エピローグ

(二人きりにしてやるか……)

 おそらくミケのほうは、語り部の感覚でこちらの様子も把握しているだろう。

 どれだけ名残惜しくても、ボクらは帰らなければならない。

(せめて、記憶だけでも……)


「記憶は保持されないよぉ」

 ふと、かたわらに熱源が立った。

「あんた……農耕神。それで、そっちは? 」

「ロキっていいまぁす! いえーいブイブイ」

 顔の横でピースマークをつくり、にこにことジジの顔を覗き込んできたのは、炎のように目映い、豊かな赤毛の女だった。

 豊満な体を真っ赤なビキニに押し込み、太腿まである長いブーツを履き、白いマフラーと赤い帽子をつけている。熱いのか寒いのかよく分からない格好だ。

 にこやかに笑ってはいるものの、その灰色の目は酷薄そうな冷たい灰色をしている。

 熱源は、そのロキの体そのものだった。


「すこしは温かいでしょ? これでも火を司るからね」

 陽気な相棒の様子に、デュオニュソスは、ハアとため息をついた。

 真正面から見たデュオニュソスは、ブドウの汁のような深い黒髪に、明るい緑色の目をしている。

 陽に焼けた逞しい身体に、目尻が垂れたセクシーな男前だ。整いながらも愛嬌のある顔立ちは、なるほど、酒と狂乱を司るワインの神らしい。これでせめて股間さえ隠してくれれば、思うところも無いんだけど。ていうかなんで全裸なの?


「もぉ~ロキロキったら。満足した? 」

「やだなー! 私ばかり悪く言わないでよ! 今回の賭けは、ディオだってノッてたじゃん」

「最後煽ったのはロキでしょお。わかってるんだよ」

「あったりまえでしょ! 私は悪神。イタズラと狂乱がとても好き」

「それで世界滅ぼしかけたじゃない」

「うふっ♡ テヘペロ★ ま、今回は、好みとしてはもうちょい血がほしかったかな~と思ったけど、そういう空気じゃなかったしね! そーいうのは、キミたちが帰ってから向こうで期待しちゃおうかなっ! 」

「その前にニャルに謝りなよぉ。ロキロキったら、口だけ出してなんにもしてないでしょお」

「あの皇子に助言したもん」

「ほらあ、やっぱり口だけ出してるじゃん」

「虐めないでよ~! 殺したくなっちゃうでしょ~! 」

「あはは」

「んもぉ~! また笑ってごまかす! でも許しちゃう! そこで笑えるディオが好き! 後始末してくれるニャルも好き! 」

「あはははは~」


「ちょっと! イチャイチャしてないで説明してよ! 記憶は保持されないってどういうこと!? 」

「あははは。そのまんまの意味さあ」

 デュオニュソスは言った。


「簡単な話。アルヴィン・アトラスの『星』としての試練は、その精神の成熟も多いに判断材料なんだよ。もちろん君の『愚者』としての試練もそう」

「ちょっとディオ、試練の内容まで言っていいの? 」

「いいさ。今日は一日限りのクリスマスだもの」

「……どうせ忘れるからってことだろ。アルヴィンがここでミケと会って、安心してしまうのが、そんなにいけないことなの? 」

「試練はあくまでも、あの世界の危機の中での成長を判断材料にするべきだろぉ? こうして別世界で一晩限りのインスタントな奇跡で心を満たされちゃあ、これからの予定が狂っちゃうんだ。これは君たちのためでもあるんだよぉ。 ルール違反で、選ばれしものから外されたくないだろ? 」

「……じゃあなんで、あの子たちをここに連れて来たの」

「んー、そこはニャルの裁量だから、私にはよく分かんないけど。たぶんじゃないかなぁ。君の主であるサリヴァンを除外したのは、彼がいるとキミの心が安らいでしまうからだと思うし」

