The fall of "Eve" ③

 紅い、赤い、炎が、ほの青い闇を千切りながら、明るい夜空に立ち昇る。

 この世界の人々は、一家に一台、この『車』というものを所有するのが普通だという。

 大きさも色もバラバラなそれを、おもちゃのように蹴散らして、バジリスクは、怯んだように一歩後ずさった。


 ✡



 尾は蛇、翼と脚は蜥蜴、体は雄鶏おんどり

 ひと睨みするだけであらゆるものが石と化し、吐息は岩をも砕く毒を持つという。

 バジリスクとはそんな怪物らしいが、これはずいぶんと弱体化し、『触れたものと石とする吐息』だけを保有していると、ジョンが言った。


「……つまりあなた達は、警察って組織の中でも、こういう……えーと、怪物や神々が関わる事件を対処するために結成されたチームの人たちってことでOK? 」

「うん。そういうこと」

 燈はにこやかに頷いた。


「ということは、君達もその邪神たちに役割を与えられて来たということか」

「まあ、ざっくりいうとそんなとこかな」

 ジジには神々の考えていることは分からないが、あの農耕神が、ろくなものではないことは良く分かる。


 そのとき、轟音と共に、この小島全体を光と爆発が照らし出した。

 爆風から目を守るために腕をかざし、海の向こうの暗がりに輝く閃光を睨む。一行はそろって緊張が高まった。

 サムライ……式神が、燈に言った。

「今、武神とノイン、龍神がそれぞれの巨大化した鶏と八頭の大蛇ヤマタノオロチ、そして般若面の女人と戦っている。……が、だいぶこちらが押されているようだ。凌ぎ切るのに精いっぱいのようだな」


「巨大な鶏はバジリスクだ」そしてジョンが、バジリスクについて説明をする。

 燈たちも遭遇した『敵』の情報を提供し、その場は一種の作戦会議の場となった。

 ジジも、代表して、事態の中心にいると見られる女について話す。

 共闘の流れだ。

(……八岐大蛇は相性が悪いな)

 ジジは水中で戦ったことなどもちろんないし、そもそも水と火だ。

 女のほうは、人間が混じっているという。

 サンシャインシティでの攻防を考えると苦戦しそうだが、つまり手加減できないということだ。うっかり当たれば殺してしまうだろう。


 やがて、燈たちの仲間も合流した。

 海原から八岐大蛇が見下ろす中、その八つある頭のひとつに、あの女が乗っている。

「デュフフフww こんな所にリア充が隠れているなんて……この世界に幸福が、あぁ、幸せが、あふれているでござる!  幸福な者達が引き裂かれ、楽園を追放されるあの瞬間――どれほど我の心が満ちた事か……! しかし、愉悦とは僅かなひと時のみ。すぐに喉が渇くのと同じ様に、我はさらなる甘美を求めて囁きを繰り返す」


