第57話 予言の朝

 それから青や黄のライダーたちがやってきて、彼女に装置を取りつけた。


 淡い青とサフラン色の長衣ルクヴァが、入れかわり立ちかわりしながら器具をあらため、またリアナに『装置』のなかでの注意をのべた。やむを得ず試験を停止する場合の合図は、身体の動きを使うものと〈呼ばい〉を使うもので三種類を決めておく。

「まずは、近くのライダーに〈呼ばい〉で声をかけていただきます。それが難しい場合は、声での合図」

 装置を管理しているらしい、眼鏡をかけたライダーが指示をした。「声が出ない場合は、まばたきで合図をしてください。眼球運動は、身体が動かない場合でも最後まで残ることが多いので」

「ぞっとしない想像ね」

 リアナはぼやいたが、素直に指示どおりのまばたきを返した。あおむけになって他人に指示されるということ自体がはじめてで、なんとなく奇妙に思える。まして、これからのひと晩で体験することは、彼女の想像を超えていた。


 ――気持ちを落ちつけなきゃね。


 主人ライダーであるリアナが緊張していると、レーデルルにもそれが伝染してしまう。そう考えていると、うす明かりのなかで「クルルルル」と静かな鳴き声がした。レーデルルが、彼女を落ちつかせるように喉を鳴らしているのだった。

〔ずいぶんお母さんになったのね、ルル。昔はわたしがあなたの世話をしてたのに〕

 リアナは〈呼ばい〉の声で話しかけた。〔落ちついてきたわ、ありがとう〕


 さらに、もう一柱ひとはしらの竜の〈呼ばい〉もあった。リアナの生体反応を見守っている、癒し手ヒーラーの青竜だ。

 

 確認を終えたライダーが一人去り、二人去り、最後に親友、エピファニーが残った。「僕も近くにいるからね」

 そう声をかけて、装置を作動させた。羽音に似た柔らかい音がして、ガラスでできた棺の蓋のようなものが寝台を覆った。


 明かりがひとつ、またひとつと落とされ、装置近くを照らす常夜灯だけになった。ファニーも、ほかのライダーも近くにいるのはわかるが、すべては暗闇に包みこまれている。


 リアナは、目が暗闇に慣れるまで、じっと竜舎の天井あたりを見つめていた。高い場所にある窓から、丸く切り取られた星空が見えた。透明な覆いに自分の呼気がかかると、白くくもる。


 〈呼ばい〉の経路をゆっくりとひろげて、レーデルルの意志が流れこんでくるようにする。これほど意識的に〈呼ばい〉を使うのは久しぶりだ。

 動物的な充足感や、ゆったりした眠気にまじって、イメージの切れはしのようなものが流れてきた。餌桶のなかでぴちぴちと跳ねている、しまの入った緑色の新鮮なパーチ。竜舎をくっきりと明暗に分ける太陽光。世話人たちのぼんやりした立ち姿。動きまわっている黒い仔竜。彼女の生活を構成しているものたちが流れては消え、しだいにもっとあいまいなものになっていった。黄金に輝く小麦畑。鈍色のこまかな雨。鼻歌のような音の連なり。暗闇のなかで青白く光る文字列……。


 やがて、眠りが訪れた。


 レーデルルの意識のせいだろうか。この時のリアナの夢は、いつになく色鮮やかで、幸福と郷愁きょうしゅうに満ちていた。リラの花びらが舞う結婚式や、寝台から見る仕事中のデイ、仔竜たち、愛するタマリスの城下街などがきれぎれに流れていった。

 

 これがルルの記憶なのかしら、とリアナは思った。

 しだいに夢は時系列をさかのぼりはじめた。落ちていく飛行船に、国境を燃やすアーダル、ニザランでのイニとの再会、フィルと越えた雪山の荘厳な美しさ、氷と灰のなかでデイミオンと誓った婚姻、デーグルモールの兵士イオとの死闘、胸を引き裂かれるようなメドロートの死、フィルの出奔、嵐の夜、デイミオンのシーズンで感じた苦痛、裏切りと血にまみれた戴冠式、ケイエの再襲撃、助けられなかった子どもたち、はじめての掬星きくせい城、何度も繰り返し夢に見る里の襲撃、メナとアミの姿、暖炉の側で聞くイニの昔話――


