#9 わたしたちの色
「ねえ…………」
「なに…………」
世界から、色が消えていた。
普段、みんなで過ごす教室。普通と日常を詰め込んで逃がさないような空間に、非日常がふたつあった。
あるいは、MCPが始まってからはこれも日常なのか。
ひとつはわたし。教室の後方、個人用の小さなロッカーが並んだところに背中を預けていた。左のわき腹にナイフが刺さっていて、そこから血がだばだばと流れている。止血しようと押さえてはいるのだけど、その結果があまり芳しくない。
もうひとつは、わたしの隣。同じくロッカーに背中を預けて、同じく左のわき腹にナイフを突き刺して、そこから血を流している。下ろしている長い髪にも血が付いて、固まって変な髪型になっている。それでもいつも通り、火にかけて甘い匂いのする牛乳みたいな、そんな柔らかさを全身から醸していた。
なんでこいつ、死ぬ間際まで余裕なんだろう。
「ねえ」
と、そいつがまた声をかけた。答えるのも億劫だったけど、もう一度「なに」と答える。
「MCP的にさあ、これ、どうなると思う?」
気にするところそこか。
「先に死んだ方が被害者じゃない?」
「引き分けとかないのかなあ」
と、そいつはため息をついた。それから口を真一文字に結ぶ。でも、それがどうもゆるゆるで、ふざけた顔をしているといつも教師に怒られていた。
「死ぬ間際くらい、真顔になったら?」
「人生半笑いくらいがちょうどいいからねえ」
「あんたのそれ、右利きの人が左手で横線引いたみたいな口なんだよ。半笑いですらない」
「そっかな? あ、と、いう、か」
息も切れ切れに、そいつが言う。
「××××さん、けっこう余裕あるよね?」
「ない。絶対ない。だってほら見てよ」
そいつにわたしは傷を見せた。傷というか、刺さっているナイフだが。
「ずるいって。こっちが肥後守なのに、そっちなんかすっごい肉厚のナイフなんだもん」
「サバイバルナイフだよ。これ一本で上級者なら野外生活ができるようになってて、柄の中に収納スペースもあるんだって」
「これ絶対、わたしの方が出血量多いって」
「そんなことないよお。××××さんの肥後守、なんかだんだん傷口からずれてきて広がってきてるもん。刃が肉厚じゃない分、こっちの方が出血量多いって」
「いやさ…………いや、いいや。何競ってるんだろ」
バカらしくなって、後頭部をロッカーに押し当てる。たぶん、あいつも同じ格好をした。
「ずるいと言えばさ、あんたもずるいって。次は犯人見つけようねとか言っときながら、何でわたしを刺すかな」
「だってえ、××××さん、わたしを殺そうとしたでしょ?」
ばれてたのか。
「わたしたち、結構いい友達だったよね。なんで殺そうと思ったの?」
「シュシュ」
世界が、灰色になっていく。ああ、違う。もともと灰色だったんだ。
「腕にさ、白いシュシュしてるじゃん。なんかそれを見たらむかついた。何自分だけ潔白アピールしてるんだって」
「ひどいなあ」
そいつは笑った。
「でもわたし、白いシュシュは付けたこと無いよ?」
「嘘だ」
「嘘じゃないよお。ほら、××××さん、いつも適当に髪をお下げにしてるでしょ、だからいつか、このシュシュで飾ってあげれたらなあって」
そう言って、そいつは腕を伸ばした。灰色の世界の中で、やっぱりシュシュは白色にしか見えない。
いや、血、だろうか。汚れがついていて、黒くもあり、灰色にも見えた。
「綺麗な色なんだよ。ちょうど、今の空の色……あれ、ごめん」
ぽとりと、腕が落ちる。
「世界が赤いや。なんでだろ。いつも見てる、空の色じゃない」
「…………いつもは、どんな色に見えてたの?」
「それはもう…………」
そいつの顔を見る。返り血でべったりと塗れた頬が愛おしかった。
「透き通って…………」
透き通って、なんだっけ?