「ボクの心が安らぐ? 」

「安心してしまうだろう? サリヴァン・ライトがいると。背中を預けられる相手がいるっていうのは、いいよねえ」

「そうね。私とトールみたいにね」

「君たちはもう少しマシな喧嘩をしたほうがいいよぉ。普通に迷惑だから」


 冷たい風がボクのため息を乗せて、明るい夜空に吹く。

 二人の神さまは、漫才のような会話をしながら、「じゃ、あとで迎えに行くから~」と、陽気に手を振ってどこかへと消えた。


「はぁ…………こういう気苦労は、ボクじゃなくてサリーの得意分野なのになぁ」



 ✡



 あの小島に戻ると、すでに他二組が集まっていた。


「こっちもなんとか終わったよ」


 戦闘のあとが残るその場所で、トモリとジョンとアネットは、ボクらに向かって軽く手を振る。


「全員無事でよかった」

 トモリは、たかだか出会って数時間のボクらにも、心底ほっとしたように微笑みを向けた。

 素直な娘だ。トモリの背後に従う『シキガミ』と『リュウジン』、『アサマ』が、彼女をいかに大切にしているかが分かる。……いや、そういう娘だから、彼らはこうして彼女を守り、力を貸すのか。

 そういう力がある人物を、ボクもまた知っている。


 アルヴィン皇子は服が燃えてしまったので、炎の鎧を纏ったまま少し離れたところに立っていた。かわりというように、ミケがボクの傍らに立っている。

「……もういいの? 」

 ミケは澄んだ笑顔で言った。

「いいんです」


「で、この空間からの脱出って聞いているか?」

 ジョンが言いにくそうに口火を切った。

 そういえば、あの神たちは『あとで迎えにいく』としか言っていなかった。その言葉も、あの様子ならどれだけ信頼できるのか。

 ボクは溜息を呑み込んで首を横に振る。

「……ううん」

「あー、わからないです」

 トモリが眉を下げた、そのときだった。


「そうであろう、そうであろう! だからワシと!」

「おいらが来たのだ!!」


 白い猿と白い猪が何やら偉そうにふんぞり返って言う。


「…………」

 場を、なんともいえない空気が包んだ。


「《山の神様》! 今まで傍観してたんですか!?」


(あれが……神様……)

 目元がひくついたジョンと目が合った。考えていることは同じらしい。


「こんな神様に統治されてるなんて……」

 アルヴィン皇子が、言葉が通じないことをいいことに好き勝手に言っている。たぶん素で忘れているんだろうけど、言葉の難は一方通行なだけで、皇子の言葉は他の人たちには分かっているので、しっかり神様たちにも届いている。


 小さな二柱の神々は、きまずそうに体をモゾモゾさせると、大げさなほどふんぞり返った。

「《役割》を持つ者たちよ。ご苦労だった! この空間の管理者の一人として、礼を言う」

「ありがとううううううううううううううううー!」


 燈&ジョン&ジジ(声でかい)



「《山の神様》、私たち元の世界に戻りたいんですけど、帰りはどうすれば……」

 トモリがおずおずと切り出した。

 山の神は、顎髭をしごきながら目を細めて言う。


「ならばそれが、お主たちのとなるがよいか?」


 アサマが顎を撫でながら頷いた。

「ああ、そういえば貴様たちは、他の神とその《なんでも願いが叶う宝》の為に賭けをしたんだったな」

「そうだ。だが、賭けは不成立になる。ならば、事態の収拾を行ったお主たちにくれてやる。それでよろかろう?」

 猿の神はなおも髭をしごきながら、そう言って満足げに頷いた。


「話は纏まったようだな」

 そこに聞き覚えのある冷たい声が割り込む。


「ニャルラトホテプ! 」

「神の名を軽々しく口にするな。人間ふぜいが」

「まぁまぁニャル。今回はこちらの不手際だったんだから」

 ロキ神がにこやかにニャルラトホテプの肩を抱いた。

 とつぜん現れた黒服の男と、赤いビキニの美女という組み合わせに、あたりの人間たちは反応に困っている。


「はぁい! 悪神ロキでぇーす★ 今回はごめんねぇー! お詫びにセクシーサンタでお送りしまぁーす! いえーい」

 顔の横でピースマークをつくり、前かがみになって胸元を寄せた悪神を見て、なぜかトモリが吹き出した。

 そういえばアサマが着ている服と、ロキが被っている帽子のデザインは似ている。二人を見比べて笑う要素がどこかにあったのだろう。あの年頃の娘は、些細なことでも笑えるというから。


