The fall of "Eve" ①
「前方、あのデカいニワトリの陰で見えないけど、なんか変なのがいる……! 」
崩れたサンシャインビルに身を隠すように旋回しながら、大鴉に変身したジジが言った。
風に毛羽立つ背中にしがみつきながら、アルヴィンはようやく口を開く。
「へ、変なのって……!? あの角のある女の人と同じ? 」
「あれとはちょっと違う感じ! 変なのは変なの! ミケ! 」
「なんですか? 」
「語り部の語彙を駆使して、ちょっとうまく説明しといて」
「あいあい! うけたまわりました! 」
アルヴィンの顔の横で、ミケがぴしっと敬礼をする。
「それには及ばないよぉ」
そのとき、声とともに、アルヴィンの顎を背後からするりと冷たい手が撫でた。
「――――ヒェッ! 」
怖気とともに、アルヴィンが大鴉の背で飛び跳ねる。艶やかな羽はよく滑り、アルヴィンの上半身がぐるりと90度回った。
「ひっ――――」
「あー、あぶないなぁ」
力強い腕にアルヴィンの腰が抱かれ、いとも簡単に引き戻される。
アルヴィンはホッと胸をなでおろすのと同時に、背中にあたる違和感に体を固くした。
「ミミミミミミケ……! ちょ、ちょっと確認してほしいことがあるんだけど……! 」
「なんですか? 」
「僕の後ろのこの人! 裸だと思うんだけど……! 」
「やだなぁ。パンツは履いてるよぉ~」
「履いてますね! 」
「履いてても一般的にアウトだろ!? アウトだよね!? 」
「履いててもアウトですって! お兄さんは変態なので、アルヴィン様に触らないでくださると助かります! 」
ジジが苛立ちもあらわに叫んだ。
「アウトだよ! 変態だ! パンツ一丁のマッチョがボクの背中に!? とんでもない! 」
「まっ、そう言わずにサァ。わたしのお話を聞いておくれよ」
「その『わたしさん』は誰なのさ! この変態! 」
「オリュンポスさんちの農耕神デュオニュソスゥ~」
「へっ!? 」
「ハァ? 」
「まあっ! 」
翼が傾いた。今度はアルヴィンの背中を覆うように、大人の男の腕が守っている。
「か、神々は『混沌の夜』以来、最上層の先にある神の庭に引きこもってるはずだろ! 」
「例外もいるってことさぁ。『人間を滅ぼしたくない』とか、『人間がいなくなると困る』って神々がね」
男の声は、緊迫感もなく淡々としていた。
「それに、ここはきみたちの世界じゃあないだろう? もう気づいてるはずだ」
ガラスが空を映している。ビルの向こうに、落陽していく空が見える。刷毛で刷いたように、まっすぐにオレンジ色が濃紺の西の空に伸びていた。
雲が晴れない黄昏の国—————アルヴィンの故郷はそういう国であった。
「ここでは空の本当の色が見える」
まっすぐにアルヴィンが口にする。「……でも、夢の国だ。僕らは、あの船の中で『魔法使いの国』に行かなくちゃいけないんだ」
「アルヴィン様……」
「……ミケ、ごめん。ここなら、ミケといっしょにいられる。……でも」
「ふふふ……いやですねえ。アルヴィン様ったら。分かってますよ! あなたは英雄になる
アルヴィンの脳裏に、『あの時』のミケの微笑みがフラッシュバックする。
「ミケ……」
「そうだよぉ。君たちには使命がある。ここは夢の国なんだ」
男は言った。
「ジジの言う変な奴らを追え。彼らと、その先に待つ人間たち。彼らが君たちの夢を覚ませてくれる」
「……状況説明は無いわけ? 」
ジジが恨めし気に呟いた。
「ニャルがしなかった? 」
「ふん。あんなので十分だと思ったのなら、ノータリンにも程があるね」
デュオニュソスは苦笑した。
「賭けをしたんだよね。『あちら』の神々と」
「あちら? 」
「異なる世界ってことさ。彼らの世界にも、わたしたちはいるからね。神々ってそういうものなんだ。あちらは二柱、こっちはわたしと、ニャルと、もう一人ロキってやつ。ちょっと酒宴で盛り上がって……で、わたしが、極上の逸品を提供することになった。ワインの神だからねぇ、わたし」
「……飲み比べでもしたわけ」
「賭けをしたんだ。彼らが作った怪物たちを二つ。喧嘩をしたら、どっちが勝つか。それが……まあ、悪いやつに取られちゃってぇ~」
急にヘラヘラしだした農耕神に、三人のテンションが著しく下がった。
「それで……? 」
「それでぇ……えーと、なんだっけ? うふふ……空をぐるぐるしてたら酔いがまわってきちゃったぁ。えーと……ああ~、そう、魔人? ってやつになった女に……ああ、キミたちのことじゃないよ。同音異義ってやつだから。なんかあ、悪魔とフュージョンしちゃった人間のことだってぇいうんだけど。そいつにねぇ、怪物の主導権とられちゃってぇ、仕方ないから、それぞれ『なんとか出来そうなやつ』を探して対応してきたってわけ」
「……つまり僕らは、とばっちり? 」
「委託だよ委託。業務委託。てきざい……てきざい……なんだっけ? 」
「適材適所! 」
「そう、そのてきざいてきしょってやつぅ」
「『選ばれしもの』は神々の下請けじゃないんだけど? 」
