②オリエント博物館

【24日 午前5時52分】


 ボクらは見ない力で、紙切れみたいに吹っ飛んだ。

 ゴオオォォ――――と風の音を切って白い世界が遠ざかり、漆黒の中で何度かクルクル回った気がする。

 あとは落下。

 けれどそれは、崖からFly! って感じじゃあなくて、ベットから落ちる程度の『どすん! 』だ。


「ごふっ! げふっ! 」

「ふぎゃ! 」


 ……まあ、固い床と誰かさんでサンドイッチなら、ダメージは通るんだケド。




「……ふっざけんなよ! いってぇクソ……! 」

「い、いた……きぼちわる……ううぅぅ……」


 ボクは床で三回、アルヴィンはボクとぶつかって一回。それぞれ床でバウンドした。

 アルヴィン皇子はごろごろ転がり、置いてあった黒い……チェストだろうか? 長方形の、棚のようなものにぶつかった。

 床に敷かれているのは、少し埃っぽいが、毛足の短い絨毯が敷かれている手入れされた床だ。

 それでも、底冷えはしているし、じゅうぶん固かったから、皇子サマはまだ起き上がれないで呻いている。


 ……呻いている?



「ちょっと。あんた、本当にアルヴィン・アトラス? 」

「……え? う、うわぁああぁああああ! か、体がっ! 戻ってる! 」


 金色の髪と青い目を持ったエルフの皇子は、ぺたぺたと自分の体を触った。

 コートの前をあわせ、冷や汗をかいている。


「ど、どうしよう……」

「……とりあえずあんたの服だな」


 立ち上がると、薄闇のなかに薄緑の淡い照明が見えた。その先が出口のようだ。

 ボクらがうずくまっていたのは、大きな黒い箱の前だった。

 上の部分がガラス張りになっていて、中身を見ることが出来る。こうして飾ったものを並べる部屋なんだろう。


「…………」

「ど、どうしたの? 」

 おどおどと皇子が言う。

「別に。行こ」

 展示されていたのは、古い金の仮面だ。その微笑みが、あの黒服の男とよく似ていた。



 ✡



(……しまった。人がいる)

 角を曲がった先の気配を察し、ボクは足を止めた。


 しかし皇子は、そのまま先に行こうとするので、腕を掴んで壁のわずかなくぼみに押し込む。「ぐえっ」とカエルが潰れたような声がしたけれど、我慢してもらおう。

 体を固くする皇子を、もっと縮こまるようにグイグイ押す。

 ぐえっ、とか、うえっ、とか言う口をふさぎ、さらに押す。

 くそっ! こいつ、サリーうちのチビよりビミョウに縦に長い!


「……声がしたのはどのあたり? 」

「……エジプト展示のほうです」


 初老の女と、紺色の制服を着た男が通り過ぎていく。警備員だろうか。

 ボクの失敗だ。いつもなら、頭の中で考えるだけで、相棒サリーに声として届いていた。

 まったく。ボクも腑抜けたもんだな。今いっしょにいるのは、サリーじゃあないってのに。

 気配が遠ざかるのを確認し、ボクは、粒子化した自分の体を引き寄せて、そっと壁から身を離した。


「……そ、そういうことも、できるの? 」

 声をひそめてアルヴィンが言う。

「そういうことって? 」

「姿を隠したり……」

「ボクって、けっこう多機能なんだよ。コレっていう実体が無いから、体を粒子化して、空気より薄くもなれるし、さっきみたいに壁紙と同じ色にすることもできる。周囲の索敵もできるから、もう喋っても大丈夫だってことも分かってる」

 にっこりと笑う。「楽にしていいよ。声が聴こえるところに人はいないから」

「すごい」

「ふふん。もっと褒めてくれ。こういうこともできるんだぜ――――」


 ボクの影が体を覆うように伸びていく。

 大きな青い目がきらきらと輝いた。

「……すごい。おとぎ話のやつだ」

「エルフの皇子サマが何言ってンだか」

「うん。でもすごいよ。……その姿は誰? 」

 ボクは、帽子のつばを目元まで下ろして笑った。

「誰でも無いさァ」


 しいていうなら、『宝石商の紳士』だ。詐欺師時代によく使っていた、色男のビジュアルである。

 体の線にそった品の良い暗色のコートに、黒いソフト帽。ピカピカの革靴、滑らかなチョコレート色のステッキ。

 さっき通り過ぎた二人が黒髪だったので、こちらも黒髪にした。


 皇子よりマシだとしても、ボクの普段の姿も、こんな場所ではじゅうぶん目立つ。

 浮浪児か、立派な紳士か、じゃあ、どちらが皇子の同行者として安全なのか、分かり切ってるだろう。


「ほら、行くぞ」

 アルヴィンは大きく頷いて、コートの前を掻き合わせると、ボクの陰に隠れるように、明るい照明の中を歩き出した。

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