⑦サンシャイン広場




 呆けるミケの手を、アルヴィンが人ごみを掻き分け、やっとの思いで掴んだ。

「ミケ! もう離さないからな! 」

「や、やだ、いつになく雄々しい……♡ ア、アルヴィンさまぁ~♡」

「ああもう! イチャイチャするのは後にして! 逃げるよ皇子サマ! ! 」


 ジジの輪郭がぶれ、黒い霞となって膨れ上がった。

 駆け出したときには、その姿は巨大な黒い猫の姿になっている。

 頭が大きく、瞳がつぶらで、何より黒い霧を纏っているその姿は、まるでナンジャタウンのマスコットキャラクターの一人、『たま』のようだ。


 首元の毛皮にしがみついたアルヴィンは、自分の影の中にするりとミケが逃げ込むのを視界の端でとらえた。

 同時に、ジジは弾丸のようにナンジャタウン内を疾走し、入口の門を飛び出す。

 ガラスを蹴り破り、ビルの二階から広場へと着地したジジは、足を止めることなく人々の頭の上すれすれを跳んだ。



 女の声が空から降り注ぐ。


『よくも、よくも! よくも!!! 拙者を馬鹿にしましたな!?

 ふっ、ふんっ!いいもんいいもん! もともと、カップルイベントなんか浮かれたものに参加したお花咲いたリア充どもを、ナンジャタウンでまとめて一掃するって作戦だったんだもん! オタクのくせにリア充しやがって……! 万事に値するでござるよ!

 どうせオマエラも、この結界の中からは出られやしない! ここは拙者の腹の中も同じなんだからーねーッ! 』


 ジジが唸り声を上げて威嚇した。女の姿はどこにも見えない。



『ずぅ~~~~~~っとこの結界の中で、干乾びればいいんでござる! キィ~~~~ッ! こうなったら午後からはアニメイトで豪遊してやるう! 三徹のご褒美だもんねッ!せっかく外に出たんだから楽しませてもらうでござるよ! 』


「あ、あそこ! 」

 アルヴィンがプリンスホテルの上を指差した。ビル風に、長い白金の髪がはためいている。

 女はまた、つま先立ちになるポーズを取った。


『キ~~~~~~~~ングッ! クリ○ゾンッ! 』



 ―――――ドドドドドドドドド……‼


 サンシャインシティが揺れた。

 空が、太陽が、早回しのように西の空へと落ちていく。

 

 地響きが三人の脳を揺らした。

 群衆は、生気の抜け落ちた顔で空を見上げている。

 ジジは背に二人を乗せたまま、プリンスホテルの壁面を、重力を無視して下から上へと疾走する。


 仮面の下で、女は低く呟いた。

『……時は消し飛ぶ』

 東の空が白んだ。


「オイオイオイオイ……! うそだろう……!? 笑うしかないね! 」

 ジジが悲鳴のように叫ぶ。


 昼から夜へ。夜から朝へ―――――。

 いつしか目指すプリンスホテルの上に女の姿はなく、朝は昼へ、そして再び、太陽は西へと傾こうとしていた。




 その時だった。


 ――――南西の空。

 そう、今まさに、一行が太陽の行方を見つめていた、その空の向こうから、まばゆいばかりの白い光が飛んでくる。

 ジジの金色の瞳の瞳孔が、加速して迫る危機に針のように細くなった。


 爆音とともに、光は目の前のサンシャイン60ビル展望台へと突き刺さる。

 壁が、窓が、展望台に収められていた望遠鏡や、カフェの椅子や机が、あらゆる例外なく、瓦礫となって広場へと降り注いだ。


 アルヴィンの足が空を掻く。その五感から、ジジの姿が消えた瞬間だった。

 地面が迫る。ミケの悲鳴が聞こえる。


(—————また『死ぬ』? )


 脳裏に、かつての無力感が蘇る。

 それはとっさの行動だった。

 空を掻く手を、自らの意志で前に突き出す――――ただ、

 強い意志が、アルヴィンの仮初の肉体に封じられた力を呼び戻す。


 ――――アルヴィン・アトラスは確かに死んでいる。

 これは夢だ。夢の世界だ。

 ありえない出来事の連続で、錯覚していただけのこと。

 


 アルヴィンの目の前に、炎が噴き出した。


「アルヴィンさま―――――――あ!!!! 」


 砂塵を切り裂く熱風が巻く。その声に、ジジの意識は一瞬の空白から舞い戻った。

 体は落下している。ジジは舌打ちしたい気持ちを抑え、漆黒の濃霧へと姿を変えた。

 広場の煉瓦を撫でながら滑走する濃霧の中で、前脚を翼に替え、まっすぐに横に伸ばすと、風を受けて舞い上がる。

 その背中に、軽い足音を立てて、アルヴィンの足が降り立った。


「ちょっと! 皇子さま、アンタ今、『星』の力使ってなかったぁ!? 」

「使ってた! まだ使えたんだ! はははっ! 」

 アルヴィンは、今も目を丸くして真紅の炎を噴き出す手のひらを見つめていた。

 もうもうと舞い上がる砂塵を眼下に、アルヴィンの笑い声が響く。

「――――ははは! できたよ僕! 」


 瓦礫に交じって、サンシャインシティを覆っていた結界も崩れていく。

 まるでそれは、鏡の中から現実へと舞い戻ったかのような清涼感。

 冷たい冬の風は、そういえばここに来てから、彼らは一度も感じていなかったことを思い出す。ぶるりと背筋を震わせたアルヴィンの肩に、ミケはそっと、自らのコートをかけた。


 世界は反転したが、砂煙はリアルだ。

 舞い上がる砂塵の向こうで、巨体が鎌首を持ち上げる。


『コケ―――――――ッ』



「――――なっ!? なんだアレ!? 」

「デッカいニワトリさんですね! 」

「見ればわかるよ! 」

「食いでがありそうです! 」

「~~~~~! あーもうっ! バッ、バカッ! 」



『コッケェ―――――――ッ』


 ――――結界の外では、夕暮れになりつつある空に、巨大ニワトリが咆哮を上げていた。

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