「帰るのなら早くしろ」

 苛々とニャルラトホテプは腕を組んだ。


「帰るったって、どうや、って……ええぇっ!? 」

 夜空を見上げたジョンが、とつぜん叫び声をあげる。

『おお。あれは何だ? 』

「うわぁ……」

 アネットとトモリも気付き、視線を空に向けた。

 ボクらはといえば、顔が引きつって言葉も出ない。

「……すっっっっごい、派手」


 自信なさげに、アルヴィンが言った。

「ね、ねえ……あれって、まさか飛鯨船……? 」

「超特大で、超ド派手で、超バカっぽいけど、たぶんそう」


 夜の静寂を蹴り破るように、その船はヌッと現れた。

 ボクが知る一般的な飛鯨船よりも十倍は大きい。

 この小島の上空の半分を埋め尽くす流線形の船体には、海の魔除けでポピュラーな図案である『蛇の目』と呼ばれる二重丸が、鱗のようにびっしりと刻まれている。

 問題なのは、その二重丸が鮮やかなキラキラのターコイズブルーで、船体そのものが目にも鮮やかな珊瑚色をしているところだ。

 さらに、その上から、勢いの良い筆遣いで、火を吐く金色の龍の横顔が、デカデカと描かれている。


「君たちはこっちね! 」

「これに乗れと……? 」

 ボクらは顔を見合わせた。


「運転はディオだから安全だぞ」

「あっ! ひっどお~い! ニャルったら、まだ根に持ってる! 」

「根に持つだろう……っ! あんなことされたら……! 」

「あの神様たちの間に何があったんだろう……」

 トモリが遠い目をして呟き……視線をアサマたちに戻して、「キャーッ」と悲鳴を上げた。


 いつのまにかアサマの肩に手を回して佇んでいた全裸の農耕神は、少女の三人の保護者によって取り押さえられる。

「だってぇ! みんななかなか船に乗ってこないからぁ! 私は何かあったのかなってぇ! 」

「なんで裸なんだ! 」

「裸が好きだからですぅう! 」

「服を着ろ! いますぐに! でなければここで消す! 」

「うえ~ん! 私の正装なのにぃ! 」


『ひどい』

「……ああ。その……君たちの世界は大変だな」

 ジョンが可哀そうなものを見る眼で見下ろしてくる。

「……身内じゃないのに、身内の恥みたいな扱いが心底ムカつく」

「わ、悪かった」


「ムムム……! ポッと出のくせに、すっかり場の空気を横取りしおってからに……! 邪神どもめ! 」

「そうだぞー! 」

 猿神と猪神が、腕を上げて抗議した。

「ふうん? 」ロキ神が片方の眉を上げ、形のいい顎を撫でる。

「なあに、山王たちったら、まだやる気? 」


 ニャルラトホテプが慌てて割って入る。

「おい……! これ以上事態をややこしくするな! 」

「あーね。もうクリスマスも終わりだしー。こっちが大人になってあげないとねー」

「山王たちも! こいつを煽れば煽るだけ後始末が面倒になるのは実感しただろう。自重してくれ! 」

「やーい! 怒られてヤンの! ベロベロバー」

「ぐむむむむ」

「きいぃいい! 」

「こらぁ。やめなさいよぉ」

「暴れ足りないけど、ディオが言うなら仕方ないよね。暴れ足りないけど! 帰ろ帰ろ~」

「お騒がせしましたぁ~」

「……ちょっと待て! お前ら、後処理をおれに押し付けるつもりか!? 」

「賭けはまた今度ね! 」

「言ったなー! あとで嫌だって言ってもだめなだからな」

「だからなーー」

「おチビちゃんたち! 船で待ってるよーん! じゃーね! 」


『喧しい神共だ』

 邪神たちの姿が消えると、アネットがうんさりした顔で、トモリに言った。

「こんな子供みたいな神様ですみません! ほんとすみません」

「こちらこそ、うちのが正直過ぎて申し訳ない……」


「…………」

 そういえば、ミケはずっと黙っている。ふと見ると、ミケは両手を顎のあたりで組み、瞳を目いっぱいに見開いていた。

「神話の神々の共演ですよ! 夢のようです! 」

「今のでそういう感想が出る!? 」

「夢が壊れる音が聞こえる気がするよ……」

 アルヴィンがため息を吐いた。


