第11話 立ちこめる悪意に立ち向かうため 神様は人間に勇気を与えたのだ
チェーザレはアーニア王国城下町の診療所にいた。
自分のケガを治すためではない。そこにトリスタンが運びこまれているからだ。
「……ごめん……チェーザレ……ごめん」
全身包帯とガーゼに彩られたトリスタンが、うわごとのように言った。
トリスタンはベッドに横になっていて、チェーザレは椅子に腰を下ろしている。
「いいんだ。いいんだトリスタン。オレの判断ミスだ。相手の戦力が、想定以上だった」
アスラのことではない。メロディのことだ。今のところ、チェーザレはあまりアスラを脅威だと感じていない。
「医者に、お前を動かしていいか聞いてみよう。大丈夫なら、酒場の上で休めば良い」
魔物殲滅隊のたまり場のことだ。あの酒場の上階には、ケガをした隊員たちを治療するための設備がある。
まぁ、診療所ほどの設備ではないけれど。
チェーザレは立ち上がり、医者を呼んだ。
しかし返事がない。聞こえていないのかと思って、大きな声で呼んだ。
しかし、やはり反応がない。
おかしい――そう直感したチェーザレは、トリスタンは抱きかかえる。
そして病室を出た瞬間、診療所が燃えていることに気付いた。
火は凄まじい勢いで広がって、煙が立ちこめる。
「くそっ!」
チェーザレは診療所の入り口まで辿り着けないと悟って、壁を蹴破って外に出た。
明るい午後の日差しの下で、アスラ・リョナが踊っていた。
その光景を理解できなくて、チェーザレの思考が停止。
なぜアスラがここに?
そしてなぜ踊っている?
「やぁチェーザレ」アスラが踊るのを止めてチェーザレを見る。「君はそこの壁を蹴破って出てくると思ったよ。診療所の構造上、そこから出るのが手っ取り早い。私もそうするだろう」
チェーザレは周囲を確認した。
アスラ以外には誰もいない。
この場所は大通りから少し外れた裏道ではあるが、誰もいないのは妙だ。
「心配いらないよチェーザレ。誰もこない。誰もこないから」アスラが笑う。「ちなみに、医者には新しい診療所を建ててやると言ってある。私はこれでもプロだからね。市民を巻き込むような真似は滅多にしない。たぶんね」
クスクスとアスラが笑う。
「お前が火を点けたのか?」
「そうだよ。その通りだよ。厳密には私じゃないけれど、命令したのは私さ。ふふっ」アスラは楽しそうに身体を揺らした。「さぁチェーザレ。続きをしよう。闘争の続きをしよう。不完全燃焼だろう? うん? 死ぬまでやろうよ?」
まるで狂気。
純粋に歪みきった悪意たっぷりの口調でアスラが言った。
チェーザレの足が、少し震えた。数多の魔物を屠り、幾千の死線を飛び越えたチェーザレの身体が、震えたのだ。
「ああ、私は君らが嫌いだよ。大嫌いだよ。凝り固まった思想を持った人間は嫌いだよ。だけど、だけれど、君たちは敵になり得る。この私を楽しませる敵となる可能性を秘めている。だから遊ぼう。戦争という名の遊びを楽しもう。私たち《月花》と、君たち魔殲の戦争をしよう。大丈夫、ルールは1つだよ? きっと覚えられる。簡単なルールさ。片方が全滅するまで続けること。それだけさ」
あまりにもねじ曲がった狂気。
魔物より魔物らしい。世界中の悪意を一点に集めたとしても、アスラに及ばない。そんな気になるほどの絶対悪。
こいつは、
生きていては、
いけない人間だ。
魔物の味方であるとか、そうでないとかの問題ではない。
倒さなくてはいけない。打倒しなくてはいけない。そうしなければいけないのだ。
「これは宣戦布告ではないよ? それはすでに、君らが果たしただろう? わざわざ、わざわざ、私らの拠点にまで乗り込んで、暴れ回っただろう? だから、さぁ、始めよう。何でもいい。武器がないなら、素手で。腕がないなら足で、足がないなら頭で、頭がなければ、ああ、その時は死ぬ時さ!」
勇気が、欲しい。チェーザレは心底からそう願った。
どんな魔物にも屈しなかったのに。それなのに、脅威だと思っていなかった小さな少女と戦うのが恐ろしい。
感じるのだ。未だかつてないほどの恐怖を。
「トリスタンを、安全な場所に……」
チェーザレが言った時、背後の診療所が崩れ落ちた。
「バカ言うな。バカを言うなチェーザレ。今すぐ私を攻撃したまえ。ほら、早く、早く、早く! 待ち侘びている! このままでは待ちくたびれる! それとも私からがいいかね!?」
