#4 わたしたちは
灰色の世界の中で、わたしは呆然と立ち尽くしていた。
立ち尽くすフリというか。
気力と指針を失って、その場でぼうっとしていますという雰囲気を可能な限り振りまきながら、視界に一塊の集団を収め続けていた。
「質問に答えてください、
「え、あ、おおう」
場所は学校の裏門から出て少し先の神社である。敷地は広くなく、お堂らしい建物と灯篭が何本かあるくらいのものだった。無遠慮に成長を遂げた松の木が天上を針様で緑色の葉で覆いつくし、境内は薄暗かった。
管理官と呼ばれた男はタバコを吸いにここまで出てきていた。それを見つけた十数人の生徒が後をつけ、今に至るのである。わたしは昇降口で彼らの計画を聞き、それに便乗したのだった。
「一体何なんですかMCPって!」
「そりゃ、昨日、壇上で説明した通りだって」
役人らしからぬ気楽さとフランクさが、その男の口調から漏れていた。だからこそ生徒たちも威圧感を覚えずにこうして取り囲んでいるわけだ。サングラスを掛けながら威圧感のない男というのも珍しい。
「ルール冊子ももらっただろ?」
「もらいましたよ。でも意味わかんないじゃないですか!」
「分かった分かった。答えてやるから。ちょっとタバコ消すから待てって」
律儀なことだ。
「それで、わかんない事ってなんだ? ああそうだ、その、根廻管理官って呼ぶのやめてくれないか。普通に管理官か、下の名前で吾郎管理官って呼んでほしい。ほら、根廻って役人ぽくないというか」
むしろ役人らしいじゃないか。
「そんなことはどうでもいいです、管理官」
「MCPについて説明しろってんだよ!」
管理官のおちゃらけた態度は、周囲の生徒を激昂させるのには充分だった。しかし話は一応わき道から本道に戻って、MCPのことになる。
MCP。正式名称をマーダー・チャレンジ・プログラム。
「そうだな、一から俺の言葉で説明するのが早いか」
男は持っていた携帯灰皿をポケットにねじ込みながら語る。
「MCPっていうのは、お前たち世代の自主性や積極性を育てるために政府が計画したプログラムだ。その趣旨は、完全犯罪の立案と実行、そしてその捜査と解決」
「……………………」
誰かが、生唾を飲み込んだ音がした。まるでその音が合図のように、誰も管理官に対し言葉を発しなくなる。だから、そこから先は管理官の一人語りだった。
「政府が企画書を練っている間にいろいろ名前は変わったな。プログラムだったりプロジェクトだったり。俺が見た企画書には脱ゆとり教育殺人計画って仰々しい名付けもあったな。俺はMCPよりもそっちの方が分かりやすくて好きだがね。
「要するに『今から皆さんに人殺しをしてもらいます』ってやつだ。いや、それはお前らの世代のベストセラーじゃなかったか?
「ルールは既に説明したが、もう一度言おうか。まず、生徒――つまりお前らの誰かが校内で人を殺す。殺していいのは生徒だけだぜ? で、死体が発見されるとアナウンスがなされて、そこから二週間が捜査期間となる。その期間にお前らが事件を捜査し、解決する。ちなみに警察は一切介入しない。私立探偵みたいなやつもな。事件の情報は機密扱いとなって、関係者以外に漏らす事ができなくなる。
「二週間以内に事件を解決されれば犯人の負け。おとなしくお縄についてもらい、事件は通常の刑事事件として処理される。逆に二週間以内に解決されなければ犯人の勝ち。犯人には一億円が進呈され、その殺人は罪に問われなくなる。
「ああっと。もちろん一億円だけじゃないぞ? 犯人には新しい名前と戸籍も与えられる。つまり人を殺して金を稼いだって後ろ指を指されるリスクも無しだ。二週間の捜査さえ逃れれば一億円。こんなうまい話はそうそうない。ここまではいいか?」
ぐるりと、管理官はサングラス越しの視線で周りの生徒たちを眺めた。案外、この男は教師が合っているのではないかと思わせた。
「あの、管理官」
男子生徒のひとりがおずおずと手を上げる。
「なんだ?」
「その、ルールが適応されるのは校内だけなんですよね?」
「そうだな。校内では終日殺人オッケーのカーニバルだが。逆を言や校外なら安全ってわけだ。死にたくなけりゃさっさと帰るに限る」
「他の学校の生徒が襲ってくるってことは…………」
「ないない。いいか? MCPが適応されるのは、MCP実験校に選出された学校の生徒が、そいつの所属する学校の生徒を殺害したときだけだ。さらに、捜査するのもその学校の生徒だけ。外部のことは考えなくていい」
「じゃ、じゃあ…………」
別のひとりが声を上げる。
「転校すればいいんじゃねえのか? この学校を離れて、別の、MCPが実施されてない高校に……」
「駄目だ。MCP実施校からの転出は禁止されている。さらに言うと、正当な理由なく授業への欠席を一週間ばかり繰り返せば、その時点で強制的に退学となる。最低でも平日の授業時間くらいは学校にいろということだな。そうでないとMCPが成立しない」
金目当ての連中対策で、MCP実施校への転入も禁止されてるんだが、それは関係ねえよなあと管理官は呟く。
はあ、と、誰かがため息をついた。
「どうしてこんなことに………………」
女子生徒のひとりがぼそりと呟く。
「混乱してるのか?」
「混乱するに決まってるじゃないですか! 四月になって突然、人殺しを推奨しますって言われて! こんなことがまかり通るんですか!?」
「その怒りは正当なものなんだが…………」
管理官はタバコを一本引き抜いた。火をつけるつもりはないらしく、手元で遊ばせるだけだった。
「突然ってことはないだろう?」
「え……………………?」
その言葉に動揺したのは、女子生徒ひとりだけではない。
風が吹いて、境内の松の木がざわめいた。
