#5 たったひとつの才能のひとつじゃない使い方

「ようしお前ら、こっちも捜査始めるぞ」

 白花女学院に帰還したところで、ポイズンが高らかに宣言する。誰も反対する者はおらず、そのまま事件現場にわたしたちは直行した。

 さすがにもう少し、わたしの経歴に触れるものだとばかり思っていたからこれには面食らった。

「ところで鉄黒の連中は、報告会で何を話してたんだ?」

「え? ええっと」

 移動中、わたしに話題をふる彼女たちの態度も、いつもと何も変わらないように思えた。戸惑いつつ、わたしは報告会の内容を反芻する。

 被害者の確認は割愛するとして。

 死因が銃殺であること。それに伴い、弾丸が一発分なくなっている消音器サイレンサーつき拳銃が一丁見つかったこと、空薬莢及び銃弾は発見されなかったが、弾痕が生徒会室中央に発見されたこと。

 そして現場が密室であったこと。ただし窓がひとつだけ全開になっていたこと。

「拳銃って…………」

 さぼりんが呟く。まあ、誰だってそこにまずは注目する。

「どうやって入手するのかな? そもそも人を殺すのに過剰オーバースペックじゃない?」

「いや、案外いい手かもしれないよ」

 意外なことに意見したのは紅葉さんである。

「あたしたちは警察じゃないから、拳銃なんて持ち出されても入手経路はたどれないし。消音器があるなら一方的に、返り血も浴びずに殺害できる武器としてぴったりだよね」

「全然」

 くちばしを挟むのははぴ子。

「拳銃、残す。薬莢、残さない。銃弾、残さない。どう考えても変」

「変?」

「全部残すなら分かる。全部残さないなら分かる」

「……………………?」

 彼女の言葉は要領を得なかったらしいので、わたしが補足を入れる羽目になる。

 実際、気になっていたところだったし。

「もし凶器の存在を隠したかったら、本体はもちろん薬莢と弾丸も持ち帰って処分する必要がある。まあ、死体を見ればすぐに銃殺だってことくらいは分かるんだけど……。逆に凶器を隠すつもりがないなら、薬莢や弾丸を隠滅する理由がなくなる。犯人の行動に一貫性がないんだよ」

 そもそも。

「わたしが最初に現場へ踏み込んだとき、拳銃を見ていない。それが気がかりなんだけど」

「見落としたんじゃない?」

 紅葉さんがわたしの隣に追いつく。

「だって目の前で人が死んでるんだよ?」

「……………………わたしが今更それくらいで動揺すると思う?」

「思わないよねえ」

 生徒会室に着く。既に大講堂でのごたごたは伝わっているのか、警備は入り口にひとり鉄黒高校の生徒がいるばかりで、その生徒もわたしたちを見てすぐに横へ避けた。

 あらためて生徒会室に入る。

「こうなってるのか。よく付近は通るけど、中に入るのは初めてかな」

 さぼりんが呟く。

 一日して、朝山朱里の死体は既に搬送されている。死体が転がっていた場所には木製タイルを黒く染める血の跡と、死体の倒れていた位置を示すために引かれた冗談みたいな白いラインが残っているだけだった。

「こういうのだとありがちなんだが…………」

 周囲を見渡しながら、ポイズンが話し始める。

「例えば密室になった現場に隠れておいて、お前らが死体を発見した騒ぎに乗じてこっそり抜け出したってのはないのか?」

「それはない。わたしが一番に警戒したのもそれだったし」

 だから白鞘校長を、開いた扉の前に立たせたままにしていたのだ。生徒会室の出入り口は二か所だが、うち一か所は白鞘校長が監視している格好になっていた。もう片方も、鉄黒の生徒会警察が調べるまで施錠されたままだった。窓はもちろん、脱出には適さない。

「だな。そもそも隠れる場所もなさそうだし」

 こころみにクラスメイトの一人が、部屋にある扉付きのスチールラックを開いていく。どれも中身がぎっちり詰まっていて、相当小柄なわたしですら隠れるスペースはないだろうと思われた。

「ちなみに鍵はちゃんと掛かってたのかな?」

 と紅葉さん。

「あたしが蹴り飛ばした扉は鍵で施錠されてたように思えたけど、例えば内側から何かつっかえ棒のようなもので抑えられていて、まるで鍵がかかっているみたいになっていたとか、そういうのは?」

「わたしが見た限りそういうのはなかったけど……」

 もし仮に、そういう行為――生徒会室が施錠されているというように思い込ませる詐術――が行われているとするなら、犯人は容疑者を一定の方向に向けたがっているということだ。

