#2 ストリート・ギャング

 ストリートとは白花女学院の生徒たちがそう呼んでいる通称で、正式名称をわたしは知らない。別に興味もないので、ストリートで通している。

 わたしの知識で表現すれば、ストリートは商店街のようなものだ。無論、金持ちのお嬢様の通う白花女学院、次いで金持ちのボンボンが通う鉄黒高校があり、その通学路にもなっている以上、ただの商店街であるはずがない。

 転入手続きのために初めてここを訪れた時はびっくりした。

 車の乗り入れが禁止された(ゆえに通学路としても推奨されているわけだ)大通りは石畳で、左右には街路樹やベンチが置かれて清冽な雰囲気を醸し出している。通りの左右にずらりと並ぶ店も瀟洒これ極まりない。カフェはもちろんクレープやケーキ、フレッシュジュースやシェイクの専門店。少し高級で専門性の高そうな書店。さらにブティックらしい店もちらほらと見えている。わたしはまだ探求心を起こしていないが、どうも一本横道に入ったところにもいろいろと店が並んでいるらしい。

 同じ下校途中に買い食いでも、専門店のクレープと総菜屋のメンチカツでは随分風景が違って見えるものだ。わたしはそのどちらとも、縁遠い生活だったのだけど。

 ………………今までは、か。

ほははんそらちゃんどほひたほどうしたの?」

「いや……」

 目の前でクレープにがっつく紅葉さんを見て、そんなことを思った。

 こいつはメンチカツの方が似合いそうだな。

「ぬぐっ」

 と、紅葉さんは食べていたクレープを飲み込んでから、続きを話し出す。

「ここのクレープ、美味しいんだよねえ。うーん、いつものイチゴフレーバーもいいけど、期間限定のホワイトチョコクレープもいけるなあ」

 そういえば、そんなクレープだったな。ホットチョコレートを飲みながら、ちらりと店先の説明を読む。米粉のクレープに生クリームとバナナ、それからホワイトチョコレート。真っ白づくめの『ホワイトクリスマスクレープ』か。コンセプトが分かりやすい。

「この辺のクリスマスって雪降るの?」

「さあ? あたしもこっちは初めてだからなあ。空ちゃんは?」

「わたしは一応、紅葉さんよりは遠くないところだけど……。どうだったかな」

 この冷え込みならありえなくもない気はするが、どうだろう。

「空ちゃん、次はどこ行く?」

「別に、どこでも」

「わかった。じゃあ次は空ちゃんが行きそうにないお店行こうよ」

「どういうチョイスなのそれ」

 向かった先が行きつけだったらどうするんだ。

 ストリートに行きつけとかないけど。

「ちなみにどういう店?」

「それは着いてからのお楽しみかなー」

 うっざ。

 ともかく、こちらとしてはストリートに不慣れなこともあって紅葉さんに丸投げすることにした。仮に変な店に連れていかれたとしても、その過程で好みの店を見つけられれば後で一人でも来れる。

 ホットチョコレートのコップとクレープの包み紙をそれぞれゴミ箱に捨ててから、わたしたちはまたストリートを歩き出した。紅葉さんは横道を探すふうでもなく、どうやら目的の店は大通りにあるらしい。

「そういえば空ちゃんは、なんであたしのことさん付で呼ぶの?」

「…………………………」

 今聞くのか、それ。

「なんでもいいじゃん」

「じゃあさん付じゃなくてもいいじゃん!」

 心底うざい。

「だって空ちゃん、絶対あたしのことさん付で呼ぶキャラじゃないって! 『おい』とか『お前』って雑に呼びかけるタイプだよ」

「水面下で離婚秒読みの熟年夫婦だよそれ」

 しかも夫は家庭円満だと思ってるやつ。

「クラスの人間は全員さん付で呼んでるんだから問題ないでしょ。紅葉さんだけさん付だったら明らかに距離取ってるって分かるけど」

「じゃあ空ちゃんはクラスのみんなと距離取ってるんだね」

「…………………………」

 嫌なことを言う。

 外れてないからなおさら。

 あまり愉快な話題でもなくて、かといって無理に転換するほどの不愉快さでもないために、次の言葉を継ぎかねた。そこでふと、紅葉さんのコートについている赤いペンギンのぬいぐるみに目がいった。古ぼけたそれは明らかに長い年月、鞄に取り付けられているらしく見えるので、少し気になった。

