Act.20 介入

 ――闘剣場は、暴力的な喧騒に包まれた。殺せと叫ぶもの、ざまあないと貴族を嘲笑うもの。勝敗を決する一つの手段であるカウントが実況によって数えられ始める。


 五回ほど闘剣場が揺れた時、貴族の意識が戻り、息を吹きかければ倒れてしまいそうな千鳥足でまた立ち上がった。


「ふ、ふざけるな!父上から敗けろと――」


 貴族は奇跡的にもそこではっと口をつむぎ、それ以上の失態を侵さないことに成功する。だが、その顔は極度の羞恥と底の見えない怒りによって赤く染め上げられていた。


「貴様ごときに――ッ!!」


 二つの意地と誇りがぶつかり合う。

 一つは己の種族を貶され、静かに怒りを湛えながら地面を駆け、左右前後から刺突と斬撃を繰り返す少女。


 肩まで伸ばした髪を躍動させながら戦う姿は、それこそ獣のようであった。


 奴隷ごときに敗北しまいと剣を振るう貴族も、その無駄に高いプライドが一役買っているのか致命傷は未だ受けていない。


 その泥臭さ、堅固さは戦場に作り上げられた要塞を思わせる。

 傷つき、前線を突破されようとすぐに第二防衛線を築き上げる柔軟さ。


「らぁぁぁぁあああっ!」

「奴隷如きにいぃいいいいッ!!」


 ――勝利の女神は希望を持ち続けた者に微笑んだ。


「勝負あり!」


 貴族は大の字に突っ伏し、喉元に剣先を向けられていた。ヒナカの呼吸は荒い。目の前のことしか見えなくなっているのか、剣を高々と掲げ、止めを刺す。


『待てヒナカ!』


 だがその声は届かず、ゆっくりと剣が振り下ろされる。

 

『待てって言ってるだろ!!』


 ようやく気付いたのか、はっとなり咄嗟に剣を横に放り投げる。剣は回転しながら数メートル滑り、運動エネルギーがなくなったのかぴたりと止まった。


「今、わた、し、何、を?」

『後で話す。ほら、戻るぞ』


 ぐったりとした貴族は担架に乗せられ、白い服を着た神官らしき人物たちに運ばれていった。


 ヒナカは相当疲弊している。入ってきた門に向かう足取りは夢遊病者のようで、金色の目は充血してい た。


 やっとの思いで辿り着いた門の入り口には、ヤコブが待ち構えていた。


「良い戦いだった。ただ、最後のは少しいただけなかったな」

「すいま、せん。何も、見えなくなって、ました」

「仕方があるまい。獣人はそういう特徴がある。次、気を付ければそれでいい」


 廊下の奥から、どすどすと地を踏み抜きそうなほどの足音と、幾つかのコップを地面に落とす耳障りな音が聞こえてくる。


 廊下の角から現れたのは、案の定アホ息子の父親、つまるはヒナカの主人。クソ貴族は彼女を見つけるや否や、さらに速度を上げてこちらに詰め寄ってくる。


「貴様!何を考えている!『命令』はどうした!?敗けろと指示したはずだぞ!?あやつのために信用ならん魔法使いまで雇ったというのに!!奴隷裁判抜きの即刻死刑だ!そこに直れ!そのそっ首を刎ね飛ばして――」


 やる、とまでクソ貴族は言い切れなかった。横にいるヤコブに気づいたからだった。途端にクソ貴族はあわあわし始め、己のしでかした失態を噛み締めているようだ。


「八百長に魔法による不正強化......色々準備した俺の苦労を考えろってんだ。あと、今お前が終わらせた奴隷裁判、無効だ」

「な――ッ!?」

「ほれ」


 ヤコブが腰から羊皮紙のようなものを取り出し、クソ貴族に見せつける。


「皇帝直々の署名と押印おういん入りだ。諦めな」

「ふっ――ふ、ふざけるなッ!今まで私が寄付してきた金は何の為だと思っているんだ!!」

「知らん。ま、俺からしたら椅子が一つ空くから万々歳だが」

「貴様......!」

「これでお前の全財産は没収だ。という訳で、市場に流れる前にヒナカ、お前を買う」

『ッ!?』


 まさか裏切ったのか?だとすれば、またヒナカがこのクソ貴族見たいに買われる可能性もある。

 今度は今みたいに運良く逃げられるとも限らない。


 思考が加速する。策を練るため、ヒナカを見る。


 が、当の本人は疲労を色濃く顔に滲ませながらも、不敵な笑みを浮かべていた。あるいは、やってくれたな、という笑みにも見える。


 だがその笑みは一瞬で、直ぐに落胆に変り、ヤコブを見つめる。


「ふっ、ハハハッ。低俗な大鬼オーガが新しい主人とは!いいものが見れたわ!」


 クソ貴族が負け惜しみの一言を放ち、尻尾を巻いて通路の奥に消えていった。


 だがヤコブは裏切りとも取れる発言をした時の表情を一切崩していない。


 何が起きているんだ?



