片手で数えられる殺人鬼:後日談あるいは次回予告

 学校の仕事納めがいつになるのやら、根廻吾郎は知らない。

 彼は学校の教職員ではなく、学校に派遣された文科省からの役人だからである。

「ふう……」

 『帽子から飛びだした死』と題された厚く古ぼけた単行本を机に置いて、彼はため息をついた。

 場所は彼が派遣された先である白花女学院の旧校舎、その最上階である。かつて校長室だったらしい部屋は広々としていて、木製の重厚な執務机、それと合わせた革張りの椅子、来客を迎えるソファとローテーブルのセットなどなどが鎮座している。壁に備え付けられた書類をしまう木製のラックは根廻の仕事用のファイルが並ぶ中、電気ポットと山盛りのお茶菓子が不釣り合いに鎮座して微笑んでいる。反対側の、トロフィーを飾っておくためのものらしいガラス製のケースは本棚代わりになって、古い単行本から背表紙がピカピカの文庫本までが几帳面に納められていた。

 根廻は座っていた椅子をくるりを回して、背後の窓を見た。ブラインドが降りているが、隙間から外の様子は伺える。外は真っ暗闇で、ちらちらと埃のような星がきらめている。

 (もうこんな時間か…………)

 男のつぶやきは胸の中にだけ反響した。

 彼はもう一度椅子を回して、執務机に向き直る。机の上には先ほど置いた単行本の他、電源の落ちたノートパソコンとタブレット、飲みかけで冷めてしまった緑茶を入れた湯呑み、最中や羊羹を包んでいた袋が雑多に並んでいる。

 その中で異彩を放っているのは、真っ黒なサングラスである。彼はそれを手にすると、スーツのポケットから眼鏡ふきを取り出して拭い、それから装着する。

 校長室らしい部屋に鎮座するサングラスの男。ちぐはぐという語の例示を辞書に求められた諸君は、このシーンを写真にとって見せれば事足りるだろう。

 と、そこで、部屋の扉がノックされる。根廻は「どうぞ」と促した。

 入ってきたのはふたり組の男女だった。その組み合わせに意外性を感じ、彼はサングラスの下でわずかに目元を歪めた。こういうとき、自身が感じる不審を隠すのにサングラスは便利だ。

「失礼します」

 ふたり組のひとり、男の方は黒いスーツを着ている。ワックスでがちがちに固めて崩れることを知らない髪と、皺ひとつないスーツは教員のそれとは少し異なる几帳面さだった。

「……噂には聞いていましたが、ずいぶん広いですね、あなたの部屋は」

男は神経質そうに、スーツの胸ポケットに入れたボールペンの頭を撫でた。

「そういうお前はどうなんだ? 老竹管理官?」

 根廻は気さくに同僚に尋ねた。「管理官」という言い方に幾分かの笑いを込めて。

「狭苦しい、四畳半もない部屋ですよ。私は狭いのが好きなので構いませんが。あなたが閉所恐怖症とは知りませんでした」

「俺じゃねえって。いくら辞退しても、そこの校長が押しつけやがったんだ」

 と、根廻はもうひとりの来客に目を向ける。

 その人は、部屋の入り口でちらちらと手を振っていた。白いスーツを着た恰幅の良い中年の女性。化粧は薄いが、自己主張するように口紅だけがべっとりと赤い。それでいて派手という感じはなく、彼女はこれが自然体だと思わせてしまう強引さと勢いがあった。

 白花女学院の校長、白鞘実子校長である。

「老竹くんも根廻くんもお仕事ご苦労様っ! ってことで大人だけのちょい呑みでもどうかなって思ったんだけど」

 よく見ると、白鞘校長の片手にはビニール袋が下げられている。中には銀色の汗を掻いた缶が光っていたり、様々なおつまみが詰め込まれていた。

「ここ学校なのですが……」

 老竹がしぶる。一方、根廻の方では白鞘の性格を心得ているものらしく、椅子から立ち上がると来客用ソファに移動する。

 その様子を見て、老竹も諦めて腰掛けた。

「ちょっとだけですよ」

 老竹は念を押す。

「俺も酒はあまり飲めないんでね、付き合う程度ですよ」

 根廻も調子を合わせる。彼は同じ値段ならビール缶よりコーヒースタンドのホイップコーヒーを飲む男だ。

「分かった分かった。ほれほれ」

 ひょっとしてもう酔っているんじゃないかと思わせるテンションで、白鞘はローテーブルに袋の中身をぶちまけた。その中から各々ビール缶を手にして、心ばかりの乾杯となる。

 それが仕事人の悲しい性なのか、上座に校長、下座にふたりの管理官が並んで座る構図になっていた。「管理官らしくない」と最近お下げの本数が増えたあの生意気な小娘にことあるごとに言われていた根廻は、それでも社会人の枠から逃れられていない自分に苦笑する。

