第7話 エクハリトス家の男たち ②

 リアナは一人で椅子にかけ、入ってきた二人を見やった。とりわけ、フィルバートのことを。


 この十年でほとんど変化がないのは、デイミオンと同じだ。でも、離れていた期間が長い分、わずかな変化が新鮮に見える。

 たとえば、短く整えた髪。ほとんど金髪のように見えた砂色から、赤みがかった茶髪に戻っている。薄灰ハシバミ色の目とあわせ、白い長衣ルクヴァとよくマッチしていた。生まれながらの竜騎手ライダーのように堂々としている。


 参列が予定されていなかったはずはないが、エクハリトス家の男たちはフィルバートの登場にざわめいた。

「あの〈ハートレス〉……」

「いや、彼はもう〈ハートレス〉ではないのだよ。リアナ陛下の心臓を共有していて」

「だから、長衣ルクヴァも着られるのか」

「そうは言っても、竜騎手ライダーがあんなに大手を振って歩くとは、嘆かわしいものだ」


 リアナが冷たい視線を送ると、中年貴族たちのみっともないうわさ話はぱたりと止んだ。

 乗り手ライダーが希少だというのは、単に生物学的事実で、かれら自身の優劣を示しているわけではない。リアナはそう思っているのだが、それが認められない男たちもいるようだった。


 フィルバートは通り一遍の挨拶を済ませると、さっさとリアナの前から退出していった。親族たちにつけ入られる隙を見せたくない、ということかもしれない。リアナのほうでは久しぶりに彼ともっと話したかったので、残念だった。

(なかなか、城のほうにも訪ねてきてくれないし……)

 もっとも、フィルのほうの立場ではそんな気になれないのかもしれないが。


 妻のもとに戻ってきたデイミオンは、ようやっと会場に現れた弟に気がついて、なぜか深くため息をついた。

「このタイミングでやって来るとは……よかったと思うべきなのか」

「? なんのこと、デイ? ……」

「いや……」

 デイミオンは妻を安心させるように微笑むと、目の上に優しく唇をあてた。「フィルに話があるんだ。ちょっと行ってくる」


 そして弟のほうへ歩いていくと、なにごとか話しかけた。

 あまり似ていない兄弟は、表面上は穏やかに会話をすすめ、連れだって出ていった。黒と白の長衣ルクヴァの背中が遠ざかっていく。


 二人の男の間に強い緊張関係を感じたのは、リアナだけではなさそうだった。

「陛下とフィルバート卿は、犬猿の仲みたいですね」

 隣からそう話しかけられ、顔をあげるとナイメリオンの姿があった。銀髪に緑の目でハダルク似の息子だ。黒の竜騎手ライダーで、王太子でもあるので、デイミオンに似た金飾りつきの豪華な長衣を着ていた。

 ヴィクトリオンより年少で、まだいくらか少年じみて見えるが、来年には成人を迎える。

「僕たちが小さかった頃は、あなたをめぐって二人が決闘したとか聞きましたよ。リアナ陛下」


「あれはお遊びよ。二人とも本気じゃなかったわ」

 リアナは慎重に言った。

「わたしが王位にある間、二人で協力してわたしを守ってくれたのよ。デイミオンは王太子として、そしてフィルは護衛として……」


「あるいは、密偵として」

 ナイメリオンは鼻で笑った。「〈ハートレス〉は〈ばい〉が使えない。心臓がないから竜術で探知できない。英雄だとか竜殺しだとか言われて持ちあげられてるけど、結局は人間と同じ、劣った生き物なんだ」


「ナイム」リアナはたしなめる口調になった。

「フィルバート卿は大陸一の剣士で、わたしの心臓を預かる大切な相手よ」


「でも、陛下の〈竜の心臓〉を使って、竜騎手ライダーみたいに威張って歩くのはおかしいでしょ? あの人は〈ハートレス〉なのに」

「あなたのお兄さんも〈ハートレス〉なのよ。ヴィクトリオンはあなたより劣った存在なの?」

 ナイメリオンの目に狡猾な表情が浮かんだ。「そんなことは言ってない。ヴィクはいいやつですよ」

 まったく不思議なことだが、ナイメリオンは血のつながらない義理の父、グウィナの前夫のゲーリー卿にどこか似たところがあった。恵まれた地位と力を持ちながら、いつかそれを失うのではないかと内心でおびえているようなところが。

 痛いところを突かれないようにさっさと側を離れた王太子を、リアナは思案げに見送った。


 ♢♦♢


 宴席はそろそろお開きになろうとしていた。楽の音は止み、料理の皿も下げられつつある。


 二人があまりに遅いので、リアナは心配になってきた。様子をうかがうだけなら、小姓にでも頼めばいいのだが、重要なことを話しあっているのなら立ち聞きもはばかられる。


「ケヴァン、ちょっと様子を見に行ってもいい?」

 護衛役の〈ハートレス〉が、左右にさっと目を走らせてから、うなずいた。兵士にしては小柄な、短い黒髪の青年だ。口数も少なく目立たないが、フィルの部下のなかでは彼に次ぐ剣技の持ち主と聞いたこともある。彼が一緒なら、安全だろう。


 リアナはあまり人目を引かないように気にしながらケヴァンと退室し、デイミオンとフィルが話しこんでいるという部屋の前に立った。そこで、思わず立ちすくんだ。


 二人の男が、激しく言い争っていたからだった。


 決して仲睦まじい兄弟というわけではなかったし、ナイメリオンの言うようなものではないにせよリアナをめぐって険悪な雰囲気になったこともある。しかし二人のこれほどの口論を聞いたのはリアナは初めてだった。声がこもっていて、内容はわからないが……。


 バン! と音がするほど激しく扉が開き、フィルバートが先に出てきた。


「フィル!」リアナはあわてて引きとめる。「いったい何があったの?! そんなにデイともめるなんて――」


 フィルバートはかろうじて立ちどまったが、ハシバミ色の、冷えびえとした視線を彼女に落とした。「あなたには関係のないことです」


「関係ないって……」あまりに彼らしくない言い草に、リアナはあぜんとした。「どうしてそんなこと言うの?」

「本当のことだから。……失礼します」

 それ以上尋ねさせる間もなく踵をかえしたフィルに、デイミオンが呼びかけた。


「フィルバート!」

 フィルが振りかえり、男たちは距離を置いてにらみ合った。リアナは困惑して、二人の顔を交互に見あげるしかない。

 だが彼女の予想を超えることに、折れたのはデイミオンのほうだった。「……頼む」


「…………」

 直前まで、いったいどんな話をしていたというのだろうか。フィルは兄の顔を、ほとんど憎しみをこめて睨みつけた。しばらくの沈黙ののち、彼はデイミオンにもリアナにも答えることなく長衣ルクヴァをひるがえし、去っていった。


 リアナはその背中をぼう然と見送った。


 夫もまた、フィルの立ち去った方向を見て、けわしい表情を浮かべている。心配そうに見あげてくるリアナに気づいたが、理由を尋ねる前に首を振った。


「この件についてはおまえには話せない」

 デイミオンは苦悩に満ちた顔で言った。「すまない、リア」


 このときに二人がなにを言い争い、そしてなにを取り決めたのか、リアナが知るのはかなり先のことになる。


 だが後から思い返せば、この時のいさかいが、波乱に満ちた繁殖期シーズンの開始の鐘だったのかもしれない。

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