#8 解決編

「一億円か。まあ足しにはなるだろう」

 リビングの扉を開こうとドアノブに手を掛けたところで、そんな声が聞こえてきた。

 今日は、家族がみんないる日だと知っていた。玄関に全員分の靴が揃っていたから。いつもならそんな日は、リビングに顔を出さずに、すぐに自分の部屋へ上がってしまうのだけど…………。

 聞こえてきたのが自分の話だから、つい聞き耳も立ててしまう。

 自分の稼いだ一億円だから、期待してしまう。

 誉められるんじゃないかって。

 だからドアノブに右手を掛けたまま、じいっとしていた。鞄の持ち手を握った左手は、じんわりと汗を掻いた。

「あいつにしてはよくやった方だろうな」

 と、そんな父の素っ気ない声が聞こえる。

「でもどうしますぅ?」

 これは母の声。

「親戚のお家に預けることにしていましたけれど、これじゃあ……」

「そうだな」

 父のため息。

「連中は愚図だが、さすがに気づくか。××××がMCPで人を殺して稼いだってことくらいは。こっちが今まで便宜を図ってきた礼を返してもらうつもりであの子を預かってもらう約束だったが、人殺しを預かるとなると話が別だ」

「絶対、恐喝してきますって。そうすると…………」

「むう…………」

 父のうなり声。父は、無言で唸って口元を隠していると、何か深遠なことを考えているように見える人なのだ。その顔が好きで結婚したと、一度だけ母親から聞いたことがある。

「面倒な話はやめようぜ」

 と、そこで。

 今まで黙っていたらしい兄が口を開く。

「もう決まったことだろ? なに神妙な顔してるんだよ。でいいじゃねえか。誰も損しないんだし。引っ越しの準備も終わって、の準備も万端整えておいて、何言ってんだよ」

「そう、ねえ」

 母が同意する。

 わたしは何も聞かなかったフリをして、ドアノブに力を込めて、扉を開いた。

「ただいま」

「…………帰っていたのか、××××」

 振り返った父が、わずかに目を見開いた。わたしの挙動の何かで、この人が驚くのを見るのはこれが初めてだった。

 そして最後だった。

 ちらりと、リビングと一続きになっているダイニングを見る。そこのダイニングテーブルに母と兄が座っている。

 テーブルの中央には、水をたたえたガラスコップと薬包がひとつ。

 コップの中の水は灰色の世界でも透き通って、宝石みたいにキラキラしている。

「お前、最近調子が悪そうだったな」

 いつの間にかわたしの後ろにいた父が、優しげな声で話す。

 そんな父の声を聞くのも初めてだったし、最後だった。

「父さんの知り合いがいい薬を知っていてな。ひとつ分けてくれたんだ」

「………………」

 わたしは、持っていた鞄の中に入っている肥後守ナイフを何秒で取り出せるか計算していた。

「飲んでくれ」

 ぐいっと。

 父がわたしの背中を押す。



 解決?

 解決ってなんだっけ?

 誰かの中で、問題がきれいさっぱり終わること?

 違う。

 灰色の世界が色づいて、ぼやけた視界を眼鏡で矯正して、わたしが天色空になって、いろんな人と知り合って、杖を突きながらでも前に一歩一歩踏み出す中で、それくらいの答えは得た。

 ひとりよがりからは遠く離れた地点。

 全員が痛みを負うかもしれない真実の開示。

 すべてが明らかになった後、どうなるか誰にも分からないびっくり箱。

 それが解決。

 今からわたしが行う、それがすべて。

「お寒い中、よくもまあお集まりいただきました。みなさんの中には受験勉強が大変な人もいたでしょう、こんな時間に集まって、帰り道で自分が新鮮な死体になるんじゃないかとおびえている人もいることでしょう。ご安心を。長話は馬鹿と痴呆老人の専売特許。さっさと話して、さっさと解決して終わりにしましょう」

 鉄黒高校生徒会室での、無観客大喜劇から翌日。つまり事件発生から四日目。わたしは鉄黒高校の大講堂、その正面舞台でマイクを握っていた。

「解決編、いよいよ御開帳でございます。観覧無料! その代わり立ち見を強いるのはご勘弁を。それからチケットの心配はご不要ですが、各人涙なしでは見られぬ大舞台のため、ハンカチのご用意をお忘れなく」

 事件翌日に鉄黒高校の生徒会警察が捜査報告会を行った大講堂は満員御礼といったところだった。今回の事件は白花女学院で起きたものだが、捜査権限は両校にある。白花で起きた最初の事件ということもあり、注目度は抜群だ。

