第5話 アスラ先生は人気者 そしてチェーザレはアスラに会いたい


「さて、今日はアスラ式プロファイリング初級講座の日だよ」


 憲兵団本部の会議室で、アスラが言った。

 会議室には5人が座れる長机が5列あって、選抜された20人の憲兵とラウノが座っている。

 アスラは彼らの前に立っていた。アスラの隣には、助手としてサルメもいる。ユルキは周囲警戒中で、憲兵団本部の外を見回っている。

 アスラの近くには車輪付きの大きな掲示板があって、そこに大きめの紙が貼られている。

 何のためにあるのかというと、アスラが何かを書く場合に使うのだ。もちろん、掲示板には万年筆と筆も完備されている。


「犯罪捜査を教える前に、まず君たちは初歩の初歩である人間の心理を学ばなくてはいけない」アスラが言う。「特に行動心理は大切だよ。尋問の時に役立つ」


「表情、小さな仕草、外見などのことです」サルメが補足する。「たとえばあなた」


 サルメが自分の唇に触れている女性を指さした。


「君が唇に触れているのは緊張しているからだよ」アスラが言う。「人間は不安を感じると、それを和らげるため、何かに触ろうとする。唇は特に緊張した場合に触ることが多い」


「ちなみに口元を隠した場合は」サルメが言う。「隠し事がある可能性があります。何度も隠した場合は、確定です」


「と、まぁこういう感じで、人間の動きには意味がある」アスラが言う。「初日は基本的な人間の心理を学んでいこう。これはきっと、今後の捜査で役に立つ。君たちは選ばれた優秀な憲兵だ。必ず、犯罪者の逮捕率は上がるだろう。同時に、冤罪率が下がる。いいかね?」


 アスラの言葉が終わると、憲兵たちが頷いた。

 ラウノも頷いていた。もしかしたら、ラウノは憲兵時代に戻ったような気分なのかもしれない、とアスラは思った。

 まぁ、それはそれで別に問題ない。


「よし、ではメモの用意をしたまえ。私は二度は教えないよ? なぜなら、二度教えるだけの金は貰っていない。だから一度だけだよ。今日を逃したら、もう初級の講義はない」


 再び教えるなら、その時もまた100万ドーラだ。大きな優位性を売るのだから、安売りはできない。

 アスラとサルメは、休憩を挟みつつ夕方までみっちりと基本的な心理学を憲兵たちに教えた。


「さて、日が落ちる前に終わる予定だけど……」アスラが言う。「最後に、犯罪者について少し話そう」


 憲兵たちは少し疲れた様子だったが、犯罪者と聞いて目を輝かせた。


「実は犯罪者の多くは意思が弱いんだよ。嫌なことを嫌だと言えない。断るべきことを断れない。だから、犯罪に誘われても断固たる態度で拒否を示すことができない。意思欠如型と言って、窃盗犯に多い」


 アスラの言葉に、憲兵たちが深く頷いた。彼らは経験で、アスラの言葉が正しいと理解しているのだ。

 窃盗犯の多くは、別の窃盗犯に誘われてその道に入るのだから。


「他にも色々な型の犯罪者がいるけれど、でも彼らは精神病質者に比べたら可愛いものさ」アスラがニヤリと嗤う。「本当にヤバいのは精神病質者、つまりサイコパス。少し前に、城下町を騒がした《一輪刺し》がその典型例さ。反社会性人格障害とも呼ぶ」


 憲兵たちがゴクリと唾を飲んだ。

 彼らは《一輪刺し》には大いに振り回された。結局、《一輪刺し》を捕まえたのは傭兵団《月花》だった。

 まぁ、その実績があるからこそ、この講義があるわけだが。


「とはいえ、全てのサイコパスが犯罪に走るわけではない。ここで扱うのは、あくまで犯罪に走るサイコパスだよ?」アスラが楽しそうに言う。「ではサイコパスの何が怖いか。まずサイコパスは会話が上手い。口が達者で、非常に魅力的に見える。犯罪者だと気付けない。つまり、捜査対象にならない場合すらある。更に恐ろしいのは、サイコパスだと知っているにも関わらず、惹かれてしまう場合だね」