 (人間ってこんなもんだよなあ)

「ところで」

 開口一番、話題を提供したのは老竹である。

「十二月二十日、クリスマスパーティの日に起きた事件はどうなりましたか?」

 あの白花女学院第二事件は? と。

 老竹は遠慮せずに聞く。

「それ聞いちゃう?」

 自分の学校で立て続けに事件が起きたのだ。不機嫌になってもおかしくない。それなのに白鞘はとぼけた笑顔のまま言葉を続ける。

「老竹くんは鉄黒高校の担当でしょ?」

「隣のことですし、異例の事態ですから、根廻先輩の手腕を伺いたく」

「根廻先輩っ!」

 何がツボだったのだろうか。根廻自身には分からないが、白鞘は上機嫌に手を叩いた。

 根廻は隣でソフトさきいかの袋を開きつつ、話の行き着く先をただ聞いた。

「捜査期間は二週間ですが、白花女学院の冬期休業期間は本日二十四日からです。本来であればMCPは終日適用ですが、いかんせん年末年始を挟みます」

「普通に捜査期間を取ったら、二十四日から一月の七日になっちゃうものねえ」

 他人事みたいな言い方だな、と根廻は思った。

 俺が調整をした当人だからそう思うのだろうか、とも。

「そのあたり、どうしましたか、先輩?」

「本来なら終業後も、つまり明日以降もMCPは適用なんだが……」

 答えを求められ、せっかく封を開いたさきいかを口に運ぶのを諦めて根廻は話す。

「まずMCPそのものを停止した。殺人も捜査も、白花が休業中の二十四日から一月五日までは不可能という扱いにした。その上で、捜査期間もそれにあわせて引き延ばす。だから第二事件の捜査期間は二十日から二十四日、そして一月五日から十五日までの合わせて十四日間という扱いにした。当然これは運営委員会に提言して承諾されたことだ」

「少し、犯人が不利なように感じますね」

 老竹は魚肉ソーセージをかじる。

「捜査期間自体は延びたわけでしょう?」

「とはいえ、終業中の生徒の出入りも厳密に禁止した。現場捜査などが簡単にはできないようにな。アプリもメンテナンス込みで停止したし、可能な限りバランスは取ったよ」

 ようやくソフトさきいかにありつく。根廻は一掴み口に入れて噛みしめる。うま味が口の中に広がったところで、ビールで流し込む。

「いったい犯人は誰なのかしらねえ」

 けたけたと笑いながら白鞘は言って、ビールを流し込む。

 犯行現場を撮影したカメラ映像を確認できるのは管理官だけ。第一事件のときは二つの学校を股に掛けていたため老竹と根廻のふたりが映像を確認できる立場にあった(根廻は見なかったものの)が…………。

 唯一、今回の事件の犯人をカメラで確認している根廻は悪態をつきたいのを、ビールを飲んでぐっと堪えた!

 (よくやるぜ!)

 あれは改心する流れだっただろう。

 あれはまっとうに生きていくことを決心する流れだっただろう。

 その流れに乗らないからこそあいつなのだと理解していても、驚きはするし悪態もつきたくなるというものだ。

「それにせっかく白花での事件が解決して一息ついたところにまた殺人ですからねえ。生徒たちの健康状態が心配になります」

 老竹が殊勝なことを言うのが、根廻は気になった。

「お前、そういうの気にするタイプだったか?」

「一応、管理官として当然のことです」

 老竹は顔をしかめて、ビールをあおった。

「鉄黒高校での事件は三件。五月、八月、十月と間も十分に空いていました。朝山群青は今回の事件でこそ犯人として糾弾されましたが、それ以外では十分に生徒会長としての役割を果たして生徒たちのケアと事件解決に奔走していました。それは事実です。だからこそ彼が人殺しに手を染めたことを、少しむなしく思っています」

「今の内に慣れておけよ」

 と、根廻は老兵めいたことを言う。

「こいつは真面目で大丈夫そうだなって個人的に目を付けてた生徒が犯人として人殺しをする映像を見る。それが俺らの仕事だからな」

 老兵めいたというか。

 