あいつがあの日、言ったことは覚えていない。
でもきっと、今日みたいな色だと思う。
雪が降りそうな灰色でもなく。
血のような夕焼けでもなく。
星の泣く夜の黒でもなく。
あとは太陽が輝くばかりと言わんばかりの、真っ青な空。
「天色さん、その瓶も運んで」
「了解しました」
白花女学院第一事件、朝山朱里殺害事件からしばらくが経過した。
十二月二十日。クリスマスパーティ当日。
結局、MCPを恐れた多くの生徒に配慮し、パーティは昼間に行われることになった。ついでに、家族や恋人がゆったりできるよう、世間よりは少し早く行うことにもしたらしい。
中止にならなかっただけ英断というかなんというか。
わたしも柄になく、準備を手伝っちゃったりして。
十二月にしては暖かい陽気に誘われて、野外での立食パーティの形式になった。白花女学院のグラウンドに、テーブルと椅子を散々に出して、取り寄せた料理を並べていく。
「よいしょ」
滑らないよう軍手をはめて、一ダースのジュース瓶が入ったケースを持ち上げ、所定の位置に運ぶ。その途中、ふと、グラウンドの横を見る。
大きなクリスマスツリーが、天を突かんばかりの勢いで屹立していた。色とりどりのモールとボールで飾り付けられて、巻かれた電飾は夜でもないのに光り輝いている。
真昼間にツリーの頂点で燦然と輝く一番星は、少し滑稽ですらあった。
「ここだな」
テーブルに、持ってきたジュース瓶を並べる。横に三本の栓抜きが置かれているのを見て、その位置がばらけていたので並べ直した。
ついでにブレザーのポケットから、チャック付きの袋に入れた脱脂綿を取り出す。袋を開いて脱脂綿を取り出すと、それで栓抜きを拭った。軍手のせいで、一度、取り落としそうになる。
脱脂綿を適当にポケットにつっこんで、空になったケースを所定の位置に運ぶ。そこには他にも料理をケータリングしてきたケースや段ボール、予備の長机や折り畳み椅子、それらを運搬するための軍手や荷車などがぞんざいに積み重ねられていた。
わたしは軍手を手から外して持ったまま、グラウンドの隅に移動する。
「準備できましたか? それじゃあ、クリスマスパーティをはじめまーす!」
生徒の声が響いて、喧噪が一層大きくなる。わたしはその騒ぎを無視して、グラウンドの一角を目指した。そこではキャンプファイアーよろしく焚き火が行われていて、熱すぎない距離にベンチも設けられている。暖まって休憩するための場所だが、今はパーティが始まってすぐということもあり、誰もいない。
ベンチに腰掛け、杖を立てかけてふうと一息をつく。
まったく、どうしてわたしが準備なんて手伝っているんだろうか。
以前いた学校では、考えられないことだった。
そこで大事なことを思い出して、ポケットに入れた脱脂綿を袋ごと取り出して、持っていた軍手と一緒に焚き火に投げ入れる。ちりちりと、焦げる嫌な臭いとともに脱脂綿は焼き消えていった。
「あ、空ちゃんいた!」
後ろから、声をかけられる。
振り返ると紅葉と
「鉄黒高校の生徒はお断りなんじゃなかったっけ?」
「白花の生徒からお誘いがあれば来てもいいんですよ。で、
悪びれず紫紺は言って、二人ともわたしの前に立つ。そこに立たれると火の暖かい熱が届かなくなってしまうんだけど。
「お疲れさま! 今更だけど、事件解決できてよかったね!」
「いつの話なんだか…………」
朝山朱里殺人事件はもう、一月は前のことだ。
「俺からもあらためて、お礼を申し上げます」
紫紺はあらたまって、頭を下げる。
「朱里さんのご両親も感謝を述べていました。喪中ゆえ例年通りの持て成しは行わない予定でしたが、天色さんを是非新年会にご招待したいと……」
「それ、前も聞いたし断ったんだけど……」
金持ちに感謝されるなんてぞっとしない。
紫紺からなら、まあいいけどさ。
「それで一ヶ月は経とうって感じだけど、事件の経過はどう?」
「はい」
ようやく紫紺は頭を上げる。
「群青さんはMCPのルールにのっとり逮捕され、現在警察では起訴のための証拠固めというところです。凶器に使用したライフルに群青さんの指紋があり、生徒会室の弾痕がライフルに使用された種類の弾丸とおおよそ一致しました」
「指紋、残してたんだね」
紅葉が首を傾げる。
「なんでだろ?」
「屋上にまで隠しカメラがある保証はなかったんじゃない? 二週間が過ぎて、自分が犯人だと円滑に証明するためにはむしろ指紋とかの証拠はあった方がいいし。そもそも指紋を拭く暇もなかったでしょ」
「そっか」
実際は、屋上にもばっちりカメラはあったわけだが。
「群青さんのご両親は優秀な弁護士をつけていますが、やはりカメラの映像もあり、動機も十分となると実刑は免れないだろうと。一応、MCPという超特異的状況ですから、そのために正常な判断を失ったと主張することも可能ですが」
「狙撃の練習をしてたらそんな言い訳も無理でしょ。根廻さんから聞いたけど、朝山家が所有する山に狙撃の練習跡がたくさん見つかったんでしょ?」
「……はい、残念ながら」
朝山群青。やつの殺意は完全に実証されている。
「もうっ! 紫紺くん、そんな暗い話はなし! 今日は空ちゃんに用があって来たんでしょ?」
「え、あ、はあ、そうですね」
紅葉の言葉につられて、急に紫紺が動揺したように体を動かす。なんだ?
「というわけで空ちゃん、目ぇ閉じて!」
「え?」
なぜ?
