⑧『深い闇に飲まれないように』


 カツ―――――ン……。

 金属音が耳についた。

 カツ―――――ン……カツ―――――ン……。


 金属音と重なるように、換気のためか。巨大なファンが回転する音もする。

 無機質で頼りない白熱灯が下がっていた。

 薄明りに、天井からいくつも人間の大人ほどある何かが等間隔に吊り下げられている。それが汚れたコンクリートの床に無数の影を落としていた。

 磯のそれとは、明確に違う生臭さと、白いスモークが充満している。


 立ち尽くす少女たちの後ろから、まっさきに天井から吊られた首のない豚に触れたのはエリカだった。

「大丈夫。プラスチックだわ。作りものよ」

 胸をなでおろした。

「……びっくりしたー。本物かと思った」

「いやなこだわりですよ。一瞬人間に見えて驚きました……」

『ここは食肉加工場か? まんしょん、というからには、少し……

 ……しっ、何か来るぞ』


 カツ―――――ン……カツ―――――ン……。

 金属音。

 ファンが回る風切り音。

 カツ―――――ン……カツ―――――ン……。


『あの金属音はなんだ……? 』

「すぐに」


『わかるわ』と、エリカは続けるつもりだったのだろう。言葉を呑み込んだのは、言うまでもなくその姿が見えたからだ。


 ビニールの安っぽいエプロンと、顔を覆うゴーグル……そう、刑事ドラマで検視官がつけるような……それの表面も、白っぽい『食材』の汁で汚れていた。

 白髪か、フケか、とにかくまだらになったザンバラの髪も、脂ぎった太った体、襟がのびきった汗と垢が染みたシャツも、不潔さを煽る。


 肉は天井から、先端にフックがついた長いワイヤーに、直接背筋を引っかけられてる。高さは170㎝を越えるエリカの身長より頭ふたつ高い。

 しかし、ああ、『彼』ならば、道具に頼らなくても、『食材』を手に取るのに手間取らないはずだ。


 その顔はから見えた。

 まさしく見上げるような巨漢である。


 ぶおん、と振り上げられた巨漢の手には、オーブンの鉄板を二枚並べたほどもある中華包丁が握られていた。


「――――フェルヴィン人よりでかい!!! 」

「なんですかそれぇ! 」

「巨人の血を引くエルフよ」

『言うとる場合か! 来るぞ! 』


 巨大な中華包丁が、中華麺のように金属ワイヤーを火花を散らしながら刈り取った。切り離された豚が勢いよく床に滑り落ちてぶつかり、大渋滞を起こす。

 黒い歯茎を剥き出しにして、巨人が唾を飛ばしながら怒りの声をあげるなか、四人は四散してそれを避けた。


「これアトラクションなんですかぁぁぁあああ!? 」

 ミシェルが悲鳴を上げる。

「銀蛇! 」

 杖を構えたヒースに、式神の叱責が飛ぶ。

『相手取るな! 背後の扉へ向かえ! 』


 巨漢が出てきた扉がある。大きな両開きの扉は、巨漢が出てきた勢いのまま、前後に揺れている。

 次々と扉の隙間に飛び込んだ。巨人の咆哮と、地団駄を踏みながら、侵入者を探して暴れる音がしている。


 銀色の壁と、リノニウムの床の部屋だった。ビニールが仕切りのように下がっている。銀色の壁は、よく見れば冷蔵庫だ。


 あたりを見渡す。出口らしきものが見当たらない。

 5mほどもある壁一面が、無数の冷蔵庫で埋め尽くされていた。ミシェルとヒースは、それらを片っ端から開けていき、式神とエリカは、部屋のあちこちに垂れさがるビニールをめくったり、アルミ製の作業台や流し場をひっくり返している。


「出口があったわ! 」

「魔石ってこれじゃないですか!? 」


 ミシェルが高く掲げる手には、翡翠色をした『それっぽいもの』が握られている。


 そのとき、どすどすと音を立てて巨人が部屋へ帰ってきた。扉を壊す勢いで飛び込んできた巨体が、突進するように出口へ向かう侵入者たちを追ってくる。

 ビニールで隠されていた通路は、残念ながらそんなに狭くなかった。癇癪をおこした赤ん坊のように、巨人は包丁を握った腕と拳にした腕を交互に振り回しながら追ってくる。


「エレベーターだ! 」


 廃棄物処理用のエレベーターだった。巨人が乗るようにはできていないが、人間が四人乗るには十分だ。

 全員が乗り込み、はじめてそれが、『外から操作する』ものだと気が付いた。ゴミ処理用なので、ボタンが通路側にしかないのだ。


「ええい! もうっ!!! 」

 しんがりだったエリカが飛び出し、『Close』ボタンに手のひらを叩きつける。

 ヒースはエリカが飛び出したことよりも、いつも冷静な彼女が『ええい! もうっ! 』と叫んだことに驚いた。上昇するエレベーターに飛び乗った母の身体を受け止め、抱きしめたような体勢になりながら、巨人が悔しそうに地団駄を踏む姿を尻目に逃げ延びたことの安ど感から、そして、このアトラクションのエンディングを察しながら、気付けば四人、狭苦して暑苦しいエレベーターの中で、げらげら笑っていた。

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