「実験校の公表自体は直前だったが、MCPが新しい教育プログラムとして適応されるのは数年前から決まってて、議会や委員会でも散々議論されてたんだぜ? ま、有権者じゃない上に子どものお前さんたちは知ってたとしても、有効な反対運動は組織できなかっただろうけどな」
「じゃあ、なんでそんなプログラムが…………」
「有権者が――お前らの両親がそう望んだからだな」
ぱらりと。
わたしの肩に何かが当たった。たぶん、落ちてきた松の葉だろう。
「あるいはそうならないことを望まなかったから、かもな。有権者のひとりで、こうなるのを止められなかった俺が言えた義理じゃないが、恨むならまずは
一歩。管理官は足を前に進める。取り囲んでいる生徒たちの誰も、それを止めたりはしない。
「貧乏人にデスゲームをさせて、その中継映像を楽しむ金持ちみたいな存在がいると思ったか? 唐突に世界を塗り替えて、お前らに殺し合いをさせる神様が現れたとでも思ったか? 奇妙な笑い声をあげて、生徒たちを疑心暗鬼に陥らせる着ぐるみみたいな教師がいるとでも思ったが? 残念ながら、いたのは普通の大人で、普通の有権者だよ」
子どもたちが殺し合いをすれば、もっとしゃっきり成長するんじゃないかと期待するような、普通の大人がたくさんいた。
これはそれだけの話だ。
生徒会警察というのは、まあ、説明するまでもない文字通りの組織だ。
MCPが発動した当初、多くの高校では有志の生徒たちが事件の捜査を行った。正義感だけが燃料の愚図、無責任に好奇心を満たすだけの下郎、乱造刑事ドラマに延髄まで毒されたジャンキー、そんな彼らよりはマシで明晰だと芯から信じている探偵小説狂と呼ばれるぼんくらたち。船頭多くしてなんとやら。四月から五月にかけて発生した多くの事件は、捜査側の統率能力のなさが原因で解決しなかった。
その反省から、いくつかの高校で事件の捜査をひとつの部署に任せる動きがあった。その部署は生徒会であったり風紀委員であったり、あるいは新しく設立されたりと様々であったが、統率が取れたことで事件の解決率は格段に上がった。なにせ捜査をする側も事件を起こす側も所詮高校生。能力はどう見積もっても五分五分。それならば人数に勝る捜査側が圧倒的に有利である。その制度は全国に広がり、今ではほとんどの高校が採用している。
鉄黒高校も例にもれず、事件解決のための組織を作り上げていた。それが生徒会警察。生徒会が統率を取るのは、MCP実験校の中ではかなりメジャーな方だ。聞いた話では、どこかの高校ではなぜか弁論部が事件の解決を担っているケースもあるというから、それに比べればいくらでも平凡だろう。
「それでは、これより白花女学院第一事件――生徒会長
時は放課後、場所は鉄黒高校の大講堂。階段状に並んだ席の一番後ろにわたしは座って、教壇を見下ろしている。黒板の前には大型のスクリーンが展開されているが、まだ何も映し出されておらず、教室も明るいままだった。
「生徒会長も気丈な人だ」
少し離れたところから、生徒会警察の一員と思われる人たちのひそひそ話が聞こえてくる。
「ああ、自分の従兄弟が死んだってのに、顔色一つ変えていない」
教壇の脇に準備された席に、件の朝山群青生徒会長が座っている。こちらの席と対面するように配置されているから、遠いものの顔を伺う事ができた。確かに名も知らない男子生徒の言葉通り、生徒会長は平静を保っていた。
事件から一日過ぎたのだ。さすがに平静を取り繕う時間はあっただろう。
生徒会長は席の真ん中にでんと構えていて、その両隣には二人の人間が座っている。わたしから見て右がストリートで出会ったあの
生徒会長の左側は、スーツ姿の男である。ワックスでがちがちに固めて乱れることを知らない髪と、皺ひとつないスーツは教員らしからぬものだった。ひょっとするとあれが鉄黒高校の管理官なのだろうか。
そういえば昨日、白鞘校長が妙なことを言っていたな。白花女学院には管理官がいないと。MCPの実施校には一人、管理官をおいてプログラムの運営を支援するのが決まりのはずなのだが……。
席中央の生徒会長が立ち上がる。
「諸君、ついに痛ましい事件が白花女学院でも発生した。つい昨日のことだ」
マイクを使ってもいないのに、彼の声はよく通る。
「白花女学院はこれまで、MCPによる殺人事件が一度も起きていない高校だった。これはMCP実験校すべてにおいて唯一の功績だっただけに残念でならない。諸君らの中には、一度もプログラムへの挑戦者――つまり完全犯罪への挑戦者を出していない白花を軟弱と侮っていた者もいるかもしれない。確かにプログラムの趣旨に沿うならば、まさに主体性と積極性に欠ける学校が白花だったと言えるだろう。しかしその上に築かれた平和は、我々にはないものだった」
これが一昨日、自分の使用人とも言える男に喚き散らしていたやつと同一人物か。
それっぽいことを並べる能力はあるらしい。
人間の多面性のすばらしさと恐ろしさを同時に垣間見たような気分だ。
「今回の被害者は白花の生徒会長だ。現在、白花女学院はリーダーたる人間を失って混乱している」
そうだっただろうか。
「我々は今こそ隣人としての友誼を果たそうではないか。白花に潜んだ欲深い虫を炙り出す! 一億円は持って行かせないし、事件の真相を闇に葬ることもさせはしない! ついては諸君の奮闘を期待する!」
講堂中から拍手が沸き上がる。そこで生徒会長は席に戻り、代わりに隣の呉が立ち上がった。
「………………では、情報を」
声が沈んでいるのに自分で気づいたのだろう。一度咳ばらいをし、手元の紙を見てから、呉は再び話し始める。
「では、情報を整理します。白花女学院第一事件の被害者は、当該高校の生徒会長朝山朱里。学年は三年生。事件現場は生徒会室。ここまでは現場の状況から分かることです。次に死亡推定時刻ですが、担当者の方は?」
「はい、僕です」
一人の男子生徒が立ち上がる。どうやら一日の間に、分担していろいろ調べているらしい。この報告会もまるで捜査会議のようだし、警察の組織や運用を参考にしたのかもしれない。
「まずはみなさん、レポートをご覧ください」
レポート? ああ、確か、MCP下で事件が発生すると、その事件の概要がまとめられた資料を全校生徒に配るのがルールになっている。わたしも今朝一部貰ったから、今手元にある。しかし、白花女学院で死亡した白花女学院生徒の事件なのに、どうして鉄黒高校の連中が普通にレポートを持っているのか。
そもそも、こうして捜査報告会など開いているが、彼らは出しゃばっていい領分じゃない筈なのだが。
「レポートによると被害者の推定死亡時刻は十二時から十五時の間となっていますが、我々が白花女学院で調査したところ、
白花は九時が始業となる。十分間のHRの後、すぐに一限目が始まる。授業は一時限につき五十分、休憩が各十分なので四限の終わりは十三時。昼休みが一時間で、五限の始まりが十四時となっている。昼休みが遅いのが生徒たちの不満である。時間割について何も話さないあたり、この進行は鉄黒高校も同じらしい。
「さらにレポートを見て頂ければわかる通り、
「その情報に誤りはないのか?」
どこかから誰かが口を挟む。生徒会長が立ち上がった。
「諸君らが情報の正確さを問うのは当然のことだ。そこで今回の報告会には白花女学院から何名か証言者を呼んでいる。ところが来てくれたのがひとりだけでね。…………天色空!!」
もとより、鉄黒高校の制服の中に白花のブレザーでは目立つのだ。おそらくこの場の全員が報告会が始まってからも「あいつ誰だ?」と思っていたのだろう。生徒会長の声に反応して全員がこっちを向く。
「君の方から補足するべき事項はあるか?」
しぶしぶ、わたしも立ち上がる。
「特には。死体の発見時刻については、白花女学院の白鞘校長が確認しています」
「君は事件当時、すぐ近くの部屋にいたそうだね」
「既に何度も聞かれたことですが、そうです。わたしと校長を含む三人がいました。校長が腕時計を確認し、そろそろ次の授業が始まるからとわたしたち三人は帰る途中、死体を発見しました。発見時刻の十三時五十分前後という揺らぎは、そのためのものです。死体発見時にわざわざ時計を見たわけではないので、正確な時刻は分かりません」
「よろしい」
何がよろしいんだか。わたしと生徒会長に促されて座ったが、彼はまだ言葉を続けた。
「朱里――
「は、はい……」
呉は手元の紙をめくる。
「続いて、凶器についてですが」
「調べたのはオレたちだ」
今度は三人が立ち上がる。
「凶器については実際に見てもらった方が早い」
言うなり、大講堂が暗転する。プロジェクターが起動して、スクリーンに一枚の写真が写される。
部屋中が、僅かにざわめく。レポートに記述はされているはずだが、それでも実際に見るとその大仰さに驚いたのだろう。
写されたのは、一丁の拳銃である。黒塗りの外観を持つ、自動式拳銃と呼ばれる種類のものだ。異様に銃身が長いと思ったら、
「オレたちは会長と一緒に、初動捜査のために現場に向かった。そこで捜査をして、生徒会室に落ちているのを見つけたのがそいつだ」
「銃の種類などを話しても仕方ないですから、必要なことを簡潔に述べます」
もう一人が言う。
「その拳銃の最大装弾数は八発。マガジンに残っていた弾数は七発でした。銃弾及び空薬莢は発見できませんでしたが、生徒会室の床に弾痕があったことと、レポートの記述から凶器は明らかでしょう」
暗がりなのでレポートそのものは確認できないが、内容は覚えている。朝山朱里の死因は、「胸部を銃弾が貫通したことによる出血性ショック」と書かれていた。弾丸は貫通しているが、その出入り口は胸部の方が背部より高い。つまり、後ろからわずかに銃口を上に向けて撃たれたか、逆に正面から銃口をわずかに下に向けて撃たれたか、である。たとえば背の低いわたしが朝山会長を背後から撃てばそうなるだろうし、背の高い呉が正面から撃てばそうなるだろうという感じか? もっとも、警察でもないわたしたちに弾道の確度から犯人の身長を割り出す術などないのだが。
仮に見様見真似で計算して、その結果を誰が信用するのかという話でもある。
「消音器によって発砲音はほとんど聞こえなかったようで、聞き込みをしても推定犯行時刻内に銃声を聞いた人はほぼいませんでした」
「ほぼ、とは?」
会長が聞く。それに応じて三人目が応える。
「天色空と同行していた生徒の
紅葉さんが聞いた例の音か。どうも奇妙だな。
「続いて、現場の状況確認に映ります」
呉の言葉とともに、スクリーンに映し出された写真が切り替わる。今度は白花女学院の生徒会室の写真である。複数枚、様々な角度から写されたものが表示されているが、やはり重点的に写されているのは死体のあった場所だ。
暗闇の中でがさごそと誰かが動く。さっきの三人が座って、別の誰かが立ったらしい。
「
写真を見る。ああ、長机で長方形を作ったところの、空白になった空いた部分の床か。
「そして重要なことなのですが――――」
報告者はそこで、息を軽く整えた。
「この生徒会室は密室になっていました」
動揺の音だけが大講堂にひしめき合った。
「生徒会室の出入り口は二か所。どちらもスライド式の二枚戸になっていましたが、その両方が施錠されていました。うち一方は第一発見者のひとり、鴨足氏によって破られましたが、後で確認したところ確かに鍵はかかった状態になっていました」
「窓は?」
誰かが声を上げる。
「窓が開いているじゃないか」
「出入り口としては不適格でしょう。クライミングはあまりに目立つ上に、現場は六階です。特殊な道具があったところで、登攀できるかどうか…………」
「忘れてはならないのは…………」
ここで生徒会長が口を挟む。
「この事件が白花女学院で起きたということだ。容疑者もあの学校の生徒、つまり十五歳から十八歳の女だけに限られる。窓からの侵入はまず無理だろう。そもそも――――」