「生徒会室の鍵は誰が?」

「誰だったかなあ?」

 クラスメイト全員が首をかしげる。まあ、知らない方が普通か。

「そうだ、アプリで捜査状況を確認できないか? そこに鍵の管理も書いてあるかもしれん」

 ポイズンがスマホを取り出す。が、それよりも……。

「アプリ?」

「え? なんで空ちゃんが知らないの?」

「いやだって、今まで携帯電話の類は持ってなかったし」

 白花に転校するときに、携帯ショップの人間に言われるがまま買った。それ以前は持っていなかった。

「MCP支援アプリっていうのがあるんだよ。それで捜査に必要な情報を共有できたりするんだけど」

「まさか文科省が、そんなことを………………?」

 役人ってのはIT周りに弱いとばかり思っていたが。

「確認、無理」

 各人が各々のスマホに目を落とす前に、はぴ子がそう宣言する。

「共有されてない」

「…………どういうことだ?」

 ポイズンがはぴ子のスマホを覗き込もうとする。それを嫌がったはぴ子がひょいと逃げ、なぜか執着してポイズンが追いかけるという一幕があったが、わたしはそれに組しない。隣の紅葉さんに見せてもらう。

「ほんとだ。事件の欄がないよ」

 彼女が言うには、現在進行中の事件の情報が集約されるメニューが存在しているらしいのだが、今は「捜査進行中の事件なし」となっている。

「あのクソ管理官め」

 ポイズンがぼやく。

「何が捜査権は両方にある、だ。実質鉄黒だけで捜査させる気じゃねえか。ま、どうせ連中の捜査情報なんてこちとら当てにはしてないんだが……」

 さてこれからどうしたものか、と一同で思案に暮れていると、生徒会室の扉が開く。全員で振り返ると、入って来たのは白鞘校長であった。

「やあやあ、みんなこんなとこにいた!」

「校長?」

 いや、入って来たのは校長だけではない。スーツ姿の、サングラスをかけた男も一人、校長の後に続いて入って…………。

 あいつは。

「捜査ご苦労様。そんなみんなに差し入れってわけじゃないけど、ちょっと紹介したい人がいてね」

 白鞘校長は、自分の後ろにいる男を指さした。

「本当はもっと遅くから着任する予定だったんだけど、事件のこともあって今日からお披露目になった白花女学院の新しいMCP管理官でーす」

 紹介されるまでもない。

「誰かと思ったら根廻管理官でしたか」

「………………うーん?」

 彼はぐるりと、周囲を気遣うように見渡した。その動作を察して、私は杖で床を一突きして、さらに言葉を重ねる。

「もうこの場の人間は、わたしがMCPで人を殺したことを知ってます。だから他人の振りはしなくて結構」

「お、そうか。そりゃありがたい。面倒だからな」

 根廻は机の上に自分の荷物を置いた。

「元気だったか? あー、今は天色空なんだったな?」

「くれぐれも元の名前は言わないでくださいね」

「心得てるよ」

 男はサングラスを外し、稚気の残る瞳で生徒会室にいる全員をくるりと見渡した。そこに朝山群青や老竹管理官の持っていた一種の威圧感のようなものはない。

「正式な紹介は明日の全校集会でやる予定だが、一応自己紹介しておこう。俺が白花女学院に管理官として赴任した根廻吾郎ねまわしごろうだ。根廻ってのは縁起でもないから、管理官とだけ呼んでくれればいい」

 そこで、根廻の視線がある一点に固定された。それはわたしの隣、つまり紅葉さんだった。横を見ると、紅葉さんもまた、驚愕の表情で根廻を見ており……。

「あのときの詐欺師!!」

 と鋭く叫んだ。

 詐欺師?

「詐欺師じゃねえ!? れっきとした文科省の役人だ! ってそういうお前は二年前のアイドルオタク!」

「あーっ!」

 さらに強い叫びを紅葉さんが上げた。

「酷いっ! アイドルオタクなのは隠してたのに! 高校デビューで作ったあたしのキャラを出てきた瞬間に壊さないでくださいよ! 甥っ子君にそっくりでデリカシー無いんですから! ちなみに甥っ子君元気ですか!?」

「よく周り見てみろ。『え、あれでキャラ作ってたつもりだったの?』って目で見られてるぞお前! あと甥っ子は元気だよ! あれだけのことがあってピンピンしてるお前たちは本当に理解できねえな!」

 わたしとポイズンは顔を見合わせる。そして「収拾を図れよ」と言わんばかりに彼女は顎で紅葉さんと根廻を指した。

これわたしが何とかするのか?

