第60話 領域ーずっと待ってるー
マリはゆっくりと手紙を開いた。
「あの日、行方不明になった人が2人いたんだ」
先輩が落ち着いた声で話し出す。ケンシが「そうか」と小さく呟いて顔を上げる。
「お姉ちゃんと佐々木さん」
マリが先輩の言葉を噛みしめるように口の中でつぶやく。そして、その言葉が徐々にマリの中で広がっていき、溢れそうになった心を抑えるように口元に手をやった。白い綺麗な指が微かに震えている。
先輩が深くうなづいて続けた。
「生きてるよ。高橋さん」
マリの口がわずかに動く。名前を呟いたように見えた。きっと、高橋さんの。そして、こぼれ落ちた涙をきにするそぶりも見せずに一字一字、指で追うようにマリが手紙を読んでいく。
「無事だったんだ」
先輩は優しく話し続ける。
「佐々木さんは、俺たちがここに来ようとしていることに気づいて連絡をくれたんだ。佐々木さんにとっても好都合だった。僕たちがここに来ればお姉ちゃんに影響を与えないはずはないから。まずはここで目を覚ましてもらわないと。お姉ちゃんをここからつれもどすっていうあの人の目的も達成できない。お互いの利害が一致したからいろいろ手助けしてくれた」
夜がゆっくりと私たちを包んでいく。周囲の闇から私たちを守っているのは白く輝く砂浜だけ。さらさらと砂がゆるい風にながされる。決して止まらずに形を変え続けている。
マリがゆっくりと顔を上げる。さらりと彼女の髪が肩の上で揺れる。ここの景色の一部として永遠にこのままここに閉じ込められてしまうんじゃないかと思うくらいに綺麗だった。
「高橋が言ってたなぁー。俺も手紙書いたんだって。今思い出した」
マリがおかしそうに笑う。
「バレてたか。俺もずっと渡そうとしてたんだ。だから、」
先輩が波の音に耳を傾けるように少しだけ目を閉じた。月の光に音色があるのなら、きっと先輩は今その音色を聞いている。
「ここにきた」
小さな男の子の声に聞こえた。まっすぐに会いたい人のところにやってきた。手に握りしめた小さな宝物を一生懸命に差し出そうとする男の子。
手紙を胸にかかえ、小さく丸まったマリは長い間顔を上げなかった。
「行きなよ」
先輩がマリに話しかける。
「高橋さんに会いに」
高橋さんはどんな人だったんだろうか。私は勝手に先輩のイメージを重ねる。
顔を上げたマリはとても綺麗な女の人にしか見えなかった。髪が肩についてさらりと揺れる。
「でも」
「ガーディアンはもういらない」
先輩が迷いのない口調で言い切った。マリがそんなことはないというように、首を振る。
ケンシが少しだけ咳払いをしてから仕方がないなというように口を開いた。
「俺がハッキングしても破れなかったんだ。もう十分なセキュリティーだろ。あと・・・」
ケンシが少しだけ照れ臭そうに続ける。
「俺、あの日、埠頭の前で高橋さんにあった。マリ・・姉ちゃんをつれもどすから心配するなって」
ケンシを振り向くマリの髪がさらりと風に揺れる。
「待たせすぎだろ」
「高橋、あの時、すごい勢いで会いに来てくれたな」
そう言ってからマリはゆっくりと立ち上がる。
「今度はお姉ちゃんの番だよ」
先輩の言葉にマリは長い髪をかきあげて微笑んだ。月光の中で白い肌が柔らかく輝く。溶けるような微笑みを浮かべてマリが笑った。
「ありが・・・」
最後の言葉は月の光に溶け込むように消えていった。
さらさらと月の光を浴びた砂浜の上に、マリが持っていた手紙がはらりと落ちていた。
浜辺にいたのは初めから3人だったかのようにマリの姿は消えてしまった。先輩がゆっくりと砂に落ちた手紙を拾い上げる。大事にもう一度、缶の中にしまいながら、
「よかった。吉川がいて。俺とケンシだけだと全部が夢にしか思えない」
と、明るく言った。
※※
目を閉じるとまだ、あの日の息をするのも忘れそうな夜が蘇ってくる。一言一句、いつも頭の中で繰り返してしまう。だんだんと本当に体験したことなのかわからなくなってきた。マリの姿も繰り返すたびにいろんな表情に変化していく。
彼女は本当にいたんだよね?
ミユのあとを追って指定された部屋に向かうと華やかな笑い声が廊下まであふれていた。
「希望すれば他の領域にいけるらしいよ」
「片付け面倒臭いなぁ」
「ここにいる間は全力で遊ぶゾーーー」
「えー。だって、ここ暑いし」
皆が口々に話している。すでに説明資料が配信されているようだ。
Padを開くと画像が表示され、領域管理官の女性が現れた。ここにきた人とは別の人でほっとする。
「本日16時までに荷物をまとめて、ゲートに集まってください」
コンマ何秒かしんと、静まり返った。「そんなにすぐ?」誰かのつぶやきにみんなが一斉にうなずく。
「領域のゲートを開くタイミング決まっていますので、時間厳守でお願いします」
教室からでても誰もが話題にしている。歓声をあげる子もいれば、全く興味がないことを表明する子もいる。
顔見知りの何人かが私に手を振り、なんとなく会話に参加させられる。私は頭と心の整理が追いつかなかった。耳に入ってくる会話もほとんどが素通りだった。
「でもなんでこんな突然なの?」
「結局、なんかシステムエラーがあったんでしょ?」
続いて聞こえた言葉が私を会話に引き戻す。
「そのせいでここにいたら危ないとかあるのかな」
「それならちゃんと説明されるよ。危ないわけないよ」
少し怒鳴るような口調になってしまった。だって、もしそうだとしたら全てが先輩のせいになってしまう。
「なんで、ひまりがそんなこと分かるのよ」
隣にいた子が不愉快そうに言い返す。
「なんでって言われても・・・」
完全に感情で言い放った言葉だ。理由なんて説明できない。しらりとした空気が流れた。でも、その空気を打ち消すような軽やかな声が割って入った。
「向原先輩の親戚がここの管理官として働いてるからひまりは詳しいんだよ」
ミユがそう言って顔を出すと、ミユの言葉にみんなは納得したように「それじゃ仕方ない」と笑いあう。
そしてあっという間に次の領域はどこにしたいかと話題がするりと切り替わっていった。ミユが「ほら行くよ」と私を誘い出した。
いつものPlay Area。
いつものようにミユと腰掛ける。
朝の間はSNS上に過去のサイトから掘り出された様々な動画や古い写真が何かの実験のように形を変えて飛び交っていた。だけど、少しづつ消失し始めた。初めの頃は新しいことに飛びついた人たちがこぞって、同じような書き込みを行っていた。「過去の情報制限は解除すべき」とか「このままでは学力低下につながるだろ!」とか「どーでもよくない?」みたいなものもあったけど、SNSにアップされるたびにある一定の反応があったから良くも悪くも凄い勢いで拡散されていた。それが、数時間をすぎた頃にはとSNS上に拡散された動画や画像に対してのコメントが冷めたものになり、全く関係のない話題のコメントまでされるようになった。
こんな短時間でみんな忘れていく。
「ミユ」
「なに」
「アイス買いに行こうよ」
私たちのここでの生活はもう終わる。最後の時間はなんとなく毎日過ごしていた通りに過ごしたいと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます