第62話 領域ー対価は記憶ー

 やっぱり私は先輩のストーカーだなと実感した。すぐに先輩を見つけたから。

 ミユとケンシと手分けをして先輩を探す中、私は林の中のあの小部屋に向かった。行き方を正確に把握していたわけじゃないけど、鍵を握りしめて心の中でマリの名前を連呼した。

 三度目の正直というのだろうか。林の中に溶け込むようにしてあの部屋の入り口が現れた。奥にある机に突っ伏した先輩は眠っているかのように動かなかった。ちょっとためらってから前の椅子を引いて腰をかける。規則正しく動く背中が無防備で、声をいつかけていいのかわからなかった。あまりに静かで時間が止まったかのように思えた。


 どうれくらいそうしていたんだろう。

「いま何時?」 

 先輩が顔を伏せたままつぶやいた。

「もう直ぐ15時です」

 私がこたえると

「吉川は帰る時間だな」

 と、言ってようやく顔を上げた。


 私は先輩の背後にある本棚だったものに目をやる。あんなにたくさんあった本が全てなくなっている。

「先輩は何をするんですか?」

「花火」


 海に続く殺風景な一本道はすでに夕方から夜に変わる気配に満たされていた。夏の終わりはこんなにも直ぐに夜が訪れるものなのだろうか。


「夏が終わるなぁ」

 先輩がのんびりとくつろいだ雰囲気であたりを見回した。右側の堤防の向こうに見える海の他は本当に何もない。すでに16時をすぎているから誰の姿も見えない。みんなはもうここを出発したのだろうか。ケンシとミユはどうしたんだろう。宿舎の周りは雑木林になっているから中の様子はわからない。ただ風に揺れる木々の音が聞こえてくるだけだった。

「帰り道、暗いかもなぁ」

 先輩が少し心配そうだ。

「夜にはもう慣れました。先輩、私につかまって歩いてもいいですよ」

「それは助かる」

 先輩の白い顔に夕日が射し、妙に赤くて眩しかった。あたりがだんだんと薄い闇に包まれていく中で、先輩の周囲だけ日差しに照らされて輝いている。なんだか泣きたい気分になった。


 砂浜に何十冊もの本が積み重ねられていた。

「吉川、本当に大丈夫か?」

 先輩が心配そうに私をふりかえる。

「全然、大丈夫です」

 先輩がゆっくりと袋に入った粉を本にふりかける。夏の始まりの日と同じ甘い香りが一瞬漂う。そして、ゆるい海風に舞うようにしてふんわりと火の粉が舞いだした。本の山が、紙が、ひらひらと朱色の花のように鮮やかに舞い散り出す。


 空はやわらかなオレンジ色がゆっくりと藍色に変わっていく。

 空を眺めながら先輩が言った。

「世界はいつまで綺麗なままなんだろうな」 

 夕日に照らされた浜辺は悲しいほど綺麗だった。綺麗なものを見ると大抵幸せな気分になるのになんで夕日だけは泣きたいような切ないような複雑な気分になるんだろう。すぐに消えて無くなることがわかっているからだろうか。


 先輩も私も火が消えて太陽が見えなくなるまで何も言わなかった。

「もうとっくにバスは出たか」

「ですよね」

「ここで星空鑑賞でもするかー」

「私、まともに見たことないんです」

 二人で空を眺める。まだ明るさが残っていて月も星も見えない。きっと怖いくらい綺麗な星空が見えるだろうなと思った。

 残された夕焼けが最後の力を振り絞るように周囲を染め上げる。

「吉川は覚えておいてよ」

「何をですか」

「全部。俺の代わりに」

 先輩はニッといつものように笑ってからこういった。

「それが佐々木さんとの条件。全部燃やして、記憶も消える。それは、」


 少しだけ先輩は言葉を選ぶように考えたあと、

「もう俺じゃないのかもしれない」

 胸が苦しくなるほど美しい夕焼けの中、先輩はいつものように笑った。ずっと目をそらさないでいたかったのに、ほんの一瞬の瞬きの間に先輩は消えてしまった。ゆるい波が先輩が立っていたはずの砂を静かになで去って、ずっしりと濡れた私のスカートの裾だけが異物として残されていた。


 私だけが秋のはじめに残された。


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