③展望台
【24日 午前6時】
「ふあぁあぁ……! ここはいったいどこですかー! 」
清掃職員は、思わず「えっ」と顔を上げた。
イブの早朝、6時11分。12月という季節を考えると、夜明けには妥当な時刻である。
たった今、太陽は東京スカイツリーの方角から頭を出したところだった。
深い藍色から水色に染まりつつあるイヴの日の朝は、みごとな快晴を予感させた。
早朝の清掃アルバイトは、手当てがつくので割がいい。
朝に強く、一人でもくもくと作業することに向いているのなら、肉体労働系の仕事の中ではかなり良い方だ。
その清掃員も例に漏れず、九月にこのサンシャインシティの下請け清掃会社で、アルバイトを始めたばかりだった。
スカイデッキが無くなってからというもの、屋根とガラスで守られたサンシャインの展望台は、冬の厳しい寒さが直接肌に触れることは無い。
11月も半ばになったあたりから、そのことを心底ありがたく思っていたのだが、それはつまり『侵入経路が限られる』ということである。
その子は、だいたい中学生に上がったばかりくらいに見えた。
きょろきょろと不安げに、黄色い瞳を動かしている様子を、清掃員は半分幽霊でも見たような気持ちで、物陰から観察する。
日本人とは明らかに違う、真っ白い素肌の上に、黒いコートのようなものを直接纏っている。およそ外出する服装ではない。
足は裸足で、ウェーブした黒髪が、床に流れるほど長いのも異様だった。
しかし、オロオロと立ち竦んでいる様子は、まるで迷子そのものだ。
ふと、彼女(?)は、東向きのガラスの向こうを見つめ、肩を跳ね上げると、ガラスに張り付くようにして、夜が明けたばかりの池袋を見下ろした。
後ろ姿の肩が震えている。
良心がうずいた。
そっと、柱の陰から歩き出し、まるで今しがたその姿に目を止めたかのように、「ここで何をしているんだ? 」と声をかけた。
大きな黄色い瞳が、朝日を浴びて琥珀のように輝いている。
典型的日本人である清掃員の彼は、一瞬ぼうっと、(外人の目ん玉って綺麗な色してんだな~)と呑気に考えた。
「あの……その、わたし」
おずおずと少女は上目遣いに視線を投げた。
「迷子かい? いったいどこから入ったの」
少女は眉をハの字にする。
「わからないんです……」
「え? 」
「わからないんです。ここはナンカイソウですか? ジョウソウに見えますが、なぜここにいるのか、皆目検討がつかなくて……この国は、なんというのですか? 」
黄色い……いや、金色の瞳を潤ませて、少女ははだけた胸の前で両手を握りしめた。
「わたし、マジンなんです。アルジを探しにいかないと……」
清掃員の頭にハテナマークが浮かぶ。ジョウソウ? ナンカイソウ? マジン? とりあえず分かるのは、この少女が迷子ということくらいだ。
六十階建てのビルの最上階に、誰にも気付かれずやってきた方法は、まったく分からないけれど。
「ええと、きみはどこから来たの? 」
優しく語りかけると、少女のハの字眉がさらに極まった。
「わたしはフェルヴィン人です。サイカソウ、『黄昏の国』と呼ばれるフェルヴィンという国のマジンで……ここは……ナンカイソウですか」
『サイカソウ』は『最下層』か! では『ジョウソウ』は、『上層』なのだ。
じゃあ、『マジン』は?
「ここは、まぁ……上層っていってもいいのかな(六十階だし)。最下層? 下の階から上がってきたってこと? それなら、エレベーターが……」
エレベーターを指差すと、少女はハッと大きく息を飲んだ。
「なんと……あなた、分からないのですか? 分からないのですね? いえ、いいえ! わかりました! わたしは、ここにいるべきではないのです! 」
激しく頭を降り、少女は後ずさる。「え、ちょっと……」
少女は睨むように言った。「……あなた、
「お、おい! そっちはガラス……」
「ご親切、痛み入ります。ありがとうございました。さようなら」
次の瞬間、少女の体がガラスを突き抜けた。
「どぅわぉぉおおおおおウワァァアアアァァアァア!!??? 」
慌てて窓に張りつくと、額が窓ガラスにぶち当たる。その向こうで、少女は薄くガラス越しに笑いかけると、奇妙なあの服の裾をはためかせてひらりと、空に身を踊らせた。
東京の摩天楼に降り注ぐ朝日を背景に、黒衣の体が一瞬にして視界から消える。
「なんだどうした! 爆弾でも見つかったのか! ……ってお前、何してんだ? 」
清掃員の先輩が、ドタドタ走ってきて言う。「……そのガラス、ちゃんと綺麗に拭いとけよ? 」
彼は、ガラスにベッタリくっついたまま、興奮を交えて呟いた。
「こ、攻殻機動隊……いや、『パプリカ』かよ……っ!」
「よう分からんが……クリスマスなら『東京ゴッドファーザーズ』じゃね? 」
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