第2話 ハートマークの使い方? 愛を込めて痛めつける時に使うんだろう?(ハート)


 サンジェスト王国、城下町の宿。

 アスラが取った広い部屋で、アイリス、イーナ、レコが腕立てをしていた。

 すでにパーティ用の服も揃え、準備は万端。そして時間だけが余った。早めにサンジェスト入りしたので、予定通りだ。

 今日は室内で筋トレをして、その後は戦術の講義をしてやろうとアスラは思っていた。


「重いぃ」レコが苦しそうに言う。「なんで、オレだけ、団長という重りが……」


「私の椅子になりたかったのだろう?」アスラが意地悪に笑う。「夢が叶って良かったじゃないか」


 アスラはレコの背中に座っている。


「腕立て……してない時が……いいなぁ!」


 レコは今にも倒れそうなぐらい、息が上がっていた。


「我が儘言うな」とアスラ。


「し、死ぬ……。オレ、今日死ぬ……」

「ああ、死んだら犬の餌にしてあげるよ。宿の近くに野良犬がいたのを見たよ。彼らのお昼ご飯になりたいかね?」

「死んだあとなら、別に、餌でも、いいけど……」


 レコの腕がプルプルと震える。


「アスラってレコのこと可愛がってるように見えて、結構厳しいわよね」


 アイリスが言った。

 アイリスは割と平気な顔で腕立てを続けている。


「……全然、厳しくないし……」イーナが言う。「あたしら……もっとキツかったし……」


 イーナも普通に腕立てを続けている。

 アスラが背中に座っているレコだけが限界に近い。

 レコの汗で床が変色している。

 イーナとアイリスも、ほんのり汗をかいているが、床に滴るほどではない。


「筋力はないよりあった方がいい。誰でも手に入るお手軽な武装だよ」アスラが言う。「別にマルクスみたいなマッチョになる必要はないがね」


 それからしばらく、腕立てが続く。


「問題点としては、体脂肪率が減る。そうすると、当然、胸は小さくなる。これは鍛える者の宿命であり、仕方ないことなんだよ。分かるかい? 前にも言ったかな?」


 そしてレコがベチャッと床に沈み込んだ。


「おい。私は休んでいいとは言ってないよ?」アスラが言う。「続けるんだレコ。しんどい振りをしているが、本当は嬉しいんだろう? 私に厳しくされて本当は喜んでいるんだろう? 分かっているんだよ? 続けるんだレコ」


「うぐぅ……」


 レコが必死に腕立てを続けようとする。

 しかしやっぱりベチャっと倒れる。


「団長、オレ……本当に……」


 発声すらままならない様子のレコ。


「君の私への愛はそんなもんかね?」アスラが肩を竦めた。「あと1回でいい。男を見せろレコ。ご褒美は何もないが、命令だ、あと1回腕立てをしろ」


 あと1回。次で最後。そう認識したら、人間は案外できるものだ。


「ぐぬぬ……」


 レコは必死に、胸を浮かせる。

 そしてゆっくり下げて、そのままベチャっと床に沈み込んだ。


「ほら、できるじゃないか」


 アスラがレコの背中から降りた。

 レコは呼吸が荒く、言葉を返せない。

 アイリスとイーナは黙々と腕立てを続けている。

 さて次はどっちの背中に座ろうか、とアスラが考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「入れ。鍵はかけてないよ」