 アスラは会議室を歩き始める。


「もっと具体的に話そう。君たちは仔猫か子犬を拾ったとしよう。想像して? 目を瞑って、自分好みの可愛い動物を想像するんだ」


 アスラの言葉で、みんな目を瞑った。


「君はそいつを相棒として、飼うことにした。一緒に眠り、一緒に飯を食って、一緒に散歩したり遊んだりする」


 アスラは会議室をウロウロしながら言った。

 憲兵たちは全員、ちゃんと言われた通りの想像をしている。


「想像して? 想像力が大切だからね。可愛いだろう? 名前は付けた? 君たちはその相棒と30日をともに過ごした」アスラが淡々と言う。「もう、離れられないよね? 愛しているよね? 分かるよ。みんなそうだ。君たちは相棒が大好きで、相棒もまた君たちが大好き。一緒にいると幸福を感じる」


 アスラが言うと、みんなの表情が少し緩んだ。ペットとの幸福な時間をきっちり想像している証拠だ。


「さてみんな、今すぐそいつを殺せ」


 アスラの台詞で、みんなが一斉に目を開いた。そして聞き間違いではないかと怪訝な表情を浮かべる。


「殺せ、首をへし折れ。それができないなら、頭を潰せ。無理かね? では腹を裂け。やれ! 想像しろ! 想像するんだ! 早くしたまえ!」


 アスラは強い口調で言ったが、憲兵たちは酷く悲痛な表情を浮かべただけだった。


「ふむ。見る限り、誰も相棒を殺さなかったようだね」アスラがやれやれと首を振る。「つまり君たちは普通の人間ということだよ。よかったね。サイコパスなら殺す。殺せてしまう。嘘だろうって? いやいや、私は殺せる。自分で大切に育てた果実を、握り潰す時はきっと気持ちいい」


 悲しくて悲しくて、私でさえ胸が痛むかもしれない。

 そして、その痛みを感じてみたい。

 果実の名前はアイリス・クレイヴン・リリ。

 あるいは、アスラが果実に殺される可能性もある。だけれど、それはそれで楽しいからいいのだ。


「そんな顔をするな君たち。君たちの敵となるサイコパスがどういう人間なのか、よく分かっただろう? 君、私の講義はどうだい?」


 アスラは立ち止まり、憲兵の肩に手を置いた。


「はい。相棒を殺せと言った時は驚きましたが、非常に分かり易く、更に面白いです」

「それは良かった」


 アスラが再び歩き始める。


「さて君たち、私のことは好きかね?」


 アスラは最初に立っていた場所に戻った。

 憲兵たちが頷く。ラウノも頷いていた。


「そうだろうね。そうだろうとも!!」


 アスラが急に大きな声で笑い始めた。

 憲兵たちは意味が理解できなくて、少し混乱した。


「私は今日、君たちに好かれるように講義をしたんだよ! 君たちにとって、私という講演者が魅力的に映るように!! 君たちは私の噂を知っているはずだけど、それでも私に好感を抱いただろう!?」


 アスラがあんまり楽しそうに言うものだから、憲兵たちは少し不安になった。


「なんでかって!? 私が!! サイコパスだからだよ!! 私は今、この瞬間、突然君たちを皆殺しにできるんだよ!! 心情的にね!! 相棒の話を現実にできるんだよ!!」


 アスラが言うと、憲兵たちの表情に驚愕と怯えの色が浮かんだ。


「なぜなら!! サイコパスは誰にも共感しないからだ! 君たちの痛みを理解できない! 君たちの悲しみを理解できない! 罪悪感すらない!! だから平気で殺せるんだよ! それがサイコパスだ! 今度こそ理解したかね!?」


 憲兵たちは怯えた表情のままで、何度か頷いた。


「よろしい。サイコパスを逮捕するためには、サイコパスを理解しなくてはいけない。だが気をつけろ? サイコパスは自分を逮捕した者に執着する傾向がある。理解者だと知っているからさ。どうもありがとう。今日の講義はここまでだ。君らは今日を忘れないだろう」