大講堂の明かりが再びつく。プロジェクターの電源が落ち、スクリーンも巻き上げられた。
「密室など推理小説だけの幻想だ。犯人が鍵を持っていて外から掛けたか、何らかの見落としと考えるのが適当だろう。現場の状況についてはもう一度洗い直せ」
「はい」
そのまま総括に入るらしい。生徒会長は立ち上がった。
「期限は二週間だが、まだ猶予はある。今は確実に地盤を固めていく時期だ。繰り返しになるが現場検証班は密室状態の確認を行え。本当に密室だったのか、生徒会室の鍵は誰が持っているのか洗い出せ」
「凶器についてはどうしましょうか?」
「………………今は置いておけ。オレたちは警察じゃない。拳銃などというふざけた、普通ならいくらでも足の着きそうな凶器だってろくに入手経路を追いかけることはできない。凶器班は現場検証班の補助に回れ」
「被害者の周辺は洗いますか? 動機などは……」
「動機か…………」
そこで生徒会長は、例の思慮深さをアピールする態度を取って、ちらりと遠くのこちらを見た。
「報酬として一億円が用意されている以上、動機の面から探るのはあまり得策じゃないんだがな」
そんなものか。一応、鉄黒高校も白花女学院も金持ちの子どもたちが通う学校だ。わたしはてっきり動機――もっといえば怨恨の線を重視するものだと思ったけれど。さすがに一億円という大金は、金持ちのボンボンどもでも人殺しの動機になるらしい。
「一応洗い出しておけ。被害者に恨みを抱いている人間はいなかったかどうか。今のところ有力なのは生徒会室の鍵を使用でき、かつ被害者に恨みを抱いている人間ということになるが、その可能性にとらわれて頭を固くするなよ」
「了解」
「次の捜査会議は三日後だ。各員、それまで尽力してくれ。かい――――」
解散っ!! と〆たかったのだろう。朝山群青のその思惑は、突然開かれる大講堂の扉の音にかき消され、かつ中断された。
講堂中がざわめく。大講堂に入って来たのは、わたしと同じ白いブレザー姿の集団、すなわち白花女学院の生徒たちである。
いや。
というか。
ほとんど全員、見たことのある顔というか。
「あーっ、空ちゃんいた!」
集団の先頭を闊歩していた女子生徒、鴨足紅葉さんが目ざとくわたしを見つけ、こちらに歩いてくる。わたしも立ち上がり、杖をついて、階段状になった講堂の席を一段一段降りていく。
「いったいどう――――」
「よかったー!」
わたしが尋ねるよりも先に、紅葉さんはわたしに抱き着いた。
なぜ。
「鉄黒の連中に連れていかれたって聞いたときは心配したよ! てっきり『第一発見者が一番怪しそうに見せかけて実は怪しくなくて、と思ったらやっぱり怪しかった』の法則で容疑者扱いされてるのかと」
「それもうただの疑心暗鬼だよ」
そんなことを言い合っている間にも、彼女はわたしの背中に回した腕を緩めないのだった。しかもその場でぴょんぴょんというかぴょいんぴょいんと跳ねるので倒れないようバランスを取るのに苦労する。柔らかくウェーブのかかった彼女の茶色っぽい髪から、懐かしいような匂いがした。
懐かしい?
彼女がいつも漂わせている香りというだけなのに。
わたしはそれを懐かしいと思うようになったのか。
「それで、どうしてここに?」
「そりゃあもう、空ちゃんを救うためだって。クラスのみんなも来たんだよ!」
どうりで見たことのある顔ばかりのわけである。紅葉さんに伴われて、わたしはクラスメイト達と合流する。
「悪いな、転校せ――じゃない、天色」
ひとりが声をかけてくる。ポニーテールに鋭いくらいの目力の女子生徒である。
「紅葉のやつ、他人との距離感をはかる定規だけじゃなくて、危険性のある行動を止めるブレーキまでぶっ壊れてたわ」
「メーカーに電話して取り換えてもらう方がいいかもね」
「保証切れてないといいけどな。でもこういう、いかれたところがこいつの良いところなんだけどなー」
美徳なのか、これは。
美徳か。
わたしが持っている唯一のものよりは。
「ちょっとー!」
抗議したのは当の紅葉さんである。
「ポイズンと空ちゃんが揃うとあたしへの当たりが今まで以上に強くなるんですけどー」
「ポイズン?」
あのポニーテールのことか。確か彼女の苗字は
「大丈夫大丈夫。これからはあんたへのツッコミの半分を天色が受け持つから」
「シフト制にしない? わたし水曜日の午後以外空いてないけど」
「奇遇だな。わたしは家族サービスが大事だから土日入れない。他に入れるやついる?」
「あ、じゃあ」
ブレザーの下にパーカーを着込んだ女子生徒が手を上げる。即座に紅葉さんが反応する。
「いや真に受けなくていいから。………………ってさぼりん! いたの?」
「い、た、よっ! 何? こんな緊急事態にまでさぼるやつだと思われてた?」
「うん」
哀れ。紅葉さんにまで言われるのか。
「お前らぁ!!」
と、ここで。
ようやくこの場の主導権を握る男が怒気を含んだ声で叫んだ。わたしたち全員が振り返ると、鉄黒高校の生徒会長、傲岸不遜の朝山群青が元居た場所から離れてこちらに迫っていた。生徒会長だけではない。何人かの鉄黒高校生徒がわたしたちを取り囲むように近づいている。
「ここで何してる!」
「なにって」
紅葉さんがもう一度わたしに抱き着く。
「クラスメイト救出作戦です」
「天色は第一発見者として、事情を聞くために呼んだだけだ。というか鴨足! お前も招集をかけただろ!」
「そうでしたっけ?」
そうだったよ。
こいつが今朝、下駄箱に入っていた召集令状を一瞥してポケットに仕舞ったのをわたしは見ている。ちなみにその令状は片面刷りだったために、十分後に、はぴ子が提案したお絵かきしりとりの台紙に提供された。ちなみにわたしをふくめそのしりとりには全員が参加していた。
つまりみんな知ってたんじゃねえか!