「いやだよ。なんでMCP下の学校でそんな無防備な……」
「はい紫紺くん!」
「え、あ、マジでするんですか?」
突然、わたしの眼前に赤いペンギンが現れた。どうやら目隠し代わりに紫紺がわたしの顔面に押しつけたらしい。
「おいこら、ちょ、な…………」
気配で、紅葉がわたしの後ろにまわったらしいことは分かった。それから、いつもひとつのお下げにしていた髪がほどかれたのも。
そこから先はよく分からない。
「ペンギン。邪魔っ! 眼鏡がずれる! 紫紺、これどかし…………くっさ! よく嗅いだらこのペンギンくっさ! 獣臭い!」
「もーちょい待って」
それから数秒、わたしは暴れた。紫紺は顔面にペンギンを押さえつけるだけじゃなく、杖に手が伸びそうになっているわたしの右手をとって反抗を完全に制している。さすがボディガードをやっているだけのことはある、とか感心している場合ではない。
「はいおっけー。もういいよ」
「…………ぷはっ!」
ようやく獣臭さから解放された。深呼吸して眼鏡の位置を直すと、心配そうにしている紫紺と、イタズラを終えた五歳児みたいな顔つきの紅葉が前にいた。
「……どう?」
そんな紅葉が聞いた。
「どう?」
わたしが聞き返した。そこで、どうも自分の髪型がさっきと違っているらしいことに気づいた。
お下げが二本になっている。
だからどうした。
そう思って髪を縛っている根本に手を近づけると、ふわふわとした感触があった。
「あたしと紫紺くんからのクリスマスプレゼント。似合ってるよ」
紅葉が、いつの間にか持っていた折り畳み式のミラーでわたしを映す。そこには、お下げをふたつにしたいつもと違うわたしがいて。
お下げは同じ色のシュシュで縛られていて。
そのシュシュは…………。
今と同じ、あとは太陽が輝くばかりと言わんばかりの、透き通る真っ青な色。
それはあの日、ふたりしてお腹から血を流しながら、あいつが語った色。
紫紺と出会った日、あの店でわたしの心をとらえて縛り付けた色。
「…………ありがとう」
それが礼儀だからとかではなく。
心の底からそう言った。
そう伝わってほしかった。
ふたりの表情を見れば、それは伝わったのだと分かった。
「というかさ」
でもひとつだけ不満がある。
「ひとつは紅葉が買ったものとして、もうひとつは紫紺が朝山会長――朱里さんに渡そうとしたやつだよね?」
「あ、ばれました?」
紅葉の表情が伝染したようなイタズラっぽい笑みを、紫紺が浮かべる。
「分かるよ!」
そうか。あのとき、ふたつずつで並べられていたはずのシュシュの中で、この色だけひとつしか置かれていなかったのは……。
直前にこいつが買ったからだったんだな。
「気に入りませんでしたか? 他に、もらってくれる人もいませんでしたし、やっぱり納棺の日には、入れられなくて」
紫紺が言う。
「もし俺からのプレゼントだと言うのが気に入らなかったら、それは朱里さんからのプレゼントだと思ってください。朱里さんからの、事件解決の報酬だと」
「…………いや」
気に入らないとは言っていない。
「紫紺からのプレゼント、ちゃんと受け取ったよ」
どうしてだろう。
くすりと。
堪えきれなくて、口元が緩んだ。
「だから…………」
いいかげん、紫紺も卑屈な性格をあらためたらいいのに。
とか。
そういうことを言おうとした。
ガラにもなく言おうとした。
その時。
「いや…………いやああぁ!」
ガラス瓶の倒れる音。
クロスを引いて、テーブルの料理を全部ぶちまける音。
人が倒れる音。
人だった柔らかい肉塊が、地面に弾む音。
今まで何度も聞いた、耳に心地よい音。
「え………………?」
呆然として、紫紺が見た先では。
ひとりの女子生徒が倒れている。泡と血を吹いて。
「なにが……」
混乱していてもさすがに名家の使用人として育った男である。すぐに現場に駆け寄っていく。紅葉もそれに従った。
チリチリと燃えるキャンプファイアーの傍で、わたしだけが取り残された。
「くふふふっ」
堪えきれない笑みが、ついに音になった。
わたしだけが。
紫紺につられてちらりと見ただけだが、すぐに分かる。
今被害者が倒れているのは、わたしが最後にジュース瓶を運んだテーブルだ。
もうとっくに焚き火で燃やしたが、ポケットに忍ばせていた脱脂綿で、栓抜きに毒を塗ったテーブルだ。
「くふふふっ」
もう一度笑う。
白鞘校長は言った。才能はひとつでも、使い方はひとつではないと。
でも、どちらの使い方が正解かは、校長が決める立場にない。
「くふふふっ」
わたしは自分の髪を縛るシュシュに触る。
やっぱり、この色なんだろうな、わたしは。
少なくとも
少なくとも
少なくとも
そのどれでもない色。
それこそがわたしの、空の色。
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