 ここからうっすらと見える講堂の席は生徒の群でひしめき合っている。ただ、それは左右で白と黒におおよそ分かれている。万が一を考慮して、ポイズンが事前にポールとロープで講堂を二分したのだ。講堂の左側に鉄黒高校の生徒、右側に白花女学院の生徒という具合になっている。

 で、どうしてここからうっすらとしか見えないのかと言うと…………。

「……なんだ? あのペンギン」

 観客の誰かのつぶやきが聞こえた。

「ちょっと紅葉! セッティングまだ?」

「もーちょい!」

 講堂は明かりを落として、スクリーンを展開していた。これも一昨日の捜査報告会で使っていたものと同じだ。違うのはプロジェクターで映すもの。あらかじめデータ化された画像資料パワーポイントではなく、こちらで用意した実物を映したかったので、それ用の機材のセッティングに戸惑っているのだ。

 スクリーンに投影するための物体を置くためのガラステーブルには、現在、紅葉お気に入りの赤いペンギンが鎮座している。それがプロジェクターを通じてスクリーンに投影されているのだ。さっきまでのわたしの言葉も、まるでこいつが全部喋っているように聞こえただろう。

「オッケー! 空ちゃん、いいよ!」

「……了解」

 紅葉の合図とともに、大講堂の明かりが点灯する。裏でクラスメイトたちが動いているのだ。ただの解決編にここまで大仰にしなくてもいいと思うのだが、紅葉曰く「空ちゃんの名誉挽回込みの大舞台だからね!」とのことだった。

 なら今回の探偵役クラウンは、お望み通りわたしが演じさせてもらう。

 講堂の隅を見る。その他大勢は観客席に押し込んだが、事件解決に必要な重要人物は席を設けてそこに座ってもらっている。

 その中のひとり、白鞘実子校長を見る。彼女はこちらを見て、軽くウインクをした。年の割に様になった動きだ。慣れているなあ。

 才能はひとつでも、使い方はひとつじゃない。

 その証明も、ご覧に入れよう。

「みなさま、大変長らくお待たせしました。ただいまよりマーダー・チャレンジ・プログラム、略称MCP下で発生した白花女学院第一事件、生徒会長朝山朱里殺人事件の解決編をはじめさせていただきます!」

 会場のざわめきは一層強くなる。

「ちょっと待て!」

 男子生徒の一人から声が挙がる。

「朝山会長……群青会長が推理をするんじゃないのか? 会長はさっきからそこに座ってるぞ?」

 その男子生徒に指さされた方を見る。白鞘校長と同じ席に、老竹管理官や根廻さんと並んで朝山群青も座っている。その面もちは憮然としたものだった。

「なるほど、先に説明しておくべきでした。会場が鉄黒高校の大講堂ということでみなさまが勘違いをおかすのは必定! どうかご勘弁を」

 リハーサルのとき、紅葉に「どうしてそんな喋り方なの? 空ちゃんっぽくない気がするけど」と言われたのを唐突に思い出す。

 わたしっぽくなくて当然だ。

 ここからは今までにないわたしなんだから。

「申し遅れました。わたくしが今回の探偵役ディディクティブ、白花女学院一年生、天色空と申します。転入して一ヶ月の若輩者ですが、今宵この舞台にてみなさまへ驚喜と混乱をお届けすることを、薬物中毒者の探偵から灰色の脳細胞、太った神父まで古今東西の名探偵の名にかけて保証いたします。……あれ、西側かいがいの探偵ばかりだったかな? 金田一耕助じっちゃんの名にかけるくらいはしておいた方がよかったでしょうか?」

「天色空!」

 周囲から怒号が飛ぶ。当然だ。わたしの名前は容疑者リストの一番上に書かれていたのだから。

「ふざけるな! なんで容疑者が探偵やってんだ!」

 同様の怒号は、主に左側の黒い集団から溢れてくる。その不満と不安は、徐々に左側の白い集団にも波及していく。

 気にするな。

 全部ぶっ潰して押し通す。

「みなさまもご存じの通り、わたしは別の学校で殺人を犯し、この白花女学院に転校してきました。聡明なみなさまならわたしが告白するより先に、既にお気づきのことだったでしょう。ですからこれを隠すことはいたしません。容疑者リストの一番上にわたしの名前が書かれるのもこれは必然でしょう」

 いや、本当はマジでキレる三秒前だが。

 朝山群青がわたしを容疑者リスト入りさせたのは、わたしが以前の学校で殺人を犯したというだけが理由だ。

 そこにはない。

 たぶんそれも、ポイントだったんだろう。

「しかし賢明なみなさま、聡明なみなさまならお分かりのはず」

 ここで一呼吸。

 スピーチのトレーニングは皆無だが、どうすればいいかはよく分かる。

 父はよく、人前で話をする仕事をしていたから。

 熱を持った不服は少しずつ、萎んでいく。

「外国では重要機密にアクセスしたハッカーを服役後、セキュリティの専門家として雇った例があるのをよくご存じでしょう? それと同じようなものとお考えください。今、鉄黒高校と白花女学院の両校において、MCP適用下での殺人にもっとも詳しいのが誰か、言葉を尽くさなくてもお分かりいただけると思いますが?」

 持っていた杖で壇上を一突きする。それから眼鏡の位置を直す。不満と不平はおおよそ、群衆から消えている。完全ではないが、まあ、「話くらい聞いてやろう」という雰囲気にはなった。

 それでいい。

「天色空!」

 と、思ったら、ある意味では想定通りのところから茶々が飛んでくる。

 朝山群青だ。

「我々の貴重な捜査時間を割いているんだぞ! おふざけはここまでにしてもらおうか!」

「ちょっとー、この朴念仁にマイク持たせたの誰? ああいや持ってないのか。バカって声はよく通るからうらやましいよねー」

 実際、群青はマイクを持っていない。地声でマイクのわたしと張り合うんだから厄介だ。

「ご安心を生徒会長。時間を割くだけの価値を我々は提供します。というより、わたしが犯人を挙げればその時点で生徒会警察はお役御免。この後にデートの約束でもない限り、時間のご心配は不要でしょう。…………

 ふざけるのもいいかげんにして。

 古今東西、今現在過去未来の名探偵が前口上にした言葉を切り返しポイントに、本題に入ろう。

「まずは念のため、事件の概要を確認しましょう。事件は四日前の昼休みに起こりました。被害者、朝山朱里は教室での昼食後、生徒会室に向かいました。その用件は不明ですが、その際、一度教室に忘れたスマートフォンを取りに戻っています。このことは記憶されていいでしょう」

 それが十三時三〇分くらいとのこと。

「一方、第一発見者たるわたしと鴨足いちょう紅葉、それから白鞘校長は物置と化した応接室で昼休みを過ごしていました。そこを出たのが校長の時計によれば十三時五〇分前後とのこと。校長、これに間違いはありませんね?」

「ええ」

 校長が立ち上がる。

 一応、後ろでさぼりんがマイクを持って控えているのだが、校長はマイクを使わずに講堂中によく通る声で答える。

「わたしの時計は電波式だからズレはなかった。ただ、死体を発見したときに時計を見たわけではないから、死体発見時刻は応接室を出たときの時間からの概算になってしまうわねえ」

「ありがとうございます」

 校長を座らせて、先に進む。

「昼休みを応接室で過ごしたわたしと紅葉、それから校長でしたが、途中、紅葉が変な音を聞きます。彼女は『銃声のようなもの』と表現しましたがわたしたちには聞こえなかったため要領を得ません。実はこれが重要な証言となるのでみなさんはよく覚えておいてください。ちなみに、紅葉が音を聞いたのはこれも概算ですが十三時五〇分より前くらいでした」

 まさかあの音が重要になるとはな。

「校長の証言通り、わたしたち死体の第一発見者は十三時五〇分頃に応接室を出て教室に戻りました。その途中、生徒会室を横切ったときに我々は被害者の遺体を発見するにいたったのです。ただし、生徒会室は密室でした」

 生徒会室の出入り口は二カ所。どちらもスライド式の二枚戸。その内のひとつを紅葉が破壊し侵入した。

「犯人が内部に潜入していたときの用心として、わたしは校長を入り口に残し、紅葉に老竹管理官を呼びに行かせました」

 実際には紅葉は自発的な行動だし、校長は単に呆然としていただけだが、話を分かりやすくしておいていいだろう。

「そこでわたしは被害者、朝山朱里が死んでいるのを発見しました。彼女は生徒会室で唯一開いた窓の傍に倒れ、足は窓に、頭は部屋の内側に向けて倒れていました」

 まるで部屋の外から撃ち抜かれたように。

「彼女の胸には撃ち抜かれた跡のようなものがあり、素人でも銃殺されたことは明らか。周囲に人の気配はなし。少し離れたところに彼女のものとおぼしきスマートフォンが落ちているのを見つけ、検分しようとしたところで、朝山群青及び生徒会警察のみなさまがご登場。後はみなさまのよく知る通りという具合でございます」