「細かいこというなよォ~! あ、そろそろ帰るね? ロキロキほっとくと事態に油を注いじゃうからぁ。おれってマジ働きものぉ~! うへへへへへ」
笑いながら、デュオニュソスは両手を頭の上に持ち上げた。慌てて振り向いたアルヴィンの目に、豊かな黒髪の美丈夫が、実に気持ちよさそうな赤ら顔をして空を背中で滑空していくのが映る。
今くちばしでなければ、ジジはギリギリと歯ぎしりしていただろう。
「……追いかけよう」
ミケがきょとんと言った。
「神様をですか? 」
「あの変な奴ら! 」
ジジは今度こそ、高く高く飛翔した。
✡
真冬の冷たい風が、塊になって突き刺さる。
巨鳥に乗って移動しているのは『あちら』も同じだった。
アルヴィンはブルリと体を震わせると、思い切って肩を持ち上げて目を開けてみた。
カラス特有の黒く尖ったくちばしのずっと先に、土色の鳥が見える。それを追いかけて、地上では、あの巨大ニワトリが土煙を巻き上げて疾走していた。
「あいつらが乗ってるのは、ゴーレムの
ジジが言う。
「ゴーレムって? 」
「ボクもあんまり詳しくないけれど、ようは魔法で作った使い捨ての人形さ。魔人のコストを極限まで落とした結果、与えられた目的を実行するだけで、魔人みたいに意志はないんだ」
「ねえ、あの鳥、少しふらついてない? 」
「どっちの鳥? 」
「飛んでるほう」
「ああ……なんだろ。燃料不足かな? いったいどこまで行くつもりだろ。もう日が暮れるし、ああいう怪物の手合いは、日が落ちてからのほうが厄介だと思うんだけどな。ま、そのぶんボクのほうもやりやすくなるけど」
眼下には、銀色をした無数の建物が、みっしりと密集している。遠くには山並みの影も見えるが、このあたりは一面がそんな様子だった。
空は夜に向かって急速に傾きかけており、眼下の建物にその色が映り込み、なおかつ、一つ一つに明かりが灯っているので、一面が星空のようだった。
ほんとうの星空には、地上の明るさに照らされて、控えめになった星がわずかに淡く輝いている。
やがて、地上の星の切れ目が見えた。そこだけ黒い絨毯が敷かれたようになっている。その黒の中に、光の粒を飾った帯が伸びていた。
「あれはなんだろう」とアルヴィンがじっと目を凝らすと、ミケが答える。
「あれは海ですね。あの明るく照らされた橋へ向かっているのようです」
「みたいだね。……高度を落とすよ。捕まって」
アルヴィンが首をひっこめたとたん、臍のあたりがふわりと浮くような感覚と共に、ジジのくちばしが斜め下を向いた。ぐっと奥歯を噛んで、全身に力をこめる。
橋の手前にある海の切れ目で、雷のような光の柱が立った。
何かが起こっている。誰かが戦っているのだ。
(彼らは、何か知っているのだろうか)
知っていて、戦っているのだろうか―――――風の音がうるさい。
「ああ……そんなに必死にしがみつくなら、自分も飛べばいいのに」
ふと、風の音に紛れて女の声が聴こえた。甘ったるく作った大人の女の声だ。
「きみ、フェルヴィンではあんなに飛び回っていたじゃない。今はできないって? そりゃ違うでしょ? さっきは出来てたでしょう? 火が怖いのかな? 」
ぞくぞくと背中に怖気が奔る。これは、先ほどの農耕神が現れたときと同じものだ。
「ほら、目を開けて。手を離して……」
風を切る音すら後ろに
「じゃないと、アブないよ」
そのとき、ジジがくちばしの奥で低く唸った。青い瞳を見開いたアルヴィンの目前に、緑色の巨大な影が迫っている。水に濡れた
しなやかな巨体はおもむろに海中から姿を現した。ジジの翼を強かに打ったその大蛇は、自らの体にぶつかった小鳥など意にも介さず、そう広くはない湾の中で、八つに分かれた体を伸ばして縄張りを主張するのに忙しい。
大ガラスを構成する魔法の黒い霧がゆるんだ。
ジジが悪態をつきながら落下していく。今度はアルヴィンも心構えができていた。あの『声』のおかげだ。
肌の内側から吹き出した炎が、鎧のようにアルヴィンの体を巻く。熱によってできた風を操り、アルヴィンはジジにむかって降下した。手を伸ばして、ジジの着ているコートを掴もうとすると、ジジがひどく慌てた顔を向ける。
(……あ、そうか。炎の鎧を着たまま掴んだら燃えちゃうから―――――)
ジジは、素直にそのまま海に落ちることを選択した。
アルヴィンは真っ黒に見える海上にゆっくりと降下し、その場でしばし待つ。
アルヴィンの炎が、漆のように黒い海の表面に、血潮のような赤をひとすじ垂らした。
そう経たないうちに、つるつると濡れた子鯨の背中がプッカリと浮かんできて、「殺す気? 」と、お馴染みの声で悪態をつく。
「ごめん……まだ慣れていなくって」
「ふん。冷えるまでボクに触るなよ。見つからないよう、海の中を泳いでいく」
「わかった。たぶん、この鎧があったら水の中も平気だから」
「そうして」
同じ水中にいるはずの大蛇は、アルヴィンの炎を恐れてか、近寄ってこなかった。
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