「………………知り合い?」

「まあな」

 根廻はサングラスを再びつけた。

「ちょいとで知り合ってるってだけだ」

「野暮用というかけどねえ」

 紅葉さんがわたしの方を向いて言う。

「とにかく、今は関係ない話だから後回し」

「それがいい。俺も、詳しい話をする気はないしな」

 どうやら、お互いに黙秘で態度が一貫しているらしい。並々ならぬ関係らしいということだけは伺えるが、それはわたしと根廻にとっても同じこと。お互い、藪蛇にならないためには話題を避けるが賢明か。

「そんで、新しい管理官さんが何用だよ」

 わたしたち三名の状況が収拾したと判断し、ポイズンが口を挟む。

「こっちは捜査で忙しいんだが」

「だろうな。お互い手短に行こうぜ」

 クラスメイト達は根廻の態度を見て、どこか怪訝そうな顔をした。老竹管理官と明らかにタイプが違うからこれは仕方ないことだ。わたしとしてはむしろいつも通りで安心感すらあるが。

「そこの、もこもこのお嬢ちゃんが言ってたろ? 情報がアプリで共有できてないって」

 もこもことはダウンジャケットを着たはぴ子のことだろう。

「俺が大急ぎで着任したのは何も事件があったからだけじゃねえ。いくつかアプリに問題があってな、そいつの始末をつける必要があったんだ」

 根廻は鞄からノートパソコンを取り出す。

「既に老竹から事情は聞いてる。今回の事件に限り、アプリ内で鉄黒高校と白花女学院を同一の学校として処理するよう調整した。例の事件についてお互いにアップロードした情報がこれで共有できるはずだ」

「まだ共有できてない」

 不服そうにはぴ子が呟く。

「そう焦るなって。もうひとつ調整があってな。そいつが済むまでの辛抱だ。天色!」

「……………………なに?」

 話がこっちに突然とんできた。

「お前、スマホ持ってるよな? 前の学校じゃ持ってなかったからアプリも入ってないだろ。こっちでインストールしてやる」

「ああ」

 それならありがたい。自分のポケットからスマホを取り出して根廻に渡す。彼は慣れた手つきでパソコンにコードでスマホを繋いでいく。

「で、もうひとつの調整ってのが天色のプロフィールだったんだ」

「プロフィール?」

「…………お前、マジでなんも知らなかったのか。よくそれで前の学校で生きてこれたな」

「うっさい。で?」

「MCP支援アプリにログインすると、自分の所属する学校の生徒のプロフィールが閲覧できるんだよ。ま、捜査の手がかりとして、だな。ところが現在、お前のプロフィールはアプリ上に存在しない」