「化かし合いはいい加減にしようぜ、生徒会長様とやらよ」
紅葉さんを後ろに引かせて、ポイズンが前に出る。彼女は女性の中でも高背なので、ひょろ長の生徒会長と並んでも見劣りしない。不穏な空気を察したのか、元の位置にぼうっと座っていた呉が駆け寄って、生徒会長とポイズンの間に割って入る。
しかしポイズンは遠慮しない。
「何よりもまず、大事なのはどうして手前ら鉄黒高校の人間が、
「殺害されたのはお前たちの生徒会長だ。指揮系統の混乱は必至。ならば援助は当然では?」
「その前に…………」
できるだけ穏当にすませようと配慮したのだろう。呉が口を挟む。
「白花高校には生徒会警察、およびそれに準ずる組織が存在しないと聞いています。今まで殺人事件が起きていないので当然かもしれませんが…………」
「そう、それだ」
しかし彼の配慮は通じず、むしろ生徒会長は言葉に乗っかってさらに増長する。
「お前たちの学校には捜査機関が存在しない。ならば経験もあり、組織としてまとまっている我々が捜査するのは当然だろう。そもそも――――」
「…………………………」
「生徒会長および生徒会警察代表以前に、被害者の身内として言わせてもらうならば――――」
ここで初めて、会長は
朝山朱里の従兄弟としての立場を。
「このままお前たちに捜査を任せて未解決に終わるという事態をオレは一番恐れている。一度も事件が起きていない白花の連中はMCPのルールが忘れかかっているかもしれないから念を押しておくぞ。もし事件が未解決に終わった場合、事件の情報はすべて機密扱いとなり公開されなくなる。事件は二度と再捜査されず、犯人は文字通り闇に消えるんだ。身内のオレがそれを許せると思うか?」
周囲の鉄黒高校生徒たちからも、賛同の声がちらほらと漏れ始める。
こちらは一クラス丸々で攻めてきているが、ざっと見た感じの概算では生徒会警察の方が多い。多勢に無勢である。
加えて、一応正論である。
「ふうん」
ところが矢面に立ったポイズンは、特に動揺する様子がない。いつも通り。ちらりと周りを見ると、他のクラスメイトもそうである。生徒会長の言い分は織り込み済みか。
ポイズンはたった一言、呟いた。
「……………………で?」
「…………は?」
生徒会長も一言で応じる。
「今のオレの主張に不満があるっていうのか?」
「………………不満しかない」
ひょいと、いつの間にやらポイズンの後ろにもこもこのダウンジャケットを着こんだクラスメイトが立っている。暑くないのか。
「ルール違反、正論、無駄。馬鹿、馬鹿」
「ようしいい調子だはぴ子」
ポイズンが彼女の頭をぽんぽんと叩く。
「でもできたらいつもGM《ゲーマス》してるときみたいにはっきり喋ってくれないか?」
「いや」
言うなり、はぴ子は戻ってしまう。そこから先の言葉は結局ポイズンが引き継ぐ。
「分かったろ。お前の言い分がどんなに論理的でも意味がねえんだ。なぜならルール違反だからだ。発生した事件の捜査ができるのは、現場となった学校の生徒だけ。お前らが白花の人間じゃねえ以上、捜査権は存在しない」
そう、それが完璧な理屈。
身内の死の真相が知りたいとか、生徒会長が死んで混乱しているとか、自分たちの方が経験があるとか。
そういうものに意味はない。
鉄黒高校生徒会警察の本来の立場は、この事件を指をくわえて眺めているというものだ。たとえ捜査能力から指揮能力のすべてを失い混乱と狂騒だけが白花で生まれたとしても、そんな血の二週間を眺めるだけがやつらの仕事だ。
「………………お前らは思ったより、馬鹿だな」
ところが、生徒会長はまるで揺るがない。眼鏡を押し上げ、それから口元に手を当てた。少しだけ、ようやくこの男に威圧感らしいものが宿った。
「なんだと?」
「事件現場が白花女学院だった? 違うな。事件現場は鉄黒高校だったんだよ」
「なに…………?」
今度はわずかばかりに、クラスメイト達に動揺が広がる。そうか、まさに昨日、白鞘校長が言っていたことだな。紅葉さん同様、他の生徒もあまりこの辺の事情には詳しくなかったのか。
わたしが前に出た方がいい。
「確かに、去年まで白花女学院は鉄黒高校でした。実質上は別々の学校として存在しながらも、名目上は。しかしそれは去年までの話で、現在では名実ともに別々の学校として管理されているはずですが」
「裏返せば、去年までは同じ学校だったわけだ。そして天色、お前の後ろのお友達の態度から分かる通り、それを知っている人間ってのが案外少ない。それが問題でな」
「…………………………?」
どういうことだ?