「ねえ――――」

「あ、ほらあのお店!」

 ちょうどいいと話題替えにそのペンギンを持ち出そうとしたところで、紅葉さんがわたしの袖を引っ張った。目的地に着いたのか。ならいいか。

「ここ?」

「そう、ここ」

 連れていかれた店は、ブティック、というほどには敷居が高くない感じだがどこか優雅さを感じるデザインの店舗だった。店先を覗いた感じ、アクセサリーを売っているようなところらしいが、わたしの興味からはやや外れたところだった。

「ここで売ってるヘアアクセがね、そんなに高くなくて可愛いのが多いんだよ!」

「ヘアアクセ、ねえ」

 わたしは自分の髪を触った。アクセサリーをどうこうするには不自由しない程度には長いし、現にゴムで後ろ髪はお下げにしているが……。

「空ちゃん、いつも地味なヘアゴムしか使ってないじゃん。というか昨日は普通の輪ゴムだったよね」

「ああ、やっぱ分かるのか」

 ヘアゴムを無くしてしまって、適当な輪ゴムで止めたのだった。今日は百均で買ったゴムをつけているが。

「ちょっとはオシャレしようよ。ね、入ろ入ろ!」

「……………………いいけど」

 引きずられて店内に入る。店の内装はあまりごてごてと飾らない、木目調のシックで洒落たもので、ファンシー過ぎたらどうしようといういらぬ不安は解消された。

 ストリートの一店一店がそうなのだが、この店もまた大きくはない。奥へ長く続く構造で、一瞥するだけで何が置いてあるかはだいたい分かる。色とりどりのヘアピンやヘアゴムの他、カチューシャやヘアバンドなど大きく着飾るようなアクセサリーもあり、中には簪らしい棒状のものも置かれている。客はそう多くなく、白花女学院の制服を着た生徒が二人ほど、わたしたち以外にいるくらい。後は精々、奥のレジで会計しているモッズコートの男くらいだが……。

 この手の店に男性客とは珍しいと観察していると、会計を終えた男がこちらに振り返る。年はわたしたちと同じくらいに思えたが、背が高くてがっちりしている。格闘技でもやっているのだろうか。

「あ、紫紺しこんくん!」

 隣の紅葉さんがその男に反応する。

「やあ、鴨足いちょうさん」

 男の方も軽く会釈する。

 ………………知り合いか?

 説明が欲しくて紅葉さんの方を見ると、彼女も心得たのか頷く。

「空ちゃん、彼はくれ紫紺くん。朝山生徒会長の幼馴染だよ」

「生徒会長の…………?」

 幼馴染とかいるキャラだったのか、あの人。

「あたしたちと同じ一年生で、鉄黒高校の生徒会もやってる人」

「どうも、はじめまして」

 男の方も近づいてきた。近づくと余計に圧迫感の強い体格の大柄さなのが分かる。店内が狭いというのもあるが。しかし表情は温和で、闘争心のようなものが欠片も見えない。

「鴨足さん、彼女は?」

「うん。この子が天色空ちゃん」

「ああ」

 呉は合点がいったような声を出す。

朱里あかりさんがたびたび話題にしていました。白花の転入生ですね」

「…………………………はあ」

 話題にしている?

 彼の言葉にひっかかりを覚えて、それについて問い詰めようかとも思った。しかし紅葉さんが知り合いに会った気安さで、勝手に話を進めていきこちらが喋る機会を失った。

「でも紫紺くんがこんなお店でお買い物なんて珍しいね」

「ええ、まあ」

 会計をしていたので当然だが、呉は店のロゴが入った黒くて小さい紙袋を持っていた。

「朱里ちゃんへのクリスマスプレゼント?」

「そんなところで…………」

「このこのー。やるな色男っ!」

 なるほど。付き合っているのか。興味がないからどうでもよかったが……。ひとつ気になったのは、クリスマスプレゼントの準備のタイミングだった。なにせまだ十一月で、クリスマスまで一月もある。ちらりとレジカウンター横の広告に目をやると、クリスマスラッピングのサービス告知が貼ってあったが、その開始も十二月に入ってからである。プレゼントの準備をいつしなければならないということでもないだろうけど、随分早いものだという違和感くらいはあった。

「ねえねえ、何買ったの?」

「それは言わなくてもいいでしょう」

「えー。だってあたしも会長にプレゼントするときに被ったら嫌じゃん」

「嫌も何も鴨足さんは朱里さんにプレゼントする機会はないじゃないですか」

「分からないよー?」

 紅葉の下種な好奇心が収まるまで、手持無沙汰になったわたしは周りの商品を適当に見た。ちょうど近くにあったのは、ヘアゴムやヘアバンドの類だった。

 カチューシャくらい大きくていかにも着飾っているようなものは好まないし、もし仮につけるならこれくらいがちょうどいいのかもしれないと思った。今の髪形を変えなくてもいいし。