 アスラの言葉で、訪問者がドアを開けた。


「お届け物です、アスラ・リョナさんは……」


 緑の帽子を被った男がキョロキョロと室内を見回した。

 男は肩から斜めに鞄を引っかけている。

 鞄には『配達機関』と書かれている。


「私だよ」


 アスラが近寄ると、男はアスラに手紙を渡した。

 封筒が大きかったので、普通の手紙ではないと直感。


「サルメからか。君、すぐ読んで返信を書くから待っていてくれるかい?」

「分かりました」

「良かったら、どっちかの背中に座っていてくれ」


 アスラがアイリスとイーナに視線を移す。


「は?」と配達機関の男。


「好みの方でいいよ。椅子の代わりさ。嫌とは言わせない。座るんだ」


 アスラが有無を言わせない雰囲気だったので、配達機関の男はおっかなびっくりアイリスの背中に座った。


「そっちが好みか」


 アスラは笑いながら、手紙の封を切る。


「……むかつく……」とイーナ。

「……嬉しいけど、嬉しくない」とアイリス。


 アスラが封筒の中身を確認する。

 連続殺人事件の捜査資料と、サルメの手紙が入っていた。

 サルメの手紙に目を通し、アスラはすぐに机の引き出しを開ける。

 自前で便せんを持っていないので、宿に常備されている便せんを使うためだ。


「あの、大丈夫ですか?」と配達機関の男。


 椅子の代わりにしたアイリスが腕立てを続けているので、心配したのだ。


「大丈夫じゃないけど、イーナには負けないもん」

「……は? あたしだって、負けないし……」


「重りとか、ハンデだし」アイリスが言う。「これでフェアよ。元々、筋力はあたしの方が上だし」


「……は? ハンデとかいらないし……。レコ、寝てないであたしの、背中に座って……」


 イーナの台詞で、レコはゆっくりと立ち上がり、フラフラとイーナの背中に座り込んだ。

 レコは馬乗りのような形でイーナに座り、そのままぐったりと身体を倒す。

 もしもイーナが立ち上がったら、レコを背負ったような形になる。


「……汗が、キモイんだけど……」


 イーナが苦笑い。

 イーナの背中とレコのお腹は密着している。


「レコの方が軽いから、やっぱりハンデよ」


 アイリスが強気で言った。


「……こっちは密着されててキモイし……。だからフェアだし……」


「女同士の苛烈な争いだね」アスラが笑う。「えっと、封筒、封筒……」


 アスラは引き出しから封筒を取り出し、便せんを綺麗に畳んで封筒の中に入れる。

 それから封をして、配達機関の男に渡した。


「よろしく頼むよ」


 言いながら、ドーラを多めに渡す。チップ込みだ。


「分かりました」


 アスラから手紙を受け取った男は、笑顔を見せてから立ち上がる。

 そして、そそくさと退室した。

 アスラが大きく手を叩く。

 その音で、アイリスとイーナが腕立てを止める。

 しかし立ち上がらず、2人とも床にうつ伏せになっていた。


「筋トレは終了だよ。これから頭の体操をする」


 アスラは全6ページの捜査資料に目を通し、アイリスに渡す。


「え? アスラもう読んだの?」


 アイリスが座り込みながら言った。


「読んだだけじゃなくて、記憶したよ」


 アスラはベッドに腰掛ける。


「……レコ、降りて……。あたしから、降りて……」


 イーナが言うと、レコがゴロンと転がってイーナの背から降りた。


「端的に説明すると、アーニアで連続殺人事件が起こった」アスラが言う。「サルメが勝手にその犯人を特定する仕事を請けたそうだ。で、サルメらはアーニアに移動。今、アイリスが持ってるのが捜査資料」


