The fall of "Eve" ②

「ふう……一時はどうなるかと思った……」

「アルヴィン様。怪我はありませんか?」

「無いよ。わかってるくせに」

「様式美といいますか。こういうことって、なかなか言えませんでしょう? 」

「……たしかにそうかも」

 ミケは満足げに唇の中で笑いをかみ殺して、アルヴィンの横にぴったりとくっつく。


 アルヴィンたちは、橋の横にあった小島に上陸した。

 ジジは子鯨のまま浜に乗り上げ、ふうふうと息を吹いている。ジジの体は海の水と完全に同化し、浜の上で水たまりのように見える。


「……水の生き物に変身するのは初めてだ。明日は筋肉痛だな」

「なるの? 筋肉痛」

「いいや。なったこと無いけど。ボクも一度言ってみたかったんだ」

「疲れた? 」

「そこそこね」


 そのとき、ミケがアルヴィンにいっそう体を寄せた。その視線の先は、浜から見える木立に向かっている。

 魔人特有の金眼が、夜闇に光っている。

 アルヴィンの長い耳にも、ようやくその人物たちが立てる音が聞こえた。


 木の葉を踏みしめ、草を分け入って、一組の男女が姿を現す。

 アルヴィンはミケをかばうように一歩前に出て、後ろ手にしたほうの左手のこぶしの中に、炎を隠し持った。

 金髪を短く整えた男だ。アルヴィンの兄ほどではないが、屈強といえる体格をしている。その男の二歩後ろから歩いてくる黒髪の女は、興味深そうに金眼を細めてこちらを見ている。


「……あの女の人は魔人? 」

「わかりません……でもあれほどの完成度なら、我々と同年代の骨董品かも……」


 男のほうが両手を広げ、こちらへ見せながら足を止める。


「@◆%$#▽*>&¥♡☆$<? 」


「ミケ」こちらは子供が二人だけだ。少なくとも、そう見える。考えて、アルヴィンは、もう一人の名前も出した。「……ジジ。なんて言ってるの? 」


 ミケが、相手に分からないよう、主人と語り部にしか分からない方法で告げた。

(あの男は、『驚かせてすまない。こちらに戦う意志はない。ただ、何者なのかを確認したいだけだ』、と)


 すかさず、背後で夜に同化していたジジが言った。

「ちょっと待って。今姿を戻すから」


 しゅるしゅると広げた布を引き寄せるように、闇色の巨体が縮んでいく。白い裸足が浜を踏みしめ、擦り切れたボロのコートがひるがえる。

 先ほどまでの、擬態のような姿はやめたらしい。

 男の顔が強張って、苦笑いのような様相になっている。


 ジジは、いつも相棒の隣に立つ姿で、アルヴィンの隣に立った。


 ジジとアルヴィンは、主従関係ではない。会話は声に出す必要があるが、至近距離で耳打ちする言葉までは聞こえないだろう。

「……今から奴らを試す。キミは何があっても慌てないように、いざという時逃げる準備を整えておいて」

 アルヴィンは小さく頷いた。


「ボク達はこの夢の国に迷い込んだ『使』とその従者だよ。アンタ達がこの夢から目覚めさせてくれると聞いたから、追って来たんだ」


(なるほど。うまい手かも)

 アルヴィンはジジの機転に感心した。

『魔法使い』とは、『魔法を使える人種』のことだ。アルヴィンの世界では、第十八海層にある島国にしか、彼らは住んでいない。

 相手方には、アルヴィンがジジたちの『主人』に見えているのだろう。しかしアルヴィンは――――その長い耳と白い肌は、『魔法使い人種』ではなく『フェルヴィン人』の特徴だ。


(この人たち、僕らのことをどこまで知っている? )



 ✡




「誰から聞いた?」

 男はジジに、そう訊ねた。

 ジジは正直に答えることにする。

「神から」

「神?」

「神」

 断言するジジに、男は困ったように眉を寄せる。


「……すまない。心当たりが無い」


(こりゃ本当に知らないな)

 ジジには話術に一言ある。サリヴァンと出会う前は、詐欺師として闇社会を荒らしたものだ。

(……この男、うちの相棒サリーと同じタイプだな)

 つまり、それなりに修羅場もくぐってきているが、根は純粋で正義感が強い。

 こちらを子供と見て、警戒しつつも、保護する気もあるのだろう。

 コミュニケーションを取りたがっているのは自明の理だった。


「……ジジ、大丈夫だと思う? 」

「ボクは大丈夫だろうと思う。……後ろの女は知らないけど。ミケは? 」

「わたしはアルヴィン様の選択に従うまでです」

「ああそうか……あんた語り部だった。うん、じゃあ、ひとまず様子見だ。いいね? 皇子様はボクから離れないこと」

「はい。わかった」

「よろしい」



 ✡



「俺の名前はジョン。FBI超常犯罪捜査課の捜査官だ」

「えふびーあい?」

「ちょうじょう?」

「……警察は分かるか?」

「けーさつ? ミケ知ってる?」

 ミケがぷるぷると首を振る。

「さあ、存じ上げませんねえ」


 言葉が分からないアルヴィンは、一歩後ろで手持無沙汰に会話を眺めていた。

 ミケを通して、『ジョン』と『アネット』の名前を把握する。

(ふうん、名前はこっちでもありそうな感じなんだな。言葉は通じないのに、変な感じ)