       ◇


 アスラたちがアーニアに向かってから数日後。

 残された団員たちはいつものように城壁の外で訓練に励んでいた。

 時刻は、昼食休憩を終えて午後の訓練を始めた頃。

 天気は快晴。白い雲が気持ちよさそうに空を泳いでいる。風は微風で、やや肌寒い。今年の終わりが近付くにつれ、寒さが増していく時期だ。

 ちなみに、セブンアイズのユーナが攻めて来て以来、特に何事も起こらず、平和な日々が続いている。

 それは非常にいいことなのだが、なぜか少し物足りない、とマルクスは感じた。

 トラブルに慣れすぎてしまったのだ。依頼とトラブルが交互にやってくるような、めまぐるしい日々に、いつの間にか毒されていた。


「見てマルクス」


 レコが両掌を上に向けて、マルクスに見せる。


「土属性の生成魔法【普通の砂】!」


 レコが楽しそうに言うと、レコの両手に溢れんばかりの砂が創造された。

 どこからどう見ても、何の変哲もないどこにでもある極めて普通の砂だ。

 ちなみに、今は全員が個人で魔法の訓練をしている。


「おぉ、実用レベルの生成魔法が使えるようになったか」


 マルクスがレコの頭を撫でる。


「……実用?」とイーナが首を傾げた。

「投げつけたら目潰しになるよ?」とレコ。


「そうだな」マルクスが頷く。「相手視点だと、砂を掴む動作なしで、突如として砂を投げつけられるわけだ。よって、効果はある。少しはな」


「あたしも、回復魔法そろそろ完成しそう」とアイリス。


「完成したら声をかけろ」マルクスが言う。「とはいえ、今日完成させる必要はない。もちろん早い方がいいのだが、無理をしても仕方ない。魔法は修得に時間が掛かるものだ」


 割に得られる効果が微妙な場合が多い。

 ただし固有属性まで進化させると、魔法は一気に武器のレベルになる。

 まぁ、それでも本当に手持ちの武器レベルだ。

 神域属性まで得られたら、初めて全ての武器の中で最も優位性が高い、と言える可能性がある。


「……あたし、変化、割と覚えた……」


 イーナは基本的な性質は全てマスターしている。

 生成魔法【加速】、支援魔法【浮き船】、攻撃魔法【風刃】、そして回復魔法【休息】。


「……回復からの……」


 イーナが【休息】をアイリスに使う。

 アイリスの周囲で心地良い風が舞い、アイリスの心が落ち着き、緊張が緩和される。

 イーナの回復魔法は、主に精神的な疲労に作用する。アスラはリラクゼーション効果と言っていた。


「……攻撃……」


 イーナが指をパチンと弾くと、【休息】の優しい風が、突如として【風刃】へと変化。

 アイリスの服と肌をスパスパと切る。


「痛い痛い痛い!!」アイリスが叫ぶ。「何すんのよ!!」


 威力は抑えていたので、アイリスの傷は小さい。でも数が多いし、やはり切られると痛いのだ。


「【偽りの休息】って……名付ける……」イーナが誇らしげに言う。「次は……時限と付与……覚えたい……」


「それより謝ってよ!! あたしに謝って!! すごく痛かったんだからね!?」


「落ち着けアイリス」マルクスが言う。「ほら、【絆創膏】を貼ってやる」


 マルクスが回復魔法でアイリスの傷口を次々に塞いでいく。

 ちゃんと傷口のサイズに合わせた【絆創膏】である。

 自動的にそうなるわけではない。マルクスが細かく操作しているのだ。


「何気にマルクスの魔法って精度高いわよね!」

「自分は魔法が好きだからな。変化も一応、覚えたし、自分も次は時限と付与だ」

「オレも早くアイリスを傷付ける魔法覚えたいな」


「なんてこと言うのよレコ! あたし、一応味方だからね!? 傷付けちゃダメな人間だからね!? あと、傷付けられたら傷付くからね!? アスラみたいな鋼のメンタル持ってないからねあたし!」