 置かれた商品を左から右へ一通り眺める。そこでふと、ひとつのものに目線が止まる。

 それはカラフルなシュシュたちだった。樹木の幹と枝のようなデザインのスタンドに、色ごとに二つずつ引っかけられていて、全体としてはもこもことした、少しセンスの悪いクリスマスツリーのようだった。隣に同じようなスタンドに緑と赤のシュシュをとにかく引っかけたものもあるから、意図としてもそういう配置なのだろう。

 その中で気になった、というか、どうしても意識から離れなかった色のシュシュがひとつだけあった。

 そう、ひとつだけ。ほとんどのシュシュが二つずつで置かれているのに、そのシュシュはひとつだけ、スタンドに引っかけられていた。だから気になった、わけじゃない。

 だから気になったのだと、思い込もうとはしたけれど。

「では俺はこれで失礼します」

「うん、じゃあね」

 二人の言葉で我に返る。目線を無理にシュシュから引きはがして紅葉さんたちの方を見る。もう既に呉は店から出るところだった。

「ごめんごめん、話し込んじゃって」

「いや……」

「何かいいもの見つけた?」

 彼女の言葉にギクリとする。こいつ、おしゃべりの間にこっちを見ていたんじゃないだろうな。そんな疑いを持ってしまう。

「さあ、大して見てないし」

「ふうん。あ、このシュシュとか――」

 話題が核心に迫りかけた。わたしは紅葉さんの意識をどこか別に持っていこうと周囲を見渡し――――。

「――――――テメェ!!」

 外から唐突に、男の怒声が響いてきた。

「わっ、なになに?」

 店内にいたわずかな客が外を見た。店先の扉と窓はすりガラスなので様子は見えず、意味のない行為なのだが。レジカウンターの店員もちらりと見たが、すぐに手元の書類に目線をとした。どうかと思うほどのビジネスライクである。

「今の声……」

 紅葉さんはいそいそと店の外へ向かう。声に心当たりがあるらしい様子だったが……? どちらにせよ、面倒な話題から彼女の意識が逸れたことに安堵しつつ、後を追った。

 ………………追う必要は無いはずなのに、どうしてわたしは彼女についていっているのだろう。

 外に出てみると、店の前には人だかりができていた。人だかり、というか、少し人が集まっていて、その中心で何かいざこざが起きているらしい様子だった。そばを通り過ぎる人たちも、何事かとちらりと人だかりを見やるくらいだった。

「あの制服は…………」

 人だかりの構成員は、ほとんどが黒い詰襟の学ランを着ている。学ランというのはどうにも特徴に欠けるものだけど、人だかりの一人が何の気なしに周囲を伺うように振り返った時に、胸ポケットの刺繍が見えた。鉄黒高校の校章だ。

「何かあったの?」

 隣の紅葉さんに問うてみる。

「どうだろう…………あ、空ちゃん小っちゃいから見えないんだよね」

「あんたも人だかりを覗けるほどの背丈タッパはないだろ!」

「ほら、隙間から見えるよ」

 言われて覗いてみると確かに、人だかりの内部の様子が伺えた。二人の鉄黒高校の生徒が向かい合って、何事かを言い争っているらしい。言い争っているというか、片方が一方的にまくし立てているだけだが。

「喧嘩?」

「うーん、どうだろ。あ、まって、片方紫紺くんじゃん。それにあの人、鉄黒高校の生徒会長だよ。ほら、さっき話題にしてた朝山会長の従兄弟」

「天下の生徒会長様が何してんだか」

 無論、言い争っている二名の内、片方が顔を知る呉紫紺だというのなら、残る一人が生徒会長である。ただ、仮にわたしが呉のことを知らなかったとしても、感覚的にどちらが生徒会長かは理解できただろう。先ほどから一方的に言葉を並べているらしい長身で痩せぎすの男の方である。黒縁眼鏡の奥で、いかにも根暗らしい鋭く陰険な瞳が光っている。ああ、あれは一定の地位にいることくらいしかアイデンティティのなさそうな男だなと思わせる。くしゃくしゃで不潔感すらある髪を興奮気味にがしがしとかき回し、ついには対面している相手――呉を突き飛ばした。