「行政の組織で……えっと。防犯を行ったり、法律に従って、犯罪者を捕まえるんだ」

「ああ、なるほど。それならわかる。ね、ミケ」

「国が治安維持のために運営する組織ということですね? フェルヴィンでは警務騎士団がそれにあたるかと」

「そうか? よかった」

「で、えふびーあいってのは? 」

「あー、まず、アメリカ合衆国と言う国があって」

「なんと……合衆国? 連合国という名称を使わないのはなぜですか? 」

「ちょっとミケ、話が進まないでしょ」

「いえ駄目です。語り部として、異なる世界といえどもその背景を知らぬことには、わたしは納得できません。そのような機能は備わっていないのです」

忖度そんたくする機能はあるだろ……」

「そんなもの、このパターンでは適用されません」

「あのねえミケ……」

「い、いや、疑問はもっともだ。……えーっと」


「どう説明するかな……」

 ジョンが金髪を掻いた、そのときだった。


『ラスト・サムライか』

「いきなり何の話だ? 頼むから空気を読んでくれ」

『今の話だ。あれを見ろ』


 アネットの白い指が森に向けられる。


 異様な巨体が、そこから現れた。


 月明かりにも存在感のある緋色の鎧姿。腰に細身の剣を挿し、肩にはなぜか人間を背負っている。

『サムライ』と称された巨体の胸のあたりで揺れる二本の足。少女だ。

『サムライ』はジョンの方を向き、おごそかに低い声で言った。


「ふむ。金髪の、お主はFBIで、小僧どもが別世界からきた方か」

「……貴方は何者だ?」

「某はこの肩に背負っている主の従者だ。で、この国の警察関係者と言えばわかるか」

「ああ、ようやくこの世界に来て話が分かる人に会えた」

『いや背の君よ。あれはどう考えても人ではなかろう』

「まあ、人間ではないが敵ではないし、お主らと目的は同じだ。今暴れているのを倒さねばならん」


「ん……」

 そのとき、『サムライ』に担がれた少女がむずがるような声を上げた。

 巨体がうやうやしく少女を降ろし、顔を擦る少女と言葉を交わす。ジョンはサムライに手招きされ、まだふらつく少女を連れて森の方へと歩いていった。



「……どうやら、同じ『けいさつ』の人のようですね」

「どう違うの? 」

 ジジが、当たり前にジョンの背を追おうとしたアネットに躊躇なく尋ねたので、彼女は面食らったように一瞬言葉に詰まると、立ち止まって『国が違う』と短く返した。


「……なるほどね。同じような組織が、世界中のあちこちの国で結成されているんだ。場合によっては共闘もするの? 」

『……する。犯罪者が国外に逃亡したりした場合、国同士で連携して捕まえることもある』

「組織形態が共通しているのは、連携した場合の指揮をスムーズにするため? 」

『そこまでは知らん』

「じゃあ、今回は連携するパターンになると思う? 」

『さあな。それは吾の背の君が決めることだ』

「……ふーん。つれないね」


 ジジは面白そうに目を細めてアネットを見た。

「ボクらとアンタ、やっぱりちょっと似てるのかな」

『知らん。子守は苦手だ。吾は背の君のもとへ行く』

「はいはい。引き留めてすみませんでした。ご教授ありがとう」

『ふん。口の減らない小僧だな』


 アネットの姿も森へと消える。


「……僕らは行かなくていいの? 」

 アルヴィンが不安げに言った。言葉が分からないので、視線がすでに森の方を向いている。

「確かに、ボクらだけ仲間外れってのもシャクだよねェ……」


 彼らは予想よりも、森の手前のほうで言葉を交わしていた。

 覚醒した少女は、眠っていたときの幼気な様子からは想像できないほど、しっかりとした態度で、自分よりも頭一つどころでないジョンと会話をしている。


「……よかった。どうやら君とは元の世界が近いのかもしれない」

「というと?」

「後ろの彼等はFBIはおろか、この世界についても全く分からないらしい」


 ジョンの青い瞳と、アルヴィンの目が合った。尻込みするアルヴィンのかわりに、ジジがにこやかに手を振る。

 ざくざくと草を踏んで近づくと、今度は少女の澄んだ茶色の瞳と目が合った。

 少女はそっと、服の皺を伸ばすように袖を正すと、折り目正しく頭を下げる。


「はじめまして。ええっと……言葉は通じるのかな。ともりといいます」

「トモリ。はじめまして」

「よかった。ちゃんとお互いに言葉が通じるんだね」

「マトモに話せるのは、ボクとそっちのミケだけなんだけどね」


 口火を切ったのは、やはりジジだった。


「ボクはジジ。こっちの坊ちゃんがアルヴィン。さる国の皇子さまね。こっちの、ボクと同じ顔してニヤけてるのがミケ」

「ジジ……アルヴィン……ミケ……で、OK? 」

「うん。じゃっ、まずはボクらのことから話せば良い流れかい? 」


 ジジがぐるりと一行を見渡す。

 陽気に尋ねたジジとは対照的に、燈は唇を引き結び、しっかりと頷いた。

「……お願いします」

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