Act.21 波乱
悪い夢でも見ているようだった。というかいっそ、悪い夢であればよかった。
十分前の記憶がフラッシュバックする。
俺たちが戦っていた時よりも遥かに多い観衆の目、遥かに大きい歓声、最早怒号と言っても差し支えないほど。
ヤコブは最初から様子がおかしかった。足取りは少しふらついていたし、顔色もあまり優れてはいなかった。
だが筆頭自由闘剣士の意地が、誇りが、それを強引に覆い隠してしまっていた。実況の男が開始を宣言する。
相手は奴隷剣闘士の中でも噂になっていた自称王。体格は二メートルはあろうかというヤコブに引けを取らない巨漢で、ヤコブと比べると少し細身だった。
戦いは互角。のように見えるワンサイドゲーム。実際ヤコブが剣の技術や体捌きなどは勝っていたが、明らかにそのステップは重かった。
対する自称王は軽快そのもの。明らかにヤコブ本人を狙った何らかの細工が施されていた。
戦いはジリ貧そのもので、時間が経つにつれヤコブの身体に生傷が。
実況の声が会場をつんざく。
ヤコブは濃く、くっきりとした影を闘剣場の土に躍らせていた。
『行くぞ、ヒナカ』
「......はいっ」
闘剣場の通路には松明が立てかけられている。めらめらと揺れる炎を一瞬たなびかせ、医務室へ急ぐ。
「ヤコブさん!」
扇状に成形された石のアーチに手をかけ、ヒナカが中をのぞく。返ってきたのは五名ほどの視線。
その中には、前に共闘した男とその女主人もおり、真剣な眼差しでヤコブを見つめていた。
ヤコブは肩の致命傷らしきところから血を流し続けており、顔は青白く、貧血そのものだった。
三人の白い服を着た男か女か分からないような人たちが、両腕を前に差し出して必死の形相で魔法を使っていた。
「大丈夫、なんですか?」
「恐らくな。こいつの身体は全くどうかしてるよ」
ヒナカの問いに答えたのは、褐色の肌を持ち、腰まで伸ばした黒髪を無造作に纏めた、若い女性だった。丸メガネの奥に光る、どこか朧げに澄んだ水色の瞳でヒナカを見つめる。
「君がコイツの奴隷かい?」
「えっ――あ、はい。ヒナカと申します。よろしくお願い致します」
「テルルだ。テルル・エディントン。君が前共闘していた奴隷の主人だ。よろしく」
そう言って、テルルのほうから握手を求めてくる。だがヒナカは少し戸惑っているようだった。
「奴隷だということを気にしているのか?」
「......はい」
「ヒナカ、一ついいことを教えてやろう。――美しさとは何だ?」
「えっ......?き、機能美、だったり、顔立ちが整っていることだったり?」
「確かに。だがそれは外面的、即物的な美に過ぎない。私の眼を見ろ」
「きれい、ですね。それこそ、美しい」
確かにテルルの眼は澄み切った水色で、どこまでも吸い込まれて行きそうだった。
「その通り。美しさとは『眼』だ。『眼差し』と捉えてもらっても構わない」
その眼には、光が灯されていた。
「眼差しは、その者の美しさを如実に反映する。身分、立場、名誉、姿形。そして自信さえも美の本質ではない」
顔を徐々に徐々に近づけ、その眼を、眼差しをヒナカに見せつける。
「
続ける。
「光は、暗闇の中にしか現れない。闇を知っている者でないと光を見つけることは不可能だ。君には、その光が見えている。それだけで、十分だ」
「ご高説中悪いが、誰か水を持ってきてくれないか?喉が砂漠みたいに乾いてやがる」
「間の悪いやつだな。ほれ」
「ペースは崩すもんだとあんたの姉貴に言われたもんでね」
ヤコブがそれまでぐったりとしていた体を起こし、軽口を叩きながらテルルに水の入った革袋を渡される。
「うえ不っ味......」
「人にもらっておいてその台詞か?」
「へいへい」
ヤコブはへらへらと答え、革袋をテルルに返す。
俺もヒナカもいまいちこの二人の関係性が掴めていない。姉貴って言ってたし、ヤコブの師匠の妹ってことなのか?
「はぁ......糞が。また寄付金は入れといてやるよ。ほれ、ヒナカ、戻るぞ」
「えっ、あ、はい」
「そんじゃ、また世話になるときは頼む。達者でな、おばあちゃん」
「五月蠅い、終わったのならさっさと失せんか」
ヤコブはテルルをからかいながら、左手を振って俺たちの入ってきた石のアーチをくぐる。
「傷、大丈夫なんですか?」
「まあな。テルルお抱えの治療団が治してくれたんだ。ヘマをするような連中でもあるまい」
「心配したんですよ?」
ヒナカが真剣な口調でそうヤコブに言いつける。まあ、あれだけの傷を負ってたんだ。そう思うのも仕方のないことだろう。俺なんて死んだと思ってたし。
「そいつはすまんな。まさか、連中がここまでやるとは思ってもいなかったんでな」
「やっぱり、何かあったんですか?」
「立ち話もなんだ。部屋に一回戻るぞ」
部屋に戻ると、ヤコブは黒板の前にある大きなソファにどっかりと腰掛けた。ヒナカもその反対にちょこんと座り、落ち着かなさそうに尻尾を触っていた。
ヤコブは両手をソファの肩に持たれかけ、話し始める。相当疲れているようで、感情的になることも何度かあった。
ぶはぁー、と大きく一度ため息をつき、より深くソファにもたれこむ。
「......というわけだ。今日はもう疲れたろう。さっさと飯食って寝ろ」
「そうさせてもらいます」
部屋を出て、ヒナカもまた一度ため息をつく。こちらも体力的にはいざ知らず、精神面のほうが参ってしまっているようだった。
「明日、もう一度テルルさんの所に行きましょうか。聞きたい話が沢山出来たので」
『同感。今日は、寝るか』
「ですね。......疲れました」
ヒナカは一度誰もいない食堂に戻り、適当につまんでから共用寝室に戻った。
その疲労度は驚くべき程で、ベッドに入って毛布にくるまった数秒後には寝息が聞こえてきた。
寝顔は年相応のもので、まだ白かった。
回らない頭で、明日のことを考える。
明日は、テルルに会いに行かないとな。
貴族を、叩き潰すために。
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