 そりゃそうだろう。天色空は、つい先月までそもそも存在しない人間だ。

「そういえばそうだったね。空ちゃんのプロフィール、確認してなかった」

 紅葉さんがぼやく。

「わたしは単に、転校の手続きで遅れてただけだと思ってたんだが……」

 ポイズンも自分のスマホを見ながらつぶやく。

「天色、前の学校の経歴を隠してるんだったな。じゃあ単に、前のプロフィールの所属を移して終わりって話じゃないわけだ」

「まあな。それでこいつの元の名前がうっかり飛び出したら洒落になんねえし」

 スマホの画面を点灯させて、根廻がこちらに差し出してくる。パスコードを要求しているらしい。入力してロックを解除すると、画面を見て根廻が顔をしかめた。

「おいおい、携帯会社が適当にぶっこんだアプリばっかじゃねえか。見辛いったらありゃしねえ。自分で整頓しねえのか?」

「スワイプしたらちゃんと自分アプリがある」

「そういう問題じゃ…………いや今度はアプリゲームだらけだな!」

 物珍しかったものでつい。

「これだけ入れて容量は大丈夫なんだろうな? 支援アプリが入らないとかねえよな?」

「店の人に『一番いいやつを』って言ったから多分大丈夫」

「空ちゃん…………」

 ため息は紅葉さんから漏れた。

「金持ち嫌いなくせに自分は躊躇なく金持ちムーブするの?」

「…………みんなスマホなんて重要な通信機器、一番高性能なのを持ってるんじゃないの?」

「そうでもないよ」

 そうでもないのか。

「わたしなんてまだガラケーだし」

 校長が見せてきた。興味ない。

「…………で、どうなの?」

「もうちょい。で、一旦他の連中は下がってくれ」

 根廻が妙な支持を出してくる。言われるがまま、クラスメイトは窓際にずらりと並んだ。逆に扉の側にわたしと根廻、そして校長という構図になる。

「これからアプリに天色のプロフィールを入れるんだが、万が一、公開されたらマズい情報が混じってるかもしれないから最終確認だ」

「なるほど」

 促されてパソコンの画面を見る。わたしの顔写真と共に、身長体重などのデータが並ぶ。

「…………………………」

「写真写りが悪いって苦情は聞かねえぞ?」

「誰が言うか」

 根廻の向こう脛を杖で小突いてやった。痛がるやつを尻目に、情報を確認していく。

「杖の長さ? こんなものも書くの?」

「そりゃな。事件に関係ありそうなものは全部だ。中には電動車いすのスペックが書かれたやつもいる」

「奇特な」

 一通り確認する限り、問題はなさそうだった。

「これでいいよ」

「ほいよ。じゃあアップロードして、お前のスマホにアプリもインストールして、と……」

 パソコンに繋がったスマホは抜かれてこちらに返される。

「今、アップデートパッチを流した。アプリを一度落としてから再起動すれば自動的にアップデートして、事件の情報を共有できるようになっているはずだ」

「ようやくか」

 それからしばらくは、各々がスマホの操作に集中した。生徒会室にひと時の静寂が降り立った。

 ちらりとクラスメイト達を見る。直接見るのがなんとなく怖いような気がして、窓から遠くに見える、灰色の空の下に座り込んだ鉄黒高校の校舎に目線を合わせた。つまりクラスメイトを見ているフリ。

 彼女たちは、なぜわたしを受け容れたのか。

 いや、受け容れてはいないのかもしれない。ただ事実を――目の前のわたしが人殺しであるという事実をあまりに軽く受け止めているだけなのかもしれない。

 もしここで仮に、次の殺人が起きたとして。

 わたしが有力な容疑者になったとき。

 それでも彼女たちはクラスメイトでいられるだろうか。

「よーしよし。ようやく状況が把握できたな」

 静寂を一番に破ったのはポイズンである。

「しかし見ろよ連中、容疑者リストのトップに天色を入れてやがる」

「陰険だなあ」

 さぼりんはスマホをパーカーのポケットに仕舞う。

「こっちもあの会長を容疑者リストに入れたら?」

「できるのか?」

「さっき確認したけど、一応鉄黒高校の連中のプロフィールも確認できるようになってた。ま、こっちが見せるばかりじゃ嫌だしおあいこって感じ?」

「そんなとこだ」

 パソコンを元どおり鞄に戻しながら、根廻がさぼりんの言葉に答える。

「もっとも、白花女学院で起きた事件だ。白花の生徒が犯人には違いないが…………」

「そういえば」

 白鞘校長が根廻の顔を覗き込むように聞く。

「あなたは犯人を知ってるの?」

 当然と言えば当然のことだが、MCP実施校には新たに隠しカメラが大量に配備されている。これにより、校内で事件が起きればただちに誰が犯人か分かるというシステムなのだ。一億円が賭かっているのだから、誰が犯人か間違えないシステムは完備している。

 ただし映像の閲覧ができるのは管理官のみ。校長すら映像は見ていないはずだ。

「いや」

 根廻は首を横に振る。

「老竹が映像データは持ってますからね。後で見せてもらう予定です」

「ふうん。管理官も大変ねえ。事件の映像を見せられるなんて」

「子どもに人殺しさせて給金得てる身ですから、それくらいはね。MCPが始まってから、ストレスやらPTSDやらで辞めた同僚も多いですが」

 少なくとも俺たちは自業自得かもなあ、と根廻はぼやく。

 ぱらりと。

 わたしの肩に何かが落ちた。でもそれは気のせいで、肩を払ってもほこりひとつ落ちてはいない。

「じゃあ、これからどうしよっか?」

 紅葉さんが声を上げた。

「もう今日は遅いし、お互いに調べることを決めて解散する? 事件が起きてるからって、別の事件であたしたちが殺されないって保証もないし」

 嫌なことを言う。しかし事実だ。そのことを思い出したのか、クラスメイトの中には不安そうに周りを見渡し始める者もいる。

「事件の捜査ってなると嫌なもんも見るかもしれねえ。天色を助けに行く大勢の一人として動くのとはわけが違う。捜査したくないやつはしなくても大丈夫だ。わたしらでやるし、わたしら以外の他の連中も動くだろ?」