 それはまた、別の話だ。

「ところで根廻くん」

 さっきまで気持ちよく呑んでいて、男ふたりの会話を聞くだけだった白鞘が口を挟む。

「なんすか?」

「どうして天色さんが五人殺したって告白したとき、動揺したのかな?」

「…………………………!!」

 今、それを聞くのか。

 根廻は自分が今、サングラスを外していなかった幸運に感謝した。白鞘に、彼女に伝わる動揺は最小限で済んだのだから。

 きっと済んだのだから。

 きっと済んでいたのだと、希望的観測をもって思えたのだから。

「五人…………?」

 よせばいいのに、老竹も反応する。

「ちょっと待ってください。根廻先輩。五人の殺人はおかしいでしょう? 確かにMCPは『一度の事件につき一人』以外の最大殺害人数規定を設けていません。極論、ひとりの生徒が十件も二十件も事件を起こすことは可能です。しかしそれは趣旨に反するとして、ふたり以上の殺害を成功させた生徒は強制的にMCP実験校からの転出処置をするということになっているはずです」

 ビール缶を置き、老竹が腕を組む。

「まだ酔ってなくてよかった。ちゃんと覚えています。天色空。彼女がMCP下で犯した殺人は二件です。殺人人数も二名。一度目の事件では高校を転出しませんでしたが、二度目の事件で強制転出。運営委員会の意向もあり、MCP発生率の極端に低い白花女学院に転校した」

 老竹が根廻を見る。白鞘も根廻を見る。彼はサングラスで誤魔化した視線の先で、水滴のついたビール缶をじっと睨んだ。

「なんで五人なのかな? 根廻くん。あの場面で天色さんが嘘を吐くとは思えないんだけど。というより、あなたもおおよそは知っていたんだよね? だから驚いたけど、それを押し隠す程度の反応に留めた」

 さすがに、鉄黒高校がMCP実験校に選出されると知るやいなや切り離しを画策した校長である。

 鋭い。あまりにも。

片手で数えられる殺人鬼キルストリークファイブ!!」

 老竹が叫ぶ。

 (余計なことを……)

 根廻は舌打ちをしたいのを堪えた。

「運営委員会からの報告書にあった、MCP外での殺人疑惑! 情報秘匿の観点から我々管理官にすら通称コードしか教えられていませんでしたが、もしや彼女が…………?」

「……まだ、疑惑だ」

 根廻は言葉を絞り出す。

 知っているからだ。

 それが疑惑ではないことを。

「天色空の、元の家族構成は父、母、兄の三名だった。これが天色の元いた学校の夏期休業期間中、行方不明になっている」

 観念したように、彼は知っていることを話す。

 あくまで疑惑としての範囲内で。

「当時、あの家庭は天色を除きどこかへ移住する予定だったらしい。だから事実確認が遅れた。移住予定先に三人は現れず、天色は三人の行方を知らないと警察に証言した。MCPの運営委員会は、万が一を恐れて警察の捜査を引き上げさせた」

 もし天色空が家族三名を殺害していた場合。

 MCPは、校内でのみ殺害を促すことで生徒の自主性を育てるというプログラムは…………。

 現実を汚染する危険性があると、今更ながら有権者に教えてしまうから。

 (ま、くそったれな話だがな)

 根廻はビールを飲みきり、空になった缶を握り潰した。

 どこかで人を殺すやつが、早晩別のところで人を殺さない保証はない。

 運営委員会の捜査差し止めは、そんなことさえ理解できないのが、今の社会だと言っているようなものだからだ。

「ねえねえ」

 と、気の立っている根廻に白鞘は無遠慮に言葉を重ねる。

「ひょっとして天色さんが今の名前なのも、その疑惑と関係あるの?」

「…………………………………………!!?」

 鋭い、なんてものではなく。

 この女は真相を突いてきた。

「どうしてそう思うんですか?」

 自分の言葉が震えていないのを、根廻はただ祈る。

「だって彼女、自分の名前を一から創造するってタイプには見えないし…………」

 そうだろうか。

 独創性がなければ二人殺して完全犯罪達成など難しいだろうと、根廻は思うのだが。

「それに天色って、どこかで聞いたことがあるような…………?」

 ううんと白鞘はうなり、それからぐいっとビールを煽る。

「忘れた!!」

 ガツンっ、と。

 ローテーブルにビール缶が置かれる。缶の口元はうっすらと赤くなっていた。

 (本当は知ってて言ってんじゃねえのか、この校長)

 ビール缶で口元とともに疑心を覆いつつ、根廻は彼女を見た。

 天色空。

 それはある高校で、一億円になってしまった少女の名前だった。

 根廻吾郎は、天色空が天色空になった理由を知っている。

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