 クソ貴族が去り、俺達はヤコブに連れられ例の図書室に来ていた。


「やってくれましたね」


 開口一番、ヒナカがそう言い放った。だが、その声はどこか楽しそうだった。


「その口ぶりからするに、気付いたと見るが」

「にしてもあれは酷いですよ......」

「ま、必要なことだ。あのまま放置してたらどうなってたことやらな」

「む......ありがとう...ございます」


 非常にやるせない表情を浮かべながら感謝の言葉を伝える。


 どうにも話の流れが分からない。


 自由を求めるヒナカからしたらヤコブに買われることはむしろその妨げにはなっていないのだろうか?


もしくは俺の知らないところで――いや、無いな。ここ数日はいつも一緒にいたし、ヒナカが寝た後に俺も時間を潰してたはず。


「というわけで、ほれ、お前さんが勝ち取った金だ。好きに使え」

「わぶっ」


 ヤコブが机の下から取り出し、放って寄越したのはバスケットボールぐらいの大きさのチャリチャリと音のする袋。


 ヒナカが袋の口に巻き付けてある紐を解き、中身を確認する。


「うわっ......いつもこんなに貰っているんですか?」

「ん?これでもかなり少ない方だぞ。お前さんは気づいてなかったみたいだが、他の四人もつられて戦ってたぞ。それで生き残ったのがお前さん含めて三人。つまり総額の三分の一だな」

「おぉう......さんぶんのいち......」

「フーリーヤはそれ以上に貰っているぞ」


 ヒナカが白目を剥いているのは容易に想像がついた。はっと我に返ったのか、ヤコブに質問をぶつける。


「――ひとつ、聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「ここの武器庫にあるものは、買い取っても大丈夫なんですか?」

「うーむ......大丈夫だろう。何かあっても自己責任だがな」

「ここの掟ですしね。というわけで......これ、買えます?」

「ふむ?」


 腕を上げ、服の袖を捲り白金のような色合いの腕輪を露出させる。


「さっきの金額で買えますか?」

「見たことがないな。そこそこ等級は高そうに見えるが......武器庫にあったんだからそれほど重要なものではないか。そうだな、その袋の半分ってところだ」


 ずい、とヒナカが袋をヤコブに差し出す。ヤコブは苦い顔をするも、差し出された袋をそっと受け取り中身の半分を搔き出す。


 そうして残った半分をまた袋に詰め込みこちらに戻した。あぁそれと、と、ヤコブが立ち上がり、部屋の奥に消える。


「ほれ。その剣じゃ大して持ちはしなかっただろ?業物でもないが、お前さんには丁度いいぐらいかもしれん。持っとけ」

「う」


 ヒナカに手渡されたのは、先ほど見た物より同じか少し短めの片手半剣。


 過度なものは施されていないが、どことなく気品を感じさせる文字らしき装飾や宝石が刀身の中央と柄に施されている。


 剣の重量がそこそこあるのか、重そうに足を使って両腕に抱え込もうとしている。


「『遺跡』の十層手前で見つかったもんだ。こう見えてもそこそこ稼いでるんだぞ?」

「これ、もらっても?」

「所有物に勝手にいなくなられても困るもんでな。等級は確か二......いや、準二といったところか。それに、そこそこ質のいい材料を使ってたように見える。試しに振ってみろ」

「分かりました」


 ヒナカが本棚と本棚の隙間にある少し抜けた空間に立ち、抜身の剣を構える。


 裂帛。


 両手で構えた際の動きから、片手で使用している際の動きまで――抑え気味ではあるが――実戦に近い動きを一通り終える。


「誰に教えてもらった?」

「独学で。色んな他人ヒトの見様見真似です。そのおかげで散々邪道だ何だとは言われましたけどね」

「少し前のめりだが、中々の完成度だな。ここを出るんだろう?その時にはいい人を紹介してやる。......性格に難ありだがな」

「お友達ですか?」

「いや。育ての親、というよりも師匠といったほうが正しいか。まあ会えたら分かるさ。......くれぐれも怒らすなよ?」


 突然ヤコブが深刻な声で話し始めた。それだけやばい人物ってことか。できればお近づきにはなりたくないかも。


 この後ヤコブは試合が入っているそうなので、そそくさと剣を取り出してきた部屋に消えていった。

 ヒナカが本棚を漁っていると、奥から声が跳弾してくる。


「ヒナカ、お前さん、俺の試合見に来るか?今なら富裕層扱いで入れてやれるぞ?」

「いいんですか?」

「主人の威厳でも見せてやろうと思ってな。何、気にするな。今ならまだ向こうの金で入れるぞ?」


 行きます。即答だった。まぁあれだけの仕打ちをされたら当然っちゃ当然か。


 この数十分後、俺たちは波乱の幕開けを見ることになる。

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