 これが今回の事件の概要。

 きっちり抑えてもらわねば困る。

「ではここから推理を展開させていただきたいと思いますが、ここでひとつばかり、朝山群青生徒会長に質問がございます」

「……なんだ」

 さすがに大声を張り上げるのも疲れるらしく、群青は後ろのさぼりんからマイクを受け取って応答する。

「我々生徒会警察が調査したすべての情報は、支援アプリに提供している。この場で新たに答えるべき質問など無いように思うが?」

「なぜ」

 やつの言葉は無視。

「なぜ、鉄黒高校の生徒会警察は事件現場へ踏み込んだんですか?」

「それは、一昨日説明しただろう。その後老竹管理官からも声明があったはずだ!」

 隅で座る老竹管理官も頷く。

「『白花女学院は実質上は別の学校だが、実は鉄黒高校である』。これが鉄黒高校の生徒に伝わる笑い話だ。ところが、まさか今年度に入り実質上も分離しているとは生徒会長の俺も知らなかった。だから白花で事件が起きたと聞いて捜査に赴くのを俺たちは自然なことだと感じたんだ」

「ええ。その点はよく存じています。申し訳ありませんね、質問の方法が迂遠なもので。わたしが聞きたいのは、別のことです」

「別の……?」

「なぜ、生徒会警察は現場に赴くことができたのですか?」

 老竹管理官の隣で根廻がうっとおしくうんうん頷く。これはやつも気にしていたことだ。

「それか」

 群青が息を吐く。

「第一発見者の三人の内、老竹管理官に事情を伝えに言ったのは紅葉でした」

 畳みかける。

「なにせここにいる根廻管理官は当時未着任。事件の発生確認と、死体発見のアナウンスを流すことができる管理官は老竹管理官のみ。紅葉が老竹管理官をつれて状況を確認し、管理官がアナウンスを流す頃には生徒会警察の初動捜査は完了すらしていた。明らかに早すぎますよね。どこから情報を得ていましたか?」

「……匿名の情報があったんだ」

 じりじりと、焼け付くような声を群青が絞り出す。

「誰かは言えない。それを受け取って、現場が荒らされたらだと思って俺は常駐する生徒会警察を引き連れてきたんだ」

「まあむしろ荒らしに来たんですけどね」

「なんか言ったか?」

「さあ? ところでその匿名の情報を受け取ったのは?」

「俺だが?」

 群青会長が受け取ったと。こちらの推理と矛盾するところはない。

 今のところ順調。

「続いての質問ですが……」

「まだ続くのか?」

「あなたに聞くのはこれで最後です」

 わたしはポケットからスマートフォンを取り出す。あくまでパフォーマンス。このスマホ自体には意味はない。

「どうして朝山朱里のスマートフォンを見せていただけないのですか?」

「プライバシーに関わるからだ。それ以前に、見る必要が俺には分からん!」

「被害者はわざわざ、忘れたスマートフォンを取りに戻っています。つまり生徒会室での用件は、スマートフォンによる連絡だった可能性がある。ならば彼女のスマホに最後に連絡を入れた人間が、彼女を現場に誘導した犯人という推測も可能です。少なくとも、検討の価値はある」

「単にスマホを肌身離さず持ち歩く性分だったというだけのことだろう」

「ちなみに朝山朱里はそういう性分だったんですか?」

「知るか。いくら従兄弟でもそこまでは知らん」

「現在、そのスマホはどこに?」

「好奇心の抑えられんバカがいると困るからな。俺の家で管理してる」

「ありがとうございました。後は黙って座ってな!」

「おいっ!」

 不満そうな群青を、ポイズンが押し込んで席に戻す。

 さて…………。

 もしこのまま犯人がわたしの推理で膝を折ってくれれば万々歳だけど、そうでなかったら頼みの綱はお前だぞ、紫紺しこん

 ちらと、さぼりんと目線を合わせる。作戦通り、さぼりんは他のクラスメイトにマイクを預けて大講堂を抜けていく。

「ふうっ…………」

 立ちっぱなしの喋りっぱなしは体に堪える。しかし時間はゆるゆる使わないといけない。どのみち込み入った説明をするから時間はかかるのだが、それでも時間稼ぎめいたことをしないといけないのは辛いな。

「それでは肝心の推理に入らせていただきましょう。ひとつひとつ、みなさんの疑問を解きほぐして参りましょう。その前にひとつ、現場の状況について共通の理解をしていただきたいことがあります」

 さあ、本番だ。

「現場は密室だった」

 わたしの言葉に、観客がわずかにどよめく。

「生徒会警察の見解では初動捜査の際の見落としであり、扉のどちらかが開いていたのではないかということでしたが、わたしは密室であったと断言させていただきます。というより、正確には、現場が密室であったことを否定する材料が存在しないため、密室であったと消極的に認める他はないのです」

 生徒会室の扉に細工の跡なし。これは生徒会警察も認めている。だから初動捜査の見落としを理由に密室を否定しているのだ。

「密室が推理小説の幻想であると書いたのは小栗虫太郎でしたが、残念ながらわたしたちの立つ舞台は現実です。現実には密室は存在します。ただし、この密室は犯人の作為によるものではなく、単に被害者が施錠しただけと考えています。なにせ今回、現場が密室であることにさしてメリットがあるようには思えませんから。先ほどのスマートフォンの話を蒸し返すなら、盗み聞きを嫌った被害者自身が施錠したとも考えられます」

 密室はこれくらいにして、次だ。

「お次はいよいよみなさんお待ちかね、凶器の話に参ります」

 ぐるりと観客席を見る。ひとりひとりの顔を見たところで、何を考えているかは分からない。ただのポーズだ。

「生徒会警察は凶器として消音器サイレンサーつき拳銃を現場から発見しました。最大装弾数八発。ただしマガジンに残った弾は七発。空薬莢は現場から発見されず、弾痕は生徒会室中央にあった。これは実に奇妙なことです」

 息を整える。

 奇妙なことと言えば、そもそもわたしは死体発見時に拳銃など見ていないのだが、それを言っても始まらないから割愛だ。

「仮に犯人が凶器を隠匿したいのであれば、弾痕は仕方ないにしても空薬莢と銃弾、そして銃そのものは回収します。逆に犯人が凶器をどうでもいいと考えていたのなら、銃もろとも、弾丸と空薬莢も残していたはずです。つまり犯人の行動には一貫性がない。これが我々を悩ませることとなりましたが、現場をもう一度みなさん、思い出してください」

 現場。

 被害者は開いた窓の傍に倒れていた。足を開いた窓に向けて、頭部は部屋の中央に向けて。

 まるで外から撃ち抜かれたように。

「続いてみなさん、もしお手元にレポートがあるようでしたらご確認ください。被害者の死因は何でしたか?」

 レポートにはこう書かれていた。

 朝山朱里の死因は「胸部を銃弾が貫通したことによる出血性ショック」と。

「いったい誰が、朝山朱里の死因を『が胸部を貫いたことによるもの』と判断しましたか?」

 違うのだ。

 朝山朱里の体を貫いたのは、これみよがしに落ちていた拳銃から放たれた弾丸ではなく…………。

「はぴ子、質問をしてもいいかな?」

 ざわめく群衆をよそに、話を先に進める。後ろに控えていたはぴ子を前に出した。

「……………なに?」

「事件当時、白花女学院で銃声らしいものを聞いた人間は何人いた? らしいというか、それっぽい音を聞いた人も合わせてだけど」

「…………五人」

 うちひとりが紅葉だ。

「ではもう一つ質問。鉄黒高校だとどうだった?」

「二十三人」

「ありがとう」

 観客席の右側で、息をのむ音が聞こえた。はぴ子はそそくさと裏に戻った。

 これがはぴ子に、わたしが調べさせていたこと。

消音器サイレンサーというものは、完璧に銃声をかき消すものではありません。当然事件発生時、わずかですが銃声を聞いた人間がいた。まあ、たいていは後で事件と絡めて『ああ、あれが銃声だったのか』と思う程度のものでしたが。さて、ではどうして鉄黒高校の方が、銃声を聞いた人間が多かったのでしょうか?」

 答えは簡単。

 銃弾が放たれたのは、白花ではなく…………。

「さて、いい加減迂遠な話は抜きにしましょう! 現場にあった銃が凶器でないとわたしは推理しました。その結果、新たな凶器を発見し、ここに提示したいと思います! 紅葉!」

「りょーかいっ!」

 再び、講堂が暗くなる。

 スクリーンが照らされ、ガラステーブルの上に黒くて大仰な物体が映し出される。

 それはたいていの人間が、映画かゲームでしか見たことのない…………。

消音器サイレンサーつきボルトアクションスナイパーライフル」

 喧噪は、最大級に達した。

「鉄黒高校屋上の給水塔に隠されていました。鉄黒高校の屋上から白花女学院生徒会室まではおおよそ五〇〇メートル。練習すれば、固定標的くらいなら撃てます」

 ここまで見せればもう答えを言っているようなものだが、一応整理しよう。

「犯行は実に簡単! あらかじめ被害者と約束を取り付けた犯人は、鉄黒高校の屋上でライフルを構えて生徒会室に狙いを付ける。生徒会室に訪れた被害者へ電話で連絡を取り、所定の位置の窓を開けさせたところをズドン! 頭部狙撃ヘッドショットの必要もなく、被害者は絶命しました」