 白と黒の、互い違いになった勾玉まがたまのようなものが、ゆっくりと車輪状に回っていた。しだいに拡大されていくと、それは胎児のような姿勢で向かいあった自分とデイミオンであるとわかった。白いドレスと黒い長衣ルクヴァ。「完璧な一対のつがい」と、彼自身が言ったとおりの絵図だ。

 フィルの映像もあった。夕焼けを背後に、逆光となって浮かびあがる青年の姿。いつか夢に見たものと同じだった。


 そして、不思議なものもた。

 

 巨大な翼を広げた雄々しい黒竜アーダルと、羽を休めているレーデルル。そのあいだをせわしなく動きまわる二人の子どもドーン。主人たちと同様、白と黒の完璧な組みあわせだ。……微笑ましく思っていると、なぜか、リアナ自身の隣にも子どもが見えた。同じ年頃の男児が二人で、チャンバラ遊びをしてふざけあっている。

 

 幸福な、現実にはまだ存在しない光景。


(これは――まるで、もっと先の未来の……)

 もっと詳細に、先まで見たいと思うのに、映像は風が吹く湖面のように揺らめきはじめる。

(待って、もう少しだけ……)


 ♢♦♢


 自分の指がぴくりと動く感覚で、目が覚めたことがわかった。〈呼ばい〉の通路が、とたんに慌ただしくなって、目には見えない情報がやりとりされているのがわかる。ふしゅっと空気の抜けるような音とともに、装置の覆いがひらいた。


 朝のまばゆい光のなか、おそろしく整った顔の夫がどっかりと椅子に掛け、腕を組んで眠っているのが見えた。光の当たっている部分が、金色の縁取りのようになっている。

 だらしない顔で寝ていてもやっぱりハンサムだわ、とリアナは思い、そんなふうにいつも考えてしまう自分がおかしかった。



 ファニーと、ほかのライダーが近づいてくる足音で、デイミオンは目を覚ましたらしい。

 あくびをかみ殺しながら「……起きたのか」と言うと、立ちあがって大きく伸びをした。

 そして周囲の部下たちにまったく配慮することなく、いつものように身をかがめて妻におはようのキスをした。

「ん?」

 唇を離したものの、顔は近いままで、彼女の顔をまじまじと見ている。

「……いま、竜術を使っているのか?」


「いいえ、起きてからは使ってないわ」リアナが答えた。「どうして?」


「目の色が、スミレ色に戻っている。薄灰色じゃない」

 デイミオンが呟き、ファニーが呼ばれるようにやってきた。「本当に?」そう言って、リアナに〈呼ばい〉を開かせ、また遮断させてと繰りかえした。


 手鏡を渡されたリアナは、嬉しいというよりも、よくわからないという顔をした。鏡のなかには、子どもの頃からの鮮やかなスミレ色があった。デーグルモール化の治療のために一度、〈竜の心臓〉を取りだしてからは、竜術の使用中にしか発現しなかったものだ。そして、術の使用中に鏡を見ることなどないから、リアナはすっかり薄灰色の目に慣れてしまっていた。


「どういうことなの」

 隣で見ていたデイミオンが言った。「ライダーの虹彩の色は、〈竜の心臓〉と関係があると言われるが」

 力が強大で、ふるいとされる家系ほど、虹彩の色は珍しく、特異なものになる傾向にある。ゼンデン家のスミレ色の虹彩は代表的なものだ。デイミオンの青い目のようにありふれた色でも、竜術の使用中は黄金色に輝く。

 