「……監獄島の……収監者名簿……手に入れる任務は?」


「心配するなイーナ。この事件を解決したら、報酬としてシルシィが渡してくれる。アーニアは憲兵機構に参加しているから、普通に名簿を貰えるということだろうね」


「あー、分かった……」床に転がったままのレコが言う。「オレたちも、犯人探すんだね……。お手伝い……的な……」


「その通りだよレコ」アスラが微笑む。「しかしアーニアか。実は私、アーニア王と文通してるんだよね」


「え? アスラが文通?」とアイリス。


「君はさっさと資料を読んでイーナに回したまえ」


 アスラが言って、アイリスは資料に視線を戻した。


「……何、話してるの……? 王様と……」

「うん。助言をいくつかと、世間話かな」

「……例えば?」

「例えば、アーニア王は少し前にお見合いをしたらしいけど、お付き合いには至らなかったそうだよ」

「……それは……団長のこと、狙ってるからじゃ……」


「それはないね」アスラが肩を竦めた。「そもそも私は男に興味がない。まぁ、そんな他愛もない話をしているよ、アーニア王とは」


「……縁を大切に、してるってこと……?」

「そうだよ。私の傀儡として大切にしている」

「今サラッと、とんでもないこと言わなかった?」

「だから君は資料を読めアイリス」


「団長」レコが言う。「他には、どんな話してる?」


「別に普通だよ。一緒に東フルセンを統一しようとか、そういう普通の話さ」


「ちょっと待ちなさいよ!?」アイリスが言う。「今、歴史に残るレベルの発言しなかった!?」


「そっか。普通の話でよかった」レコが安堵の息を吐く。「オレの知らないところで2人がイチャイチャしてたら、アーニア王殺さなきゃ、って思ったよ」


「安心したまえ。普通の話だけさ」

「全然普通じゃないから! あとレコの発言もヤバイから! 一国の王様を殺すとかサラッと言わないでよ! 今のあんたなら、頑張ったらできそうだから、そういうこと言うの止めて!」

「……あたしが先に読む」


 イーナがアイリスから捜査資料を取り上げた。


「仕方ないから、君らが読み終えるまで黙っていてあげるよ」


 アスラは背中から倒れて、ベッドに転がった。


「あ、レコに単独で王様を殺すだけの能力はないよ。まだね」

「黙ってくれるんじゃなかったの!?」


 言いながら、アイリスはまだ読んでいない資料をイーナから奪還した。

 そこからは黙々と資料を読む時間が続いた。

 アイリスが1ページ読むと、そのページをイーナに渡す。

 イーナが読むと、次はレコに。

 効率的に資料を回して、レコが全ての資料を読み終えた時点でアスラが起き上がる。


「気配で分かったって言うんでしょ、どうせ」


 完璧なタイミングで起き上がったアスラに対して、アイリスが言った。


「所見を聞こうか」


 アスラはアイリスをスルーした。


「サイコパスだね」レコが言う。「《一輪刺し》って通称はカッコイイね。オシャレ」


「……刺殺して……死体を綺麗に寝かせて、胸に一輪の花を残すから、《一輪刺し》。花を残すのは……サイン……署名的行動。自己顕示欲が強い……」

「えっと、サインを残すのは男の特徴だったわね、確か」


「シリアルキラーがナイフで刺し殺す場合、多くは挿入の代替行為に当たる」アスラが言う。「もし犯人が男なら、インポだ」


「いんぽって?」とレコ。


「性的不能。勃起しないってことだよ。レコ風に言うと、ビーンってならない奴」


「……でも」イーナが首を傾げる。「死体を……綺麗にするのは……女の特徴……」


「もしくは後悔の念があるんでしょ?」


「こいつにはない」とレコ。


「6回刺してるから、明らかにオーバーキル」アスラが言う。「でも、パニックを起こしたわけじゃないね。被害者は3人だけど、全部正確に6回刺している。ということは、やはり性的快感が伴っている可能性があるね」


「男だね」とレコ。


「……女の可能性も、ゼロじゃない……。どっちにしても、6回で絶頂……。インポなら、擬似的な絶頂……」


「物的証拠が花しか残ってないし」アイリスが言う。「あれでしょ、えっと、あれ……何だっけ……えっと……」


「秩序型で知能が高いって言いたいんだろう?」アスラが呆れた風に言う。「覚えたまえ」


「単独犯で連続犯」レコが言う。「殺しに自信があるように見えるから、人間を殺す前に動物で練習してると思う」


「……被害者は、みんな男……。年齢は20代前半……優男風。だから、それが、《一輪刺し》の好み……。やっぱり女だと思う」


「男が好きな男かも」とレコ。


「性別は断定できないね」アスラが言う。「ただ、《一輪刺し》は知能の高いサイコパスで、社会にも適応できているはず。この資料だけでは発見できないだろうね」


「社会に適応どころか、魅力的に見える可能性もあるんでしょ? アスラみたいに」


「私と同じぐらいの知能なら、絶対に見つからないと断言できるよ。私がシリアルキラーになったら、私が死ぬまで私は殺し放題さ。てゆーか、君は私を魅力的だと思っているんだね。キスしてあげようか?」


「《一輪刺し》が団長並ってことはない……ないと思う……ないといいなぁ」イーナが言う。「団長並は、滅多にいない……はず。でも、相手のミス待ちの長期戦になるかも……」


「随時、状況を知らせるように手紙に書いたから、こっちでも手伝おう」アスラが言う。「今の時点で分かっていることは、きっとサルメたちでも分かるから、次の被害者を待とう。もしくは連中が何か発見するのを」