「そこから先は私がご説明を」
ここで、スーツの男が前に出てくる。先ほどの報告会で、生徒会長の隣に座っていた男だ。
「天色空さん、あなたとは初対面でしたね。私は鉄黒高校および白花女学院のMCP管理官、
きっちりかっちりした見た目に違わぬ、物腰の柔らかな男だった。どこかのサングラス野郎とは大違いだな。
「ぽいず――ええ、白花女学院の皆さん方が主張する通り、本来のルールであれば捜査権は白花女学院の生徒にのみ存在します。鉄黒高校と白花女学院は本来、別々の学校ですのでこれは当然です」
「だったら――――」
「しかし」
ポイズンの言葉を制して、老竹管理官が先を続ける。
「生徒の認識に齟齬が生じている場合、少々寛容な処置をとる必要性が出てきます」
寛容な処置?
彼はスーツの胸ポケットに挿していたボールペンの頭を撫でる。特にボールペンが必要というわけではなく、単なる癖らしかった。
「なにせ人殺しという最大級のリスクを各生徒に負わせているわけですから、こちらもルールの周知は徹底させています。しかしルールの隙をついたり裏を取ったり、そういう戦略をとる生徒も少なくありません。そういう場合にはある程度寛大に処遇するということです。せっかくリスクを負って殺人をしたのに、ルールの曖昧な境界で違反として処理されては、生徒たちが委縮して殺人を行わなくなる危険性がありますから。疑わしきは殺人者の利益に。これは管理官によって扱いが分かれますが、私の場合はそうしているということです」
分かりやすく例を出しましょうか、と言うと、管理官は一度、さっきまで座っていた席に戻る。どうやら鞄を取りに行っていたらしく、戻ってくるとタブレットを手にしていた。
「これは実際にあった事件なのですが、解決しているので皆さんが閲覧しても大丈夫な情報です」
老竹がタブレットをわたしたちに掲げる。
わたしたちは硬直した。
さぼりんが「あ、やっちゃった」と小さく呟いた。
「…………………………?」
老竹管理官はそんなわたしたちの態度に不審そうな顔をした。
「管理官さんよお」
にたり、と。
そういう音が聞こえそうなくらいの満面な笑みで、ポイズンが応える。
「『あまっちーのMCPドキドキ学校生活ブログ』が今回の事件に何の関係があるって?」
「……………………え、あ」
老竹管理官はくるりと、わたしたちに背を向けた。
「あまっち?」
「天知無学」
私の質問には紅葉さんが応える。
「『
「興味ないなあ、アイドルとか」
「『No’s』はすごいんだよ!!」
ぐいっと、わたしに顔を近づける紅葉さん。
どうした。
「恋愛禁止のアイドル界で彼氏持ちを公言してるリーダーの杉下
いやだから興味ないって。ポイズンやさぼりんの方を見ると、彼女たちも肩をすくめてやれやれ顔である。紅葉さんにとってはいつものことなのか。
「失礼しました」
くるりと。
老竹管理官が向き直る。
「これは実際にあった事件なのですが、解決しているので皆さんが閲覧しても大丈夫な情報です」
何もなかったことにするつもりだな。この後、陰で『ドルオタ管理官』とか呼ばれるかもしれなくても。
まあいい。重要なのはそこじゃない。
タブレットに表示されたのは事件の情報で、見出しには大きく『都川高校第二事件:ギリギリ毒殺魔』と付されている。
「ギリギリ毒殺魔?」
わたしの隣で紅葉さんが首をかしげる。
「副題は私の趣味です。正式名称だけだと分かりづらいので」
趣味なのか。
「要点だけかいつまんでお話ししましょう。この事件では凶器に毒物が使用されました。犯人は家庭科部の人間で、特定の料理に毒を混ぜることで被害者を殺害しようと企んだわけです」
「あ、じゃあ」
紅葉さんが口を挟む。
「それを食べた生徒が、校門から出たところで死んじゃったのかな? それだと被害者がMCP実施校の敷地の外にいるからルール違反になっちゃう、でも殺害のための行動は校内で起こしたからギリギリって話でしょ?」
「その場合なら、迷いなく殺人成立、ルール通りという扱いになったでしょう」
「ありゃ?」
「毒の効き目を計算することは、高校生には難しいでしょう。被害者が校内で毒物を摂取した時点で殺人は成立したと我々は判断します。しかしこの事件の場合、被害者は校内で毒物を摂取しませんでした」
管理官が画面をスクロールする。出てきたのはプラスチック製のタッパーである。
「被害者は毒入りの料理を持ち帰り、自宅で食して死亡しました。ゆえに議論となったわけです」
被害者の死亡は学校の敷地外。敷地内で毒物を摂取したわけでもない。
ところが犯人の行動はすべて敷地内で成立している。
この場合、MCPは殺人としてこれを成立と認めるのか。
「結果的には認めることとなりました。使用された毒物が強力であり、仮に校内で食していた場合即座に死亡していたと推測できたこと。家庭科部では本来、衛生上の観点から調理したものを持ち帰る行為を禁じていたこと。つまり習慣として調理したものは即座に食されるにも関わらず、被害者がこっそり持ち帰っていたこと。これらを総合し、学校の敷地外で被害者が死亡したことに犯人の責任はない。犯人にルールを違反する意図もなく、またルールに違反する事態となることを防ぐこともできなかったと判断されたわけです」
スクロールされる資料に目を通す。毒物は被害者用に取り分けられた料理に直接かけられたのか。
「話を戻しましょう」
老竹管理官はタブレットの画面を消灯した。
「以上のように、我々は柔軟に事態へ対応する必要があります。そしてこれは犯人側のみならず、みなさん捜査側にも適応されることです。犯人には柔軟に対応し、捜査側には杓子定規では公平性を欠きますから」