 観客席から怒号が飛ぶ。ここまでくると白も黒も関係ない。一周回って愉快になってきた。

「ちょっと待て!」

「おかしいじゃないか!」

「鉄黒高校から?」

「おまえ…………」

MCPを忘れているんじゃないだろうな!?」

 MCPのルール。

「はは、そうでしたそうでした」

 わざとすっとぼける。

 ちらりと群青の方を見る。一番噛みつきそうなやつは、薄暗がりの中でも分かるくらい真っ青な顔をしていた。

「いやー。なかなか奇抜な推理なのですっかりそこを失念していました」

 再び講堂が明るくなる。もうこれ以上、ライフルを映す必要はない。

「では根廻管理官!」

「……え、俺?」

 お前だよ。

 ちょっと寝てたの見てたからな。

「MCPのルールについて、今回の場合に関わる部分だけご説明ください」

「しゃあねえな……」

 根廻は立ち上がり、皺になったスーツをはたきながら壇上の中央に移動する。途中でクラスメイトからマイクを受け取った。

「マーダー・チャレンジ・プログラム。略称MCPにおいて成立と見なされる殺人は、MCP実験校において、そこに在籍する生徒がそこに在籍する生徒を殺害した場合だけだ。分かりやすく言えば、白花女学院の生徒が白花女学院の生徒を殺害した場合だけだな。鉄黒高校の生徒が白花女学院の生徒を殺害したり、その逆の場合は当然MCPは適用されない」

、ですよね」

「……なに?」

「根廻管理官にお出ましいただいてあれなんですけど、今回の事件の裁量は全面的に老竹茶助管理官の預かりです。あくまで根廻管理官のそれは原則。老竹管理官がどう判断したかが重要でしょう?」

「お前な…………」

 ちらりと、根廻は老竹管理官の方を見る。

「いくら管理官が変わったって、原則は原則。ルールなんだから変えようは………………おい」

 サングラス越しの瞳が、こちらを見る。

「まさか…………」

 それは、老竹管理官の言葉だ。

「人殺しという最大級のリスクを負わせている以上、ルールの徹底は当然。しかし生徒がルールの隙や裏をついた場合、柔軟に対応する。これは犯人側、捜査側双方同じこと。老竹管理官はそう説明しましたよね?」

 彼は胸ポケットのボールペンを触りながら、頷いた。

「さらにあなたはこう言った――――」

 「」と。

「つまり、犯人には齟齬があった。

「はい、ここまで来ては隠す必要もないでしょう」

 いつの間にか根廻の近くに来ていた老竹管理官は、彼からマイクを受け取って答えた。

「天色さんの言うとおり、その齟齬を犯人は持っていました。そのため、バランスを取る目的で鉄黒高校の生徒会警察の捜査件を認めたのです。もし白花女学院側にだけ捜査件を認めていたら、犯人が鉄黒高校の生徒だと気づくことは不可能でしょうから」

 バランスを取りました、と、彼は悪びれずに言った。

 それが仕事だから仕方ない。

 だがそれじゃあ、不正確だ。

「老竹管理官。わたしは以前の学校でMCPにのっとった殺人をしているのでよく分かりますが……」

 老竹管理官の顔をのぞき込む。彼は相変わらずビジネスライクにポーカーフェイスで、何を考えているか分からない。

 むしろ管理官としてはこれがスタンダードかもしれないが。

「普通、そういうギリギリのラインで殺人を行おうとする犯人は、まず管理官に確認するんですよ。『これこれこういう殺人を行うが、これはMCPとして成立するか』と」

「仮に私がその打診をされていたとしても、ここで明かすことはあり得ません」

「もう明かしているも当然なんですよ」

 杖を一突き突いて、管理官たちから離れる。

 一歩一歩歩いていって、近づく。

 真相に。

 犯人に。

「今回の事件は、『犯人が白花女学院も鉄黒高校の一部である』という誤解を有していることが前提になります。実際には今年度から、ふたつの学校は別々の学校であるにも関わらず! しかし普通、犯人がそう主張するだけではこれは通るものではありません」

