こした。

 乗れるのか?」

 電動アシスト付きの自転車なら乗ったことがありますよ。電動付きと原動機付き、ちょっと似てるから大丈夫でしょう」

 似てるのは言葉だけだが、ツッコんでもしょうがない類いのボケだな」

  鍵はついている。座席に腰を乗せてハンドル近くの黄色いボタンを押すと、エンジンが軽い燃焼音を立て始めた。

  こいつで魔物を追いかけて、追いついたとして──そこから攻撃する手立てが要る。

  ぼくは仮面越しの視線を、道路に散らばった矢を拾い集めている朝倉先輩に向けて、言った。

 あなた……ぼくに協力してくれませんか」

 ──愚問だな。私は、そのために来たんだ」

  彼女はニヤリと笑んだ。

  

  道路上を走る黒い影の背姿が見えてきた。右手のアクセルをゆっくり開き、その距離をさらに詰めていく。

 行きますよ、構えてください」

  原付なので後部座席というものはなく、ぼくと朝倉先輩はぴったりとくっついた状態で無理やり二人乗りをしている。これは非常事態なので、よい子は交通法規を守り正しく運転するように。

 了解だ。しかし、時にウィザード君?」

  弓弦を引き絞る音を立てながら、先輩が訊いた。

 何ですか?」

 君は、かように私と密着したこの状態に際し、何か思うところはないのか」

  すみません。どの部位のせいとは口が裂けても申せませんが、ヘザの時ほどの感動はないです。

 ……時と場合というものがあるでしょう。身に余る光栄とは思いますが」

 時と場合をわきまえられない情感の持ち主で申し訳ないな。──まだ射ってはいけないのか?」

  ぼくは首を左右に振り、左手を頭の高さまで掲げた。

 その前に、やじりを触らせてください。……魔力を込めなければ、アレに効果はありません」

 魔力!  いい響きだね、ファンタジックだね」

 それは誤用です。正しくはファンタスティックですよ──そんなことより、指先にやじりを当ててください」

 ……こうか」

  指先に、アルミの冷たい感触が伝わる。

  ……さて、魔力はさっき使い切った。ここからさらに魔力を捻出するなら、実に憂鬱だが、アレをやるしかない。

  矢の先に付ける程度の量なら、腕一本で足りるだろう──

 ぐぬあぁぁ……!」

  左腕の全面がバリバリに裂けて、瞬く間に朱に染まる。同時に、指先には微かな魔力の光が徐々に宿り始めた。

 し、白河君!  血が……!」

 ぼくに構わず……あ、合図したら、射ってください……あと、ぼくは、白河じゃないです……!」

 それ、そんなに重要なトコか?  まぁいい、合図で射るのだな、了解した。合図は『映美たん愛してる』で頼むぞ」

 ……『射て』と言ったら射ってください!  それ以外の合図は却下です!」

  スクーターの速度を上げてヒョウ魔物の真横に並ぶと共に、魔力をやじりになすり付ける。魔物はぼくたちに気づき、ツノを傾けて接近してきた。

 ──射ってください!  外したら承知しませんよ!」

 任せろ。ここからなら絶対に外さない」

  ビンと弦がうなった。

  五発目の矢も同様に、吸い込まれるように奴の目にまっすぐ向かっていく。今までの矢と違うのは──それが普通にブッ刺さるということだけだ。

  狂おしい吠え声がこだました。

  すぐさまUターンして、ものすごい勢いでもんどりうって倒れた魔物の元へ詰め寄る。それは身をくねらせ、苦しみ、腹を見せて悶絶していた。

 ……痛いのか?  今、楽にしてやろう……」

  ぼくはスクーターを降り、矢傷を負った瞳から流れ出る魔素を取り込んだ。決して多くないが、十分な威力が出せる量だ。

  術式を魔物の頭部付近に描き、至近距離で魔力を爆裂させる。

  頭を粉々にされたそれはぐったりと動かなくなり、やがてゆっくりと、黒い霧状の濃い魔素へと変ぼうしていった。

