第2話 オークション ①

 大きな扉が音をたてて開くと、まるで音と光の洪水のようだった。


 地下に囚われ、出されたばかりの女たちは、こわごわと寄り集まって扉の向こう側をのぞいた。

「おまえたちはこっちだ、こっち」

 世話役の男が声をあげて、舞台端のような場所に追い立てられる。

 そう、それは確かに、大きな舞台のような場所に見えた。エメラルドグリーンの石で飾られた舞踏用の広間だ。高価な蝋燭がおしげもなく使われ、シャンデリアがきらめいて、暗闇に慣れた目には光の海のようだった。

 実際には貴族の館の一室を改築した小広間で、王城のものとは比較にならないのだろうが、それでもすり鉢状にしつらえられ満員となった客席は、女性たちに威圧感と恐怖を与えるものだった。


 カーン、と小気味よい木づちの音があたりに響く。鳴らした男がオークショナー役だろう。

 はじまったりに、モーガンは思わず息をのんだ。


 一人の紳士が、隣の使用人になにかをささやき、そして使用人が札をそっと差しだす。

 カーン。また、木づちの音。「共通金貨200にて、落札です」

 その小さな声は、湖に落ちた小石のようにあたりを静まり返らせた。「番号をお願いいたします、閣下」

 使用人が札を掲げ、オークショナーがうなずく。「ありがとうございます、S卿。

 ――次なる宝石はこちら。艶やかな黒髪に黒曜石のごとき瞳、性格は穏やかで従順。間違いなく、閣下がたの夜にすばらしい色を添えることと存じます……」


(なんということなの、こうやって、混血の女性たちが人身売買にかけられている)

 あらかじめそれを予想していたとはいえ、モーガンは驚きを隠しきれないでいる。人間の国では、女性の地位が男性よりも低い。そう考えられている。だが、竜の国オンブリアでは女性は男性と同じように重んじられ、平等に扱われている――さすがにそのお題目をそのまま信じているわけではなかったが、目の前の光景は衝撃的だった。

 自分の国の、王のお膝元ともいえるタマリスで、このような犯罪行為が野放しになっているとは。


「人間との混血の女性は、純血の竜族より多産と考えられている」

 後ろで呟く声は、リアナと名乗る女性のものだった。

「わたしたちは子どもがほしい……だからといって、混血の女性を売買していい理由にはならない。……わたしの目で確かに見たわよ、クロヴィン卿、スヴァルスク卿、カーニシュ卿」

 オークションに参加している貴族たちを名指しするその姿で、モーガンは彼女の正体に確信を持った。


「潜入捜査員は、私以外にもう一人いるはず。……それが、あなたなのね?」

 モーガンの小声の問いかけに、リアナはなぜか間を置いてからうなずいた。「そのようなものね」


「準備は整っている?」

 先に潜入したモーガンは、彼女よりも情報が遅いはずだった。それで尋ねると、リアナはうなずいた。「万全よ。王都警備隊が、このタウンハウスを取り囲んでいる。合図があれば、突入できるわ」


「もう!?」

 春はどの部署も忙しく、王都警備隊も例に漏れない。モーガンとて、潜入捜査の前には入念に各部署に根回しをしたのだ。それでも、一度に動かせる人員には限りがあるはずなのに――。

 彼女は何者なのだろう、とまたモーガンはいぶかしんだ。仮面をつけた貴族たちを名指しできるくらいだから、かなりの手練れだろう。自分には知らされていない、貴族たち向けの諜報員なのかも。それにしては容貌が――その――普通だけれど。


「ともあれ、安心したわ」

 ここで売られ、買われた女性たちは、間違いなく自由を得ることができる。そう思えば、自分の労苦も無駄ではなかった。モーガンは胸をなでおろした。

「まだ早いわよ」リアナが釘を刺した。


 美貌の女潜入員モーガンは、五公十家につらなる大貴族の嫡子に買われた。その値、金貨650。会場がざわめく、この夜の最高額だった。およそこの金額で、タマリスに家が一軒建つ。

(ずいぶん、貯めこんでいるお貴族さまが多いじゃないの)

 警備隊だけでなく、税務官も舌なめずりをして喜びそうな光景だった。


 そして、リアナが競りにかけられる番となった。胸部を覆うだけのボディスに、動くたびに太ももがあらわになるスカートといった、踊りのような恰好だが、牢の中と同じようにふてぶてしく腕を組んで立っている。巨大な鳥籠めいた檻に入れられていたが、小鳥のようには見えなかった。


「次なる花は金茶の巻毛、健康にして頬はバラ色。じゃじゃ馬馴らしがお好きな男性にはよいお相手になることと思います――」

 口上を述べる男は、どの女性にも同じような美辞麗句を述べ立てている。正直に言って、モーガンほどの美貌をもたないリアナに対し、紹介のセリフはそれほど熱の入ったものではなかった。