アスラが短剣を投げた。
チェーザレは横に飛んでそれを回避。トリスタンは抱いたまま。
「チェーザレ……俺のことはいいから……あいつを、あいつだけは、倒さないと……殺さないと……」
トリスタンは必死な様子で言った。
分かっている。チェーザレだって分かっている。アスラを生かしておくなんて、そんなの、考えられない。魔物以上に有り得ない。
「すまないトリスタン」
チェーザレがその場にトリスタンを寝かせた。
そしてアスラに向き直ったと同時に、矢が飛んできてトリスタンの足に刺さった。
トリスタンは悲鳴を上げなかった。
「貴様!」チェーザレが叫ぶ。「怪我人だぞ!?」
だが、誰が矢を放ったのか分からない。矢が飛んできた方向には、誰もいない。
「お姫様を守りながら戦うのは大変だねチェーザレ。頑張るんだよ? 一生懸命に頑張るんだよ? そうすると、全ての努力が泡となって弾ける瞬間を堪能できるよ?」
アスラは相変わらず、狂気的に笑っていた。
「怪我人とは言うけどよぉ」
チェーザレの真上から声。
「お前らだって、相手が魔物だったら容赦しねーだろ? 同じじゃね?」
空から火の玉が降ってくる。
「クソがっ!」
チェーザレは再びトリスタンを抱き、その場から離れる。
そしてそのまま走って逃げようと考えた。
しかしチェーザレが走り出した先にアスラがいた。
まるで、未来を予測したかのように、チェーザレの進路を塞いでいた。
「まぁ、立ち位置を考えれば、こっちに逃げるよね」
アスラの周囲に花びらが蒔かれている。それは魔力で作ったものだ。踏むわけにはいかない――チェーザレは急制動をかける。
止まったチェーザレの背中に、矢が飛んでくる。
チェーザレは振り向かないまま、身体をズラして矢を回避。
「さすがだね! いいじゃないかチェーザレ! さぁ! もっと頑張って! 私を楽しませて! 私が本気で君をぶち殺せるように! もっと! もっと! もっと!」
アスラはまだ遊んでいる。
チェーザレは知らないことだけれど、アスラは別に魔殲を倒して欲しいと依頼されたわけではない。
魔殲が《月花》に対して舐めた真似をしたから、その報復程度のこと。
もっとハッキリ言うなら、完全に趣味の領域での戦争なのだ。
「チェーザレ、戦って……頼むから……」
トリスタンは泣きそうな声で言った。自分がお荷物になっているのが辛いのだ。
「トリスタン……」
「俺たちは、何? チェーザレ、俺たちは! 俺たちは何だ!?」
トリスタンが叫んだ。ほとんど絶叫だった。
「俺たちは魔物殲滅隊!」トリスタンがチェーザレの腕からスルリと降りる。「全ての魔物を漏らさず殺す! 全ての魔物の死骸を並べて晒す! 死んだ魔物だけがいい魔物だ! 魔物の味方をする人間は魔物と同じ! 生かしておく理由はない!」
トリスタンは立った。
足に矢が刺さったまま。
昨日、アスラに膝を砕かれたというのに。
右腕も折られ、左手には穴が空いている。
ズタボロに殴られ、肋骨が折れて内臓にも損傷があって、それでも立った。
◇
アスラは身震いした。
「ああ、そうだよトリスタン! それでこそ私の敵だよ! 素晴らしい! 君は素晴らしい! 君は新たな果実だよ!!」
「特にアスラ・リョナ!」トリスタンがアスラを睨む。「お前みたいな人間は、生きてちゃいけねーんだよ! お前だけは、お前だけは、この命と引き替えてでも殺す! そうだろチェーザレ!!」
「ああ、ああ! そうだとも! そうだともトリスタン!」チェーザレは完全に吹っ切れた。「オレたちは魔物を滅ぼす者! あらゆる魔物を屠って葬った! お前を生かしてはおかないぞアスラ!!」
チェーザレが構える。武器は持っていないけれど、体術だって使える。
「死んで人類に詫びろアスラ!」
チェーザレが地面を蹴って、アスラの前まで1歩で移動。
着地と同時に拳を打ち下ろす。
アスラの背が低いので、打ち下ろす形になってしまうのだ。
アスラは下がって躱す。
チェーザレが追って、連続でアスラに打撃を加える。
蹴り、拳、蹴り。
そしてまた拳。
アスラはそれらを躱し、いなし、逸らす。
しかしやがて、アスラが建物の壁際に追い込まれた。
チェーザレの蹴りを、アスラが防御した。
しかし威力が強すぎて、そのまま建物の壁を破壊して、アスラは吹き飛ばされた。
