EX59 マルクスのデート いつの日か、決断を迫られるのさ
『次はお前の番だ! スカーレット!』
壁に真っ赤な血で書かれた文字を見ながら、スカーレットは息を吐いた。
「神王様、わざわざ、来て頂かなくても……我々だけで……」
イーティス憲兵団の団長が言った。
ここはイーティスの片隅。一般的な民家のリビング。
血飛沫で染まった部屋の中心に椅子が置いてある。
そしてその椅子には、金髪の女性が座っていた。
「見たかったのよ。そのままなんでしょ?」
「あ、はい。報告時のままにしております」
憲兵団の団長は、少し緊張した風だった。
スカーレットの名前が書かれた事件だったので、報告がスカーレットまでいったのだ。
そして、スカーレットは現場を保存するように命令し、見に来た。
「異常過ぎるでしょ、これ」
スカーレットは金髪の女性に目をやった。
女性はすでに死んでいる。
身体中に、杭を打ち込まれ、ハリネズミのような姿で死んでいる。
明らかに異常犯罪。まともな人間の殺し方じゃない。
「アスラの復讐だと思う?」
スカーレットは護衛として連れてきたメロディに質問した。
「まさか!」メロディが言う。「アスラだったら、そこに座ってるのはお姉様に似せた人じゃなくて、お姉様本人だったはず!」
「なるほどね。アスラはイカレてるけど、少なくとも直接あたしを狙うってわけね」
「そう。だからこれは、お姉様に不満があるけど、直接言えない奴かな?」
「それにしては異常過ぎるわ」スカーレットが肩を竦める。「こんな事件が頻繁に起こってもらっちゃ困るわ」
「はっ! 最優先で捜査いたします!」
憲兵団長が敬礼した。
「神聖十字連にも協力を仰ぎなさい。彼らも捜査能力を持ってるわ。エステルは?」
「エステルはデート」とメロディ。
「デートですって? 誰と? どこで?」
「マルクスだよ。私の『種ちょうだい候補』のトップ10に入ってる。ちなみに1番はお姉様で、2番はアスラ」
「あたしもアスラも、種持ってないわよ……」
スカーレットは呆れた風に言った。
「そこが本当に難しい問題」メロディが笑う。「また大森林で、変な魔物探してこようかな。性別を入れ替える魔物とか、いそうじゃない?」
「知らないわよ。それより、エステルはどこでデートしてるの?」
「サンジェスト王国」
「ちっ、イーティス内だったら見学に行ったのに」
スカーレットは残念そうに言った。
◇
「おい、押すなイーナ」
「団長さん、もうちょっとズレてください」
「サルメ……邪魔」
「エステルも、それなりに美人ですわよねぇ」
「お前らなぁ、副長のデートを覗き見とか、アホなのか?」
アスラたちは建物の影から顔だけ出して、オープンカフェに座っているマルクスとエステルを見ていた。
ちなみに、覗いているのはアスラ、サルメ、グレーテル、イーナ。
ブリットのレコ人形も一緒だが、ブリットに覗く気はない。
だが古城でティナとメルヴィが実況を聞いている。
「まったく会話してないじゃないかあの2人」アスラが言う。「私が行って、話題を振ってあげようかな?」
「絶対にダメです団長さん。団長さんの振る話題はデートに相応しくないと推測されます」
「賛成……。でも、ナヨリちゃんで行くならアリ……かも?」
ナヨリちゃんはアスラの別名だ。主に情報収集の時に使う名前で、肩書きも情報屋。
「わたしは乙女同士の方が萌えますが、これはこれで楽しいですわね」
「お前ら、本当、趣味悪いな」
レコ人形が首を振った。
「おいおい、あのマルクスがデートだよ?」
「そうです。マルクスさんがデートですよ? さすがにデート相手を鉄拳制裁することはないでしょうけど、色々と心配です」
「ふふ……、あとで、ネタにして……いじってやる……ふふ」
「イーナさんだけ妙に邪悪ですわね」
みんなとっても楽しそうである。
「おい、コーヒー3杯目じゃないか」アスラが呆れた風に言う。「カフェインには利尿作用があるから、2人ともきっと、あとでトイレに行きたくなるね」
「いい雰囲気の時だったら最悪ですね」
「……それ面白いから、そうなればいいのに……」
「エステルのお漏らしなら、わたしは見たいですわ」
アスラたちはとっても怪しかった。
だから、道行く人々はアスラたちを避けて通った。
マルクスとエステルが正常な状態なら、こんなお粗末な尾行はすぐにバレる。
ガチで尾行しているわけではないので、アスラたちとしては、バレても別にいい。
だが、まだバレた様子はなかった。
「お、コーヒーを飲み干して、店を出るようだね」
「どこに向かうのでしょう?」
「宿……か、ホテル……ふふ……マルクス、ついに童貞、捨てるのかな……」
「ついでにエステルの処女もですわね」
「お前ら本当に、ゲスいな」
レコ人形が溜息を吐く仕草を見せた。
◇
今日のエステルは鎧を装備していなかった。
鎧だけでなく、剣さえ持っていない。
髪の毛を括り、服は暗い色だが高価なドレス。
左手にハンドバックを持って、マルクスの左側に並んでいる。
マルクスの方も、今日は武器を携行していない。
傭兵団《月花》の基本装備であるローブも着ていない。
茶色のズボンに、濃い茶色のブーツ。白黒チェックのシャツの上から、黒い皮のジャケット。
髪型はいつもと同じ。赤毛の短髪。
「すまないエステル」
歩きながら、マルクスが言った。
「何がだ?」
エステルはやや緊張した風に言った。
「自分はデートに慣れていない。散歩以外に、どうすればいいか分からない」