「…………それは、そうだろうな」
不精不精という風で、ポイズンが頷く。
「聞くところによると白花女学院の生徒の多くは、自分たちの学校がつい最近まで鉄黒高校であったという事実を知らないのでしたね?」
そういう話だった。実質上は、もう十数年前から別々の学校だったが、わたしたち生徒には見えない大人の事務手続きや経理の上では、同じ学校だったと。
「それと類似する認識が、鉄黒高校にもあったということです。方向性としてはむしろ逆ですが」
「それは…………」
「つまり、鉄黒高校の生徒はその多くが、白花女学院を実は鉄黒高校であると認識していたというわけです。ゆえに白花女学院で事件が発生した際、当然のように生徒会警察が捜査を開始しました」
「そういうことだ」
生徒会長が朗々と語る。
「俺たちの間じゃ、入学時に聞かされる定番の話だな。『隣に立ってる白花女学院は、実質は別の学校だが名目上は同じ鉄黒高校なんだぜ』って先輩に聞かされるのが四月の恒例行事だ。それを聞いて俺たちは、鉄黒高校の正門を潜った先に白花女学院の正門があるという奇妙な光景に納得するんだ。だから俺たちは、
生徒会長の賛同に合わせて、わたしたちを取り囲んでいた生徒会警察の面々が頷く。
「馬鹿らしい」
噛みついたのはポイズンだった。
「他の生徒ならともかく、生徒会長たるあんたが、今年から二つの高校が別々になってたことを知らなかったわけがねえだろ」
「いえ、知らなかった可能性が高いのです」
意外なことに、ポイズンに反論したのは老竹管理官である。
「なにせ二校の分離政策は、ごく内密に行われていましたから。私が聞くところによると、鉄黒高校がMCP実験校に選出される可能性が出てきたのをキャッチして、白鞘実子校長と何名かの理事が水面下で工作を図ったようなのです。ですから白花女学院の生徒たちはこの分離をほとんど知らなかったということです。大々的にやれば、MCPから逃走を図っているのが丸わかりになってしまいますから。結局は、その動きを察知されて白花も実験校に加えられたわけだったようです。しかしそれもギリギリで、管理官の調整が間に合わず私ひとりという事態に」
そういう事情だったのか。あの校長、おっとりしているようで案外やるな。
「以上の点から総括して、白花女学院第一事件、朝山朱里氏の殺害事件の捜査権は鉄黒高校と白花女学院の双方にあり、という結論を私は導きました。もちろん、あなた方の不満は今回でよく理解しましたので、次回以降については要検討とさせていただきますが」
「要検討もクソもあるかっ!」
ポイズンが吐き捨てる。
「白花と鉄黒の双方に捜査権があるだあ? だったら
そんなことになっていたのか。今日は生徒会室にも、同じ階のサボり部屋にも行っていなかったから分からなかった。
「それだけじゃないよ」
さぼりんも口を挟む。
「大手を振って男子生徒が校内歩いて、誰彼と声をかけるもんだから怖がってる生徒も少なくないって話だよ。双方に捜査権があるというのは分かる。うちらも事件を未解決で終わらせる気はないから協力援助大いに歓迎。でもそれには手順と礼節ってもんがあるよねえ?」
生徒会長が鼻で笑う。
「白花の『清廉・高潔』とかいう校訓か、それは?」
「人間としての訓戒だよ。よかったらあんたらの大講堂にも額に入れて飾ったら? この大講堂、動物園の猿山と同じ臭いがするし」
毒を吐くのはポイズンの専売特許ではないとばかりにさぼりんも一撃を加えておいてから、そっぽを向いて大講堂を出て行こうとする。
決裂、というか、まあ、文句は言うだけ言ったという感じか。老竹管理官がこちらの捜査権を認めているなら、それ以上は期待できない。未だに鉄黒高校の生徒会警察が大手を振って捜査を続けるし、それによってこちらの捜査が妨害されるリスクはあるのだが……。
さぼりんが出て行こうとするのに合わせて、わたしたちも全員が大講堂を後にしようとした。それで一触即発(というか軽く爆ぜてはいたか)の事態は免れた。ちらりと後ろを見ると、最悪の事態は避けたとばかりに露骨に安堵する呉の横で、生徒会長はにやりと笑った。
その笑みは今までの、彼がしたどの笑い方とも違って、瞬間わたしの背筋にねたりと気味の悪いものが張り付いた。
あれは他者を下に見て小馬鹿にする微笑ではない。
あれは他者の徒労を侮る嘲笑ではない。
あれは自分より幼いものの拙い言動に対する苦笑ではない。
あれは明白に、今から人を殺そうとするやつが浮かべる笑みだ。
「ところで白花の馬鹿どもは、容疑者を絞ったのか?」
何の気も無し、というふうを装って、朝山群青が言葉を発する。
「はあ?」
クラスメイトが出て行こうとする中、ポイズンが立ち止まって反応する。わたしの足は動かない。隣にいる紅葉さんもどうしてか動かない。
「さなあ。どっかの馬鹿が捜査を邪魔したせいでこっちはまだろくに事件の情報も得てないんだ。それともあれか、たった三回、殺人事件に関わっただけの生徒会長様はもう容疑者がお分かりで?」
「ああ」
生徒会警察の連中が息を呑んだ。
「それも複数人じゃないぞ? 一人だ。捜査の初期段階で生徒会警察諸君の考えを凝り固まらせてはいけないと口を閉じていたが、オレは容疑者を現段階で一人に絞っている」
クラスメイト達は互いに顔を見合わせた。
わたしだけは、彼女たちの誰とも目が合わないようにした。
隣で紅葉さんがどんな表情をしているのかさえ分からない。
「天色空」
左手で杖の柄を強く握る。
「MCPにおいては禁止されている項目がいくつかあるが、『転入・転出』に関する禁止事項があったよな?」