 威光がすっかり地に墜ちた猿神は、ゴホンゴホンと咳をして、何事も無かったようにふんぞり返る。


「さて、改めてお主らの願いを聞こう」


 ボクは、トモリとジョンと顔を見合わせて頷いた。

『願いなら七面鳥の丸焼きを所望──』

「提案──クリスマスパーティーを」

 ジョンとトモリが、慌てて同伴者の口をふさぐ。


「LAに帰してくれ」

「元の世界に戻りたい」

「現世に戻してほしい」


 それぞれの願いに、山の神は鷹揚に頷いた。


「委細承知。では、上を見るがよい」


「上……? まだなんかあんの? 」


 そうは言いつつ、全員が空を見た。

 いつしか雲は消え、明るい夜空が澄みわたり、満天の星が輝いている。

 そして――――星空からそのまま落ちてきたような、淡い光を纏った雪が、一行の元へと降り注ぐ。


「蛍……じゃない?」

「なに、こちらも、最後ぐらいは派手にいかねばな」

 トモリの疑問に、好々爺然とした山の神が髭をしごいた。


 何もない空間から巨大な金色の──宝船が、数百と宙を飛んでいた。邪神たちの船を邪魔そうに避けながら飛ぶ宝船からは、琴や笛、鈴に太鼓と賑やかな声が響いてくる。


「これは……なんとも」

『また派手なのがきたな』

 ジョンとアネットが端的に感想を述べた。


 山の神は言う。

「これに乗っていけば、元いた世界の入り口まで行けるだろう」

「それは、とっても有難いのだけれど……」

 トモリが言いにくそうに口を開いた。

「ん? どうした。なにかリクエストでもあるのか? せっかくだ、聞いてやろう。ほれ、今のワシはたいていの事は叶えてやれるぞ~」


「選曲がお正月っぽいから、せめてクリスマスにして!」



 ジングルベルが鳴り響く。

 ここは夢の世界。

 夢は覚めるのがあるべき形。夢に集った異なる世界の旅行者が故郷への帰路へつくのも、自然なこと。あるべき形だ。


 ボクは耳の奥で鳴り響く、どこかで聴いたような音楽から意識を切り離し、目を開けた。


「お、起きたか。珍しいな。お前がこんなに熟睡するなんて」

 目の前で赤毛が揺れる。裾に従って明るい金になっていく暗い赤毛の長髪を、いつものように縛らずに垂らし、リラックスした様子で、サリヴァンはボクを振り向いて言った。

 目を擦りながら起き上がったボクに、サリーは杖を磨きながら訊ねる。


「良い夢見れたか~? 」

「さあ……どうだっただろう。悪夢では……なかったと思うけど」



 ✡



 根深い疲労感に、沈んでいたはずだった。

 長い長い戦いの時間が終わり、誰もが疲れきっていた。


 だって神々の試練は、最初の一つが、ようやく終わったところなのだから。

 だからアルヴィンは短い睡眠から覚醒して、すぐにまた眠ろうと試みた。

 ミケを失い、自らの肉体すら失い、アルヴィンの心は、絶望が大きな塊になって沈んでいる。

 しかし、どこかすっきりとしているような気がするのは、少しでも眠ることができたからだろうか。


(こんな体でも眠れるんだな……)

 心臓の位置に灯る青い炎が、言い知れないもどかしさに揺らめいた。

(何か……何か、夢を見たような……? )


 そのとき、おもむろに客室の扉が開き、長兄が強面が姿を見せる。

「アルヴィン、起きてるか? ああ、よかった」

 兄は、湯気の立つカップを握り、アルヴィンを客室の外へと連れ出した。

「そろそろ見えるらしいから、おまえに見せたくて―――――」


 連れられて来たのは、飛鯨船の前方にある窓だった。

 他の窓と違ってやや大きく作られた舷窓げんそうへと、兄が促す。

 もし、吐息があったなら、アルヴィンは深く息を吐いていただろう。

 澄み渡った青に、アルヴィンの胸が騒ぐ。


(————ああ。空だ。空が見える)


 どこかで、聴き慣れぬ鳥の声が聴こえた気がした。











 ~I wish you a merry Christmas!

(あなたのクリスマスが楽しいものでありますように)~

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