「心配しなくていい。私も分からん。これなら、2人で剣の稽古をしていた方が有意義だったかもしれんな」
「それは言えている」
「しかし、なぜサンジェストだったんだ?」エステルが問う。「何かあるのかと思った」
「いや、来たことがあるというだけだ。知っている場所の方が安心する」
「なるほど」
そこで会話が途切れた。
2人は大通りを、特に目的もなく歩き続ける。
「すまないエステル」
「さっきも聞いた気がするが、今度は何だ?」
「団長たちが尾行している」
「ああ、やはりそうか。そんな気がしていた。信用されていないんだな」エステルが溜息を吐く。「いや、分かっている。神王様がアスラを刺したのだろう? 明らかな敵対行為だ」
「それはそうなんだが、信用の問題ではない」
マルクスが言うと、エステルが首を傾げた。
「団長たちは、ただただ、面白がっているだけだ」
「そ、そうなのか?」
「現時点では、スカーレットの配下を敵と見なしていない。もちろん、スカーレットは明確な敵だが」
まぁ、それも時間の問題だ、とマルクスは思った。
いずれ、そう遠くない未来、全面戦争に陥るはずだ。
そうなったら、エステルとの関係は悲恋になるのだろうか、とマルクスは考えた。
「そうか。ホッとしたよ。手紙を書いた時、返事は貰えないかもと思った」
エステルが安堵の息を吐いて、少し微笑んだ。
その瞬間。
前から歩いて来た少年が、エステルの手からハンドバッグを盗んだ。
かなり手慣れた様子だったので、窃盗の常習犯だとマルクスは思った。
「……油断しすぎだな、私は」
エステルがやれやれ、と肩を竦めて首を振った。
「鎧がないからか?」
「そうかもしれない」
エステルが長い溜息を吐いた。
「やぁ君、落とし物だよ」
ハンドバッグを持ったアスラが寄ってきた。
「あと、こいつどうします?」
サルメが泥棒の少年を制圧している。
「ありがとうアスラ。泥棒は普通に憲兵に渡してやれ」
エステルが言った。
アスラはエステルにハンドバッグを手渡す。
「ほら、行きますよ。手配されているなら、お金貰えますね」
「あたしも……行く」
サルメとイーナが、少年を連行した。
「君ほどの人間でも、デート中は割と無防備なんだね。面白かったよ」
「ふん。私だって、常に集中しているわけじゃないし、常に戦闘中というわけでもない。気が抜けている時だってあるさ」
エステルは苦い表情で言った。
「まぁそれはそれとして! デートの続きを楽しんで! 私は離れたところで見てるから!」
そう言って、アスラは踵を返した。
その瞬間、マルクスはエステルの手を取って走った。
マルクスとエステルは、手を繋いでしばらくジグザグに路地を移動した。
「ふぅ……。これで、尾行は振り払えたはずだ……」
マルクスが速度を落とし、合わせてエステルも落とした。
まぁ手を繋いでいるから、当然、そうなるのだけれど。
「そうか。なんだか疲れたし、その……」
エステルの目が泳いでいる。
「なんだ?」
言いながら、マルクスは周囲を確認した。
そこはいわゆる、安宿街だった。
主に休憩用の安宿が並んでいる。近くに娼館もある。つまりまぁ、そういう目的で借りる宿が建ち並んでいるのだ。
「いや、すまない。別にここに誘ったわけでは……」
マルクスが言い訳をすると、エステルはマルクスにキスをした。
マルクスは思考が停止。
今、自分は、何をされたんだ?
「まぁ、その、なんだ。純潔の誓いなど、犬にでも食わせたらどうだ? 私だって、神の従僕と付き合いたいという条件を外したのだから」
エステルは強引に、マルクスを宿に引っ張った。
「お、おい。エステル? 年中発情しているわけではないと、そう言って……」
「黙れ。私はやりたいんだ! 手を繋いで走ったせいで、興奮したんだ!」
「そ、そのぐらいで……?」
「うるさい! 男と手を繋いだんだぞ!? 興奮するに決まっている! さぁ! 私が嫌いでないなら、純潔の誓いなど捨ててくれ!」
「いや、しかし……」
「ええい! ならば結婚だ! 結婚すればいいんだろう! 色々省略して、誓う! ほら行くぞ!」
マルクスはエステルの強引さに負けて、結局そのまま宿に入った。
◇
「やったかな?」とアスラ。
「さすがの副長でも、エステルの強引さには勝てないと思いますわ」
グレーテルがニヤニヤと言った。
2人はしっかり尾行を続けていた。
まぁ、グレーテルはアスラを追って走っただけである。マルクスたちを追跡したのはアスラだ。
ちなみにレコ人形はグレーテルの肩に座っている。
「ふふ、だったらきっと、いつか楽しいことになる」
アスラは酷く楽しそうに、そして酷く悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「あーあ、私がやりたかったのになぁ」
「エステルと? それとも副長と?」
「違う違う。そうじゃないよグレーテル。愛する者との殺し合い。愛する者との、どっちかの勢力が滅ぶまで続く戦争。それって素敵だろう? 心が躍る。ああ、マルクスは私より先にそれを体験できるんだね! 素晴らしい!」
アスラとスカーレットの衝突は避けられない。
イーティスと《月花》の衝突も同じ。
すぐ明日、というわけではないが、それほど遠い未来の話でもない。
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