「アイリスにキスするぐらいなら、オレに! 団長の唇がもったいないよ!」

「何それ? どういう意味よレコ? 別にアスラとキスしたいわけじゃないけど、何それ? もったいないって何?」


       ◇


 アーニア王国。城下町の宿。

 サルメはベッドに寝転がって旅の疲れを癒していた。

 ヘルハティからアーニアへの移動は想像以上の強行軍だった。

 ヘルハティでシルシィに会い、捜査資料の副書を製作し、アスラに手紙を出し、そのままヘルハティを出た。

 シルシィが急いだのだ。サルメたちはそれに合わせた形。

《月花》側も予定外の仕事なので、早く終わらせるに越したことはない。


「ぼくの可愛いお尻の皮が剥けるかと思いましたわ……。姉様のお尻叩きよりはマシですけれど……」


 アーニアに到着した時、ティナがそんな風に愚痴った。

 長時間、馬に乗っていたのでサルメも似たような気持ちだった。

 と、ドアをノックする音。

「どうぞ」と言いながらサルメが起き上がる。

 訪問者がドアを開く。

 緑の帽子を被った配達機関の男だった。

 男はサルメの名前を確認したのち、サルメに手紙を渡す。


「ありがとうございます」


 サルメが礼を言うと、配達機関の男は微笑みを浮かべてから立ち去った。

 手紙の差出人はアスラ。

 ヘルハティを出る前に送った手紙の返信だ。

 サルメは封を切って中身を確認。

 そして。

 青ざめた表情でマルクスの部屋に行き、手紙を渡してそのままユルキの部屋へ。

 ユルキの部屋では、ユルキとティナがカードで遊んでいた。

 サルメは2人をマルクスの部屋へと誘う。

 3人でマルクスの部屋に入ると、マルクスは青ざめた表情で手紙をユルキに渡した。

 手紙を読んだユルキがガクガクと震える。

 ティナが不思議に思って、ユルキの手から手紙を取って目を通す。


「えっと。勝手に仕事を請けるとは偉くなったねサルメ。もし解決できなかったら、この世の地獄をたっぷりと教えてあげるよ。ハートマーク」


 ティナが声に出して手紙を読む。

 サルメはガタガタと震えながら自分の両肩を抱いた。


「お、怒らせてしまいました……」サルメが半泣きで言う。「私、どうなるんですか……? この世の地獄って、どんなですか……?」


「マルクス。副長の威厳が足りていないようだね。よろしい、君が立派な副長になれるよう、お説教してあげよう。星マーク。アスラはマークを描くのが好きですのね」


 ティナは楽しそうに言った。


「ぐぬ……まさか自分までお説教を喰らうハメになるとは」マルクスが苦い表情で言う。「いや、サルメを制御し切れなかったのは確かに自分の責任だが……。そして、お説教というのは解決した前提の話で、解決できなかったら自分も地獄を見るだろう……」


「ユルキ。君は連帯責任だよ。ケツの穴を広げたくなければ解決したまえ。星マーク。ケツの穴を広げるってどういう意味ですの?」


「聞くんじゃねーティナ」ユルキは深呼吸をしていた。「頼むから忘れてくれ」


「分かりましたわ」

「ちくしょう、俺のケツ……。いや、この手紙だと、解決さえすれば、俺のケツは広がらねぇ。なんとしても解決しねーと……」

「追伸。随時、事件の進捗を報告すること。私も明日のパーティが終わったらアーニアに向かう。明日というのは、この手紙を書いている翌日のことだよ? 届いた翌日のことじゃないよ?」


 ティナが手紙を持った腕を下げる。

 全て読み終わったのだ。


「今すぐ……」サルメが言う。「今すぐ憲兵団本部に向かいましょう!」


「うむ」マルクスが頷く。「明日から開始する予定だったが、今すぐ始めるぞ!」


「だな!」ユルキも頷いた。「走って行くぞ! ティナは休んでてもいいぜ!?」


 ユルキの言葉が終わった瞬間、3人ともダッシュで宿を出た。


「ぼくも行きますわ」


 ティナは3人の本気のダッシュに余裕で付いて行った。

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