MCP実施校からの転出は、原則としてこれを禁ずる。
生徒が全員、学校から逃げ出してはMCPにならないから。
MCP実施校への転入は、原則としてこれを禁ずる。
賞金稼ぎに転校されても趣旨に反するから。
「それなのにどうしてお前は白花女学院に転入できたんだ?」
「……………………群青さん!」
制するように呉が叫ぶ。それを、朝山群青は一瞥くれるだけで制した。
「MCPを成立させるうえで、この『転入・転出』禁止のルールは重要だ。だがあくまで原則。例外があるよな? 管理官、そこの判断は?」
「………………あくまで規則がMCPを成立させるためのものであるならば」
こちらを見て、老竹管理官が応える。
「例えば特定の生徒が事件の解決に著しく貢献し、それが繰り返された場合。つまり『名探偵』とでも呼ぶべき存在がその学校で誕生した場合。各校での完全犯罪の難易度に大きなばらつきがあってはなりませんから、当該生徒を転校させるという処置も用意されています。実際には、現在に至るまで委員会で検討されたことはありませんが」
「他には?」
「本来のパターン」
大講堂の黒い群衆が、じりじりと広がった。わたしたちを囲んでいた姿勢から、距離を取り始めたのだ。
「みなさんもご存知の通り、MCPにおいて完全犯罪を完遂した生徒には新しい姓名と戸籍――ありていに言えば新しい人生が用意されます。その際、まさか同じ学校にいては意味がありませんから、転校ということになります。ただしほとんどの場合、転校先はMCP実験校以外から選ばれますが………………」
「ますが?」
生徒会長の姿をした黒ずんだ何かは嬉々として先を求める。
「ですから、MCPを成立させるという観点を踏まえるなら……。たとえばある、極端にMCPへの挑戦率の低い学校があったとして、また当の転校生がそれを望むのなら、MCPの完遂者たる転校生を新しいMCP実験校に放つことも措置としてはあり得ます」
誰かが息をのむ音が聞こえる。
「『本来はあり得ない転校生』の存在は必ず疑惑を生み、MCP挑戦者が犯罪を実行する隙を生みますから」
「つまり」
黒ずんだ塊が、こちらに指を向ける。
「天色空。季節外れの転校生。それがお前の正体だ」
人殺しの重責は、一か月遅れでわたしの双肩に落ちた。
「どこの高校でどう人を殺したかは知らんが、お前は明白な人殺しなんだよ! 一億円なんてはした金のために生徒一人の人生を奪った。それで名前も変えてのうのうと生きてる人でなし! 管理官の言葉を聞いたか? MCP実験校である白花に転校するか否かはお前の意志によるものだ! お前は新しい狩場としてここを選んだんだ! 違うか?」
おおむねにおいて、それは事実だった。だからわたしは握った杖を離せないまま、動くことも言葉を発することもできない。
後ろを、クラスメイトの方を向く。だが、彼女たちの顔を見たくなくて、視線はぼんやりと下に落とした。見えるのは制服の白いプリーツスカートだけ。
分かっていたし、覚悟はしていたことだった。
この時期に転校するということはそういうことで、本来なら転校初日にその事実を突きつけられてもおかしくない。
それなのにのうのうと一か月生きてしまったら。
つい、人殺しの事実が明るみになる恐怖すら忘れていた。
一昨日のこと、昨日のことを思い出す。ああ、やっぱりあの日の中で、わたしは自分の秘密がばれることに一度も思いをはせていない。
一か月で人間は鈍るものだ。そのツケを今払わされている。
というか、クラスメイトに「人殺し」と指摘されるのを恐怖する自分がいるのにびっくりだ。
「………………………………で?」
ポイズンが呟く。
さすがに覚悟を決めて顔を上げる。
彼女の視線は、冷たくて鋭い。一度刺されたことがあるから分かる、細身で刃渡りの短いナイフみたいな鋭さ。水が滴りそうになるほど輝くその研がれた視線が――――。
「それがどうかしたのか?」
「は……………………?」
驚きの声を上げたのは自分だった。しかし驚いているのは生徒会長、のみならずその両隣の呉と老竹管理官もであった。わたしたち四人は、「間抜けづら」の見本として将来拓を取って保管されるべき表情をしていたはずだ。
「もー、空ちゃんについてなんか壮大に言い出すからびっくりしちゃったよ」
隣で紅葉さんが、いつも通りに。
「まさかみんなが知ってることを大げさに言われるとはねえ。昆虫図鑑を見るのに凝りだした小学生の相手をする昆虫学者の気分?」
「…………………………………………」
知ってた?
いや、
そりゃあ、
わたしもその想定で当初は動いていたけれど……。
「詳しくは今ここで言うことじゃないが」
と、ポイズンがわたしの肩を叩いた。
「こいつのことは、こっちでは片がついてんだ。何か有力な証拠でもあるってんならともかく、こいつが以前の学校で殺人を犯したからって理由で容疑者扱いするなら、手前ら全員利き腕へし折って海に流すぞ」
片? ついてる?
いや聞いてないし。
紅葉さんがわたしの手を握る。
「そういうわけだから、生徒会探偵のみんなは見当違いの捜査頑張ってね! 大丈夫! 間違った道もぐるっと五周くらいしたら正解にたどり着くかもしれないから!」
とかなんとか。
紅葉さんの罵倒なんだか激励なんだかよく分からない言葉を残して、わたしたちは大講堂を後にした。
わたしたち。
あれだけの事実が明るみになっても、未だにわたしは、彼女たちのクラスメイトとして行動しているのだった。
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