 ……消えた」

  気づけば傍らにたたずんでいた、朝倉先輩がぼそりと呟いた。ぼくはうなずいて、彼女の目に映らなくなった魔素を魔力に換えて、治癒の術式を組んだ。

 それでもう、傷が治っているのか……体育倉庫の謎がすべて解けたよ。あそこで魔術を使う必要のある、何かが起こったのだな」

  まったく、先輩は本当に勘が良すぎる。

 ……助けていただいて、ありがとうございます。ですが、一般人がアレと渡り合うのはあまりにも危険すぎます……怖くないのですか」

 怖いさ。だが──君と一緒だと、なぜかそれ以上に勇気が湧くのだ。私の知らない、私の心の中にある何かにつき動かされるのだ」

  朝倉先輩は、ぼくに柔らかな視線を投げかけて、穏やかに微笑んだ。

 ……ぼくも、あなたにはただ者ではない何かを感じます。その何かは、それと同じなのでしょうか」

 分からん。ただ、もうすぐその正体が分かりそうな予感がしている。何かひとつ、きっかけがあれば──すべてが分かったその時にはまた、私と会ってほしい」

  ぼくはかぶりを振った。

 ぼくは、会わないですよ。人違いですから──その時が来たなら、あなたがそうだと思っている相手に、勝手に会いに行けばいいんです。彼の住所ぐらい知っているのでしょう?」

 ……あくまで一線を引きたいのだな。分かった、勝手にするさ」

  先輩は苦く笑んで、小さいため息をついた。

  

  発陳はっちん市内は大混乱が続いていて、公共交通は電車もバスも動いておらず、結局呉武くれたけまで歩いた。

  家の前に差し掛かる頃には、すっかり黄昏時となっていた。そんな薄闇の中、家の門の前でうずくまるようにして座り込む人影が目に入り、ぼくは安堵と心苦しさがないまぜになった複雑な思いが胸の中でぐるぐるするのを感じた。

 ──ハム子。無事だったか」

  ひざまずいてそっと呼びかけた声に反応して、ハム子はパッと頭を上げた。

  一瞬呆けた顔をして、それからぎこちなく笑顔を作ろうとして──くしゃりと崩壊した。

 ……イヤ、やっぱりイヤだよぉ……ハヤ君……一緒にいてよぉ……!」

  そして、彼女はわぁわぁと泣きじゃくった。ぼくの首根っこにしがみついて、左胸に頭を預けて。

  ぼくは、ぼくの為すべきことをしている。

  したいことでも、やらなくてもよいことでもなく、必ずやらなければならないことを──その結果が、ぼくにとって一番つらい思いをさせたくない奴につらい思いをさせている。

  ぼくには自由も、選択肢もない。だから、どうすべきだったのか、頭で考えても正解は出ない。

  なので──彼女の頭を包み込むようにして抱きしめたのは、頭で考えての行動ではなかった。

  ハム子は、驚いたようにびくりと震えて、それからおもむろに、ぼくの胸に顔を深く沈み込ませた。

 ……ハム子、家に帰ろう。すぐそこだけど、ぼくが一緒に行ってあげるよ。今日はもう、ゆっくり休むんだ」

  ほっぺたを押しつけたままの格好で、彼女は、こくりとうなずいた。

  

  ぼくの部屋に戻り、明かりをつける気も失せて、ぼくは床にぺたりと座り込んだ。

  心身共に、疲れ果ててしまっていた。

  やはりダーン・ダイマでのぼくの使命は、早く終わらせなければならない。これ以上の被害も、悲しい思いも、全部終わらせなければいけない。

  ふっと、赤茶色の巻き毛の女性の姿が、まぶたにちらついた。

  彼女との別れを思うと、心臓がわしづかみにされるような苦しさを覚える。

  この気持ちは──ぼくが持ってはいけないものだ。

  捨てたい。捨てられない。

  終わらせたい。終わらせたくない。

  矛盾するぼくの迷いを、運命があざ笑うかのように──

  左腕の腕時計が光り始めた。

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