 鎧袖一触。

 ばっかじゃないので終わる話だ、普通は。

「しかしバランスが取れれば? そういう提案が管理官になされたら?」

 わたしは足を止める。

 朝山群青の前に。

 名前の通り、真っ青になった男の前で宣言する。

「『白花女学院が実は鉄黒高校の一部』だと勘違いしたから生徒会警察が捜査に動いた、のではありません。。鉄黒高校の生徒会警察が捜査に動くことで、『白花女学院が実は鉄黒高校の一部』という誤解がと思わせたかったんです」

 ふたつの学校が、同じ学校であるという思いこみが強固にあると、無理やりそういうことにした。

「犯人は同じ校内であるがために、鉄黒高校の屋上から白花女学院の生徒会室を狙っても問題ないと考えた。。鉄黒高校の生徒会警察が捜査権限を持つのだから、犯人も鉄黒高校の屋上から白花女学院の生徒を撃ってもいい」

 そうしないとバランスが取れないから。

「ちょ、ちょっと…………」

 驚いたように、白鞘校長がわたしに呼びかける。

「じゃあ犯人は…………?」

「そういう状況を作れる人間。そういう空気を作れる人間。そのために生徒会警察を動員できる人間。また犯行のために屋上へ職員から鍵を借りずとも上れる人間。スナイパーライフルを調達できるほど金満で裏のある一族の人間。被害者を電話で誘導できる人間。真っ先に現場に現れて、空薬莢と弾丸を回収できる人間。使われもしなかった拳銃を置けた人間」

 犯人は。

「犯人はお前だ」

 わたしの前にいる。

「鉄黒高校生徒会会長、朝山群青。お前は鉄黒高校と白花女学院が同じ学校であるという勘違いを一般的なものにしてしまって、同じ学校という扱いにすることで鉄黒高校の校舎から被害者を狙撃したんだ」

 宣言し、わたしはきびすを返して壇の中央に戻る。観客の怒号と叫声は最高潮に達していた。それが収まるまでの時間が欲しいし、別に時間を稼ぐ理由もある。

 何よりこのまま、朝山群青が膝を折るとは思えない。

 ここから先のガチバトル。

 真っ青になった顔を今度は真っ赤にして、群青が立ち上がる。やつがわたしのもとにたどり着くまでの間に、わたしの推理を整理しよう。

「朝山群青。お前はあの日、あらかじめ朝山朱里と約束を取り付けた。理由は何でもいい。その際、スマートフォンを持って行かせることを忘れない。被害者が生徒会室に向かう中、お前は屋上に現れ、給水塔に隠したライフルを取り出して生徒会室に狙いを付ける。屋上の……というより学校中の鍵は生徒会警察が発足してから一式を生徒会長たるお前も管理していたからな。自由に屋上へ出入りができた」

 老竹管理官から、群青はマイクをぶんどる。まだ喋らせない。

「セッティングを終えたお前は生徒会室に被害者が現れるのを待って、スマートフォンに電話をする。あらかじめ狙いを定めていた窓を被害者自身に開けさせ、そして撃った。撃ったのは鉄黒高校の屋上だから、銃声らしき音を聞いた人間が多かったのも鉄黒高校の方だった。お前はライフルを元通り給水塔に隠し、匿名の情報を受け取ったと偽って現場に他の生徒会警察とともに直行する」

 ライフルを給水塔の中に隠しっぱなしにしたのは、そちらの方が安全だと判断したからだろう。事件現場が白花なら注目が白花に集まる。誰も二週間、鉄黒高校の屋上など調べようとは思わない。

「わたしたちがいたのは誤算だったが、ここまで来たら止まらない。わたしたちを追い出し、初動捜査を開始。と思わせて、銃弾を回収し、カモフラージュの拳銃をおいた。これは捜査攪乱のためだから、もし銃弾が床や壁にめり込んで回収できなかったとしても構わなかったし、空薬莢などとの整合性がとれなくても構わなかった。二週間、誤魔化しが利けばいいんだからな。最後に被害者のスマートフォンを回収し、プライバシーだなんだと文句を言って証拠品として扱わせなかった」

「証拠は!!」

 ようやく一言、群青は言葉を発した。

「証拠がどこにある!? オレができる、その可能性があるだけじゃないか! いやその可能性も怪しいな! オレがどうしてスナイパーライフルの狙撃なんてできると思うんだ?」