「うわっ」

 同じ高身長でも生徒会長様がもやしをさらに削いだような細さなのに対し、呉は巨木のようにがっちりした体格だ。力比べなら生徒会長が五人でも勝てないだろう。しかし呉は抵抗しなかったらしく、あっさり地面に尻もちをついてしまう。

「紫紺くん!」

 紅葉さんが飛び出した。そのまま倒れた呉に駆け寄ってしまう。人だかりは彼女の声に反応するかのように、生徒会長の側に寄って割れた。心なしか生徒会長側に人が多いような気がしたけれど、まあそういうことだろう。

「大丈夫?」

「………………鴨足さん」

 人が割れたことで、結果的に対立構図は男子生徒一対一から生徒会長側多数対、紅葉さんと呉という図式になってしまう。次いで言えば、わたしも位置的には紅葉さんの方に近かった。これ、巻き込まれたりしないよね?

「何があったの?」

「いえ、俺が悪いんです。あなたが気にすることじゃない」

 呉が立ち上がる。体格的にもそうだが、感情的にも落ち着いているのはやはり呉の方に見えるのだが…………。どういうわけだが、この男は立ち上がりこそしたが生徒会長に相対するという雰囲気でもない。

「…………白花の女か。朱里の下っ端め」

 生徒会長様は毒づく。

「紫紺、お前は立場をわきまえろと何度も言ってるだろ! 朱里にばかり色目を使いやがって。お前も、次の当主にはオレより朱里の方がふさわしいって思ってるんだろ!?」

 右足をどん、と踏み込んで会長が脅しをかける。凄みを効かせたつもりだったのだろうか……と思ったが、地団駄はそういう意味ではなかったらしい。よく見ると、会長は右足で何かを踏み潰したらしかった。紙袋?

「色目?」

「お前には関係ないことだ」

「いやいや、朝山会長はマブダチなんで関係ありますって!」

 ………………………………。

 まさかと思ったが紅葉さん、あの性格が素なのか。

 茶化していい状況じゃないのは分かりそうなのに。

「それに紫紺くんは大親友だし」

「マブダチと大親友じゃ比較しづらいからどっちかに統一したら?」

 ぐるり、と。

 人だかりの目線がこちらに集中する。

 ……しまった。彼女のペースに乗せられた。

「……誰だお前?」

 怪訝そうな目で生徒会長に見られた。

 紅葉さんがわたしを引っ張り、強引に剣呑ならざる輪の中に押し込んだ。

「あたしの友達以上恋人未満でーす」

「友達からお願いします」

「えー? あたしたちもう友達じゃーん」

「片方だけが押し付けがましく友達だと思ってる場合の常套句だよね、それ」

「一方的に相手の秘密を聞き出す時の常套句でもある」

「分かってて言ってるじゃないか」

 こうしたやりとりを続けている間、向こうの生徒会長はジロジロとこちらを見回した。その目線はねめつけるという表現がぴったりだが、なるほど白花こっちの朝山会長との血のつながりを感じさせる程度には似ていた。

「ふん。そうか、お前が朱里の言ってた転入生だな」

「およ、空ちゃんばれてるよ?」

「オレの目は節穴じゃない。今まで見慣れない、ちびで眼鏡で杖を突いたちんちくりんがいればすぐに分かる」

 そりゃそうだろうけど。

 ちんちくりんには言われたくないな。

「しかし………………」

 生徒会長は思案気にじっとこっちを見た。このヒステリックそうな男がどうして生徒会長なのか疑問に思っていたが、そうして何事かを考えているらしい態度はなかなか様になっていた。

「白花の連中の頭はお花畑だとばかり思っていたが、その認識を改める必要があるらしいな。呑気を通り越して一面の花園だな」

「綺麗でいいじゃないですか、ね、空ちゃん」

「けなされてるんだぞ、一応」

 紅葉さんの茶化しも無視して、会長は言葉を続ける。その目線はわたしから紅葉さんに移っていた。

「鴨足とか言ったな。お前、よっぽどの頓馬らしいな」

「はい?」

「忘れたわけじゃないよな? 今、

 こいつ……………………。

 そうか。

 白花だけじゃなくて、鉄黒もそうだったな。そこの生徒会長が、わたしの存在を認識して、気づかないはずがない。

 その一点にかけては、「頓馬」だと言ってのけたこの男の言い分は正しかった。思い返せばわたしは、転入生であることを白花に来てから一度も詮索されていない。

 なぜ白花に転入したのか。

 そもそもどうして転入

 