中にいた住人が酷く驚いたような表情をしていた。
「出てこいアスラ! 市民を巻き込まないんだろう!?」
チェーザレが外で叫んだ。
アスラは受け身を取ったが、それなりにダメージがある。
いいねぇ、と笑った。ダメージを負えば負うほど、テンションが上がってくる。
ああ楽しい。とっても楽しい。
アスラは建物の階段を見つけて、登る。
そして二階の部屋から窓を突き破って飛び出した。
空中で周囲を確認。
トリスタンはすでにサルメが制圧している。まぁ、半死半生のトリスタンなら、サルメでも余裕だ。
もっとも、トリスタンのあの気合いは本当に素晴らしいものだったけれど。
チェーザレがアスラを見ている。
アスラは両手に短剣を装備して、片方は投げた。
チェーザレはその短剣を右手の人差し指と中指で挟んで止める。
アスラは墜落しながら【乱舞】を使用。
自分の周囲に花びらを生成した。
アスラを迎撃しようとしていたチェーザレが、即座に後方に下がった。
花びらを危険物だと認識しているのだ。
それが爆発することを、トリスタンに聞いて知っているから。
アスラの着地と同時に、チェーザレが短剣を投げる。
アスラもチェーザレと同じようにその短剣を止めた。
「返してくれてありがとう」
「強いな、お前」
「傭兵団の団長が弱いとでも?」
「だが、メロディほどじゃない」
「そうかなぁ? 殺し合いなら、私にも分があると思うけどね」
アスラはニコニコと言った。
「念のために言っておく」チェーザレがチラリとトリスタンを確認した。「オレたちは理念のために死ねる」
「人質は通用しないという意味だろう? もちろんだともチェーザレ。それに心配しなくてもトリスタンは生かしておくよ」
アスラの発言に、チェーザレが少し驚いたような表情を見せた。
「伝える奴が必要だろう? 私らと、君らの、戦争のルールを伝える奴がいるだろう?」
ククッとアスラが笑う。
アスラは本気だ。どちらかが全滅するまで、この戦争を終える気はない。
「意外かね? 私は多くの場合、1人は生かしておくよ? だって、私がどんな人間なのか、私がどれほど恐ろしいのか、伝えてもらわないとね! はした金で私や《月花》を狙うようなクソが2度と出ないようにしないとね!」
「お前は魔物のクソにも劣る」
チェーザレが唾を吐き捨てる。
「そうかね? では魔物のクソをプレゼントしてあげるから、私を殺してみたまえ」
「いいだろう、いいだろうアスラ・リョナ。お前こそが、オレの最大の敵。お前こそが、オレの人生において最大最強の魔物だ!」
「ははっ、私は魔物ほど優しくないよ!」
アスラが左手を上げると、トリスタンを縛り上げ終わったサルメが矢を放った。
チェーザレはその矢を叩き落とす。
「あは!」
アスラはとっても楽しそうに、チェーザレの懐に侵入し、短剣で右脚の太ももを斬り付けた。
だがチェーザレは呻くこともなく、斬られた足を軸足にしてアスラを蹴った。
アスラは咄嗟にガードしたけれど、やはり吹き飛ばされる。
体重差は大きい。
アスラは地面を転がったが、威力を殺すためにわざと転がったのだ。
チェーザレはアスラを追ったが、途中で【火球】が2つ飛んで来たので、それを躱した。
アスラが立ち上がる。
ユルキの【火球】が2つとも地面に落ちて、パッと広がった。
ユルキが込めたMP分は、そこで燃え続ける。消火されない限り。
そして燃え移る物が何もないので、それ以上の火災にはならない。
ちなみに、ユルキの姿は見えない。
ついでに、サルメもすでに姿を消している。
ファイア・アンド・ムーブメント。
アスラはいわば囮のようなものだ。
「3対1か」チェーザレが言う。「魔物のクソ以下のお前には、戦士としての矜持もないか?」
「ないね。残念ながら、これっぽっちもないよ」アスラは楽しそうに言う。「私は戦士だったことなんて1度もないからね! 生まれてから死ぬまで、そして死んでからまた生まれて今の今まで、ずっと傭兵さ!」
「そうか! 本当に、クソだお前は!」
チェーザレが闘気を使った。
「ほう」
それはアクセルの闘気以上に荒々しい。周囲の砂が巻き上がり、建物が揺れた。
闘気は性格を少し反映しているのかもしれない、とアスラは思った。
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