「修復されたんだ」ファニーが興奮を隠しきれないように言った。

?」と、リアナ。

 ファニーが続けた。

「これで、確信が得られた。竜と竜騎手ライダーの精神同期は、たがいの損傷を修復する効果がある……もちろん、虹彩の色とアーダルの冬眠とは別の現象としても。デイミオン、これは、吉兆だよ」

 ファニーの言葉は、二人には力強く響いた。


「そうか」デイミオンが、ほっとしたようにうなずいた。「それなら、俺がこれからやることにも、希望が持てるだろう」



 ♢♦♢


 それから、数日後。

 竜王が眠りにつく日は、保安上の理由から国民たちに知らされることはなかったが、竜神祭の当日だった。城下からはにぎやかな楽の音がとどき、色とりどりの紙吹雪が風に乗ってとんできた。


 今年、豊穣を願う白竜の舞を奉納したのは、リアナだった。

 王国でもっとも美しい竜と言われる白竜レーデルルをしたがえて、彼女は城の中部あたりの高さまで舞いおりた。空に浮かんだリアナは、タマリスに集まった民に万雷の拍手と歓声とで迎えられた。風を自在に操り、体重のない者のように軽やかに跳んで、宙返りし、あるいは独楽コマのように回転する。派手好みの彼女らしく、水流も光の粒もたっぷりと振りまいて、晴天の王都に虹がよく映えた。


 舞が終わる。歓声に手を振ってこたえると、リアナはふわりと跳んで掬星きくせい城の露台から中へ入った。舞で映えるための、飾り布の多い服を脱いで着替え、最上部の竜舎へと向かう。


 先日、自分が身を横たえた装置に半身を起こし、デイミオンがエピファニーたちと最後の打ち合わせをしているところだった。


 近づいていったリアナは目を見開いた。一瞬、弟のフィルバートかと思ったのは、結わえられていた夫の黒髪が短く切り整えられていたせいだ。

「髪……どうしちゃったの?」

 見慣れない頭髪に、思わずまじまじと見てしまう。後頭部の形のよさと、首や肩のラインがよく見えるが、あるはずのものがない、という感覚が大きい。


「一年近く風呂にも入れないんだからな。切っておくほうが衛生的だろう。装置に絡んでもうっとうしいし」

 デイミオンはなんでもないことのように言い、妻のほうをちらっと見た。

「なんだ? 長いほうがおまえの好みなのか?」


「長さは慣れそう。なんだか、ちょっとフィルに似てるわね」

 リアナは首の角度をあれこれ変えてみて、夫の新しい髪形を検分した。「髪はこれでいいわ。でも、ヒゲはやめてね」


 そばで装置を確認していた若いライダーが、こらえきれないように吹きだした。不敬と思われないようにか、あわてて顔を取りつくろっている。リアナが装置を試したときにもいた眼鏡の青年だった。


「妻の好みで、ヒゲもたくわえられない。貴殿も結婚するときはよく相手を選ぶんだな」

 デイミオンが若者にぼやくと、リアナも負けずと夫に言いかえす。

「だってヒゲって、磁石にくっつく砂鉄みたいじゃない?」


 あいだに挟まれた青年は苦笑いするしかない。

 いくらか緊張がほぐれたらしく、彼は長い管を巻き取りながらふと聞いた。

「結婚とは良いものですか、陛下?」


 その問いに、デイミオンは柔らかく笑った。「ああ。とても面倒だが、何物にも代えがたい」


 そんなささいな話が終わると、もう、すべての準備が終わってしまった。横たわって身を落ちつけるデイミオンを見て、リアナは胸にこみあげてくる感情に揺さぶられていた。

「デイ……」

 それでも、なんとか微笑むことができたのは、装置の中で見たあの夢のおかげだった。リアナの夢には予言めいた力がある。これまでは、辛い予知のほうが多かったが、きっと今回こそ、あの夢で見た幸福が実現されるに違いない。

 自分の目で見た今は、それを信じられる。


「おそれないで」

 デイミオンが目を閉じる直前、リアナは言葉をかけた。「きっとうまくいくわ、何もかも。……そして、あなたの目ざめる春になる」

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