「じゃあわたし面倒だから一抜けた。バイバーイ」

 いの一番で捜査から抜けたのはさぼりんだった。綽名に違わぬ生き様である。

 それを見て、クラスメイトの大勢もぞろぞろと抜けていく。

「やる気あるのかないのか分からない連中だな」

 移動の邪魔にならないよう動いて、その拍子にわたしの隣に来た根廻が呟く。

「お前を助けに全員で行く程度には善良なんだろうけどな。捜査までは御免被るってか」

「…………………………」

 いや。根廻の観測は的を外している。

 たぶん、さぼりんはわざと抜けたな。

 他のクラスメイトが抜け出しやすいように。

 紅葉さんの方を見る。彼女もこっちをみて微笑を洩らした。たぶん今、わたしたちは同じことを考えているという気がした。

「ふふっ」

 誰に対してでもなく、校長が笑い声をあげた。

「それじゃ、白花女学院の選抜捜査隊はあなたたち四名ということ?」

 生徒会室に残ったのは、校長と根廻を除くと、わたしと紅葉さん、それからポイズンとはぴ子の四人だった。

「他の連中も、それぞれできる範囲で手伝ってくれるだろうさ。メインで動くのがわたしら四人ってだけだ」

「よーし、頑張っちゃおう! おー!」

 紅葉さんの号令は虚空に消えた。ポイズン含め、えいえいえおーに付き合うほど善良な人間はこの場にいない。

「…………弾痕」

 気づくと、はぴ子は部屋の中央にいた。長机を長方形のロの字型に並べた部分の真ん中である。彼女の足元には、木製タイルが何かにえぐられた跡がある。

 それを見ると、今度ははぴ子が人差し指をぴんと伸ばして、窓に向かって構えた。すぐにそれが銃を構えたフリなのだと気づく。

「逆」

「ああ」

 ポイズンも、はぴ子の言わんとしていることに気づいたらしい。

「これ、外から撃ち込まれてるよな」

 部屋の中央に弾痕があるのだから当然だが、銃弾は生徒会室の外側から撃ち込まれている。窓際に立った被害者に向けて、窓の外から撃ち込んだ。弾丸は被害者を貫通し、床に食い込んだ。朝山会長の倒れ方と合わせても、そうと判断する他はなさそうだ。

 しかし……。

「まさか犯人が窓枠にぶら下がって撃ったとかじゃないよね?」

 紅葉さんがおどけて言う。

「それなら薬莢が見つからないのも説明つくし。薬莢は部屋の外に落ちた!」

「弾丸が消えたのはどう説明するんだよ。そもそも、それだったらなんで使った銃を投げ込んだって話になるだろ」

「そっか」

 そっか、ではない。

 しかし、弾痕か…………。

「偽装って可能性はないのか?」

 ポイズンも机を乗り越えて、弾痕を間近で観察する。

「こんなの、ノミと金槌で空けられそうな穴だぜ?」

「あたしたち、弾痕とか見たことないしね」

 それがネックだ。

「窓ガラス」

 はぴ子が指さす。

「割れてたら楽だった」

 彼女の言うとおり、外から銃弾を撃ち込まれた際に窓ガラスが割れていれば状況は明らかだった。内側に割れたガラス片が散らばっていれば外から撃ったのだろうと推測がつくし、逆ならば偽装だと分かる。

 実際は、窓ガラスは開いており災禍を免れたのだった。

 ポイズンは腕組みをして、しばらく考える。

「よし、じゃあはぴ子は凶器を洗え」

「あらう?」

「鉄黒の連中は興味を示してないが、銃殺ってのがやっぱり引っかかるよな。部屋の外側から撃たれたのか内側から撃たれたのか。薬莢と弾丸は残ってないのに銃そのものは残ってるとか。銃の入手経路は分からなくても、そういう細かい謎は追えるはずだ」

「………………」

 こくんとはぴ子は頷いて、生徒会室を後にしていく。何か調べるあてでもあるのだろうか。

「それで、密室はどうする?」

 腕組みをして、ポイズンがわたしの顔をのぞき込んだ。

「密室………………」

 わたしは聞き返した。

「報告会のとき、生徒会長は確認のミスだって言ってたけど」

「シャクだがわたしもその考えだよ。たぶん、生徒会警察の連中が初動捜査でやらかしたんだろう。だがもし仮に密室なら、犯人は凶器を残して忽然と生徒会室から消えたってことになるんだよな」

「………………………………」

「それで、お前はどう思う? 天色」

 考える。

 状況は単純なようで複雑、複雑なようで単純と言ったところだろうか。

「とどのつまり、銃弾がどこから撃ち込まれたかにすべてがかかってる」

 仮に、銃弾が生徒会室の中から撃ち込まれたとしよう。つまり生徒会室の弾痕は偽装で、窓ガラスが開いているのも、内側から撃ち込まれたことを悟られないための処置だったとする。

 そう考えると単純。問題点は二つ。

 ひとつは密室。ポイズンや生徒会長は初動捜査のミスで、おそらくどちらかの扉が施錠されていなかったのだろうと考えているが、果たして本当にそうか。犯人が密室を構成することのメリットは?

