Act.18 交渉

 俺たちが今いるのは切り出し石に囲まれた奴隷部屋ではなく、普通――というのには少々抵抗があるが、少なくとも生活感は見受けられる部屋だ。


 四方八方に大量の本棚があり、部屋の片隅には男の武器が立てかけられている中で、ヤコブという男がいかにもこの部屋の主でございますといった様子で人が座るには大きい椅子に深く腰掛けていた。


「それで?何か聞きたくて来たんじゃないのか?」

「いえ。いくつか本を借りたくて」

「ならどれでも持って行ってくれてもいいぞ」

「ありがとうございます」


 ぺこりと一礼し、ヒナカがまるで背中から羽が生えたかのように軽やかに本を探して歩き回る。


 十六帖ほどの部屋の中には、ありとあらゆる場所に本が軍隊のように整頓されて置かれてあった。


 ヤコブはどうにも雑食性のようで、明らかなファンタジーのような題名から魔術の研究についての論文らしきものなどその本の内容は多岐に及んでいた。


 後ろから渋い声で質問が飛んでくる。


「次はいつ出るんだ?」

「明日には。ご主人の息子さんとです」

「はぁ?あのアホ貴族の息子と?」


 声には出さずに顔だけで察してくれとヒナカが黙り込む。まあ奴隷という立場上主人の息子をアホ呼ばわりするのはいささかまずいものがあるのだろう。


「ご苦労なことだな......」

「それについて、一つお願いがあるんですが」

「何だ?腐っても貴族だ。俺の力じゃできないことは流石にご容赦願うぞ?」

「いえ。協力してもらえればヤコブさんにとっても確実に得があります」

「ほう?」


 ヤコブの左眉がつり上がる。交渉もできるのかね、この娘。

 背伸びをしながら本を取り出し、パラパラとページをめくりながら頭の中を整頓し、喋りだす。


「ヤコブさん、さっき元老院の人たちと揉めてる、ってはなしてましたよね?」

「ジジイのことか。ほう?それで?」

「ヤコブさんも知っての通り、私の主人はそこの席に座ってます。まだ詳しいことは言えませんが、ここの掟を破ってくれそうです」


 ヤコブの身体が自然と前に出て、少し浅く椅子に座りなおす。


「裏はあるのか?」

「はい。『命令』されたので。恐らく開始前に何か寄越してくると思います」


 ふーむ、と顎に手を当て、色々と思案しているようだ。


〔兄者〕

『ぅん?』

〔さっき言ってた『ヤバいもの』って教えてもらえませんか?〕

『あー。分かった。よくわかんないけど多分凄い高値が付くやつだと思う。あそこで出したら多分他の奴らがこぞって奪いに来ただろうな』

〔今出せます?出来れば一番価値が低そうなもので〕

『一番低いやつだな?』

〔お願いします〕


 自分の中にめり込んでいる革製の鞄のようなものに鑑定を発動させ、価値の低そうなものを探していく。


「程度はどの位だ?椅子取り合戦に勝てる位ならいいんだが」

「試合前の八百長――これで大丈夫ですか?」


 ヤコブの顔色が変わった。


「...何をすればいい?」

「『事情聴取』と、地下坑道送りの時に介入を。もしかしたらその場で首を刎ねられるかもしれないので急ぎでお願いします」

「分かった。『事情聴取』もそれなりに時間はかかるぞ?相手が相手なら吐かない場合もある」

「お願いします」

「証拠はどうするんだ?」

「確かヤコブさん盗賊職シーフのお友達いませんでした?」

「あー、あいつか。信用は出来るが......金はどうするんだ?」

〔兄者〕

『はいよ』

「これを」


 ヤコブの目は、日向夏の手の中にある小さな指輪に向けられていた。過度な装飾はないが、指輪自体に彫り込まれているレリーフは舌を巻くほど精巧だった。


「......これは?」

「何ヶ月か前に遺品として受け取りました。これで足りますか?」


 どうにも腑に落ちない顔をされるが、ヤコブは渋々受け取った。


「他に何か言いたいことでもあるのか?」

「......いえ。明日、お願いします。良い夜をアウファード

「良い夜を」


 俺たちはヤコブの部屋を去り、奴隷闘剣士の寝室に戻ってきていた。

 長々と話してしまっていたせいか、もうほとんどの奴隷が眠ってしまっており、部屋はまるで暗い洞窟のようだった。その上部屋が冷えているので、より一層そのイメージがしっくりくる。


『見なくてよかったのか?』

〔十分見せてもらいましたよ......あれで一番価値が低いんですか?〕

『......すまん』

〔多分ヤコブさんに睨まれてると思いますよ?〕

『......すまん』


 価値がわからない――という言い訳はやめておこう。不毛なことこの上ない。


 明日はあのクソ貴族の息子との八百長試合が控えているので、さっさと寝るとのことだった。


『おやすみ』

「......おやすみなさい」


 さて。ヒナカも寝てくれたことだ。魔力を少し頂戴して行くとするか。


『鑑定』


名称:ヒナカ レベル:7 クラス:奴隷剣闘士

種族:獣人・猫亜種 精神状態:安定 年齢:16歳 

HP:87 MP:141 SP:64

天命力:71 筋力:63 敏捷:122 知識:132 魔力:221 カリスマ:71 判断:71 

スキル

剣術:Lv.2 剣技術:Lv.2

ユニークスキル

暗視

着用装備:奴隷服


......半分ほど貰っていくか。朝には全回復してるだろう。


 これも、ヒナカの異常なまでの魔力生成力のおかげだった。鑑定画面にこそ出ないが、俺にとっては非常にありがたいことだった。


 だが、今の俺は魔力というものが実際よくわかっていない。魔術や魔法といったデタラメを扱う際に必要な力――その程度の認識。


 残念なことにヒナカが持ってきてくれた本の中にはそういった事が記されている本はなかった。また借りに行くしかないか。


〔それじゃ、行くとしますか〕


 俺は月らしきものが大手おおでを振っている中、朝ヒナカが連れてきてくれた森の中までやってきた。


 何が目的か。それは次の試合に向けての肩慣らし。魔術を使ったのは前の戦いの時だけだし、それだけでは正直不安しかない。


 というわけで人目のない夜中にこっそり抜け出して、今使える魔術を確認しようというものだった。


 結果はダンジョンにいた頃からしたら最悪。だが、ダンジョンにいた頃の俺は何かと魔力による威力の増化に頼り過ぎていた――と思う。

 自動回復するからと言って、考えることを放棄してしまっていた。そのツケが今、回ってきている。


 威力はそのままに、かつ魔力の消費は最小限に。言い換えれば、性能はそのままに、かつ極限まで低コスト化。向こうで散々やってきたことだ。今はそれが別のものに変わっただけ。


 試行錯誤し、いつだったか使いづらいとの理由で使うのをやめてしまった魔術の同時使用を再度試行。


『......よし』


 魔力も残り少し。魔力切れで朝まで森の中はごめんなので、潔く俺は寝ているヒナカのもとに戻り、太陽が顔を出すまでヒナカの横でうつらうつらとしていた。

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