「朝山家は土地持ちの不動産王。練習する土地には事欠かないだろう? 銃の入手経路は、この際議論しても仕方ないしな?」

 ただ、金持ちはずるいと思うよ。

 スナイパーライフルだって調達できて、練習もできるんだから。

「動機は? オレがたった一億円で人を殺すとでも?」

一億円!? そのためにわたしは…………」

 灰色の世界がちらつく。ガラスコップに湛えられた水が揺れる。

 いや。

 今はいい。

「MCPでなければ、朝山朱里が殺害された場合、第一の容疑者に挙げられるのは朝山群青。それは朝山家という名家を知っていれば誰だって気づく。わたしはそこにMCPでも、お前が犯人だという推理をぶつけただけだ」

「証拠は!?」

 そしてぐるりと、言葉は一周する。

「お前の言っていることは推論ばかりだ! オレが犯人だと? なあ、みんな、オレが犯人だと思うか!?」

 群青は、観客に呼びかける。

「オレは犯人じゃない! 信じてくれ! 第一、生徒会長として学校に尽くして、生徒会警察として三件の殺人も解決した。まっとうに生きたオレが、犯人だと思うか?」

 マイクを投げ捨てる。律儀なことに電源は落としていたらしく、がしゃんと硬質な音が響くだけでスピーカーはハウリングしなかった。

 群青の声は、喧噪の消えた静寂の大講堂に響く。

「考えてくれ! オレを糾弾しているのは誰だ? 以前、別の学校で人を殺したやつだぞ! オレははめられているんだ。まっとうに生きてきたオレと、人を殺したこいつ、お前たちはどっちの言い分を信用するんだ!?」

 落としたマイクが拾われる。拾ったのは、後ろに控えているはずの紅葉だった。

に意味はない、そうでしょ?」

 紅葉は、わたしに向かって微笑んだ。

、空ちゃんは自分のすべてをかけて推理を披露した。物証に乏しくても。それに対する生徒会長様の必殺技が泣き落としですかぁ?」

 紅葉は群青の前に、赤いペンギンのぬいぐるみを示しておちょくった。

「それに……証拠ならありますっ!!」

 突然、観客席で声が挙がった。どよめきとともに、白と黒の人並みは分かれて、ひとりの大男が降りてくる。

 男は肩で息をしていて、この真冬に全身から汗を拭きだしていた。その姿を見て、紅葉が駆け寄る。

「紫紺くんっ! 大丈夫?」

「だ、大丈夫です。……それより鴨足さん。もう一度プロジェクターのセットを!」

「うんっ!」

 持っていたマイクをわたしに放り投げて、喜び勇んだ紅葉が壇上から消えていく。二人の管理官もいつの間にか隅に消えていて、舞台上に残ったのはわたしと紫紺、そして脂汗を掻いて追いつめられた真犯人。

「遅かったな」

 マイクの電源を落として、紫紺に耳打ちする。

「君のクラスメイトから『スマホは群青さんの家にある』と連絡があってすぐに探したんです。それまでは朱里さんの家の方を調べていたんですよ。むしろ間に合ったことを褒めてほしいくらいです」

 あのとき、さぼりんが群青の言葉を聞いて紫紺に連絡していたのだ。スマホが物証になるのは分かっていたから、紫紺に探させていた。もし鉄黒高校にあると言われたら、裏方のクラスメイトを総動員して、鉄黒の生徒がここに集っている隙に回収する予定だったのだ。

「褒めてほしいのか?」

「少しくらいは。でもいいです。これで全部明らかになりますから」

「はたしてそうかな……」

 会場が暗くなる。スクリーンが明るく点灯する。

「スマホを抑えるのは、あくまで群青を折るためだ。群青の家はともかく、被害者――朝山朱里の家では彼女の死の真相を知りたがるだろうし、そうすればスマホのロックの解除を携帯会社に掛け合うくらいはしてもらえるだろう。たぶん、彼女の携帯の契約者は未成年の本人ではなく…………」

「い、いや、ですから……」

 乱れた息のまま、紫紺が興奮気味に言う。

「その必要はないんです! だから俺は、鴨足さんにプロジェクターの準備を頼んだんですよ!」

「…………まさかっ!」

 スクリーンにスマートフォンの画面が映される。

 通話の、着信履歴。

 その最上段に、『朝山群青』の名前。

「スマホのロックが、かかってなかった!?」

 いや、普通はかけるものだ。

 じゃあ、わざとそのときだけ、スマホのロックをオフにして……誰でも見られるように……。

 朝山朱里は、自分が死ぬと予感していたのか?

「『怪我の功名』が座右の銘だって、朱里さんはよく言ってたな」

 紫紺が呟く。けっこう、意味がずれている気がするが。

 彼女は人殺しに、一矢を報いたのだった。

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