「鍵の管理はどうなってるんだっけ?」

 わたしの独り言には校長が応える。

「鍵は生徒会長と副会長が持ってるわ。あとは職員室に一本。でも職員室に昨日、生徒会室の鍵を借りに来た人はいなかった」

「生徒会長の持っていた鍵は…………」

 アプリを開いて確認する。生徒会長の死亡時の持ち物は、生徒手帳、財布、生徒会室の鍵、それからスマートフォンだけ。

 考えられるのは、犯人が生徒会長の鍵を使い外から施錠し、何らかの方法で中へ入れたということ。しかしアプリで資料を読み進めると、鍵はブレザーのポケットの中だったらしい。

 すると残る施錠の方法は、副会長の持つ鍵だけ。しかしそもそも、副会長には密室を構成するメリットはどこにもない。生徒会長の鍵をどこかへ隠匿するというのならともかく、生徒会長の鍵の所在が明白である以上、自分しか生徒会室を施錠できない。自分が犯人だと言っているようなものだ。

 副会長以外の人間なら、逆に密室を構成するメリットがあるように見える。副会長に疑惑が向くからだ。しかしすぐに「副会長が犯人なら生徒会室を施錠しないのでは?」という疑問にぶつかる。

 この事件、密室にメリットがあるようには思えないんだよなあ。

 問題点の二つ目は言わずもがな、凶器の処理だ。外から撃ち込んだように見せかけるなら空薬莢の始末は必然、弾痕も偽装なら弾丸が見つからないのも当然。

 しかし銃は? なぜ銃そのものが落ちている?

 さらにそもそもの問題が………………。

「犯人が仮に、外から撃ち込まれたかのように見せかけたがっていたとしても、それはいくらかなんでも無理筋だってことだ」

 だから複雑になる。生徒会室は六階。周囲にある同程度の高さを持つ建物は、遠くの鉄黒高校だけ。昼休みにクライミングとハンギングで生徒会室の窓に張り付き銃殺など、絵面からして馬鹿げている。ポイズンと紅葉さんが言っていたように、空薬莢の問題はクリアするとしても、弾丸が残らない理由と銃が残る理由の説明ができない。

「………………………………」

 では仮に、外から撃ち込まれたとしたら?

 それが無理筋なのは分かっているが…………。

 あえてその無理をすべて押し通したら?

 今ここにあるすべての情報はもちろん、MCPのルールまで取っ払い、という一点にのみ思考を張り巡らせたらどうなる?

 状況は複雑なようで単純になる。

 ばかばかしい妄想じみた仮説とともに、それは可能であると示される。

 あとはそれを、妄想から現実に引き上げるだけだ。

「スマートフォンだ」

「え?」

 わたしの声にポイズンが聞き返す。

「たぶん、鍵はスマホだと思う。朝山会長のスマホ。捜査会議では一度も話題に上がってなかったけど、それが既に怪しい。会長が、犯人からの呼び出しでここに来た可能性が検討されていない」

「そうか。ひょっとすると最後に連絡したやつが犯人の可能性があるのか! …………よし、わたしはそっちを調べる」

 ポイズンが駆け出していく。生徒会室に残ったのは、僅かに四人になった。わたしはずっと立ちっぱなしだったことに今更気づいて、軽い疲労感を覚えた。適当なパイプ椅子に腰かける。