 途中から、般若面の女人ではない別の何かが表に出てきたようだった。

 その瞬間、嫌な気配が膨れ上がる。と同時に、首が蛇のように伸び、その姿も人からだいぶかけ離れたひとならざるものに変容を遂げた。

 腰から下は蛇、手には鋭い曲刀。

「まったく人間とは面白い……貴様らもそう思わないか?」


「お前の方がよっぽど面白いよ、このドグサレ魔人ファッ○ンデモニックが」

 不敵にジョンが挑発のために悪態をついた。

 異世界の男は、女と相対し、油断なく気配を戦闘のものへと切り替える。

『任せておけ』といわんばかりの態度と立ち回りで、女と言葉を交わしながら、その身体に宿る『もの』の正体を看破していく。


『ソロモン七十二柱、序列十七。地獄の大総裁にして伯爵――その名は「ボティス」』


「くっ……フ、フフ、デュフフフフ! 我が名を知ったところでこの世界は我が手中にある!」

 高らかに、うたうように女は叫ぶ。自らの欲望をさらけ出す願望を。


 戦力差も歴然、我が願いを妨げることは誰にも出来ん! まもなく来たる聖夜は、全ての恋人達アダムとイブを永遠に別つとばりとなるのだ!」


 ✡



「みんな聞いてくれ、俺達はあの魔人を倒す事が出来る。だがその為には、他の二体を魔人から引き離す必要がある。どうか、協力してくれないだろうか」

「じゃあ、私たちはヤマタノオロチを引き受けましょう。山の神様に頼まれていたのも、あの物怪もっけのようだし」


 そういう流れとなるのなら、こちらの答えは決まっていた。

「それなら、僕たちはあの鶏のデカブツを相手するのがいいかな」


「頼む。奴の吐息は触れた物を瞬時に石化する毒だ、気をつけてくれ」

「なら尚更だね。毒には耐性があるから」

「本当に大丈夫なのか? 」

「生き物である限りこちらに分があるよ。炎を恐れない生き物は人間か竜くらいだ。それに言ったでしょ。毒なら耐性がある」

「しかし……きみたちは子供だ」

「ヒヒヒ……そりゃ、こっちがガキンチョばかりだからね。でも舐めないでほしいな。見ててよ。『どちらの毒が強いか』って対決になること、請け合いさァ」


 白い歯を剥き出しにして、ジジは裂けるように笑った。

 そんなジジに、アルヴィンが腰が引けたように少し距離を取る。

「……ミケ、彼ってけっこう、その……」

「言いたいことは分かりますとも。アルヴィンさま、きょうだいは元々けっこうアレみたいですよ」

「……やっぱりそうなんだ」

「ちょっと! キミたち! わざわざ聞こえるように言わないでくれる!? 」


「いや、侮ってすまなかった」

 ジョンは爽やかに笑った。



 ✡



 ―――――かつて神々は『人』を創った。

 依頼された鍛冶の神は、世界創造の源となった『混沌』から取り出した炎で黄金を溶かし、特別な泥でつくった鋳型に注ぎ、最初の人間をこの世に生み出した。

『黄金の人』と呼ばれることになる最初の人間は、楽園にて育まれ、愛される。

 ……しかし、それを良く思わなかった神が一柱。

『叡智』を司るその神は、鍛冶神の炉から盗み出した炎を、蝋と紙と木でできた小箱に詰めると、『黄金の子』へと差し出したのだ。


 火を知らぬ『黄金の子』は、小箱の光に惹かれてそれを開け、一瞬にして炎に巻かれる。

 神々の与えた朽ちぬ体によって三日三晩苦しんだ彼は、ついに、失意の中で『殺してくれ』と自ら懇願する。

 こうして人類には死が与えられた。


 灰になった黄金の子の死を慰めるため、地の底には冥界が生まれた。

 鍛冶神は、こんどは銀と黄金の子の灰を混ぜ、次代の人類に命を吹き込んだのである。


 ―――――アルヴィン・アトラスに宿るのは、その『叡智の炎』。

 神々が原初の泥、混沌の中から引き出した、生命鍛錬の炉に宿る神聖な火。

 ジジとミケを生み出したのも、同じ炎だ。


 世界は違えど、世界創造そのものの材料の一つといってもいい猛火は、あらゆるものを焼き尽くす。


 ―――――そして。

 トンッ――――と、ジジの足がレインボーブリッジを離れ、高く高く飛翔した。

 擦り切れて生地が薄くなった外套が、冬の潮風に煙のようになびいている。


 足を揃え、腕を広げ、ジジは白い歯を見せてニンマリと笑った。


「コココココ―――――――ッ」


 バジリスクの白い羽毛に覆われた喉が膨らむ。次の瞬間、その口腔から、濃密な紫煙がジジに向かって水柱のように吐き出された。



「コ――――――ッッッケ――――――!!!!!」



「―――――イッヒヒヒヒヒヒ! 石化が霧に効くかい! 」

 バジリスクの頭上、いつしか覆うように広がった黒霧の中からジジの声が響く。

 アルヴィンもまた地を蹴り、黄金の火花をまき散らしながら空へと飛び出した。


「コケ―――――――――ッ! 」


 鱗の翼へと肉薄する。バジリスクはそらしていた首を回し、至近距離からアルヴィンに向かって紫煙の滝を浴びせかけた。

 炎の中心で、青白く輝くアルヴィンの魂が笑う。


「―――――魂にも石化って効くの? 」


 肉体を失ったアルヴィンの、剥き出しの魂を守る劫火の鎧。その拳が、バジリスクのくちばしに突き刺さる。

 翼のように広がった生命の炎が、バジリスクの頭を抱きしめた。

「――――クエッ! コゴゴッ! 」


 燃え上がる。


「————ゴッ――グォッ―———ゲッ―———」

「さようなら。……ごめんね」


 燃え尽くす。



「コ――――ォッ――――クォ―――――…………」


 ……灰塵と化す。



「ふう。あっけないもんだったね」

「そうだね。……終わりかな」

「ああ。……寂しい? 」

「……そりゃあ、少し」


「話しておいで」ジジの手が、炎を纏ったままのアルヴィンの背中を押すしぐさをした。

 アルヴィンは振り向いて少し笑い、駆けだす。

 離れたところで見ていたミケは、盾にしていたワゴンの影からそっと顔を出し、笑顔で手を振った。

「ミケ――――! 」


 ―――――夢はもうすぐ終わる。



 

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