 だが、上がった声は予想外のものだった。

「1200」


「せ、1200?!」

 それまで冷静に場を進行していたオークショナーが、驚いて木づちを取り落としそうになった。

 競りの序盤から、思わぬ高額が提示されたのだから無理もない。


 札を持つのは、威風堂々たる体躯の一人の男。長い脚を組んで、舞台のよく見えるVIP席に座っていた。オークションの性質から仮面をつけてはいるが、それでも高い鼻筋や形の良い口もとは隠せない。豪奢な肘置きに腕をのせ、もの憂げな顔を支えている。仮面の後ろの髪は黒。隣には銀髪の使用人がいるが、こちらは護衛も兼ねているようで剣を下げていた。


「……1200。M伯D卿」

 オークショナーは驚きを隠せない様子だったが、取り繕うように台詞を続けた。


「よろしゅうございます。この花の値は1200、1200と。いかがでしょうか? これ以上の値をつける方は?」


「1350」

 会場がざわめいたのは、思わぬ高額を出した貴族がもう一人現れたからだった。こちらは銀狐のように真っ白な装いで、亜麻色の長い髪。軽やかな若い男性の声だった。

「これは、J卿。ごひいき賜り恐縮でございます」


 白衣のJ卿と黒髪のD卿によるつり上げはその後も続き、ついにD卿によって「5500」の数字が告げられ、競りが終わりを告げた。


「5500、5500と……。それ以上はございませんか? では、5500にて、D卿へ……」


「つまらん」

 金で縁取られた白い仮面の男が、退屈そうにオークショナーを遮った。「私の妻の値が、たった金貨5500とはな」

 他人に命令することに慣れた、低くよく通る声である。

 なにか聞き捨てならない単語が混じったような。オークショナーは、世話役のチンピラを目で脅した。男は、『なにも知りません』というように首を振った。


「なにごとも、最初に支払った金額以上の価値を見出すのが、竜族の男の美学では? 女性の価値は、金貨などには替えがたいものです」


 彼と競りを争ったJ卿なる若者が、面白そうに口を挟んだ。「それにしても、彼女を金で買えるのなら5500でもまったく高くはない。賢い買い物をなさいましたね、閣下?」


 D卿と呼ばれた貴族は、それには答えず、周囲の制止も聞かずにずんずんと舞台に上がっていった。そのあとを銀髪の男が影のようにつき従っていく。その手は、いつでも剣が抜ける位置にあった。

「閣下、どうぞお席へ……」

 と、言いかけた用心棒役の足元がぶわりと熱にゆがむ。

「あちっ!」

退け。おまえを焼いた匂いが臭くてかなわん」

 その無慈悲なセリフで、貴族が黒竜の乗り手ライダーであることが知れた。ここはタマリス、ライダー自体は珍しいものではない。


「馬鹿にしやがって……こっちもライダーを呼べ!」

 用心棒が自分の足元を気にしながら小声で指示するが、返ってきたのは「こちらのライダーは、急に炎が使えなくなったと。黒竜の支配権が奪われて――」

「なんなんだ? 高い金を出して雇ったライダーだぞ。支配権なんて寝言を聞いている暇は……」

 オンブリアの貴族階級、特に五公十家と呼ばれる貴族たちは、血筋のほとんどが乗り手ライダーと呼ばれる力の持ち主だ。だからこそ、オークション会場にも護衛役として同じライダーの能力者を雇っているというのに、いったい、どうしたことなのだろう?



 装飾的な金めっきの鳥かごなど、黒竜のライダーの前では枯れ枝も同然だった。ぐにゃりとゆがんだ檻を、手袋をはめた手で開き、長身の男は中からリアナを救い出した。


「……デイミオン」

 リアナは男の腕の中で、満足げに目を細めた。「夫に競り落とされるなんて、刺激的ね」


「警備隊に情報提供に行くなどと言ったときから、こうなることはわかっていたんだ」男はため息とともに低くつぶやいた。「どうしてそう無茶ばかりするんだ? まったく、おまえといると退屈という言葉が懐かしくなるよ」


 二人の顔が近づき、まるで世界など目に入らないといったふうに口づけをはじめた。その直前にリアナは彼の仮面を外したから、キスから顔をあげた男が誰なのか、衆目にさらされることになった。


「陛下!」

「竜王陛下だ」

「まさか、本当に、デイミオン王なのか?!」

「じゃああの女性は――王妃殿下、いや上王陛下――」


 オークションを進行していた組織の側よりも、むしろ参加者の貴族たちの動揺のほうが大きかった。非合法な人身売買に加担したとなれば、一族の破滅も同然だから、当たり前だろう。

 ガタガタっと席が倒され、客たちは先を争うように出口へ向かおうとした。まるで火事でも起こったかのように口々になにかを叫び、また祈りながら押し合いへし合いする貴族たちに、「動くな!」という号令が響きわたった。


「王都警備隊だ! 動くな!」


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