「大丈夫?」

 紅葉さんがわたしの顔を覗いてくる。

「まだ二手足りない」

「あたしは空ちゃんの体の方を『大丈夫』って聞いたんだけどなあ?」

「………………ああ」

 そっちか。

「でも二手足りない? あたしはまだ全然分からないんだけど」

「そうでもないよ。あの生徒会長の言葉、老竹管理官の言葉、それから現場の状況を見れば可能性は見えてきた。でも、二手足りない」

 ひとつは物的証拠。わたしの推理が正しいことを明白に晒すもの。

 ひとつは…………その物的証拠があって初めて説得力を持って強弁できる。

「金持ちはずるいなあって、やっぱり思うよ。こんな方法、わたしにはできない」

「方法?」

「凶器もそうだけど、発想がね。自分の思い通りに世界が回るって思ってないと、これはできない」

「お前さんにそこまで言わせるのか、こいつは」

 根廻も適当に、パイプ椅子に腰かけた。

「まあね。………………というか、なんで根廻さんがこの学校に?」

 生徒会室の電灯が白鞘校長の手によってつけられる。さっきまでみんなして考え事をしていたせいで、暗さに気づかなかったのだ。

「そりゃお前がこっちに来たからな。お前の機密事項をいちいち他の管理官に引き継ぐより、全部を知ってる俺がこっちに移った方が早いってだけだ」

「それでいいのか……」

 随分いい加減な。

 でも合理的なのか。

「しかしなあ、着任早々殺人事件とは恐れ入ったぜ。またぞろお前がやらかしたんじゃないかと肝冷やした」

「いくらわたしでも転校一か月で人殺しはしないよ」

「入学二週間で人殺しはしたのにか?」

 そうだったな。そういえば。

「ところで」

 思い出したことがあった。というより鉄黒高校の大講堂を出てすぐに、本来は聞きたかったことか。今この場にいるのは根廻と白鞘校長を除けば紅葉さんだけだから、聞くにちょうどいい。

「もみ――――」

「空ちゃん」

 わたしの言葉は、ほかならぬ紅葉さんに遮られた。彼女はパイプ椅子のひとつを引っ張ってきて、わたしの正面に腰掛ける。

 視線が並ぶ。それが嫌で、彼女のブレザーの胸ポケットのあたりをじっと見た。

「空ちゃんが空ちゃんじゃなかった頃の話、聞いてもいい?」

「その前に――――」

 こっちの話が先だ。

「わたしがMCP下で人を殺したってこと、みんなはいつ気づいてた?」

「空ちゃんが転校してくるって聞いたとき」

 最初からか。そりゃそうだろう。

「じゃあなんで、わたしを警戒しなかった? それとも裏ではきちんと警戒してた?」

、誰だって警戒するよ」

 彼女の言葉は、鋭くて冷たかった。いつもと変わらない、軽い口調なのに。

 それじゃあまるで、知っているみたいじゃないか。

 警戒してもなお殺されるような、そんな環境を。

「はぴ子ちゃんが言ってた。『ルールを守ってるのに悪いの?』って。さぼりんが言ってた。『人殺しなんて面倒なこと、そうそうしない』って。ポイズンちゃんが言ってた『悪いのは人殺しをさせてる連中だ』って」

「………………………………」

「あたしはね、『殺したくないなあって思わせればいいんだよ』って言った」

 その結果が、あの一か月か。

「どう? 空ちゃんはあたしを…………みんなを、殺したいと思う?」

 わたしは顔を上げた。まっすぐに、紅葉さんの顔を見る。彼女の瞳が、髪色に似た茶色であることを初めて知った。

「あまり、殺したくはないかな」

 自分で言ってみて、それが本当か嘘かは分からなかった。

 わたしは既に人を殺している。

 殺人で、事態を打開する方法を知ってしまっている。

 だからそれが必要だと思ったときは、彼女たちでも殺すかもしれない。

「それで空ちゃんは、どうして人を殺したの?」

 質問は、最初に戻る。

「それを教えるほど、わたしは紅葉さんと親しいつもりはなかったんだけど……」

「あたしたち、もう友達じゃん」

「片方だけが押し付けがましく友達だと思ってる場合の常套句だよね、それ」

「一方的に相手の秘密を聞き出す時の常套句でもある」

「やっぱり、分かってて言ってるよねそれ」

 ちらりと、紅葉さん以外の二人を見る。根廻はわたしのことをよく知っているからいいとして、白鞘校長はどうだったか。おそらく、情報量という点では他のクラスメイト達と大差ないはずだ。