 レコとアイリスのやり取りを見て、マルクスが微笑む。

 実に平和だ。

 しかし、その平和を踏みつけるような、馬の蹄の音が聞こえた。


「ほう。客のようだ」マルクスが楽しそうに言う。「どこの誰が来たのか、賭けるか? 自分は配達機関に1000ドーラ」


「セブンアイズ関連に1000」とアイリス。


 すでにアイリスも《月花》に毒されていて、即座に賭けに乗った。


「……依頼が来た……」イーナが言う。「もちろん、1000」


「じゃあオレは魔殲にしよっかな。うん、魔殲に1000」


「アイリスかレコが正解なら、戦闘だな」マルクスはどこか嬉しそうに言う。「よし、警戒態勢だ」


 いつでも戦闘を開始できるよう、全員が気を引き締めた。


「こんなこともあろうかと、片刃の剣も持ってて良かった」


 アイリスは近くの地面に寝かせていた愛剣を拾った。

 アイリスの腰のベルトには、短剣が3本挿さっている。それでも、やはり剣があった方が安心なのだ。

 前回、訓練の最中に魔殲の襲撃を受けた。それ以来、アイリスは訓練でもメイン武器を持って出ることにしている。


「……馬は2頭で、人は2人……」


 城門から続く道を、軽快に走って来る。


「1人は見覚えあるわね」


 並んでいる馬の、アイリスから見て右側は魔殲のトリスタンだ。

 トリスタンは相変わらず、背中に剣を2本装備していた。


「やった! オレの総取り!! 訓練終わったらティナとお菓子買いに行こうっと!」

「どんな高価なお菓子買うつもりよ! あたしのも買ってよね!」


「現時刻をもって、訓練を中断」マルクスが言う。「日頃の行いが良ければ、これからは殺し合いの時間だ」


 マルクスの言葉で、レコとイーナが短剣を抜いた。

 マルクスも短剣を抜いて構える。

 と、トリスタンではない方の男が、馬上で両手を上げた。

 交戦の意思はない、という意味に受け取ることができる。

 しかしマルクスは警戒を解かない。魔殲は信用できない。魔物を殺すためなら何でもする連中だ。騙し討ちも有り得る。


「よぉ。オレはアスラ・リョナを見に来ただけだ」


 トリスタンではない方の男が、手綱を引いて馬を止めてから言った。

 距離はマルクスから約3メートルの位置。

 男の雰囲気だけで、かなりの実力者だとマルクスは分かった。

 ボサボサのオレンジの髪に、年季の入った戦闘服。顔には3本の爪痕。おそらく、とマルクスは思う。全身に同じような傷跡があるに違いない。

 年齢は30歳前。28歳前後といったところか。


「団長は不在だ」とマルクス。

「そうか。じゃあ出直すか」と男が言った。

「チェーザレ、せっかく来たんだから、待ってもいいんじゃ?」とトリスタン。


「バカ、待ってる間にドラゴンが視界に入ってみろ、殺しちまうだろ? 今日はそういう用事で来たわけじゃねー。オレはガチで、アスラ・リョナを見たいだけだ」

「は? あんたたちにゴジラッシュが負けるわけないでしょ?」


 アイリスが少しイラッとした様子で言った。


「こいつ英雄のアイリス」とトリスタンがアイリスを指さす。

「あぁ、英雄ね」とチェーザレが鼻で笑う。


「何よその態度。喧嘩売ってるわけ?」


「別に。悪かったよ」チェーザレが肩を竦めた。「オレは英雄には興味がない。時々、思い出したように魔物を退治するのがウザいだけで、興味はない」


「このっ!」


 一歩踏み出そうとしたアイリスの服を、イーナが掴む。


「……勝手な、行動はしないで」


 マルクスが戦わないと言えば戦わないし、戦うと言えば戦う。アイリスの勝手な判断で戦闘に突入するのは悪手。


「団長はしばらく戻らない。急ぐならアーニアに行け。急がないなら出直せ。あるいは、自分たちと遊ぶか? 歓迎するぞ?」


 マルクスが言うと、チェーザレが微笑んだ。


「オレたちはアーニアに向かおう。お前たちは精々、ドラゴンと楽しい日々を過ごせ。いい思い出を作れ。いずれこのトリスタンが、それらを全て破壊して、お前たちを断罪する日まで」


「そんな日は訪れない」とマルクス。

「わざわざアスラのところに行くなんて」とアイリス。

「……さようなら……たぶん永遠に……」とイーナ。

「それよりみんな、1000ドーラ早く!」とレコ。

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