 覚悟はしていたはずだ。詮索されることも、警戒されることも。

 紅葉さんが代表的だが、クラスメイトは何も聞かなかったし、生徒会長でさえわたしに転入の事情を聞くどころか探りを入れさえしなかった。だからつい忘れていた。

 いやいや。

 鈍るものというか、呑気になるものだ。

 あれだけのことをしておいて、たった一ヶ月で。

「白花だけじゃないがな……。そんなところに来た転入生が何者かくらい、察しがついてもよさそうなものだがな」

 滔々と、鉄黒の生徒会長は語る。

「さすがに、誰も死んでないだけのことはある。あるが……。もうすぐ殺されるだろうな。いい加減、いい子ちゃんのフリができないやつもでてくるだろうしな」

 精々、死なないようにしろよ。

 それだけ言い残すと、生徒会長はそっぽを向いて去っていく。人だかりも三々五々に分かれ、ある者は生徒会長についていき、ある者はやじ馬だったらしく適当に散った。

 後に残ったのは、わたしと紅葉さん、それから呉の三人だけだった。

「立場をわきまえろって、どっちがわきまえるべきなんだか!」

 憮然と紅葉さんが愚痴る。

 また、わたしは話題が自分の嫌な部分に触れなかったことにほっとした。

「駄目だよ紫紺くん! あんな人の言うこと真に受けちゃ!」

「いや、しかし……」

 ぷんすかと怒る紅葉さんに対し、呉は歯切れが悪い。

「会長が――群青さんが怒るのは当然です。俺はあの人のボディガードとして鉄黒に入学したのに、色恋にうつつを抜かしていては………………」

「ボディガード?」

「ああ、はい」

 わたしの問いに彼は答える。

「俺の両親――というより先祖代々ですが、俺たちは朝山家に使用人として仕えているんです。それで、こんな時分ですから、群青さんに何かあってはいけないということでボディガード役として……」

「それは……」

 随分仰々しい話だ。紅葉さんが言っていた名家がどうのというのも、どうやらわたしの想像以上にしっくりくる表現だったらしい。

 だが、なるほど幼馴染というのも理解できた。一族郎党みな朝山家に仕えているなら、昔から朝山しらはなの会長と呉は知り合いだっただろう。

 そして朝山群青とかいうあの男の苛立ちも、やつ自身の言葉と合わせて考えれば推測のいくことだった。部下や使用人が、自分ではなく別の人間にすり寄っている。その別の人間とやらも自分と同程度に一族の後を継ぐ資格がある。とすれば、自分が部下や使用人に見放されているのではと焦るのも当然のことだ。

 ……………………だが。

 普通に考えれば、朝山朱里よりも朝山群青の方が跡継ぎレースには分がありそうなものだが。朝山会長の傍に呉のようなボディガード役が存在せず、やつの傍に存在するというのがいい証拠だ。使用人がいるほどで跡継ぎが問題になるような名家なら旧弊的だろうし、男のやつが順当にいけば後を継ぐのだろう。

 順当にいけば、だが。そも、この二十一世紀に跡継ぎだなんだというのが前時代的甚だしい話だ。

「あーっ!!」

 と、そこで。

 紅葉さんが大声を上げて、少し離れた地面に駆け寄る。何事かと思っていると、彼女は地面から紙袋を拾い上げてこっちに見せる。先ほど、あの生徒会長様が踏み潰していたやつだ。そしてそれが、店内で呉が持っていた紙袋であることにも気づいた。

「酷いなあ! こんなことしてなんになるんだろ」

「他人の物を粗末に扱えるっていうのが、男のステイタスなんだよ、驚くべきことに」

 紙袋を受け取る。左手に持っていた杖を右の脇に挟んで両手を自由にしてから、左手で中身を取り出す。包装が二重にされていて、結局中身が何なのかは分からない。触った感じ柔らかいものだったから、壊れているというふうでもないが。

「仕方ないですよ。群青さんの怒りはもっともですから」

 諦めたように息を吐いて、呉はわたしから袋を受け取った。

「壊れるようなものじゃないですし、どうせラッピングは自分でするつもりでしたから」

「他人の踏んづけたものをプレゼントするのか?」

「汚れているようだったら買い直しますよ」

 そういうことじゃないんだけどな。

「それでは俺はこれで失礼します。また油を売っていたら怒られますから」

 早口でそう言って、呉は去って行った。

 わたしは左手に残った感触を、記憶の中で反芻する。店の中にあったもこもこのクリスマスツリーが思い出されたので、左手で杖の硬い柄をしっかりと握りしめ、一度、地面を杖で叩いた。

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