 まあいい。校長が知ろうがどうしようが、あの人はMCPにおいて何かができる立場の人じゃない。

「詳しくは言わない。ただ、わたしは五人殺した」

 吐き出したかった。今はそういう気分だ。根廻が怪訝そうに眉をしかめたが、それは無視する。

「何もできないと思ってた。何をやっても平凡以下にしかできない愚図だと思っていた。そのわたしが、人を殺して初めて、自分の得意なものに気づいた」

 どうしようもないくらい人殺しが得意で。

「最初は、家族に認めてもらおうと思ってやったことだった。一億円を稼げば、ちょっとはみんなも見直してくれるんじゃないかと思って。だからただ人を殺した」

 時代が、それを認めた。

「二週間の間、捜査から逃れれば一億。それを他ならぬ国が認めている。だったら殺して稼いでもいい。今でもわたしはそう思ってるし、人殺したことを反省も後悔もしてない」

 わたしがやったことは、問題ないことだ。

「紅葉さんだったらどう思う? 自分にたったひとつ、他人より優れた才能があって、でもその才能は悪いことにしか使えない。そんな時に国が、社会がその悪いことを良いことに変えて、お金を稼ぐことを認めたら。紅葉さんがわたしと同じ立場だったら、どうする?」

「あたしだったらそれでも、やっぱり空ちゃんと同じことはできないかなあ」

 紅葉さんは頬を掻いた。

「たぶん、あたしは考えちゃう。自分にはもっと別の、まっとうで誰からも認められる才能があるんじゃないかって。だから自分の才能を理解して、きちんと使える空ちゃんはすごいと思うよ」

「………………………………」

 すごい、か。

 人殺しの才能でなければ、それでよかったのだけど。

「以前にも言ったが………………」

 根廻が口を挟む。

「後悔することはあっても反省はしなくていい。悔悟する必要はあっても自省する必要もない。今この日本じゃ人殺しが許容されている。お前のとった行いは、国が、文部科学省おえらがたが推奨する行為だ。つまり今のお前は、誰もが認める優等生ってわけだ。少なくとも俺は、管理官としてもとしてもお前に否定的な感情は抱かない」

「別に。管理官がどう思おうが知ったこっちゃない」

 でも個人と言ったな、この人は。

 それが子どもに人殺しをさせている大人の、ギリギリの責任なのかもしれない。

「わたしが白花女学院の校長として、できれば天色さんにはこれ以上殺人を犯してほしくない」

 対して、校長はきっぱりと言い切った。

「でもわたしは、一方であなたが人を殺すことを止められない。わたしはここで教師として、あなたの才能について『もっと素晴らしいものがあなたにはあるはず』と慰めることもできるけど、やっぱりそれは慰めでしかないし、無責任でしょう」

 校長はわたしの背後に近づいて、肩に手を置いた。

「大抵の人間には、運が良くてひとつくらいしか才能がない。あなた自身がそう認識するように、たぶん『人殺しの才能』だけがあなたに与えられた才能で、他に特別な才能はないかもしれない。だからわたしが『他の才能』の存在をほのめかしてあなたに殺人をやめさせても、それは無責任な行いになってしまう」

「無責任、ですか? 国がどう認めているかはともかく、人殺しが明白な悪なのはわたしも分かっています。それを止めるのが、無責任ですか?」

「無責任でしょう。だって、人殺しをやめたらあなたは他に金銭を得て生活する術を失うんだから。そうでなくとも、一生徒が大きな活躍をするチャンスを潰してしまうんだから、無責任でしょう」

「わたしの活躍は、必ず誰かの将来の活躍を奪いますよ?」

「それは殺人に限らないでしょう?」

 白鞘校長は言い切った。

「誰かが活躍するということは、誰かが活躍できないということよ。なんであれ。あなたはたまたま、それが人殺しだったということ」

 校長の言葉は暖かくわたしの心に響いた。

 その事実がぞくりとするほど冷たかった。

「でもね」

 彼女はわたしの肩から手を離す。

「才能はひとつしかなくても、きっと才能の使い方はひとつだけじゃない」

「…………」

「聡明なあなただから、それもよく分かってるでしょう?」

「………………はい」

 窓の外を見る。

 雲の切れ目から、黒い空が滲んでいる。誰かが落とした涙みたいな星がふたつ、ぽつりと輝いていた。

「紅葉さん、ちょっと頼みが……」

 そこまで言い掛けて、わたしは自分の胸を左手で強く突いた。

 それで壁が壊れるわけではないけれど。

「紅葉、少し頼まれてもらう」

「命令!? でもおっけー! 空ちゃんのお願いならなんでも聞くよ」

「屋上が調べたい」

「屋上?」

 彼女は天井をにらんだ。天板を透視して、女学院の屋上を見たつもりなのだろう。

「屋上に何かあるの?」

「ああ、ただし…………」

 

「鉄黒高校の屋上を調べる。ついては紅葉には、あの朝山群青に喧嘩をふっかけてもらう」

 あの今すぐ殺したくなる愚図やろうに、反撃開始だ。

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