第3話
その後日々は何事もなく穏やかに過ぎた。私はあのあと無事刑法1の講義に間に合い、無遅刻無欠席でテストを迎え夏休みが近付いてきていた。空を仰ぐと、夏をたっぷり含んだ日差しが、美しい虫の透き通った翅のように睫毛の先に引っ掛かる。
そんな日差しに溶けたかのように、あの日男性を助けたことは、私の記憶から消えてしまっていた。
しかし、その液状化した記憶を蘇らせるような出来事が、今朝起こった。
私は昨日まで適当なテニスサークルに所属していたが、色々あって昨晩辞めてしまった。そこで、夏から心機一転新たなサークルの門をくぐろうと、朝から部室棟の辺りをウロウロしていた。その中で、ラーメン研究会という文字が、目に飛び込んできて、つい立ち止まってしまった。
ラーメン。それは私にとって、にっくき敵であり、しかし同時に憧れの先輩であるような複雑な存在である。
私の実家はラーメン屋なのだ。小さな頃からラーメンをおやつに育ち、私はラーメンの味にはうるさい。親父のラーメンは美味しい。世界一美味しい。しかし親父のことは憎んでいる。なぜなら、私に選択の余地を与えず跡継ぎにしようとしたからだ。
拳を握りしめる。私にだって夢がある。ラーメンは好きだが、勝手にラーメンに全てを捧げさせられてはたまらない。親父と私は相須家始まって以来の大喧嘩をし、その日以来私は親父の作るラーメンを食べていない。そして自分の夢を叶えるために、奨学金で大学に入学した。
私はしばしラーメン研究会の部室の前で逡巡したが、研究する必要もないと判断を下し踵を返した。と、その時だった。
『ガン!!!』
背中に鈍い衝撃。「痛い!?おわっ!?ふざけるな!?」と訳もわからず怒り出すトウコ。「った……」と顔をしかめ後ろを振り返る私。
そこには、あの日の貧血青年がいた。
死んだような目でドアを開けたまま、こちらを見つめていた。
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