第1話 俺は平凡に過ごしたい
四月。それは出会いの季節、恋の始まり・・・しかし俺にはそんなこと関係ない。一切。
そう斉藤唯斗(サイトウ ユイト)にとっては出会いこそはあるものの、恋など始まらないのだ。実にくだらない。恋なんて。なんでわざわざ相手の理想に合わせて振舞わなきゃいけないのか?普段ならやたらと強調したがる個性とやらはどこに行った?好きな人を意識する度に心臓には負担を掛け、寿命を縮める。それとあれだ、こういう色恋沙汰にやたらと首を突っ込んでくる輩も居るし、こんなこと全くもって平凡じゃない。俺は平凡な日々を坦々と過ごしていたい。そこに恋愛など要らない。必要ない。俺にとって恋愛なんて不幸しか生まない。
『恋愛なんてクソくらえ!』俺のモットーにしていずれ座右に名になるだろうこちらには、中学二年のあの告白を断って以来の甘酸っぱさなんてかけらもないただただ苦い、不味いだけの思い出・・・いや、最悪な記憶がたっぷり凝縮されている。
教室を見渡す。席は窓際から二列目の後ろから二番目といったなかなかの高位置。嗚呼、ありがとうこんなありがちな平凡な苗字を。と、心の中で合唱をしたまま意識を教室内に戻す。帰りのHR前の教室。入学式から三日。早くもそれなりに仲良しグループなるものが形成されつつある。男子は基本誰彼構わずといった感じで、いわば即席グループといっていいだろう。喋りたいやつの席の隣に座り、趣味やらこれから入ろうとしている部活の話で盛り上がっている。一方女子はというと、聞こえてくる女子共の会話はもうすでにお互いを探り合ってるようにしか聞こえない。実際あれは探り合ってるようだが、にしても怖えなやっぱ。そんな教室内の様子を見ながら鼻をふんと鳴らしかけた時、後ろからポンと背中を叩かれた。
「よっ」
木場 勝(キバ マサル)が立っていた。
「おう、勝か」
「どうしたんだよボーっとして」
「いやー、平凡だなーと思ってさ」
「爺さんかおめぇわ!あったかいお茶飲む?おじいちゃんっ」
相変わらず調子のいいやつ。
「要らないし、ジジイじゃない」
「唯斗くん冷たぁ~い」
「いや死んでないから」
「体温じゃねえ!」
勝が笑う。すると後ろの席の坂下さんがふふっと笑った。気づいた勝が話しかける。唯斗なかなかおもしろいでしょ?二人ともいいコンビね。勝はそのコメントにまた笑った。俺も少し笑った。まったく、勝は本当に調子がいい。
木場勝。こいつとは小学校から一緒の数少ない友達であり俺の親友だ。なんでも話せる仲だ、お互いに。
そんな明るくて気さくな勝は、その性格と本人の好奇心、キャラクター性も相まってクラス委員を務めている。入学式の次の日、二日目のHRでお手本のようなピンと天に伸ばした挙手を披露し、クラス委員に立候補した。男子は勝、女子で唯一手を挙げたのは・・・えーっと名前なんだったっけか?まあいい、とにかく男女一人ずつということだったのでとてつもなく迅速に、平和的に決定した。そんな勝が持ち前のコミュ力を駆使し、後ろの席の坂下さんをいつのまにか巻き込む形で訊ねた。
「二人はもう入る部活は決めた?」
「私は部活は入らないけど図書委員希望かな」
少し小さい声で坂下さんは言った。
「唯斗は?」
「なーんも決めてない。どうせなら放課後はすぐ帰りたい」
「それはできないねー、一年生は四月のうちにはどこかしらに入部して六月いっぱいまでは部活に所属、活動していなければならないんだ」
面倒な校則だな。まったく。
「そんで、本当に入りたいところないの?」
女子が極力少なくて、尚且つ平凡な平和な何の変哲もない部活。部活。部活。
あ。
「写真部とか」
勝は思わずうそ!?と声を上げる。
「なんで写真部!?!?!?バスケは?」
「斉藤君バスケ部だったんだ」
「そー!そー!こいつバスケ部だったんだよ!一年の時なんかすでに先輩とレギュラー争いしてたくらいだぜ?」
と、勝は我が子を自慢する親のように坂下さんにちょっと大げさにこれまでのエピソードを語りだす。バスケはよく分からないんだけどすごいね。なんて今度は二人で盛り上がっている。
「岸田先輩もマネージャーだしさ、またバスケやろうよ」
その名前は・・・ますますバスケ部俺から遠のいていく。
「もう写真部って決めたんだ」
「そんなあ」
勝は本当に残念そうだ。
「でも、写真部もなんかいいよね」
まさかの共感に俺は思わず振り向く。
「坂下さんもそう思うでしょ?いいよね写真って、その瞬間を収めるというかね」
「うん、分かるなーその感じ」
「おっ!分かっちゃう?」
「斉藤くん意外とノリいいねっ」
目の前の女の子が微笑む。
「あーっと・・・」
言葉に詰まった。というより自ら抑えた。その瞬間ガラッと教室のドアが開いて担任が入ってきた。クラスメイトは皆、そそくさと席に着く。俺は黒板の方に向き直り、一人後悔の念に浸っていた。ああ!駄目じゃないか!さっきのはアウトだ。女子とは最低限。最小限の会話と決めたのに!頭を抱える。別に自意識過剰という訳ではない。決して。俺の中で異性に関わるというのは会話だけであってもいずれ厄介事に巻き込まれる。厄介事とはそう、噂だ。これほど迷惑で、当事者からしたら悪意の塊でしかない。高校では同じ過ちはしない。ましてや同じ中学から通っているのは勝だけではないのだらか、中学時代の俺の事情を知ってるやつはまだいる。そんな連中が今の会話風景を一瞬でも目撃してなんて考えたら寒気さえ覚える。もうあの頃には戻りたくない。息ができないのと同じくらい苦しかったあの頃に。もう何事もなく平凡にすごしたいんだ。だから俺は元凶になった恋愛から過激なほどに距離を置く。
『恋愛なんてクソくらえ!』だ。自ら足を突っ込むのも、向こうから来るのもまっぴら御免だ。そう言い聞かせ俺は体制を立て直す。ちょうどHRが終わった。チャイムが鳴る。よし、帰ろう。
しかしこの時はまだ、俺のこのモットーが高校入学前に改めて掲げたものがいとも簡単に、早々に崩れ去ることを知らない。知るはずがなかった。
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